「エレインさま……」
「ニコル」
 心配そうな顔のニコルに、エレインは微笑む。
 その顔には、諦めや悲しみ、悔しさなどさまざまな感情が滲んでいた。
 表情から察したのか、ニコルはエレインの手を取り握りしめる。その手の温かさと優しさに、胸が熱くなる。
「とりあえず、城を出ましょう」
 長い長い廊下を歩き、馬車乗り場まで出た二人は、そこで馬車係に帰る旨を伝えて馬車が来るのを待つ。先ぶれが出ていなかったため、少し時間がかかると言われた。
 エレインは、ニコルにパーティでの顛末をかいつまんで報告する。
「お咎めはなし。フォントネル侯爵家からは勘当。共同事業からも外されて、私はもう用済みになったわ」
「そんな……」
「ニコルにもたくさん手伝ってもらったのにこんな結果になって、ごめんなさいね」
「私はいいんです! エレインさまがこんなにやつれるくらい身を挺してやってこられたのに……それをこんな形で奪われるなんてあんまりです!」
 ニコルは涙目になって怒りをあらわにした。悔しがってくれる彼女を見て、それだけでエレインのこれまでの努力が報われた気になる。
 すべてを奪われてしまったが、エレインの心は信じられないくらいに晴れ渡っていた。
 こんな自分でも、誰かの役に立てるならば、と思って乗り出した事業化だった。
 それが、王室との共同になったり、王太子の婚約者になったり、事態は思いもよらない方へと進んでしまい、エレインの気持ちは置いてけぼりにされたままだった。
 ただただ父や王太子に付き従って「こなす」だけのそれに、思い入れを持てるはずもなかったのだ。
「ありがとう、ニコル。確かに悔しさもあるわ。でもね……でもね、私……」
 広間に居たときからずっと堪えていた感情が、腹の底からもくもくと膨張して込み上げてくるのをエレインは止められず、隣のニコルに勢いよく抱き着いた。
「――やっと自由になれて嬉しいのっ!」
「ひゃぁ、えっ、エレインさまっ!?」
「ニコル! 私、自由よ! やったわ!」
「エレインさまったらぁ、もう~!」
 泣いていたニコルも笑顔になって、手を握りしめて一緒にぴょんぴょん跳ねる。
 意地悪な家族も、強欲な王族も、エレインを縛り付けるものはもうなにもなくなった。
 求めていた自由を手に入れることができた喜びで体が勝手に踊る。
 精霊たちも光を強めながら一緒になって跳ね、まるで世界が、エレインを祝福してくれているかのように煌めいて見えた。
「――コホンッ……」
 飛び跳ねていた二人は、突然の第三者の声に驚いてとっさに距離を取る。
 声のした方向を向けば、そこにはスラリとした長身の紳士が立っていて、彼はどこか申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
 そんな表情も様になってしまうほどの美男子は、ネイビーの生地に金の刺繍を施したドルマンにぺリースを付けた出で立ちをしており、パーティーの出席者だとすぐに見当がついた。
 隣では、ニコルが「王子さまがいる……」と目をハートにさせている。
「あ、あなたさまは……」
 黒髪に青い瞳の彼を一目見た瞬間、記憶がよみがえった。
 二週間前、ハーブが欲しいと教会にやってきた男性だった。
 高位の貴族だろうとは思っていたが、王太子の誕生日パーティーに招待されるほど家格の高い貴族だったのだ。
「お取込み中失礼。私は、隣国カムリセラ国・第三王子のアラン・ド・キュステ ィーヌと申します」
 エレインとニコルの前まで歩み出た彼はそう名乗り、右手を体の前に添えて腰を折る。
「うそ、ほ、本物の王子さまだった……!」
「お、王子……」
 ニコルの驚く声に、エレインも息を呑む。
(貴族だとは思っていたけれど、まさか王族だったなんて……!)
 知らずとはいえ、王族相手に「薬が欲しければ一番高価なものを差し出せ」と脅すなどあるまじき行為。
 自身のしでかした無礼千万な行いを思い出し、エレインは全身から血の気が引いていくのを感じた。
 驚愕と畏怖の念で思考の停止したエレインに気づいていないのか、アランは「あぁ、やっと名乗れましたね」と相好を崩す。
 そして、呆然と立ち尽くすエレインの手を取り指に口づける仕草をして、上目遣いにエレインを見た。
「またお会いできて光栄です。――レディ・エレイン」