父の叱責とシェリーから解放されたエレインは、最後の力を振り絞って夜着に着替えるとそのままベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
(あぁ、もう、なにもする気がおきないわ)
 本当はまだ調べたいことがあったのに、最後の最後で気力がごっそりと削られてしまった。
『この役立たずが』
『お前は草の世話しかできない能無しだ』
 子どもの頃からまるで洗脳するようにずっと言われ続けた言葉は、エレインの心の底に積もり積もって蓄積するばかり。
 エレインは、父の自分を蔑む目が怖くて仕方がなかった。
 あの、憎悪に満ちた眼差しは、ずっと私と母に向けられてきた。
 愛する人と結ばれなかった父にとって、それを妨げた根源の母と私は憎むべき対象なのだろう。
 母がいなくなった今も、時折あぁして母を貶める言葉を吐くのだから、彼の憎しみは消えていないのだ。
(早くこの家を出ていきたい……。でも、その先が王太子殿下というのも先が思いやられる……)
 へとへとになった体が、やわらかなベッドに吸い込まれ、一体化してしまったみたいに体も思考も動かない。
 目を閉じたら一瞬で眠ってしまうだろう。
 そうしても良いのだが、エレインは横向きのまま視線を宙に移す。
「ふわふわさん、今日も一日ありがとう。あなたたちのおかげでハーブも元気いっぱいだったわ」
 ――ふわふわさん。
 それは、エレインだけに見える光。
 金色や水色、桃色、緑色など、色とりどりの小さな光が、意志をもってふわふわと漂っていることから、子どもの頃からそう呼んでいる。
 その正体は【精霊】なのだと、物心ついた頃に母から教わった。
『いいですか、エレイン。このことは、母さま以外、誰にも言ってはいけませんよ』
『はい、お母さま。約束します』
 母との約束を、エレインは今もちゃんと守っている。
 精霊は、自然のある所に多く浮遊していて、人の多いところにはあまりいない。
 言葉は発しないものの、明滅したり、忙しなく飛び回ったりと、動きでこちらになにかを訴えてくるくらいには、感情が見て取れる。
 精霊は人の善し悪しも見分けられるのか、悪い心や醜い心を持った人間には基本近づかない。そして、優しい人や善意を持った人には好んで近づく習性がある。
 今日、男性と教会で出会ったとき、エレインの周りにいた精霊たちがとても嬉しそうに彼に近づいていった。自分以外にあんなに人に懐く彼らを、エレインはこれまで母以外に見たことがなくて驚いた。
「あの人のことそんなに気に入ったの?」
 問いかけに、精霊たちはふわふわと踊るように舞う。喜んでいるようだ。
「そうなのね。確かに家族思いの優しい人だったわ」
 家族のために必死に駆け回って、頭を下げることは、貴族男性にとって容易にできることではないだろう。
 彼の、大切なものを守る姿勢は、エレインにはとても眩しく映った。
「あんな風に家族に大切に思ってもらえたら幸せでしょうね……」
 自分は、大切に思われるどころか、憎まれている事実がエレインを悲しくさせた。自分には到底手の入らない幸せが、とてもうらやましい。
(でも、私には、お母さまとの思い出があるから大丈夫)
 十歳までの母との記憶は、色あせることなくエレインの中にある。それを大切にしまって、悲しくなったり苦しくなったりしたときに、一つ一つ思い出しては母の優しさに縋るのだ。
(大丈夫、寂しくなんか、ないわ)
 そう何度も自分に言い聞かせて生きてきた。
「わ、なぁに?」
 不意に右手首に熱を感じて見ると、無数の光がエレインの手を包み込んでいた。
 さっき、シェリーに突き飛ばされ、床に手をついた拍子に捻ってしまっていた箇所だ。
 増していくばかりだった痛みが、すーっと引いていくのを感じる。
 精霊がエレインに治癒を施してくれたのだった。
 こうして、エレインは【精霊の力】を借りることができた。
 そう、干からびて痩せた土地でもハーブが育つのも、効能が強くなるのも、全部精霊の力の賜物だった。
 エレインの知識でブレンドしたものにプラスして、精霊がおすすめを選んでくれることもある。
 精霊は、物心ついた頃からエレインと共にあった。
 母が亡くなってからも、精霊たちはエレインを助け励ましてくれてた。
 どんなに父から見下されても、義母とシェリーから嫌がらせをされても、母の思い出と共に精霊がいるから耐えられた。
「ありがとう、ふわふわさんたち。おやすみなさい」
 そう言うと精霊たちは嬉しそうにエレインの周りをふわふわと飛び回る。
 精霊のぬくもりに包まれながら、エレインはそっと目を閉じた。