それからは他の水槽を見に行ったり、ペンギンコーナーやいるかショーを周る。ヒトデのふれあいコーナーでひとしきり騒いだ後で、お昼の時間が過ぎつつあった。水族館併設のカフェに向かう。
食券機前のメニューを眺める。
「あ、セットでミニパフェもあるぞ」
「いいな。頼も」
「ならおれも!」
迷いなくセットにミニパフェをつけた猪熊くんに便乗する。
カレーライスとパフェが乗ったプレートを両手で受け取り、空いていたテーブルに座る。
ピーク時間が過ぎつつあったので、二人分の席は余裕で確保できた。海を臨む窓際で、向かい合わせにカレーライスの皿をつつく。
「まぁまぁイケるな」
「だね。量もしっかりあるし、十分だよね」
オーソドックスな味だが値段はリーズナブルで、学生にも優しい。
猪熊くんももりもりと食べている。
「オレはまだここにサラダ追加してもいけそうかも」
「猪熊くん、がっつり食べられる派だよね」
しかもきれいに平らげる派でもある。見ていて清々しいぐらいだ。
猪熊くんがふとスプーンを口に運ぶのをやめ、顔を上げた。
「そうだ、さっき外でチュロス売ってるのを見たから後で寄っていい?」
「いいよ。色がレインボーのやつがあったりして」
「なんだよ、それ。え、そんなのあるの?」
「前見たことがあって。次みたら挑戦しようかな」
「それはやべーって!」
猪熊くんは目を細めて笑う。
カレーを食べ終わり、パフェに辿り着く前にコップの水がなくなっていることに気づいた。猪熊くんのものも残り少なかったのでおれは席を立とうとした。
「だね。あ、猪熊くん、水いる? おれの分が空になったからとってくるよ」
すると猪熊くんが腰を浮かせた。
「あぁ、いいよ。オレが行くから」
「そう? ならお言葉に甘えようかな」
「おう」
猪熊くんは自分とおれのコップを持って席を立った。
水はセルフサービスだった。することもないので、おれは猪熊くんが給水器から水を出すのを横目に見ていたが。
――ん?
おれたちと同年代っぽい女子の二人組が寄り添うようにして、猪熊くんへ寄っていく。あ、話しかけた。
――知り合い、か……?
おれの席からは内容が聞き取れないが、女子の声のトーンが高かった。猪熊くんに好意を持っているのが伝わってくる。
猪熊くんのほうは熱心に話しかけられても冷静な態度を保ったまま。何かに誘われていたようだが、断ったのが雰囲気でわかる。
――そうだよな。猪熊くん、もてるよな……。
言わば当然の光景。なのにどうしてか、胸の中が重たくなった気がした。
女子たちと別れてすぐに猪熊くんが戻ってきた。
「今の人たち、知り合い?」
おれは尋ねていた。
「いや? かっこいいという理由で話しかけられただけ。この先一緒に館内を回れないかと言われたけど、断った」
猪熊くんにとっては日常茶飯事なのだろう。なんでもないことのように言う。
――あ、まじでモテるひとの反応だ。
納得するのと同時にちょっとだけひがんだような言葉が口から出る。
「いいなぁ……おれもちょっとぐらいモテてみたい」
とりとめのない話題のつもりだったが。猪熊くんを取り巻く空気がひんやりと冷えた気がした。
「……モテて、どうするの? だれに?」
「え」
おれは戸惑った。
低くなった声のトーン。張り詰めた猪熊くんの、顔。
鋭い問いにも心が痛くなってくる。考えなしだった自分を見抜かれた気がした。
「前にも言ったけど、モテたって本命に通じないと意味がないし。変に誤解されて、かえって本命から遠ざかりかねないでしょ。あることないこといろいろ言われるしさ」
猪熊くんの言葉には真実味があった。実際にもそう思うことがあったのかもしれない。
――そっか。猪熊くん、苦労しているのか……。
「……わかったよ。軽口だったな。おれも本命にモテたいってぐらいにしとく」
反省の意味を込めて、発言を訂正した。
だが、猪熊くんはおれをじっとりとした目で見てくる。
「……本命、いるの」
猪熊くんの追撃には、不思議と茶化すことができない重みがあった。
――なんで責められているの、おれ。
そんなことも思う。なぜこんな話になったのだったっけ?
なんだか誤魔化しているような気分で答える。
「い、いや〜……いないかなぁ……」
「なら、さ。本命できたら真っ先にオレに伝えてよ」
「伝えたら、どうなるの」
「戦って勝つ」
猪熊くんは好戦的な笑みを浮かべた。目が爛々として、まるで夜行性の動物みたいだ。
「なんだよ、それ。猪熊くんがそんなこと言うなんて意外すぎる」
「意外かな」
「だって猪熊くん、クールな感じだから友だちの彼女関係に口出すとは思わないよ」
「そんなことない。オレはたぶん情熱的な方。口は、出すよ。……オレ、水島のこと好きだし」
水島のこと好きだし。猪熊くんはさらりと言うけれど……おれは内心、息をとめた。
――友だち! 友だちって意味だよな、うん!
猪熊くんは純粋に友だちとして交友関係を心配してくれているのだ。そう自分に言い聞かせた。
「あ、ありがとう、じゃ、またたべよっか」
不自然な会話の切り方だなと自分でも思いつつ、おれはアイスが溶けかけたパフェに思い切りスプーンを差し込んですくう。
いつもよりひとくちがでかくなる。甘さをあんまり感じない。
「水島、ほっぺにクリームがついてる」
「え、うそ」
ふいに言われて、おれは反射的に頬をごしごし擦る。
猪熊くんの、笑みを含んだ声が降ってくる。
「いや、そっちじゃなくて……」
猪熊くんの人差し指が、正面からおれの顔まで伸びてきた。
――わ。
口元にやわらかな感覚がそっと触れてきた。
少し乾燥した、骨を感じる指が。
ゆっくりと離れていく。指先に白いものをつけていた。
それが、猪熊くんの口に運ばれていき、消えた。
「……あま」
おれの頬についていた生クリームを舐めとった猪熊くんはぽつりと呟く。視線がおれの様子をうかがうように動く。
おれは、見てはいけないものを見た気がしてしまい、視線が合う前に思い切り逸らした。
――これ、おれが女子だったら間違いなく落ちてるよ。おれ、友だちでよかった……。
またもばくばくと暴れ出しそうになる心臓よ、とまってほしい。そんな気持ちだ。
猪熊くんは友だちである。猪熊くんもきっとそう思っているにちがいない……。誤解することこそ失礼なのだ。
猪熊くんは悩み出すおれをよそに、黙々と自分のパフェを食べていたが。
何を思ったのか、その手をとめる。
「まだ、だめかな」
「え?」
聞き返したおれに、猪熊くんはそっと目を伏せた。
「……作戦を考えちゅー」
猪熊くんは説明してくれなかった。
水族館からの帰り道。
お土産物のキーホルダーをなぜかおそろいで買うことになり、スマホにつけようということになった。
ペンギンがぷらぷらと揺れるスマホをポケットに入れながら、猪熊くんと電車に揺られる。
外は夕焼け、橋の上をがたがたと電車は走る。おれたちは車両の入り口近くの吊り革にそろってつかまっていた。
雑談ついでに最近の出来事を問われたおれは、どうだったかと頭を巡らせ、おれ的スクープニュースを披露した。
「あ〜最近かぁ。そうだ、実は親が北海道旅行でさ、四日間いないんだよ。で、姉ちゃんも今大学の海外研修中で家にいなくてさ」
「……そうなんだ」
相槌を打っていた猪熊くんの反応の色が変わった気がした。
「そう。で、その間だけ、家にはおれひとりでさ。今までこんなことなかったからやべぇってなってるかな〜」
四日間、一軒家にひとりきりだ。ちょっとした挑戦みたいなものだと思う。ごはんも自分で用意するわけだし。
「……へぇ。親御さんも心配してるだろうな」
「いやいや。もう高校生だかんな。放っておいてもいいって思ってるぞ」
ちなみに姉ちゃんからは『不器用なアンタには絶対無理!』というお言葉をもらっている。そんなことはないはずだ。
「ま、たまには夫婦水入らずもいいだろうし、おれは見送るよ」
おれは猪熊くんのリアクションを待った。何か言うだろうと想像していたからだ。
しかし現実の猪熊くんは考え込んでいた。迷うように視線が揺れる。
「……猪熊くん?」
猪熊くんが意を決したようにおれを見てきた。ぎこちなく唇が動く。
「あのさ、ちょっと変なこと言ってもいいか?」
「おう」
「ご両親がいない間、オレが泊まりにいってもいい?」
「猪熊くんが、おれんちに?」
思いもよらない提案に思わず聞き返した。
猪熊くんが、おれの家に来て、さらに泊まると……?
しかし、猪熊くんは本気のようだ。
「そ。せっかく水島と仲良くなれたんだし、いい機会かなって。ご両親が心配するかもしれないなら、オレのことなんでも話してもいいし、なんなら事前に会うのでも、電話で話してみてもいいし……」
そう言葉を重ねてくる。
「え、そんな、おれとしては楽しそうだなと思うけど……急にどうして?」
すると、猪熊くんがちょっと恥ずかしそうにしながら小声で告白した。
「……実は憧れてたんだよね、友だちの家に泊まるの」
「え、意外だ」
いやいや、と猪熊くんが小さく笑う。
「誘われることはあるけど、メンドいって断ることもあったから。でも、水島とならきっと楽しいだろうなって」
「そうなんだ……」
おれは改めて考えてみた。
正直、家族がだれもいない家はおれの手に余ると思う。気楽かもしれないが、付き合ってくれる友だちがいるならそのほうがありがたい。
猪熊くんと、と想像すると、この機会を逃しちゃいけない気がした。今回の水族館もよかったし。
テンションが上がってきた。
「おれもさ、友だちが泊まりにくるのは小学生ぶりだからさ……うん、それもいいな。親に話してみる!」
「……頼む」
猪熊くんは小さく頷く。
「よっしゃ! まかせろ、夜更かししてゲームしようぜ! 映画でもいいな!」
さっそく次遊ぶ約束をしつつ、おれたちは帰った。――友だちに対して思うには不自然に思える熱を心の奥に隠したまま。
――その夜。ren_tankaさんが「#恋するtanka」をつけて、新しい短歌を投稿した。
傍にいて まだ足りなくて 波寄せて 逢瀬の島を待ちわびている
食券機前のメニューを眺める。
「あ、セットでミニパフェもあるぞ」
「いいな。頼も」
「ならおれも!」
迷いなくセットにミニパフェをつけた猪熊くんに便乗する。
カレーライスとパフェが乗ったプレートを両手で受け取り、空いていたテーブルに座る。
ピーク時間が過ぎつつあったので、二人分の席は余裕で確保できた。海を臨む窓際で、向かい合わせにカレーライスの皿をつつく。
「まぁまぁイケるな」
「だね。量もしっかりあるし、十分だよね」
オーソドックスな味だが値段はリーズナブルで、学生にも優しい。
猪熊くんももりもりと食べている。
「オレはまだここにサラダ追加してもいけそうかも」
「猪熊くん、がっつり食べられる派だよね」
しかもきれいに平らげる派でもある。見ていて清々しいぐらいだ。
猪熊くんがふとスプーンを口に運ぶのをやめ、顔を上げた。
「そうだ、さっき外でチュロス売ってるのを見たから後で寄っていい?」
「いいよ。色がレインボーのやつがあったりして」
「なんだよ、それ。え、そんなのあるの?」
「前見たことがあって。次みたら挑戦しようかな」
「それはやべーって!」
猪熊くんは目を細めて笑う。
カレーを食べ終わり、パフェに辿り着く前にコップの水がなくなっていることに気づいた。猪熊くんのものも残り少なかったのでおれは席を立とうとした。
「だね。あ、猪熊くん、水いる? おれの分が空になったからとってくるよ」
すると猪熊くんが腰を浮かせた。
「あぁ、いいよ。オレが行くから」
「そう? ならお言葉に甘えようかな」
「おう」
猪熊くんは自分とおれのコップを持って席を立った。
水はセルフサービスだった。することもないので、おれは猪熊くんが給水器から水を出すのを横目に見ていたが。
――ん?
おれたちと同年代っぽい女子の二人組が寄り添うようにして、猪熊くんへ寄っていく。あ、話しかけた。
――知り合い、か……?
おれの席からは内容が聞き取れないが、女子の声のトーンが高かった。猪熊くんに好意を持っているのが伝わってくる。
猪熊くんのほうは熱心に話しかけられても冷静な態度を保ったまま。何かに誘われていたようだが、断ったのが雰囲気でわかる。
――そうだよな。猪熊くん、もてるよな……。
言わば当然の光景。なのにどうしてか、胸の中が重たくなった気がした。
女子たちと別れてすぐに猪熊くんが戻ってきた。
「今の人たち、知り合い?」
おれは尋ねていた。
「いや? かっこいいという理由で話しかけられただけ。この先一緒に館内を回れないかと言われたけど、断った」
猪熊くんにとっては日常茶飯事なのだろう。なんでもないことのように言う。
――あ、まじでモテるひとの反応だ。
納得するのと同時にちょっとだけひがんだような言葉が口から出る。
「いいなぁ……おれもちょっとぐらいモテてみたい」
とりとめのない話題のつもりだったが。猪熊くんを取り巻く空気がひんやりと冷えた気がした。
「……モテて、どうするの? だれに?」
「え」
おれは戸惑った。
低くなった声のトーン。張り詰めた猪熊くんの、顔。
鋭い問いにも心が痛くなってくる。考えなしだった自分を見抜かれた気がした。
「前にも言ったけど、モテたって本命に通じないと意味がないし。変に誤解されて、かえって本命から遠ざかりかねないでしょ。あることないこといろいろ言われるしさ」
猪熊くんの言葉には真実味があった。実際にもそう思うことがあったのかもしれない。
――そっか。猪熊くん、苦労しているのか……。
「……わかったよ。軽口だったな。おれも本命にモテたいってぐらいにしとく」
反省の意味を込めて、発言を訂正した。
だが、猪熊くんはおれをじっとりとした目で見てくる。
「……本命、いるの」
猪熊くんの追撃には、不思議と茶化すことができない重みがあった。
――なんで責められているの、おれ。
そんなことも思う。なぜこんな話になったのだったっけ?
なんだか誤魔化しているような気分で答える。
「い、いや〜……いないかなぁ……」
「なら、さ。本命できたら真っ先にオレに伝えてよ」
「伝えたら、どうなるの」
「戦って勝つ」
猪熊くんは好戦的な笑みを浮かべた。目が爛々として、まるで夜行性の動物みたいだ。
「なんだよ、それ。猪熊くんがそんなこと言うなんて意外すぎる」
「意外かな」
「だって猪熊くん、クールな感じだから友だちの彼女関係に口出すとは思わないよ」
「そんなことない。オレはたぶん情熱的な方。口は、出すよ。……オレ、水島のこと好きだし」
水島のこと好きだし。猪熊くんはさらりと言うけれど……おれは内心、息をとめた。
――友だち! 友だちって意味だよな、うん!
猪熊くんは純粋に友だちとして交友関係を心配してくれているのだ。そう自分に言い聞かせた。
「あ、ありがとう、じゃ、またたべよっか」
不自然な会話の切り方だなと自分でも思いつつ、おれはアイスが溶けかけたパフェに思い切りスプーンを差し込んですくう。
いつもよりひとくちがでかくなる。甘さをあんまり感じない。
「水島、ほっぺにクリームがついてる」
「え、うそ」
ふいに言われて、おれは反射的に頬をごしごし擦る。
猪熊くんの、笑みを含んだ声が降ってくる。
「いや、そっちじゃなくて……」
猪熊くんの人差し指が、正面からおれの顔まで伸びてきた。
――わ。
口元にやわらかな感覚がそっと触れてきた。
少し乾燥した、骨を感じる指が。
ゆっくりと離れていく。指先に白いものをつけていた。
それが、猪熊くんの口に運ばれていき、消えた。
「……あま」
おれの頬についていた生クリームを舐めとった猪熊くんはぽつりと呟く。視線がおれの様子をうかがうように動く。
おれは、見てはいけないものを見た気がしてしまい、視線が合う前に思い切り逸らした。
――これ、おれが女子だったら間違いなく落ちてるよ。おれ、友だちでよかった……。
またもばくばくと暴れ出しそうになる心臓よ、とまってほしい。そんな気持ちだ。
猪熊くんは友だちである。猪熊くんもきっとそう思っているにちがいない……。誤解することこそ失礼なのだ。
猪熊くんは悩み出すおれをよそに、黙々と自分のパフェを食べていたが。
何を思ったのか、その手をとめる。
「まだ、だめかな」
「え?」
聞き返したおれに、猪熊くんはそっと目を伏せた。
「……作戦を考えちゅー」
猪熊くんは説明してくれなかった。
水族館からの帰り道。
お土産物のキーホルダーをなぜかおそろいで買うことになり、スマホにつけようということになった。
ペンギンがぷらぷらと揺れるスマホをポケットに入れながら、猪熊くんと電車に揺られる。
外は夕焼け、橋の上をがたがたと電車は走る。おれたちは車両の入り口近くの吊り革にそろってつかまっていた。
雑談ついでに最近の出来事を問われたおれは、どうだったかと頭を巡らせ、おれ的スクープニュースを披露した。
「あ〜最近かぁ。そうだ、実は親が北海道旅行でさ、四日間いないんだよ。で、姉ちゃんも今大学の海外研修中で家にいなくてさ」
「……そうなんだ」
相槌を打っていた猪熊くんの反応の色が変わった気がした。
「そう。で、その間だけ、家にはおれひとりでさ。今までこんなことなかったからやべぇってなってるかな〜」
四日間、一軒家にひとりきりだ。ちょっとした挑戦みたいなものだと思う。ごはんも自分で用意するわけだし。
「……へぇ。親御さんも心配してるだろうな」
「いやいや。もう高校生だかんな。放っておいてもいいって思ってるぞ」
ちなみに姉ちゃんからは『不器用なアンタには絶対無理!』というお言葉をもらっている。そんなことはないはずだ。
「ま、たまには夫婦水入らずもいいだろうし、おれは見送るよ」
おれは猪熊くんのリアクションを待った。何か言うだろうと想像していたからだ。
しかし現実の猪熊くんは考え込んでいた。迷うように視線が揺れる。
「……猪熊くん?」
猪熊くんが意を決したようにおれを見てきた。ぎこちなく唇が動く。
「あのさ、ちょっと変なこと言ってもいいか?」
「おう」
「ご両親がいない間、オレが泊まりにいってもいい?」
「猪熊くんが、おれんちに?」
思いもよらない提案に思わず聞き返した。
猪熊くんが、おれの家に来て、さらに泊まると……?
しかし、猪熊くんは本気のようだ。
「そ。せっかく水島と仲良くなれたんだし、いい機会かなって。ご両親が心配するかもしれないなら、オレのことなんでも話してもいいし、なんなら事前に会うのでも、電話で話してみてもいいし……」
そう言葉を重ねてくる。
「え、そんな、おれとしては楽しそうだなと思うけど……急にどうして?」
すると、猪熊くんがちょっと恥ずかしそうにしながら小声で告白した。
「……実は憧れてたんだよね、友だちの家に泊まるの」
「え、意外だ」
いやいや、と猪熊くんが小さく笑う。
「誘われることはあるけど、メンドいって断ることもあったから。でも、水島とならきっと楽しいだろうなって」
「そうなんだ……」
おれは改めて考えてみた。
正直、家族がだれもいない家はおれの手に余ると思う。気楽かもしれないが、付き合ってくれる友だちがいるならそのほうがありがたい。
猪熊くんと、と想像すると、この機会を逃しちゃいけない気がした。今回の水族館もよかったし。
テンションが上がってきた。
「おれもさ、友だちが泊まりにくるのは小学生ぶりだからさ……うん、それもいいな。親に話してみる!」
「……頼む」
猪熊くんは小さく頷く。
「よっしゃ! まかせろ、夜更かししてゲームしようぜ! 映画でもいいな!」
さっそく次遊ぶ約束をしつつ、おれたちは帰った。――友だちに対して思うには不自然に思える熱を心の奥に隠したまま。
――その夜。ren_tankaさんが「#恋するtanka」をつけて、新しい短歌を投稿した。
傍にいて まだ足りなくて 波寄せて 逢瀬の島を待ちわびている



