――放課後。
薄日がさしている寒空の下、私は敦生先輩に連れられて学校を出た。
悲鳴の花道も少し慣れてきたのか、あまり気にならないように。
カフェへ到着。
店内にはコーヒーの香りが漂い、パソコンで作業している人や、会話を楽しんでいる学生が目に入る。
レジ付近で、彼がポケットからスマホを取り出すと、同時になにかが落ちた。
私はそれを拾おうとして、目線を落とす――ワイヤレスイヤホンだ。
「イヤホン落ちたよ」
屈んで手を伸ばした。
彼はそれに気づくと、すかさず私の手を振り払った。
「触んな!」
パチンと弾いた音が、空気が割れるような音に聞こえた。
彼に目を向けると、別人みたいに怖い顔。
思わず息を飲んだ。
店内のBGMが、私たちの間を駆け抜けていく。
叩かれた手の甲が、じんわりと痛み、熱を帯びた。
「ごめん! そんなつもりじゃ……」
彼は怒鳴った自分に驚いたように、震えている手を口元に当てた。
数秒前とは、別人のように。
その表情が、痛みを更に増幅させていく。
「いいの。私がもう片方を壊しちゃったから、怒ったんだよね」
きっとあの日、私がイヤホンを踏んでしまったことが、トラウマになっているのかもしれない。
すれ違った客のコーヒーの香りが、やけにほろ苦く感じた。
「そういう意味じゃなくて……」
彼はふっと息を吐いて、イヤホンを拾った。
私はその様子をぼんやりと見つめた。
カウンターでコーヒーを受け取って、二人席へ座った。
白いコーヒーカップに口を添え、目線を上げる。
「あのさ、どうして彼女のふりなんてしなきゃいけないの? 友達じゃだめなの?」
教室まで迎えに来るくらいだから――きっと、本気。
「気になる?」
彼は頬杖をついて、ちらりと私を見た。
「……そりゃぁ、まぁ」
男性として意識はしてないけど、正直彼女でいなきゃいけない理由がわからない。
「おまえは他の女と違うなって思ってる」
「そりゃ、先輩のことが好きじゃないからね!」
手が滑り、コーヒーカップをガチャンと置いた。
唇をぎゅっと結び、上目を向けた。
残念ながら、彼は憎いほどかっこいいけど、私には関係ないし。
彼はきっぱりと言いきった様子を見て、ふっと笑った。
「飾らない目で見てくれるからだよ。それに、俺にとってただの契約じゃない」
その言葉が、スッと胸の奥で溶けていった。
「えっ」
「……いや、なんでもない」
それ、どういう意味だろう。
いままで付き合った人は、本気で向き合ってくれなかったってことかな。
「でも、いつか外でデートとか……するんでしょ?」
震えた声で言い、スカートの膝下をぎゅっと握った。
正直、外は――苦手だ。
学校から一緒に来る分には平気だけど、外で約束なんてハードルが高い。
だから、絶対偽彼女は務まらないと思ったのに。
「もちろん。偽物の関係だということを、バレないようにしたいから」
やっぱり、そうだよね。
学校で親しくしていても、外では無視なんておかしいよね。
キーボードを叩く音や客同士の会話が、耳の奥でざわついた。
再びコーヒーカップを触り、息を呑んだ。
「実は私、事故直後から人と約束ができなくなったの。だから、条件を飲むのは難しいかもしれない」
あの日のことを思い出したら、指先が震えた。
彼は気づくと、私に手のひらを向けた。
「なら、スマホ貸して」
「どうして?」
「いいから」
言われるがままに差し出す。
彼は慣れた手つきで、私のスマホをタップした。
「今週の土曜日、デートしよう」
私の目の前に、はいとスマホを差し出される。
画面を見ると、スケジュールアプリにはデートの予定が入っている。
「ちょっ……なにするの?! 約束できないって言ったばかりじゃない」
スマホをタップして消そうとするが、彼の手がそっと重なる。
「約束できないなら、乗り越えよう。傍で見ててあげるから」
真剣な眼差しが胸に突き刺さった。
まるで時が止まってしまったかのように、BGMの音が消えたような気がした。
あの日の約束を思い出すと、准平の顔が浮かんだ。
額が冷たくなり、すかさず首を振った。
「無理。約束なんて……。絶対行かない」
「俺は待ってるよ。おまえが来なくても」
その言葉が、喉の奥をきゅっと詰まらせた。
約束……それは2年間避けてきた道。
また事故が起きたらと考えるだけで、胸がざわつく。
残された人間は、恐怖を抱えて生きていかなければならない。
これまで散々苦しんできたのに、約束なんてできるはずがない。
それでも彼は、私の悩みを受け止めようとしてくれている。
こんなこと言ってくれる人、いままでいなかった。
コーヒーの湯気が揺れて、私の心もそっと落ち着きを取り戻すようだった。



