エレインは、急な寒気に見舞われ、体が震える。
(な、なに……? とても嫌な気配がする……)
 不安に感じていると、精霊が一か所に集まっていくのが目に入る。そして、それらが一瞬で真っ黒に変色した。
(あれは、なに?)
 目で追っていくと、それらはシェリーの周りを漂い始めた。
「うわ! な、なんだ!?」
 声の方を見ると、シェリーの護衛騎士が腰をぬかして尻もちをついていた。
(ほかの人にもあれが見えている、の?)
 黒く、禍々しいそれらは、まるで群れを成す鳥や蜂の大群のようにうごめいている。
 その渦中にいるシェリーは、こちらを物凄い形相で睨んでいた。
 その恐ろしさに、エレインの体がすくみ上った。
「あれは一体……」
 隣にいたアランの手が、エレインの背に添えられた。その目は、エレインと同じくシェリーを捉えている。
「せ、精霊たちが急に黒くなって……」
「精霊? あれが?」
 周囲の人々も、薄気味悪さにどよめき、広間はあっという間に混乱に見舞われた。
 すると、それらがシェリーの頭上で一つの塊になったかと思うと、一直線にこちらに向かってきた。
「あっ……っ」
(くる……!)
 恐ろしさに身構えて目をぎゅっと閉じたとき、体が強い力で引っ張られる。
 なす術もなく、ぎゅっと抱きしめられているような感覚に、エレインはゆっくりと目を開けた。
 エレインを抱きしめていたのは、アランだった。
 ――シェリーからエレインを隠すようにして……。
「で、殿下……」
「エレイン、無事か」
「は、はい……、大丈夫です……。殿下、は……」
 エレインの無事を確認して笑ったアランの顔が、見る間に苦悶に歪んでいく。
 それを見てエレインは、自分の体から急激に熱が失われていくのを感じた。
 手足が震えたのと同時、アランの体が目の前で頽れる。
「殿下っ!」
「うっ……、ぐ……っ」
 胸元を押さえ苦しむアランの体を、さっきの黒いモヤがまとわりつくように覆っていた。
 顔色が青くなっていき、アランはとうとう床に倒れ込んでしまう。
 誰かが「早く医者を!」と叫ぶ声が遠くで聞こえる。辺りが騒然とするも、エレインには聞こえていない。
(どうしよう、どうしよう! 私を庇ったせいで殿下が……!)
「きみが、無事で……、よかった……」
「殿下! 殿下!」
 アランのそばに膝をつき、伸ばされた手を両手で握りしめることしかできない。
 今にも消え入りそうな弱弱しさに、恐怖で押しつぶされそうになる。
「また殺し損ねたじゃない! なんで、そんな女を庇うのよ! どいつもこいつも、エレインエレインエレインってうるさいんだから! ……うっ」
 シェリーの体がよろめき、膝をつく。
 顔面蒼白で胸を押さえ、苦しみで顔が歪む。
 その姿を見て、さっきの黒い精霊はシェリーが自分を襲わせようとしたものだと直感で理解する。
(これが、害する力……)
「シェリーお願い、やめて! あなたが殺したいのは殿下じゃなくて私でしょう! 殿下を助けて!」
 しかし、そう懇願したエレインは言葉を失う。
 彼女の周りに、さっきと同じ黒い塊がみるみる集まっていくではないか。
「シェリー! それ以上力を使ってはダメ!」
(いや……、このままじゃ、殿下が……!)
「うるさいうるさいうるさい! 死ねえぇ――っ!」
「やめてー!」
 迫りくる黒い塊からアランを庇うべく、エレインは彼の体に覆いかぶさるように抱きついた。
(ふわふわさん! お願い! 助けて!)
 ――パァァッ!
 そう強く願った瞬間、光が二人を包み込む。
 ふんわりとした温かさを感じて目を開けると、黒い物体は消え失せて、いつもの精霊たちが二人の周りを漂っていた。
(この感じ……)
 疲れたり怪我をしたりしたエレインを、精霊たちが癒してくれるときの温もりと同じだった。
(お願い、殿下の苦しみを取り除いて!)
 どれくらいそうしていただろうか、アランの腕がピクリと動き、エレインの肩に触れた。
(殿下?)
 重たい体をどうにか起こすと、血色が戻ったアランの顔が見え、呼吸も落ち着いているのが分かり安堵の息が漏れる。
「エレイン……」
 アランの眼が開かれて、美しい碧色がエレインを見つめる。上体を起こした彼は、自分の体を確認するように手のひらを開閉し、驚きに目を見開く。
「まさ、か……治癒の力を使ったのか……? 指輪もないのに……」
 アランを救えた安堵と喜びからか、エレインは声を出すこともできなくて、代わりに微笑み返す。その拍子に、目尻から涙が溢れて頬を伝っていった。
(殿下が無事で……よかった……)
 どこかふわふわとした浮遊感に誘われるまま、エレインは目を閉じる。
「エレイン!」
 アランの焦った声を最後に、エレインの意識は暗闇へと吸い込まれていった。