午後授業の合間。いつものようにスマホを取り出してSNSをチェックする。
――うーん、ren_tankaさんの短歌はやっぱり夜投稿かなぁ。
過去の更新日時を見る限り、ほとんどがそうだ。
ren_tankaさんは基本的に作品のみを投稿するストイックタイプである。私生活は謎だ。たまに短歌と一緒にアップされている写真のセンスがいい。何回でも眺められる。
――すごいなぁ。ほとんど毎日短歌を呟いているし。
暇さえあれば、ren_tankaさんの短歌を眺めて、にやにやしている。飽きが来なくてこわいぐらいだ。
そう思っていると――ふいにスマホへ通知がきた。
「えっ、きたきた!」
教室内で思わず声をあげる。途端、何人かの視線がこちらに向く。恥ずかしくなったが画面にかじりついてこらえた。
おれが歓声をあげてしまった理由――ren_tankaさんの新作が前触れなく上がったためだった。
水色のパステルカラーの壁紙に、短歌を載せた画像がポストされている。
風に乗り届いた名前に振り向けば 色の奔流 踏みしめる足
おれは時も忘れてスマホに見入っていた。何度も読んで、意味を咀嚼する。
――めっちゃいい……!
何気ない日常の中で予想外に「何か」に出逢ってしまった衝撃――。
勝手ながらren_tankaさんの短歌を知ったおれ自身と重ね合わせ、心の中で身悶えする。
わかる。これちょーわかるわ。
おれはにやつきながら、速攻でren_tankaさんのポストにいいねやリポストをつけ、自分のアカウントでも感想を述べた。『本日も最高ですっ……! ファンです!』。
新作短歌への反応をひと通り終え、ひとりで鼻歌混じりでいると、制服の袖がく、と引っ張られた。
「ん?」
「水島」
斜め後ろに立っていたのは、猪熊くんだ。緊張をはらんだ顔をしている。
――あれ、今、おれ、話しかけられた?
水島はおれの苗字だし。猪熊くんがおれの袖を引っ張っているし。
スマホを両手に持ったまま目を白黒させるおれを猪熊くんが見下ろしている。……どういう状況だ?
口元がためらうように話そうとしてはやめ……だがやがて小さくもはっきりと猪熊くんが言った。
「今日……一緒に帰らないか」
周囲がざわついたのを肌で感じた。
おれだってびっくりしている。おれと猪熊くんは普段から接点があまりないわけだし、クールな猪熊くんが自分からだれかを誘う場面にも遭遇したことがない。
「え、あっ……用事もないしいいけど」
「オーケー。じゃ」
おれの反射的な返事に、猪熊くんはひとつ頷き、自分の席に戻っていく。
耳の中に教室の喧騒がまた戻ってきた。
――え、やっぱり、おれ、なにかした?
昼休みにも思ったばかりの疑問が頭をぐるぐる巡る。
柿本がおれの背中をつついた。
「……なあ、おまえ、猪熊になにかしたわけ?」
「いや。いま、おれも同じこと考えた。なんだとおもう?」
体ごと振り向いて友人に助けを求めたのだが。
「……がんばれよ」
柿本は、ねぎらうように肩をぽんと置いた。
帰りのホームルームが終わり、先生が出ていった。教室が賑やかになる。
部活や下校の準備をはじめるクラスメートたちを横目に、おれは落ち着かなかった。カバンに教科書と参考書を入れると、意味もなくカバンの持ち手をぐねぐねといじってみたり……。
――本当に一緒に帰るのだろうか……。
おれが猪熊くんの話を聞き間違えているのでなければ、「今日一緒に帰る」ことになっている。猪熊くんとおれは同じ駅を使っているので(たまに見かけることがある)、そこまで歩こうというお誘いと受け取っている。
おれがそわっとしている間に、カバンを肩にかけた猪熊くんが歩いてきた。
「水島、行こう。たしか同じ駅使っていたよな」
「え、うん……」
――え、知ってたんだ。
猪熊くんはごくごく自然におれを連れて教室を出た。
学校を出てから駅までの道のりは、同じような経路を辿る生徒たちも多い。
猪熊くんはかっこいいので、周囲の注目を浴びていた。おれがひとりで歩いている時とえらい違いだ。
隣を歩く猪熊くんの耳にはシルバーのフープピアスが光る。さりげないおしゃれアイテムと猪熊くんの姿勢の良さも相まって、そりゃモテるな、という納得のビジュアルだ。
猪熊くんの横顔を盗み見ながら感心していると、「……なに」と猪熊くんの問うような視線が落ちてくる。
その表情は教室で友人たちに囲まれている時よりも強張っているようで……。
「なんで見つめてくるの」
「え、いや、ごめん。猪熊くん、近くでみるとかっこいいなぁと思って」
「……え」
――なんでびっくりするんだろ。
素直に答えただけなのに、猪熊くんははじめて言われたみたいな反応をする。言われ慣れているだろうに、と思いつつ、おれは補足した。
「だってさ、雰囲気も落ち着いていて、大人って感じがするし。おれなんかいつも何するにもがちゃがちゃしてうるさいって姉ちゃんからよく言われるぐらいだもん。すごいなぁってさ」
日頃から姉に振り回される弟の役割を負い、わあわあぎゃあぎゃあ騒いでいる自覚がある。おれは真面目に感心しているのだ。
猪熊くんは姉の話に興味を示した。
「水島にはお姉さんがいるのか」
「うん。おれは姉の下僕。逆らえないなぁ」
冗談混じりに答える。半分ぐらいは本気で言っている。一生、姉ちゃんには勝てないであろう。生まれた時からの力関係にそうそう逆転の芽はない。
「だからってわけでもないんだけど、ぜんぜんおれと違うタイプだからさ。いいなぁって。猪熊くん、モテるでしょ」
軽く言えば、猪熊くんはあまり楽しくなさそうな顔になる。おれは話題のチョイスを間違えたらしい。
「モテたとしても、本命に好かれるかはわからないだろ。モテるなら本命だけがいい。それ以外はいらない」
猪熊くんの言葉には重みがあった。
「猪熊くん、真面目なんだね」
「そ。恋するなら真剣にもなるよ」
「いいね。そこはおれも賛成」
賛同すれば、硬化していた雰囲気が、ふと和らいだ。猪熊くんがなにげない口調で雑談を振ってくる。
「水島は、どんなひとがタイプ?」
「え〜…なんだろ。うーん、具体的にだれかあげたほうがいい?」
面と向かって問われると、答えづらい。困っているうちに猪熊が誤魔化すように告げる。
「……やっぱりいい」
「じゃあさ、猪熊くんはどんなひとがいいの?」
沈黙が続くのもよくないと思ったおれは、咄嗟に切り返した。が、すぐに考えなしを反省した。
「あっ、いや、おれとそんなにしゃべったことないのにつっこんだことを聞くのも変だよね」
へらへらと笑うも……猪熊くんは予想もしないことを口にする。
「そこはオレも聞いたし。でも、そうだな……今は水島みたいなひともいいな、とおもってる」
「へっ!?」
――いや、「みたいな」だもんな、たとえだもんな、びっくりした……。
心臓がひっくりかえった心地だ。体に悪い。
「水島、顔が赤くなった」
口の端を少し吊り上げて笑む猪熊くん。その口調に少しのいじわるさと、甘さがあるような気がして、おれはますます落ち着かなくなってしまった。
おれと猪熊くんは駅のホームで別れた。おれは猪熊くんに手を振った。
「また明日」
「あぁ。……水島」
「うん?」
呼びかけられて、おれは去ろうとした足を止めた。
「今日話してみて、オレはもっと水島と仲良くなりたいと思った」
ふいにかけられた言葉に、また驚いた。でも、悪い気はしない。たしかに猪熊くんとしゃべるのは楽しかったのだ。
「ありがとう。おれも似たようなこと思った」
「……明日も一緒に帰らないか」
「もう明日の予約? いいよ」
猪熊くんのような人気者に好かれて嫌になる人もそうそういない。
おれはご機嫌で歩いていった。
最後に振り返ると、猪熊くんはまだその場に立っている。おれは笑って手をふった。猪熊くんも小さく振りかえしてくれた。
――猪熊くん、良い人だな……。
クラスでも目立たない地味なおれにも仲良くしたいと言って親切にしてくれる。
自分のちょろさは百も承知で、おれはにっこにこで帰宅することになったのだった。
――うーん、ren_tankaさんの短歌はやっぱり夜投稿かなぁ。
過去の更新日時を見る限り、ほとんどがそうだ。
ren_tankaさんは基本的に作品のみを投稿するストイックタイプである。私生活は謎だ。たまに短歌と一緒にアップされている写真のセンスがいい。何回でも眺められる。
――すごいなぁ。ほとんど毎日短歌を呟いているし。
暇さえあれば、ren_tankaさんの短歌を眺めて、にやにやしている。飽きが来なくてこわいぐらいだ。
そう思っていると――ふいにスマホへ通知がきた。
「えっ、きたきた!」
教室内で思わず声をあげる。途端、何人かの視線がこちらに向く。恥ずかしくなったが画面にかじりついてこらえた。
おれが歓声をあげてしまった理由――ren_tankaさんの新作が前触れなく上がったためだった。
水色のパステルカラーの壁紙に、短歌を載せた画像がポストされている。
風に乗り届いた名前に振り向けば 色の奔流 踏みしめる足
おれは時も忘れてスマホに見入っていた。何度も読んで、意味を咀嚼する。
――めっちゃいい……!
何気ない日常の中で予想外に「何か」に出逢ってしまった衝撃――。
勝手ながらren_tankaさんの短歌を知ったおれ自身と重ね合わせ、心の中で身悶えする。
わかる。これちょーわかるわ。
おれはにやつきながら、速攻でren_tankaさんのポストにいいねやリポストをつけ、自分のアカウントでも感想を述べた。『本日も最高ですっ……! ファンです!』。
新作短歌への反応をひと通り終え、ひとりで鼻歌混じりでいると、制服の袖がく、と引っ張られた。
「ん?」
「水島」
斜め後ろに立っていたのは、猪熊くんだ。緊張をはらんだ顔をしている。
――あれ、今、おれ、話しかけられた?
水島はおれの苗字だし。猪熊くんがおれの袖を引っ張っているし。
スマホを両手に持ったまま目を白黒させるおれを猪熊くんが見下ろしている。……どういう状況だ?
口元がためらうように話そうとしてはやめ……だがやがて小さくもはっきりと猪熊くんが言った。
「今日……一緒に帰らないか」
周囲がざわついたのを肌で感じた。
おれだってびっくりしている。おれと猪熊くんは普段から接点があまりないわけだし、クールな猪熊くんが自分からだれかを誘う場面にも遭遇したことがない。
「え、あっ……用事もないしいいけど」
「オーケー。じゃ」
おれの反射的な返事に、猪熊くんはひとつ頷き、自分の席に戻っていく。
耳の中に教室の喧騒がまた戻ってきた。
――え、やっぱり、おれ、なにかした?
昼休みにも思ったばかりの疑問が頭をぐるぐる巡る。
柿本がおれの背中をつついた。
「……なあ、おまえ、猪熊になにかしたわけ?」
「いや。いま、おれも同じこと考えた。なんだとおもう?」
体ごと振り向いて友人に助けを求めたのだが。
「……がんばれよ」
柿本は、ねぎらうように肩をぽんと置いた。
帰りのホームルームが終わり、先生が出ていった。教室が賑やかになる。
部活や下校の準備をはじめるクラスメートたちを横目に、おれは落ち着かなかった。カバンに教科書と参考書を入れると、意味もなくカバンの持ち手をぐねぐねといじってみたり……。
――本当に一緒に帰るのだろうか……。
おれが猪熊くんの話を聞き間違えているのでなければ、「今日一緒に帰る」ことになっている。猪熊くんとおれは同じ駅を使っているので(たまに見かけることがある)、そこまで歩こうというお誘いと受け取っている。
おれがそわっとしている間に、カバンを肩にかけた猪熊くんが歩いてきた。
「水島、行こう。たしか同じ駅使っていたよな」
「え、うん……」
――え、知ってたんだ。
猪熊くんはごくごく自然におれを連れて教室を出た。
学校を出てから駅までの道のりは、同じような経路を辿る生徒たちも多い。
猪熊くんはかっこいいので、周囲の注目を浴びていた。おれがひとりで歩いている時とえらい違いだ。
隣を歩く猪熊くんの耳にはシルバーのフープピアスが光る。さりげないおしゃれアイテムと猪熊くんの姿勢の良さも相まって、そりゃモテるな、という納得のビジュアルだ。
猪熊くんの横顔を盗み見ながら感心していると、「……なに」と猪熊くんの問うような視線が落ちてくる。
その表情は教室で友人たちに囲まれている時よりも強張っているようで……。
「なんで見つめてくるの」
「え、いや、ごめん。猪熊くん、近くでみるとかっこいいなぁと思って」
「……え」
――なんでびっくりするんだろ。
素直に答えただけなのに、猪熊くんははじめて言われたみたいな反応をする。言われ慣れているだろうに、と思いつつ、おれは補足した。
「だってさ、雰囲気も落ち着いていて、大人って感じがするし。おれなんかいつも何するにもがちゃがちゃしてうるさいって姉ちゃんからよく言われるぐらいだもん。すごいなぁってさ」
日頃から姉に振り回される弟の役割を負い、わあわあぎゃあぎゃあ騒いでいる自覚がある。おれは真面目に感心しているのだ。
猪熊くんは姉の話に興味を示した。
「水島にはお姉さんがいるのか」
「うん。おれは姉の下僕。逆らえないなぁ」
冗談混じりに答える。半分ぐらいは本気で言っている。一生、姉ちゃんには勝てないであろう。生まれた時からの力関係にそうそう逆転の芽はない。
「だからってわけでもないんだけど、ぜんぜんおれと違うタイプだからさ。いいなぁって。猪熊くん、モテるでしょ」
軽く言えば、猪熊くんはあまり楽しくなさそうな顔になる。おれは話題のチョイスを間違えたらしい。
「モテたとしても、本命に好かれるかはわからないだろ。モテるなら本命だけがいい。それ以外はいらない」
猪熊くんの言葉には重みがあった。
「猪熊くん、真面目なんだね」
「そ。恋するなら真剣にもなるよ」
「いいね。そこはおれも賛成」
賛同すれば、硬化していた雰囲気が、ふと和らいだ。猪熊くんがなにげない口調で雑談を振ってくる。
「水島は、どんなひとがタイプ?」
「え〜…なんだろ。うーん、具体的にだれかあげたほうがいい?」
面と向かって問われると、答えづらい。困っているうちに猪熊が誤魔化すように告げる。
「……やっぱりいい」
「じゃあさ、猪熊くんはどんなひとがいいの?」
沈黙が続くのもよくないと思ったおれは、咄嗟に切り返した。が、すぐに考えなしを反省した。
「あっ、いや、おれとそんなにしゃべったことないのにつっこんだことを聞くのも変だよね」
へらへらと笑うも……猪熊くんは予想もしないことを口にする。
「そこはオレも聞いたし。でも、そうだな……今は水島みたいなひともいいな、とおもってる」
「へっ!?」
――いや、「みたいな」だもんな、たとえだもんな、びっくりした……。
心臓がひっくりかえった心地だ。体に悪い。
「水島、顔が赤くなった」
口の端を少し吊り上げて笑む猪熊くん。その口調に少しのいじわるさと、甘さがあるような気がして、おれはますます落ち着かなくなってしまった。
おれと猪熊くんは駅のホームで別れた。おれは猪熊くんに手を振った。
「また明日」
「あぁ。……水島」
「うん?」
呼びかけられて、おれは去ろうとした足を止めた。
「今日話してみて、オレはもっと水島と仲良くなりたいと思った」
ふいにかけられた言葉に、また驚いた。でも、悪い気はしない。たしかに猪熊くんとしゃべるのは楽しかったのだ。
「ありがとう。おれも似たようなこと思った」
「……明日も一緒に帰らないか」
「もう明日の予約? いいよ」
猪熊くんのような人気者に好かれて嫌になる人もそうそういない。
おれはご機嫌で歩いていった。
最後に振り返ると、猪熊くんはまだその場に立っている。おれは笑って手をふった。猪熊くんも小さく振りかえしてくれた。
――猪熊くん、良い人だな……。
クラスでも目立たない地味なおれにも仲良くしたいと言って親切にしてくれる。
自分のちょろさは百も承知で、おれはにっこにこで帰宅することになったのだった。



