話を終え、二人は教会の門のところで向かい合う。
「では、一週間試してみて効果が見られたら、どこかの薬局でお渡ししたブレンドで作ってもらって引き続き使用してくださいね」
 てっきり馬車で来ているのかと思ったが、どうやら歩きらしい。家紋を見れるかなと期待したエレインは、ほんの少しだけ残念に思い、期待していた自分に気づいてなんとなく恥ずかしくなった。
「こちらの我儘を聞いてくださり感謝します」
「くれぐれもお大事になさってください。ハーブがお役に立てることを祈っています」
 ありがとうと礼を口にして、彼は踵を返し歩き出す。
 その立ち姿は洗練されており、只者ではないことは明らかだ。
 この雑然とした街並みから浮いて見えて、おかしさが込み上げてくる。
(本当に、何者なのかしら)
 侯爵家のエレインよりも格上の貴族で彼くらいの年ごろの男性となると限られてくるが、エレインには見当もつかなかった。
(それに、あんなにみんな(・・・)から好かれる人も珍しいのよね……)
 思いを巡らせていると、数メートル先の彼がふと振り返り、エレインを認めると爽やかに微笑んだ。
「レディ、次にお会いした際は、名乗らせていただきますからそのつもりで――」
 考えていたことを見抜かれたのかとぎくりとするも、彼はそれだけ言って去って行った。
(また来る気かしら? ハーブの入荷は目途が立たないって伝えたのに……)
 また会えるのかもしれない、と思うと教会に戻るエレインの足は心なしか軽かった。



 一日の仕事を終えてエレインが家に帰ったのは、とっぷりと日が暮れた後。家族はすでに食事を終えて、自室に戻った様子でほっとする。
 こんなに疲れて帰って、彼らの嫌味に付き合わされるのはほとほとごめんだ。
「じゃぁ、ニコルもゆっくり休んで。おやすみ」
「おやすみなさい」
 料理長が厨房に隠しておいてくれた夕食をニコルと一緒に食べ、解散となった。
 しかし、自室のある二階に上がると、物音を聞きつけたのか、燭台を手にした父が待ち伏せていて身構える。
「エレイン、今日の王太子殿下とのお茶会に貧相な恰好で行ったそうじゃないか。一体なにを考えておる!」
 わなわなと体を震わせて怒りを露わに、父は怒鳴った。
 ともすれば手にしている燭台を投げつけんばかりの怒声に、エレインは心臓が縮こまる。
「も、申し訳ございません……、道中で馬車が脱輪してしまい」
「言い訳など聞いておらん! それに、せっかく殿下が指輪を贈るとお申し出くださったというのに、断って殿下に恥をかかせるなど言語道断! 不敬罪に問われてもおかしくないぞ! ったく、シェリーが機転を利かせてくれたおかげで機嫌は直ったらしいが……お前だけだったらどうなっていたことか。フォントネル家もろとも追放されていてもおかしくない事態だぞ」
 確かに、汚い身なりで同席したのはエレインの落ち度だし、指輪を贈るといった殿下の気持ちを無下にしたのもエレインだ。しかし、前者は不測の事態だったし、後者は王太子の婚約者として、国民から集めた税金で贅沢な宝飾品を買うという愚行は避けるべきだと考えたからだった。
 というようなことを述べたところで、父の気が済むわけがないので、エレインは「申し訳ございませんでした」と謝罪するにとどめる。
「もぉ~お父さまぁ~。お父さまの声で目が覚めてしまいましたわぁ」
 いつの間にか現れたシェリーが、甘えた声で父にすり寄る。シルクの質のよい夜着を身に着け、ピンクブロンドの髪をなびかせて。エレインは、今までシルクの夜着を買ってもらったことはない。
「おぉおぉ、可愛いシェリーよ、すまんのぉ」
 シェリーの肩を抱き、もう片方の手で髪を撫でる。その目は、先ほどエレインに向けていた面影は全くなく、可愛くて仕方がないといった慈愛に満ちた目をしていた。
「シェリーは中身も容姿も華やかで可愛らしいというのに、エレインはどこを取っても地味で可愛げがなくてなぁ。姉妹なのにこうも差が出るとはなぁ、お前の爪の垢を煎じて飲ませたらエレインも多少は可愛げが出てくるんだろうか」
「んもう、お父さまったら、そんなこと言ったらお姉さまがかわいそうだわ」
 かわいそうなどと、まったく思ってもいない顔でシェリーが言う。
「無能なお前を庇う妹に礼も言えんのかお前は。ったく、本当にお前は母親とそっくりで草の相手しか能がないのだな! せいぜい殿下の不興を買わないようにだけ気を付けておれ!」
「……はい」
「ほらほら、お父さま、お体に障りますからもう休んでくださいな」
 シェリーに促され、父は渋々自室へと帰った。その場に残ったシェリーは、なぜかエレインの腕を取り、歩き出す。
 疲れて腕を払う気にもなれず、そのまま歩を進めた。
「あーあ、せっかく脱輪させたのに時間に間に合っちゃうなんて、ほんっと運がいいのか悪いのかわからないわよね、お姉さまって」
 ハッとしてシェリーを見ると、彼女は忌々し気に顔を歪ませていた。
(やっぱり、シェリーの仕業だったのね……)
 馬車は御者が毎日点検しているはずだから、急に脱輪したと聞いたときはおかしいと思ったのだ。
「まぁ、この調子だと、殿下から婚約破棄されるのも時間の問題でしょうけど、せいぜい家に迷惑だけはかけないでちょうだいよっ」
 シェリーは、掴んでいたエレインの腕を思い切り突き飛ばす。
「あっ」
 バランスを失ったエレインはそのまま自室のドアに体をぶつけ、床に倒れ込んだ。
「いっ……」
 無様にも床に倒れたエレインを、シェリーは満足げに眺め、高笑いを上げながら自室へと入っていった。