「なぜこちらに?」
 昼過ぎ、テオの寝かしつけを終え、後をニコルに頼んでからアトリエを訪れると、渋い顔をしたエクトルに出迎えられた。
 せっかくの爽やかな顔立ちがもったいない。
 と、そんなことを言えるはずもなく、エレインはうっとたじろぐ。
 エクトルは薬師見習いとはいえ、かれこれ数年王宮の薬師見習いとして勤めているのもあり、エレインよりもハーブに関する知識量も多く博識でとても頼りになる存在だ。
 年下であるエレインを、馬鹿にするでもなく、尊重してくれるし、なによりも気が回るのですべて指示する必要がないのが助かっている。
 ただ、歯に衣着せぬ物言いのせいで、言葉が刺々しく感じることはままあった。
「こちらは特に滞りなく、ハーブの育成も至って良好ですし、製造も順調ですよ」
 まるで、仕事しに来たんじゃないだろうな、と言わんばかりの態度に苦笑が零れる。
「違うんです、仕事はエクトルさんにお任せしているので心配していません。今日はちょっとあれを見に来ただけなんです」
 あれ、とエレインが指さした先には、エレインが屋敷の温室から持ってきたフランキンセンスが佇んでいる。
「そうでしたか。私はこれから工場に行くので、くれぐれも、お仕事はされないようお願いしますね」
「はい……」
 前に見舞いに来てくれた際にも謝っているが、どうやら根は深そうだ。
「目の前で倒れられたこっちの身にもなってください」
「その節はご迷惑をおかけしました。以後気を付けます」
 しおしおと頭を下げるも、溜息が聞こえてきて申し訳なさが募る。
「迷惑だという話ではなくて、心配しました、という話です。こうして出歩けるまでに快復されたようでよかったです。では」
「え、あ、」
 礼を言うよりも早く、エクトルはアトリエを後にしてしまった。
 エクトルの思いやりに、自然と頬が緩む。
(本当に、ここの人たちはみんな優しい)
 静かになったアトリエ内、エレインは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「はぁ、いい香り。生き返るわ」
 アトリエ内はスペースの半分が温室のようになっており、エレインのお気に入りのハーブや植物でいっぱいだ。
 あっという間に精霊たちがエレインを取り囲んだ。
 心なしか喜んでいるようにも見えて、嬉しい気持ちが胸を満たす。
「ふわふわさんたち、久しぶり」
 毎日必ず訪れていたアトリエが、ずいぶんと懐かしく感じた。
 お目当てのフランキンセンスのそばまで行き、幹にそっと手を添える。
 母が一等手をかけて育てていた大切なこの樹は、こうして触れるだけで母の記憶がよみがえってくる。
 ――この樹はね、私のおばあさまのそのまたおばあさまの代から生きている樹なの。
 ――ずっと私たちを見守ってくれているのよ。ほら、とても温かいでしょう。
 そうして、母はエレインの手をフランキンセンスの幹に当てて笑うのだ。
「お母さま……」
 この樹は、確かにほかの植物と比べても、いつも多くの精霊に囲まれている。この樹に入ったり出たりして、寄り添う姿が見られるのも事実だった。