「いらっしゃいませー! お一ついかがですかー?」

 サンタクロースのコスチュームの上から黒のダウンジャケットを羽織った女性が、クリスマスケーキの路上販売を行っている。ショーケースに陳列されているケーキはおそらく女性の真後ろにある店舗で作ったケーキで、店内販売も行われているはずだが、そこだけに長蛇の列はできていた。最後尾のプラカードを持ったトナカイ姿の女性も「最後尾はこちらになりまーす!」と大きな声で、その店と自分の存在をアピールしている。

 また少し、過去へ戻ってきたようだった。俺はこの島にある一番大きな商店街の時計塔の下に立っている。

 あれこれクローゼットの中を荒らして決めたのだと思う。チェスターコートに薄いグレーのマフラーを巻き、白のセーターとデニムパンツを合わせた服装は、俺にしてはかなり着飾っている印象があった。ただ、肌感覚だけは過去には戻ってくれないのか、当時から無理をしていたのかは定かではないが、コートの前を開けたコーディネートでは寒さに勝てそうになかった。

 不格好になることを許容できるくらいには大人になってくれていたことに感謝して、俺はコートの前ボタンを全て留めた。

 いつもより色鮮やかな化粧を施した商店街は道行く人たちの目を輝かせ、クリスマスの雰囲気作りの一助を担う。子どもたちもケーキを待つ列が進むたび堪えきれずに笑みを零し、手を繋ぐ両親の顔を見てはこれからの予定を繰り返し口にしていた。

 その様子を見ている俺は、ここで茜と待ち合わせをしている。

 はっきりと覚えている。茜が「匠の誕生日と同じ時間なら覚えやすいでしょ?」と、俺の誕生日である五月三十日の語呂に合わせて、約束の時間を十七時三十分に決めた。「これでもし忘れたら、次の匠の誕生日も絶対に忘れるね」と笑いながら。だからその時こっそり決めた。

 早めに来て、驚かせてやる。

 目に映る至るところで、俺以外にも時計を気にしながら一人で立っている男性が居る。「こういうときは待ち合わせ時間よりも早く到着していた方が格好良い」と思うのは男の性なのだろうと思うと、例に漏れない自分が少し恥ずかしかった。

 約束の時間まで、あと十分を切っていた。

「え? あれ? 嘘でしょ、匠が先に居る……」

 茜はわざとらしく口に手を当てて、驚きを表しながら近づいてくる。明らかに揶揄する表情に、恥ずかしさは秒で消えた。

「馬鹿にしてんだろ?」

 そんなことありませんよ、と下手な敬語で眉根を寄せる茜の顔が憎らしい。その皺に沿って油性ペンで線を書いてしまおうか。

「でも匠が余計なことするから、これから雨でも降るのかも。私、傘は持ってきてないよ」

 線だけじゃ足りない。髭も書いてやる。この時にはもう、驚かせてやろうとした気持ちは微塵も抱いて無かった。

「俺だって茜より先に来ることだってあるわ。雨なんか降らねーわ」
「はいはい、わかったわよ。じゃあ私に早く会いたかったってことね」

 そうだ、とも、違う、とも言いたくなかった。どちらの回答をしても、茜の手の上で転がされるイメージしか湧いてこない自分が居た。それなのに、負けは認めない。

「それを言うなら茜だろ? 気合い入れてオシャレしちゃってさ。茜こそ俺に会いたかったんだろ?」

 俺はあの時のおばさんを思い出しながら、目を見開いたりしてみる。

「あら、いつもと変わらないんだけど。もしかして、今までちゃんと私のこと見てくれてなかった? え、結構落ち込んじゃう案件なんですけど。というか、〝珍しく〟予定より早く合流したのに、いつまでここに居るつもり? 〝その分だけ〟楽しまないと損じゃない?」

 すっきりした。演技の問題じゃない。どれだけ未来からやってこようと、俺は口喧嘩で茜に勝てないとようやく認めることができた。

 あと、「珍しく」と「その分だけ」を強調して言われるのは思いのほか、くらった。

「なに落ち込んでるの? 冗談だってば。ほら、早く行くよ」

 茜は俺の腕を満面の笑みで引っ張ると、ケーキ屋にできた列の脇を抜け、商店街を奥へと進む。冬が魅せる淡い月光が強引に、聖なる夜へと続く魔法の扉を開いていく。まだ茜の笑顔は消えていない。

「香水まで付けちゃって。ほんと、素直じゃないんだから」

 そんな言葉すらまるで気にならないほど、俺はまんまと魔法に掛かっていた。

「やっぱりクリスマスは特別な感じがするね。去年は一緒に過ごせなかったし」
「仕方ないだろ。部活の遠征で島の外に行ってたんだから」

 この時から数えて一年前。茜と付き合って初めてのクリスマス。俺は茜と聖なる夜を過ごせなかった。クリスマスの二週間ほど前になって急遽、所属していた部活動で二泊三日の遠征が決まったからだった。一年の内のたった二泊三日が、二人で過ごすクリスマスを一年間の延期にさせた。茜はそれを、事あるごとに引き出してくる。

「それはそうだけどさ、付き合って初めてのクリスマスだよ? 普通、一緒に過ごせると思うじゃない。どうしてわざわざクリスマスに、それも島の外まで遠征なんてするかな」

 茜の言うこともよくわかる。俺たちは被害者だ。

 遠征先の学校はいわゆる強豪校だった。顧問の先生曰く、年末年始も関係ない、という学校だったらしいが、一部の保護者からのクレームに近い強い指摘が入り、その年は実験的に年末年始を休みにする代わりに、その前後にみっちりと練習をすることにしていたらしい。それで顧問同士で繋がる俺の高校にも声が掛かったのだそうだ。


 だから俺も被害者だ。


 もちろん、このことは茜にだって伝えた。でも、「その学校の都合に巻き込まれて大切な時間を奪われた、実験台にされただけだ」と逆に火に油を注ぐ形になってしまった。その腹いせでもするように、茜からはクリスマスイブと当日に、「本当は二人で食べる予定だったけど、一人にさせられたから二日に分けて食べています」とケーキを食べながらぶすくれる茜の写真が送られていきた。この時も思っていた気がする。

 俺だって、被害者だ。

 そんな去年の背景があったからこそ今年は絶対に遅刻をせず、かつ、茜を喜ばせようと思っていたことも、合わせて思い出した。

「せっかく色々予定を考えていたのに。だから今年はなんと……あえてなにも予定を立てておりまっせーん!」

 ぺろりと舌を出した恨めしそうな茜の顔が、皮肉にも商店街のイルミネーションに照らされる。

「もう昔のことを引っ張るなって。その分、今日を楽しもうぜ?」

 何の気なしに俺は言った。本当に、深い意味はそこに無かった。でも、

「昔のこと? あのね、昔にだって大切な思い出はあるの。感情が残っているの。それがあるから今が幸せに感じたり、この先のことを考えて楽しくなったり、不安になったりするわけ。それってとっても大事なことなんだから」

 と茜は言った。その通りだと思った。俺は自分で口にした「昔」に居るはずの茜と、その「想い」を探しているのに、俺はどうして「昔のことを引っ張るな」など言えたのだろう。

 その状況を作ったのは俺自身だと、受け入れたばかりだろう。

「それにね」

 茜は続ける。

「私は別に、去年のことを嫌な思い出なんて思ってないんだから」
「そうなの? けど、散々文句を言ってたじゃんか」

 首を振りながら、茜は長めの息を吐く。

「そりゃ最初は本当に残念だったからね。でもさ、あの日があったから今日はこうして約束の時間より早くに来てくれていたんでしょう? それだけでも、あの日には意味があったってことじゃない?」

 まあ、今思ったことなんだけど、と茜は笑う。

 全ての過去は今に繋がっている。そう言っているように俺には聞こえた。だからこそ、本物の茜が抱いた想いもこの過去のどこかに必ず存在していて、その想いに気が付くためには、どのページに居る過去の茜とも正面から向き合わなければならないと強く思えた。

「茜がそう思ってくれているのなら、俺にとっても意味のある日にしないとな」

 そう言って、俺は茜の手をそっと握った。

「ということは、やっぱりそう思って早く来てくれたんだ? ……ありがと」

 優しく握り返す茜の手は温かく、冬の魔法も届かないところにあるようだった。