「おはようございます、お父さま、お義母さま、シェリー」
「……」
食堂に入ったエレインは、形式的に挨拶を述べる。しかし、返ってくる声は一つもない。
シェリーは義母の娘で、エレインとは半分だけ血のつながった腹違いの妹にあたる。今年十八歳になるエレインと年が十か月しか違わない。
エレインの母が病でこの世を去ったのは今から八年前、エレインが十歳の頃。
母が亡くなり、喪も明けない内にこの屋敷にやってきた義母と妹は、我がもの顔でフォントネル家を乗っ取った。
それからはずっと、義母と妹に厭われ虐げられる生活を強いられている。
義母は、母と結婚する前から父の恋人だったらしい。
政略結婚だった母に冷たかった父のジャンは、そんなエレインを可愛げがなく役立たずだと疎み、義母とシェリーを愛し可愛がった。
成長した今も、ことあるごとに嫌味を言われたり嫌がらせをされたり。
ここ数年は、結婚してこの家を出ていくまで、あと長くても数年の辛抱だろうと諦めていた。
(だけど、その結婚も今では一番の悩みの種なのだけど……)
思い出すと気が重くなるので、エレインは考えないように意識を逸らす。
「ちょっと、そんな小汚い格好で入ってこないでちょうだい。埃っぽいったらないんだから」
眉を顰めた義母が、ウェーブのかかった赤い髪を見せつけるように後ろに払う。
「仕方ないわよ、お母さま。エレインは土いじりしか能がないんですから。それすらも奪ったらなぁんにも残らないでしょう」
義母の赤毛よりも明るいピンクブロンドが目を引くシェリーは、口元に手を当ててくすくすと嘲笑を浮かべた。黙っていればとても魅力的な容姿をしているのに、とエレインはいつも残念に思う。
「それもそうね」
「せいぜい稼いでもらわないと」
「まぁ、あなたってひどい子」
あはははははと、二人の高笑いが食堂にやかましく響いた。
「エレイン、領地の草は順調なんだろうな」
「はい、今のところ問題ございません」
ハーブのことを草呼ばわりされるのが、エレインは好きじゃない。それを父に言ったところで、父が改めてくれるとは到底思えないので黙っている。
(お父さまにとってハーブは、ただの金儲けの手段でしかないのよね)
それがとても悲しいと思う。
ハーブは、人を癒して幸せにする力のあるすごい植物なのに。
「今のところはだと? 事業を拡大したばかりなんだ、くれぐれも失敗は許さんぞ!」
「そう言われましても、ハーブは天候に左右されるので、今後降水量が減ってし」
「あぁわかったわかった、お前のうんちくはどうでもいい。さっさと仕事に行ってこい」
「はい」
エレインは返事だけして、テーブルに置かれたバスケットを手に持った。
「では、行って参ります。みなさまごきげんよう」
背を向けてもなお、義母とシェリーはエレインをあざ笑っていた。
食堂を出れば、廊下で待っていたニコルが心配そうな顔で近づいてきて、エレインの手から籠を受け取る。
「奥様もシェリーお嬢さまも相変わらずですね。エレインさまも、わざわざ嫌味を言われに顔を見せなくてもいいのではないですか? 朝食の籠なら私が料理長から受け取りますし」
「私もそうしたいのは山々なんだけど、朝の挨拶は欠かさず行うことってお父さまが言うのだから仕方ないのよ」
(おおかた義母の嫌がらせでしょうけど……)
そんなに嫌いなら、顔も見たくないだろうに、と思う。
義母と妹はエレインに一言嫌味を言わないと気が済まないらしい。
当主の言葉は絶対だ。
一緒に食べるのだけはごめんだと、今は多忙を理由にこうして馬車で食べれているけれど、もっと子どもの頃は朝昼晩と食卓を一緒に囲わなくてはならず、食事の席が苦痛で仕方なかった。
「私は慣れているから大丈夫よ。心配してくれてありがとう、ニコル。さ、今日の予定はどうだったかしら?」
二人で馬車に乗り込んで、エレインは籠からサンドウィッチを取り出して食べ始める。ガタガタと揺れる馬車の中では食べにくいが、義母たちの顔を見ながら食べることに比べたら天国と地獄ほどの差だ。
以前は、義母に食事を減らされたり抜かれたりすることが頻繁にあった。長いときで丸二日食べられなかったこともある。だけどそういう時は、温室のハーブをかじって飢えを凌いでいたし、ときどき義母の目を盗んで料理長が食べ物を持ってきてくれることもあった。
使用人たちは基本みんないい人で、中には母が生きていたときから勤めてくれている人もいて、エレインのことを気にかけてくれる人もいる。だけど、彼らの雇用における権限を握っているのは義母なので、義母の目が光っている以上なにもできないでいた。
エレインもまた、彼らが仕事を失うことは望んでいない。
そんなこんなで、今屋敷の中でエレインが信頼できるのは、ニコル一人だ。
彼女は、ハーブを事業化すると決まった一年前に、父に願い出て雇った侍女だった。
平民の出身だけど、文字の読み書きとお金の計算ができる優秀な人材でもある。住み込みでエレインの身の回りの世話まで引き受けてくれて、文句ひとつ言わないどころか、いつも明るく前向きな性格の彼女にはとても助けられている。
「今日はいつも通り領地のハーブ園へ行って、収穫時期の指示と、加工工場での製品確認の後、昼食を挟んで教会へ。その後王宮で王太子殿下とお茶会です」
「うっ……」
「エレインさま、心の声が漏れています」
「……ニコルの前でくらい許してちょうだい」
「くれぐれも、ご本人の前で漏らさないようにお気を付けくださいね」
「それは気を付けるけど……はぁ……」
さっき考えないように頭の隅に追いやった悩みの種のせいで、食べていたサンドウィッチの味も分からなくなってしまった。



