「――すまない、指輪は取り戻せなかった」
 夕飯を終え、後は寝るだけといった時間にようやく現れたアランは、開口一番そう言ってエレインに頭を下げた。
「いいのです。それよりも、アンは」
 ずっと気になっていたことを聞いたのに、アランは「きみは本当に……」と呆れ半分に言われてしまう。
「アンは無事だよ」
 着席を促して、エレインはアランから一連の経緯を聞いた。
「毒は、致死性の高いものだった」
 しかし、駆け付けた兵に保護されたアンとその家族の話によると、彼らはそれが死ぬような毒だとは知らされず、飲むと意識を失うだけだからその間に指輪を奪ってくるだけでいい」と犯人に言われたらしい。
「彼らの話を鵜呑みにするならば、だが」
「いいえ、きっと本当です。私が異変に気付いたのは、精霊たちの様子がおかしかったのもありますが、アンのお茶を入れる手が震えていたからです。指輪を取るときも、彼女は謝罪を口にしながら泣いていました」
 そう、エレインが毒に気付けたのは、精霊たちのおかげだった。
 お茶とニコルの周囲を、せわしなく飛び交う精霊たちの、いつもとは違う雰囲気に異変を察した。
 ニコルを注意深く見ていたら、なぜか茶を注ぐ手が震えているではないか。
(家族を人質に取られた挙句、私に毒を飲ませなければならなかったなんて、さぞ怖かったでしょうに……)
 彼女の気持ちを考えると、犯人に対して怒りが湧いてくる。
 自分が危険にさらされたのはもちろん腹立たしいが、それよりも無関係な人を利用するどころか危害を加えたことが許せなかった。
「犯人の後を追いかけたが、ヘルナミス国に入った後に見失ったとのことだった」
 撒かれたところを見ると、金で雇われたその手の者か、かなりの手練れだろう、とアランは苦渋の表情を浮かべた。
「どうしてエレインが狙われたのか……」
「指輪が目的だったという可能性はありませんか?」
 もし、ヴィタ国や精霊について知っている人が、エレインの指輪を見たら……と可能性を口にするが、アランは首を横に振った。
「俺もその可能性を考えなかったわけじゃないが……。アンの話では、殺害した証拠としてエレインがいつも身に着けている形見の指輪を、と命じられたらしい」
 その話を聞いて、エレインはハッとする。
 浮かんできた考えに、胸の底がすーっと冷えていくのを感じて手で押さえた。
「あの指輪が母の形見で、私が常に身に着けているものだというのを知るのは、おそらく家族だけです……」
 自分に興味のなかった王太子は知らないだろう。
 だとすれば、家族の誰かが自分を殺そうと、暗殺者を金で雇ったということになる。
(そうまでして、私が疎ましかった……?)
 こうして離れてもなお、疎まれ憎まれるとは思ってもいなくて胸が痛い。
「そうか……、その可能性も捨てずに、指輪の行方を追ってみよう。精霊と契約した指輪が他人の手に渡ったら危険だ」
「そうなのですか?」
「あぁ、一度契約した指輪は、契約者以外でも力が使える可能性があると本に書かれていた。だから、そのことに気づかれる前に取り戻したいのだが……」
 知らない事実に、エレインは驚いた。
 自由に力を使っているのにも関わらず、この力について自分がなにも知らないことを歯がゆく感じていた。
「あの、今度あの本を見せていただけませんか? 精霊の力について、詳しく知りたいのですが」
 精霊の力で、一体どんなことができるのか、自分の知らない力の使い道が本に書かれているのではないかと考える。
(もっと殿下やたくさんの人の役に立てるかもしれないわ)
 力の近い道が増えれば、アランだって喜んでくれるはずだ。
 しかし、エレインの予想とは異なる反応が返ってきた。
「……それはできない。必要なことは、俺がきみに伝えるから」
「はい……わかりました」
 ずん、と空気が重たくなり、エレインは俯く。
(そうよね、そもそも王族にしか閲覧が許されていないものだもの……これ以上踏み入るなんて烏滸がましいにもほどがあるわ)
「とりあえず、犯人の意図がはっきりするまで、エレインの安否については公にはしないことにする」
 エレインの毒殺未遂事件については箝口令が敷かれ、人の出入りも厳しく制限されることになった。