放課後になった。猪熊くんと合流したおれは、帰宅前に最寄りのスーパーへ寄った。
 猪熊くんとの二泊目だ。夕食を猪熊くんが作ると言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。
 制服姿でショッピングカートを引きながら、おれたちは慣れないスーパーをさまよい、必要な食材を放り込んでいく。

「今日はなに作る予定?」
「内緒、といってもそんなに隠すつもりもないけど。たしか水島は好き嫌いなかったよな?」
「うん、特にないかな。あ、でも白菜は苦手」

 変な生臭さを感じるんだ、と言えば、猪熊くんは笑う。
 
「りょーかい。入ってないから安心して。ちなみに明日の晩御飯は何にする?」
「んー、最後の夜だし、出前ピザでも頼もっかなって思ってた」
「いーじゃん。あ、でも一緒に食べたいものがあるから注文は軽めにな」
「え、なになに」

 前のめりになるおれに、猪熊くんは少し躊躇いを見せた後、意外なチョイスを発表した。
 
「……餅」
「おもち? 好きなの」
「……まぁな」
 
 猪熊くんはそう言いながら近くの棚にあった切り餅をカートに放り込んでいた。

――そうだ、おれも好きなものを買っておくか!

 猪熊くんにならって、おれもいそいそといつもは買わない高めのカップアイスを持ってきてふたつ放り込む。
 カートを引いていた猪熊くんに胸を張る。

「ちょっと贅沢なデザートはどう?」
「いいんじゃね?」

 ささやかなことで笑い合う。猪熊くんの顔がほぐれたことにおれはほっとした。

――普通に、接しているよな。

「なら、帰ろっか」

 ふたりで会計を済ませ、スーパーの袋を片方ずつそれぞれ持って家路につく。
 ふたりとも自分が持つといって聞かなかったからそんな状況になったわけだが、外に出ると妙に恥ずかしい。

「……やっぱり袋、ぜんぶ任せてもいい?」
「なんで?」
「や、ちょっと恥ずかしいなって」
「間接的に手を繋いでいるみたいだから? ……いいじゃん、そうしとけば。……な」

 妙に気が強い猪熊くんに押し切られる。

――調子が狂うな……。

 さっぱりと手を離せないおれも問題な気もするが、そのずるずるした気持ちを引きずったまま家に帰る。
 急ぎの課題だけをささっと済ませた猪熊くんは、先に立ち上がってキッチンへ夕食の準備をしにいった。

「水島は待ってて。そんなに時間はかからないから」

 そう言われたから、おれはリビングで勉強をしていた。
 そのうち、フライパンで何かを焼く音と香ばしい香りが漂ってきた。
 おれはたまらなくなっていそいそと立ち上がり、キッチンへいく。
 猪熊くんはちょうどできた料理を皿に盛り付けているところだった。

「ミートパスタか!」
「当たり。多めにつくったけど、食べられるよな?」
「もちろん! ひき肉いっぱい入ってるじゃん、めっちゃおいしそうだな!」
「よかった」

 猪熊くんが頬を緩めた。
 お手製のミートパスタに舌鼓を打ち、スーパーで買ったアイスを食う。
 食器をふたりで片付けてから、残りの課題を済ませた。少しだけ対戦ゲームをするうちに、日付が超えるぐらいになっていた。
 それぞれ風呂に入り、寝る準備に入る。明日も学校だ。
 照明を消す。
 最初こそどうでもいいことをべらべらと喋っていたおれたちだが、おれが最初に眠くなってきて……。

「すまん、おれ、眠いわ。おやすみ」
「そうか。……おやすみ」

 ベッド下から猪熊くんの声がしたから安心して眠りにつく。さすがに昨日のより遅かったからか、猪熊くんも二泊目だったからか、寝つきはよく……。
 だが、意識は急に覚醒した。
 隣で動く気配がした。
 おれは目を開けなかった。猪熊くんが何をしているのか、よくわからなかったし、普通にまた寝入ろうとしていたから。

――あ。猪熊くんがおれを見てる。

 ベッド横からおれをうかがっているのを感じた。
 そして。寝ているおれの前髪が、かきわけられた。
 震える指がおれの額をなぞり、鼻筋と頬をかすかに滑り――おれの唇に辿り着く。辿られた先から他人の熱が伝わっていく。
 心臓が痛かった。おれは反応しまいと必死になった。

「寝て……いるよな」

 猪熊くんの呟きが夜に溶けていく。ぎし、とおれのベッドが少し軋み、猪熊くんがベッドに手をついたのがわかった。
 おれの額に――ふに、とやわらかな感触が降ってくる。
 猪熊くんの気配はそれからまたふとんへと戻っていった。
 ……猪熊くんの寝息が聞こえてくるようになってから、おれはむくりと起き上がり、自分の額をさする。
 
――これは……夢じゃない。

 ぎゅっと目に力を入れたが、もう眠れそうになかった。
 体が熱い。

――こんなの、友だちが、やることじゃないだろ。

 そう、猪熊くんに言ってやりたかった。


 それからどれだけ経ったのか、かすかにスマホ画面を叩く音が聞こえた。寝返りを打つふりをしてふとんのほうを見れば、スマホの明かりが漏れている。
 猪熊くんは、寝たままスマホをいじっているようだ。真剣な雰囲気がそこにはあった。
 おれはまた猪熊くんに背を向けた。
 やがて猪熊くんが先に起きて、支度をはじめた。
 おれのセットした目覚ましも鳴る。
 アラームを止めていると、一度部屋の外に出ていた猪熊くんが、がちゃりと扉を開けた。

「……おはよ」

 猪熊くんはにわかな緊張を乗せた顔でおれを見ていた。その緊張がおれにも伝播した。
 昨晩のこともあったから、ちゃんと笑えていたか自信はない。

「猪熊くん、おはよう」
「ん。じゃあ、またパンだけ、焼いておくから」
「ありがとう」

 おれは握っていたスマホに目を落とした。自然と唇を噛み締めてしまっていた。力を緩める。
 アラームを消した時、おれのスマホに新しい通知が入っていたことがわかったのだ。

――ren_tankaさんの、投稿だ……。

 いつになく、SNSを開く指が鉛のように重たかった。
 早朝に布団の中でスマホをいじっていた、猪熊くんのを背中が思い出されてしまって。
 ……それでも、投稿を、確認した。

『唇は夜に沈んでなお慕わしく 「実は獣だ」そう言えたなら #恋するtanka #二夜目』

 投稿タイミングは……これ以上ない。

――でも、でもさ。

 おれはスマホを額に押し付け、泣きたい気持ちでうめいた。
 頭が混乱していて、もうなにがなんだかわからないのに……今も扉の外には猪熊くんがおれが来るのを待っているのだ。

――そんなこと……ある? だってこれじゃ……猪熊くんが……ren_tankaさんみたいだ。

 猪熊くんと過ごす夜は、あと一晩――三夜目が、残っていた。