新緑が深まる初夏の空の下。
フォントネル侯爵家の一角には、小さなガラス張りの温室がひっそりと佇んでいる。
その温室の中を歩くのは、この家の長女、エレイン・フォントネルだ。所せましと置かれたさまざまなハーブの鉢植えを観察しながらゆっくりと進んでいく。
つい先日十八歳の誕生日を迎えたばかりのエレインは、ブラウンの髪を後ろで一つに結び、前髪は邪魔だからと斜めに流しただけで、母から譲り受けた指輪以外、装飾品を一つも付けていない。
にもかかわらず、凛とした出で立ちをしていた。
薄茶色の瞳は切れ長の二重で、年齢よりもいくらか大人びた印象を与え、見る人によっては少し冷たさを感じるかもしれない。
整った顔立ちをしているのに、あまり感情を表に出さないため、人からは「愛想がない」「なにを考えているのかわからない」と言われることもしばしばあった。
そんなエレインは、動きやすさを重視した簡素なドレスと、これまた簡素な白地のエプロンを着ただけの、とても貴族令嬢とは思えないような姿で、今日も温室のハーブを丁寧に確認していく。
「湿度も温度も、色艶も問題ないわね」
土の湿り気、葉の艶色、花の状態を、見て触って健康状態を確認するのは幼いころからの日課だった。
この温室は、エレインの母が趣味で世話をしていたもので、母亡きあとは娘のエレインが代わって管理をしている。
物心ついた頃から母にハーブの育て方諸々を教え込まれていたため、それは難しいことではなかった。
それどころか、好きが高じて独学で知識を深め、育てたハーブで作ったハーブティやポプリ、化粧水などをお茶会の手土産に持参していたら評判が評判を呼び、商人から商品を仕入れたいと声がかかり始める。
そしてそれを聞きつけた父と義母が、ここぞとばかりに事業化へと乗り出した――まではよかったのだが、彼らが手を出したのは契約のときだけ。
管理から生産ラインの指示・調整・出荷までの一切をエレインに押し付け、自分たちは儲けだけを手にしているのだ。
経費がかかるからと、最小限の人手しか雇ってもらえないため、エレインは息をつく間もないほどに忙しい。
それでも、エレインは構わなかった。
大好きなハーブに囲まれて好きなことをしていれば、嫌なことを思い出さないで居られる。しかも、それが誰かの役に立っていると思うとどんなに忙しくても頑張れた。
「みんな、今日もありがとう」
あっという間に一周し、エレインはぐるりと見渡してほうっと感嘆のため息をもらす。小さくて素朴な温室は、母が居た頃となに一つ変わらず美しく、愛おしい。
エレインと母をつなぐ、思い出のハーブたち。
母が亡くなったのはもう八年も前のことなのに、つい昨日のことのように母との時間が蘇ってくるようだった。
「――さまー! エレインさまー!」
感傷に浸っていると、遠くから自分を呼ぶ声にハッとする。
数秒も経たない間に温室のドアから侍女のニコルが現れた。薄いブラウンの髪をおさげにした可愛らしい彼女は、エレインを認めると肩で息をしながら頬を膨らませた。
「もう、出発のお時間ですよ!」
「あら、もうそんな時間?」
小首をかしげて素知らぬ振りをすれば、ニコルの頬はリスのようにますます膨らんだ。
「温室はいつでも問題ないんですから、ちゃちゃっと済ませてくださいっていつも言ってるじゃないですかぁ!」
「じゃぁ、今日も一日よろしくね」
そう温室に声をかけて、エレインは小言を言うニコルの脇をすり抜ける。
「よく植物に話しかけてますけど、あれですか、その方がよく育つっていう?」
後を追ってきたニコルが不思議そうに訊いてくる。
「さぁ、どうかしら」
「もぉー! 教えてくださいよぉー!」
朝から元気いっぱいのニコルに、エレインの頬は自然にほころんだ。



