先輩、抱きしめていいですか?

ずっと見てた、あのオレンジ色を。
よく目立つオレンジ色は知らず知らずのうちに飛び込んできて気付けばそこにいたから。

いつも見てたんだー…

「望海先輩!」
「ぬわっ」

出た瞬間、じゃんっと現れたからびっくりして変な声が出た。

「見てました!」

見てましたってなんだよ、何を見てたんだよ。
少しだけ肌寒くなってきた今日この頃、今日も1人で帰ろうと、これが普通だから、いつも通りだから…上履きからスニーカーに履き替えて校舎から外へ出たところだった。

「待ってました!」
「……。」

そうだろうな、そんな感じだったなこれは。玄関のドアの横でずっと俺が来るのを見計らってたんだろうなって感じさせるような登場の仕方だったから。

「…何?何か用?」

おそるおそる聞いてみる、目を大きくして上から見られてることにやたら心臓がバクバクしてたから。何を言われるんだろうって、身構えちゃって…

「こないだ言えなかったんですけど」
「言えなかった?」

なんだ?こないだ何かあったっけ…

「あの時言いたかったんすけど、でもやっぱり言いたくて」

ふと蘇る、あの時のこと。たぶんあれだ、あの日のことだ。
俺が遮ったあの…!

「あの、俺とっ」

“あの、俺と…!”
あ、ちょっと待て!それはこないだと同じ流れ!!
こんなとこで何言う気だ!?
つーかそもそも俺はお前と付き合う気なんか…っ

「ちょっと待っ」
「練習しませんか…!?」
「…っ」

は?練習??
全然思ってもみなかったことを言われてぽかんとしてしまった。
練習ってなんだ?この流れはてっきり告白されるかと思ったんだけど…

「球技大会の練習、一緒にしませんか?」
「その話かよ!」
「え、何の話だと思ったんですか?」
「また付き合えとかなんとか言われるかと思っただろ!」

紛らわしい…!
いっつもいっつも聞かされてるから、あの場でもそんなこと言い出すかと思って焦ったんだよこっちは!
それが球技大会の練習って…

「あ、それはいつもで思ってますけど」
「……。」

一瞬、自分で言っといてうぬぼれてるみたいだなって思った。自分で何言ってるんだって恥ずかしくなった。
でも真っ直ぐな目で言うから、もっと恥ずかしくなった。

「クラスも学年も違いますけど、でも別に関係ないかって思って…だから俺と一緒に練習しませんか?」

“望海先輩と同じクラスだったら俺が誘いたかった”
告白してくるのだってこいつしかいないけど、こんなことを言ってくるのもたぶんこいつしかいなくて。

「望海先輩が嫌だって言うならあれですけど…」
「いいよ」
「ですよね、やっぱ嫌…え、いいんですか!!?」
「声が大きいなぁ!もう少し小さく言えよっ!」
「あ、すみません!」
「…。」

たぶんそれってすごい貴重な存在って気がする、俺を誘ったとこで何のメリットもないのに。

「その代わり!」
「はい」
「すっごい運動苦手だから、俺!」
「……。」

人差し指をピシッと立てて突き出して、キリッと眉を吊り上げる。補欠の補欠にはちゃんと意味はあるわけで、体育の成績は万年ビリだから。

「そんな威張って言うことじゃないです」
「誘っといてがっかりされても困るから」
「でもぽくていいです!」
「ぽいってなんだよ!?」

これだけのことなのに、いいよって言っただけなのに。キラキラ嬉しそうに笑うのは、悪い気はしなくて。
まぁ悪い気は、悪いことじゃないし、じゃあこれは何なんだって…

「さぁ練習しましょう!!!」
「なんでカラオケなんだよ!?」

言われるがまま連れてこられたのはなぜかカラオケだった。球技大会の練習するって言ったくせに。

「知ってますか?望海先輩!」
「何がだよ?」
「補欠の練習は応援です!」

……。
いや、聞いても何がだよなんだけど。
絶対違うだろ、球技大会の練習で補欠の練習って意味がまずわかんねぇよ。

「まずは声を出すとこから!始めましょう!」
「普通は備えて練習だろ!」
「まぁいーじゃないっすか!深いことは気にせず!」
「深くねぇよ根本だよ!」

ぐいぐいと背中を押されて部屋に入る、そのままとんっとソファーに座らされた。
戸惑う俺の隣に同じように座るから…一緒に練習って言うからサッカーの練習するんだと思ってた、あたりまえに。
だって一緒にって、これじゃ一緒にの意味なくない…?

「いいのかよ」
「何がですか?」
「何って練習、しなくても…」
「だから声出しの練習するんですよ」
「いや、じゃなくて」

それはあくまで補欠の練習ってことはわかった。意味はわからないけど、わかった。でもそれだと…

「レギュラー、じゃないのか?お前は」

球技大会とは、少しでもその競技をやっていたら重宝されるもので。だからここで俺に構ってる場合じゃ…

「俺も補欠なんで」
「え?」

予想と違う答えが返って来たから、目をぱちくりさせてしまった。

「サッカー部だろ!?」
「でも補欠なんで」

にこっと笑って返されたから、こっちが間違ったこと言ってんのかと思って眉間にしわが寄る。

「てゆーかもうやってないって言ったじゃないですか」
「言ってたけど…」

言ってたけど、何度も言うが球技大会は元だろうがなんだろうが経験者なら1人でも多くメンバーに入っていてほしい。勝つためにはそうしたいに決まってる。

「出た方がいいだろ、絶対」

しかもこんなクラスの中心みたいな奴、下手でも上手くてもいてほしいに決まってる。それだけで盛り上がるじゃん、って思う。

「俺、応援も得意なんで」
「……。」

それもわかるが…、ベンチから誰より大きな声で応援してる姿は容易に想像出来るけど。出来るんだけど…
というかなんでやめたんだろう?
走ってる姿はよく見る。体育だって、俺を追いかけて来る時だって、全速力で走ってる。
だからまだ怪我が治ってないようには見えないし…
見えないだけで、別のところに残ってんのかな?肩とか?いや、野球かよ。
……。
他に理由があるのか?
それって聞いていいんだろうか?
俺が聞いても…
でもここでなんか言ったら聞きたがってるみたいに思われない…?
き、聞きたいけど…気にはなってるけど!
そんな踏み込んだ質問って…!
聞き方がわからない…
自分のコミュニケーション能力の低さに頭抱える、マジで。

「じゃあ歌いますか~!あ、まずは俺から入れますね!」
「……うん」

ピピッとデンモクを操作して曲を入れた。
マイクを持って歌い始める、めちゃくちゃ慣れた様子で手を使ってリズムまで取っちゃったりして。
……。
普通に楽しそうなんだけど。
というか、これって普通に歌ってるだけ…?
何の練習になってるんだよ??

「先輩、この歌知ってますか?」
「うん、一応…アニメのやつ?深夜にやってる」
「そうです!見てますか!?」
「いや、ごめんアニメは見ないから。でも曲は知ってる」

流行ってるなーって思ってたから、それくらいは知ってる。テレビでよく流れてるから。

「アニメ見ないんですか?」
「うん、あんまり」
「じゃあ何見るんですか?」
「何って…バラエティーとかはたまに見るけど、アニメより漫画かな」

1個返したら3つも4つも質問が飛んできて、もう間奏終わってるのにマイク使って質問してくる。

「どんな漫画ですか?」
「スポーツ漫画が多いかな、部活とかの」
「先輩、運動できないのにスポーツ漫画読むんですね」
「お前いちいち一言多いな!」

つい声が大きくなっちゃって、あっちはマイクだし、なんかつられて。でもここはカラオケだから、いつもなら気になることも気にならなくて。

「望海先輩も何か歌ってください!」
「…いいよ、俺は」
「練習です!補欠の!」
「……。」

どの辺が練習だよ、全然わからないけどはいっとデンモクを渡されて。
何を歌えばいいんだ?テキトーに履歴から探すかな、なんか知ってる曲…
あ、これ結構好きなやつだ歌える…かな?
急かされて1曲入れてみた、CMでよく流れてる今人気のバンドの曲を。You Tubeでもよく聞くし、たぶんイケるかなーって思って。
手渡されたマイクを受け取って、すぅっと息を吸った。
あ、なんかマイクに向かって声を出すとかちょっと緊張する。こんなの正直…

「…!」

バッと画面から俺の方に顔を向けた。大きく目を見開いて、歌い終わると同時わぁっと口を開いた。

「望海先輩…!めちゃくちゃ歌上手いですね!!」

マイク使ってる俺よりでかい声で言われた。目を輝かせて、食い入るみたいに見てくるから。

「そう?初めて歌うからわかんないけど」

でも気分はいい、褒められて気分は。

「初めてなんですか!?」
「なんで俺より声響いてんだよっ」

マイクすらいらないのか、全然部屋中にキーンと響いて俺の方が負けそうになる。

「…カラオケ初めてなんだよ、1人で来ることないし」

誘われたことなんかあたりまえにない。今日が初めて、カラオケに来たのもマイクを持ったのも初めて。
だから正直、すっごい緊張した。誰かの前で歌うのなんて、ドキドキしちゃって。

「先輩の初めて…」
「気持ち悪いこと言わないで」
「めちゃくちゃピュアな気持ちですよ!?」

どんな脳してんだろ?カラオケも行ったことないんだってバカにされるかと思ったのに…いや、そんなことしないか。
バカにされたことなんかないし、いつも前向きな言葉しか聞いたことないか。

「そんなやらしい気持ちで言ったんじゃないですもん」
「……。」
「先輩の初めてが俺だったらうれしいなって思っただけで…それが何でも、カラオケじゃなくても初めてのおにぎりでも…」

しょぼんと肩を落として、口を尖らせる。
わざとなのかなんなのかよくわからないけど、なんか…

「初めてのおにぎりってなんだよ」

ふっと声が漏れて、笑ってしまった。あまりにくだらなくて。

「おにぎりぐらいあるわ、なめんなよ」

ふふって笑いたくなった。

「先輩…」

いちいち一言多いけど、いちいち楽しそうだから。俺にはそんな顔出来ないって。

「笑ったとこ初めて見ました!」

ほら、また。
そんな大きな口で笑うから、たったこれだけのことで。

「かわいいですね!!」
「ふざけんなよっ!」

そんでもってやっぱり一言多いんだ。いい加減慣れそうにもなるけど。

「今おにぎりが流行ってるんですよ!」
「おにぎりが流行ってる…?」
「おにぎり専門店とか増えてて!」
「へぇー」
「ちょっ、信じてないですね!?嘘だと思ってますね!?」

というか笑ったことぐらいあるけど、俺にだってそれぐらい…でもこれも初めてだったかもしれない、学校帰り楽しいって思ったのは。

「今度一緒に行きませんか!?初めてのおにぎり!」
「気が向いたら」
「望海先輩は何のおにぎりが好きですか?海苔はパリパリ派ですか?しっとり派ですか!?あ、俵型と三角があるじゃないですか望海先輩はっ」
「多い!多い!質問が多い!!」

質問をするたびに近付いてくるから、気持ちが先走り過ぎてずいずい近寄ってくるから、ぐいっと押し返して離した。

「1個ずつ!答えるから、1個ずつ!!」

常々勢いに巻き込まれそうになる、気迫に負けて。

「わっかりましたー!」
「……。」

でもノリは軽いんだよ、全然ついてけない。けど…

「あ、先に飲み物取りに行きません?のど乾きましたよね!」

案外嫌いじゃない。嫌じゃないって思ってた、今は嫌いじゃないって思ってる…そう思ってて。

「望海先輩、コップここです!」
「あ、ありがと」

ドリンクバーの下の棚から取り出したコップを受け取って何にしようか考える。

「望海先輩何にしますか~?」
「んー、えっと…」

結構種類あるんだ、スムージーとかあるじゃん。オレンジかメロン、でも普通にお茶でも…

「ちなみにドリンクの入れ方はここにコップを置いてボタンをっ」
「それぐらい知ってるわ!」
「初めてのドリンクバーかと思いまして」
「お前楽しんでるだろ!?」
「あたり前じゃないですか、楽しいですもん望海先輩と2人なんて」
「…っ」

そんな恥ずかしいセリフを堂々と、満足そうによく言えたな。真っ直ぐ俺の方を見て来て、こっちはなんて返したらいいかわからない…

「おっ、大晴じゃん!やほー!」

どこからか聞こえた声の方にくるんっと向きを変えた、つられて俺も一緒にその方向を見た。聞いたことある声だと思って、ふと目を合わせて思い出した。

「あ、こないだの!」

あの時のあいつだぁぁぁーーーー!!!
“大晴、誰としゃべってんの?”
そんでもって気付かれてる、俺のことも。その言いぶりは気付かれてる。
“誰?知り合い?”
あの時はあぁ言ってたけど、すでに顔だけ認識されて…やばい、今のが気まずい。
わぁぁっ…!
えっと、こんな時は!?
なんて返したら…っ
知り合い?知り合いではあると思うんだけど、なんて…!?
言われるのか少し怖くて、視線を落としそうに…

「こないだはすいませんでした!」

と、思ったのに。俺が下を向くより先に向こうが下を向いたから、というか頭を下げたから。

「失礼なこと言ってすいませんでした!」
「え…あ、ううん全然…」

いかにもこいつの友達だなって思わされる風貌で、茶髪にピアスにだらっとした制服で。たぶんこんな奴らとは交わることなんてないと思っていた。

「あのあと大晴に怒られて、先輩に失礼な態度取るなって」

ちらっと隣を見上げればフンッと鼻を鳴らして口をへのに字に曲げていた。

「だからすいません!」

交わることなんかないって、いつも遠くから見てるだけだったのに。

「…いや、大丈夫だから」

こんな風に話すことだってないと思ってた。

「望海先輩っスよねー?大晴と仲いいんスね!」

名前を呼ばれることなんて、きっとなかった。こいつがいなければ…

「!?」

え、なんで???
ふと見上げたらすごい険しい顔してんだけど、なんで?

「大晴、一緒に歌わね?望海先輩と一緒に!」

でもってこっちはケロッと笑って誘ってきてる。
え、友達なんだよな?何がそんなに気に入らなくてそんな顔してるんだ…?
そんな顔してる理由はわからなかったけど、渋々な表情で受け入れた末に一緒にカラオケをすることになった。他にも数人クラスメイトが来てたっぽくてみんなで一緒に。

「望海先輩超歌上手いっスね!!?やべぇ!!!」
「…そう?ありがと」
「マジプロかと思ったっス!」
「そんなに!?」

…言われるほど?自分じゃ気付かなかったけど、それはまぁ…嬉しい。

「あ、ちなみに俺(りゅう)っス!テキトーに琉って呼んでくださーい!」

こないだまで誰?って言われてたのに、名前を教えてもらうまでになった。

「琉くっ」
「あ、全然呼び捨てでいいっスよ!」
「じゃあ…琉」
「俺は望海先輩って呼びます!もう呼んでるっスけど」

あいつ以上にノリが軽いけど。うぃーっすってハイタッチ求められたんだけど。
でもあれだ、普通にいい奴じゃん。
もっと世界の違う奴らだって思ってた、案外その距離は意外にも近いんだって一緒にカラオケしてみて思った。自分がカラオケに来てることもまずないことだけど。

「望海先輩と大晴っていつ仲良くなったんスか?」
「え、…」

いつだ?てか仲良いとか思ったこともないけど、たぶんキッカケは…

「図書室から部活してるのを見てて」

それかと、思う。たぶん。

「あ、俺図書委員だから!図書室からグラウンドが見えてそれからなんか話すようになって!」

今のはストーカーチックな発言だったかもしれないって焦って付け足した。
話の流れ合ってない気もしたけどざっくり言えばそう!たぶんそう!!だからっ

「じゃあ大晴がケガした日も見てましたか?」
「え…?」

ノリが軽いって思ってた、それなのに急に目に力が入ったから。

「それはどうゆう…?」
「あ、望海先輩連絡先教えてくださいよ」
「え、連絡先!?」

ぱちくりする俺の前にスマホを出した。
いや、さっきの続きは!?それよりもその続きの方が…っ

「LINEやってないっスか?」
「やってるけどっ」

今そんなタイミングだったのかわからないけど言われたからとりあえずリュックの中からスマホを取り出そうとした、でもその瞬間キーンとマイクがハウリングした。

「琉ーーーーっ!!!」

叫んだから、ただでさえでかい声のくせにマイク通して叫んだから。

「次お前の番だから!!!」

いや、そんな大声で言うことかよ。ノリノリで前に出て歌ってるかと思えば、こっちを指さしてこれまた思いっきり…

「望海先輩、席代わってください!!!」
「俺!?」

俺が代わるのか!?なんで!?
無理やり間に入り込んできてマイクを渡してた。

「…?」

いいんだけど、別に。いいけど…なんで急に?
結局スマホはリュックから取り出せないで終わったし、続きも聞けなかった。


****


「じゃあな大晴~!望海先輩も~!!」

ひとしきり盛り上がったカラオケを終えて、手を振ってみんなと別れた。こっちに帰るのは俺とこいつの2人だけみたいで、すっかり暗くなった帰り道を並んで歩く。
あれは一体どうゆう意味だったんだろ?俺に何を聞こうとしたんだろう…と考える隣でこいつも。
気のせいか、いつもサンサンと明るいオレンジ色の太陽が大人しい。まぁあれか、本物の太陽出てないしな光りがないと反射もしないからな。

「……。」
「…。」

やたら静かなのがらしくなくて、続きよりも気になってくる。

「あの…今日、ありがとう…楽しかった」

少しだけドキドキしながら。こんなこと言うの慣れてなくて、暗くてよかったって思って。

「俺は全然楽しくなかったです」

なのにプンッと口を曲げるから。
え?あんなに歌ってたくせに?十分盛り上がってたくせに?

「望海先輩と2人がよかったんで!」

…っ!
たぶんこいつには辺りが暗いとか関係ない、ただ思ったことを言ってるだけ。やっぱり俺の方がよかったとか思っちゃったじゃん、恥ずかしくて顔が熱くなった俺の方が。

「望海先輩!」
「な、なんだよ…?」

立ち止まって、澄んだ瞳でこっちを見て来る。太陽が出てなくても眩しいのは変わらないかもしれない。
やばい、またドキドキが…!バクバクして心臓が…っ

「連絡先教えてください!」
「え?」

スッとスマホを前に出された。あ、最新のやつだ。じゃなくて。

「連絡先?」
「さっき琉に教えようとしてましたよね!?」
「あぁ聞かれたから」
「琉より先に知りたいです!先輩のこと、1つでも多く先に知るのは俺がいいです!」
「……。」

そんなこと、どっちでもいいと思うんだけど。
たかだが連絡先だし、別に減るもんでもないし。でも…

「うん」

反射するものがないって思っていたオレンジ色が街灯に照れされてキラキラしてたから。俺の一言に微笑んで、子供みたいにわーいって声まで出して。
こそばゆい、なんかすごく。

「おやすみのLINEしていいですか?」
「…それはなんのために?」
「したいからです」
「…いいけど」

その夜、本当にLINEが来た。おやすみだけじゃなくて今日は楽しかったとかなんとかいろいろ送られてきて、楽しくなかったとか言ってたくせに楽しかったのかよって心の中で突っ込んだ。
まぁ楽しかったならいいんだけどさ。


****


次の日、相変わらず心臓がバクバクしてた。なんなら昨日よりバクバクしてるかもしれない。
し、深呼吸を…!
吸って吐いて吸って…胸を押さえて全然整わない息をして。
もうすぐホームルームが終わるから、そしたら言うんだって今日1日中考えてた。朝から何度もイメトレして、きっと今日も放課後練習があるからって…球技大会の。

「じゃあこれでホームルームを終わりまーす、室長号令かけて~!」

門倉先生が教室から出て行ったら始まる、みんなが立ち上がったら…!

「…っ」

グラウンドに出ていく前に、言わなきゃって。もう一度息を吸って。

「あの…っ」

教室中に呼びかけるみたいに。

「俺も…球技大会の練習参加していい、ですか?」

昨日思ったんだ、俺には無理だと思ってたことは案外そうでもないってことを。きっと話すことなんかないって自分から距離を置いてたこと、最初から諦めてたのは自分だって。
新しい世界に足を踏み入れるのは少し勇気がいるけどー…

「いいよ」

その扉は思ってるより簡単に開くんだ。

「てかその許可いる?」
「えっ!?」
「なんで三影来ないのかなって思ってたんだけど」

隣の席の、室長の豊島(とよしま)くん。さわやかで人当たりがよくてクラスでも人気だから、どうしたって話すキッカケなんかないと思ってて。

「三影も同じクラスなんだから普通に来いよ」

でも逆を言えば人当たりがいいから誰でも話せるってこと…とかたぶん全部いいわけだ、すべては自分の気持ち次第なんだから。
少し見方を変えるだけで見えてくるものがあるって、昨日教えてもらった。

「ってこれだと俺が勝手に決めてるみたいだな」

豊島くんがハハッて笑う、笑いかけてもらったことなんかなかったこの教室で。その周りでクラスメイトたちもにぎやかで。

「室長だからなんかそんな感じになったけど、そーゆうのいらないから!誰もそんなこと思ってないし!」

最後はやっぱりハハッて笑ってた、マジでナチュラルでさわやかなんだ…
そこがちょっと引いてしまう、ように思ってた。昨日までは、でも今日だから昨日の今日だから。ね?

「絶対球技大会勝つぞ~!!」

おーっとクラスが団結して、圧倒されながら手を上げた。これがノリかと思いながら。


****


まぁだからかと言って…運動が得意になるわけでも出来るようになるわけでもないんだけど。
しんどい、全然ボールに追いつけないのにしんどい…
だけど、悪くない。グラウンドでボール追いかけてるのも。いやまぁ、めちゃくちゃしんどいが。

「……。」

運動神経悪い上に体力もないことを知った。
放課後外で遊ぶとかしたことないしな、ずっと図書室だったしな。
ジャーと水道から水を出しながら顔を洗った、汗がやばいこんな汗かくこともそうそうない。

「望海先輩っ」

持って来たタオルで拭こうと顔を上げた瞬間、目の前にいた。

「…びっくりした」
「全然してなさそうですけど」

サッとタオルを取って顔を拭いた、なんかニヤニヤ見てくるし。

「望海先輩楽しそうですね」
「……。」
「ボールにはだいぶ逃げ腰でしたけど」
「見てたのかよ!?」

ここは中庭にある手洗い場、グラウンドからはちょっと離れてるけど空いてるかなってここまで来た。
わざわざ探しに来たのかな、なんて。

「今日は誘われたんですか?」
「…違うよ」
「え、じゃあ…?」
「自分から言った」

きゅっと顔を拭いて、視線を上げた。
そしたら何か変わるのかなって思ったから、そう思えたのもたぶん…

「……。」
「?」

せっかく見たのにふいっと視線を逸らしたくなった、心臓がぞわぞわってして上手く言葉が出て来なくて。

「え、なんですか!?1回見といてなんで逸らしたんですか!?」
「…別に、なんでもない!」

言えない、わからないけど言えない。
ぎゅんっと胸が掴まれたみたいにこそばゆい気持ちになるんだよ、こいつを見たら。
顔を洗ったはずなのに顔が熱いから…っ
タオルで顔を隠すみたいに覆った、目を合わせることに無性にドキドキして出来なかったから。
人と喋るの慣れてなさ過ぎてやばい、自分で自分に引いてる…心臓うるさい!なんだよ、これ…っ!

「あ」

不意に視界に飛び込んできた。少し遠く、ジャージ姿で渡り廊下を歩い行く姿を。

「小山内先輩…!」

俺の声に反応してこっちを向いた。ドキッとしてしまった、呼んだからそうなんだけど俺の方を見たから。

「あ、望海!」

おーいと手を振って、たぶん小山内先輩も球技大会の練習してるみたいだった。柄にもなく大きな声で呼んでしまって、でも今度会えたら言おうと思ってたことがあったから。

「小山内先輩!ありがとうございました…っ、“あれ”どうにかなりました!!」

“謝ればいいんじゃない?”
お礼をずっと言いたいって思ってた。ぶんぶんと大きく手を振って、そしたら小山内先輩も振り返してくれて。
よかったなー!って笑って返された。
カッコいいな、多くを語らずなところがカッコいい。何も聞かないで、だけど背中を押してくてるみたいな。
それが小山内先輩…

「望海先輩って友達いないくせにあの人とは仲良いですよね」

なのにこいつは水を差すようなことを言うから。

「いないくせにってなんだよ!?いないけど!」

悪かったな、いなくて!
友達いないからお前とのあれこれもどうしたらいいかわかんなくて迷ったのに…っ

「望海先輩を望海って呼び捨てにして」
「…。」
「ずるい」
「……。」

いや、何がずるいかわかんねぇけど。そんな恨めしそうに見られても困るんだけど。というかそれは…

「小山内先輩が優しいからだよ」

それ以上でもそれ以下でもない、それは小山内先輩がそんな人だから。しかも誰にでも、ね。


****


今日はマジでめちゃくちゃ疲れた。
あんな走ったのはいつぶりだろ…え、生まれて初めて?幼稚園の頃とか走ってたのかな、そんな記憶もない…気がする。
お風呂上り、髪の毛をタオルでごしごし拭きながら階段を上がり自分の部屋に戻って来てそのままベッドに倒れ込んだ。目を閉じたら寝る、ぐっすり夢の中に行けるコレは。
ゆっくり目を閉じた、重力には逆らえなくて慣れたベッドが心地よくて。

「……。」

…今日、小山内先輩に言えてよかった。
本当はもっと早く言いたかったけど、なかなか言える時がなくて。
小山内先輩も球技大会の練習で図書室に来なかったから、今度はいつ会えるのかなって思って…言えてよかった。笑って返してくれたし。
“あ、望海!”
思い出すみたいに小山内先輩の声が脳内で再生される。会ったのも久しぶりだったから、呼ばれたのも久しぶりだった。
だからかな、聞き慣れてるはずのいつだって呼んでくれるあの声が…何度も繰り返されて、頭の中をめぐる。何度も呼ばれてるみたいな、あの声に。
このまま夢の中に誘われて、甘い夢を見てるみたいだー…
“ずるい”
ハッと目を覚ました、急にあいつの声が入り込んできて。パチッと目を開けた。
ずるいって、しかもずるいって。別にずるくないだろ、何がずるいんだよ…

「……。」

タオルにくるまって今度こそ、夢の中に…入り込もうと思ったのに。

―ブブッ

スマホが鳴った、たぶんLINEだ。
机の上に置いたスマホが鳴ってる、取りに行くのめんどくさいんだけど。
仕方なく立ち上がってスマホを取りに行った。
トンッとタップしてLINEを確認して…

『おやすみなさい』

…で、なんか絵文字入ってる。月の絵文字。

「……。」

これは…、なんて返せばいいんだ?
おやすみ…かな、やっぱ。いや、でも…まぁいいか、もう寝よう眠いし。
スマホを閉じてもう一度ベッドに倒れ込んだ、それと同時目を閉じた時にはもう完全に夢の中で次に開けた時には窓から太陽の光が差し込んでいた。
やば、朝だ。朝になるの早過ぎる。昨日の疲れまだ残ってるけど、朝…

「?」

充電することも忘れてたスマホを見ればもう1通、メッセージが入っていて。

『おはようございます』

で、太陽の絵文字…朝も送ってくるのか、おやすみが言いたいとかなんとか言ってたけど。
おはようも…え、これはどーすんの!?俺が返さないと終わらないの!?おはようって…わざわざいるのか!?

「先輩、なんで返事くれなかったんですか!?」

数日ぶりの図書委員の仕事、毎日球技大会の練習があるわけじゃないしそれぞれ部活だって委員会の仕事だってあるのが通例で。
そんでもってこいつも今日は練習がないらしい、図書室だっていうのに大きな声を出すなってば。

「…あんなのなんて返せばいいんだよ」
「おやすみにはおやすみ!おはようにはおはよう!常識じゃないですか!」

ぐんっと前に立って上から言われる、これには慣れずに圧倒される。

「…でも返事くれとは言われてないし」
「……。」
「…。」
「…確かに」

コクンと目を合わせながら頷いた。
そこは納得するんだ、それでいいんだ…

「でもさみしいんで返してくださいっ」
「…返すよ」
「本当ですか!」
「気が向いたら」
「絶対向かなそう!!」
「てか声大きいから静かにっ」

球技大会の練習もあってかほとんど人がいないことをいいことに、全く図書室だってことを意識せずに話すから。普段から意識されてるかは怪しいけど。

「てか望海先輩何してるんですか?」
「見たまんまだよ、図書だより貼ってんの」

椅子を壁の方に持ってきて上に乗ったら、前回の図書だよりを剥がして新しいものを貼っていく。
図書だよりは結構大きくて貼るのがわりと大変で、何が大変ってこれが…

「届きますか?先輩」
「うるさい!届くよ!!」

ギリッギリだから、手を伸ばせば届くから!
めいっぱい背伸びしてぐいっと手を伸ばす、本を棚に戻すより苦労するのはB2サイズある図書だよりを片手にマスキングテープで留めていかなきゃいけないから。
こんな上に貼って誰が見るんだよ!?
でも下にも他のお知らせが貼ってるあるからここしかなくて…っ

「望海先輩、俺手伝いますよ」
「いい!出来るからこれぐら…っ」

あともうちょっと、数センチ手を伸ばせばイケると思ってグッと力を入れたから椅子がグラついて椅子ごと後ろに倒れそうに…っ
あ、やばっ!落ちる!?思いっきり落ちっ

―…ッ!?

もっと体に衝撃が走るかと思った。
椅子からだとしても背伸びして力も入ってたわけだし、勢いよく倒れ込んで痛みがもっとー…

「って何してるんだよ!?」

かばうように下敷きになってた、俺の下で。

「望海先輩大丈夫ですか…?」
「お前が大丈夫かよ!?」

あわててその場から退いて、のっそり起きるのを手を添えて手伝った。
ほ、骨とかイッてないか?それぐらい激しくなかったか!?

「怪我は!?」
「ないですないです全然!」
「でもっ」
「大丈夫です、俺でかいんで平気です!」

ニカッて笑った、いつもみたいに。
それは本当にいつもと変わらなくて、でもそれがすげぇ嫌だった。

「…平気なわけないだろ」
「平気ですよ全然、マジで俺こう見えて鍛えてるんで」

いつもと変わらない様子で、ケロッとした顔を見せるから…
なぜか俺の方が苦しくなる、胸をぶつけたみたいに息がしにくくなる。

「また怪我したらどうするんだよ…」
「……。」
「怪我…、いいの?」
「え、全然ですよ!てかどこもケガしてないです!」「じゃなくて、前の」

ゆっくり顔を見る、しんとした図書館は風さえも入って来ない。

「サッカーでやった怪我」
「あー…あれは!もう全然、超完治です!痛いとこも全然なくて!!」
「……。」

俯いてしまった、なぜだか顔が見られたくなくて。しゃがんだまま下を向いた。

「やめろよもう…こんなこと、サッカー出来なくなったら困るだろ」
「先輩…、俺サッカー部じゃないですよ」
「…。」
「何度も言ってますけど」

足を抱えて顔を伏せて、弱々しくなる声に情けなくも感じて。
どうしてこんな気持ちになるんだ、胸が張り裂けそうになる。

「そんな顔しないでくださいよ、望海先輩にそんな顔されたら…」
「……。」
「ときめきます!」
「何言ってんだ!?ふざけんな…っ」

そう言われて顔を上げた、目を合わせた。笑ってなかった、光のない瞳をしていた。

「…っ」

そんな表情、するんだ。いつも太陽みたいに笑ってる奴でも。

「でもマジで大丈夫なんで!今のだってちーっともですよ!」
「本当かよ」
「本当です!これくらいどうってことないんですから!」

そんな見繕ったような笑い方、する奴じゃないだろ。
もっとバカみたいに笑えよ、あの顔が見たいんだよ。

「望海先輩?マジで大丈夫ですよ!?そんな気にしないでくださいって、そんな責任感じるととないですから!」
「……。」
「あのー…先輩?」

あれから見えなくなったから。

「大丈夫ですって!先輩が思ってるほどあれですよ!?」
「……。」
「マジでやばかったら言いますそからの時は!だからっ」
「言ってくれんの?」

揺れるオレンジ色が見えなくなったから、あの日から。

「言います!え、それってあれですか!?望海先輩看病してくれる的なあれ…っ」

踏み込んでもいいのかなってずっと考えてた。俺なんかが聞いてもいのかなってずっと悩んでた。
でもそうじゃなくて、もうそんなことじゃなくて。
思ったんだよ、知りたいって。

知りたいんだ、止められないくらいー…

「どうかしましたか…?」

ゆっくり近付く、瞳に映るように。

「望海先輩?」

図書室からはグラウンドがよく見える、この時間はちょうど部活をしている頃で。
ずっと見てたんだ、あのオレンジ色を。
よく目立つオレンジ色は知らず知らずのうちに飛び込んできて気付けばそこにいたから。
いつも見てた…、ボールを追いかける姿を。

だから知ってたんだ、サッカー部だって。

楽しそうにグラウンドを走る姿を、ずっと追いかけてた。放課後、この図書室から。

「なんでサッカーしないの?」

あの日も見てた、あの日チームメイトとぶつかって転ぶ姿だって見てた。倒れたままなかなか立ち上がれなくて、チームメイトに心配そうに囲まれている姿を見てた。

ずっと見てたから、目が合ったんだ。
心配になって窓から身を乗り出すみたいに、見てたから。

「サッカー、好きなんじゃねぇの?」

だからわかる、見てたからわかる。
あんなに一生懸命やってたことを知ってるからー…

「なんで今はサッカー部じゃないんだよ!?」
「先輩…っ」
「もう怪我はいいんだろ!?じゃあなんでやめたんだよ!?なんでしないんだよっ、俺はずっと…っ」
「先輩落ち着いて!」

止められない感情が溢れ出す、どうしてこんなに必死なのかわからない。

「そんな一気に聞かないでくださいよっ」

後ろに後退した、ずいっと迫ったから。座ったまま後ろにのけ反って開いた右手を見せられた。
目を合わせる、じっと見つめ合うみたいに沈黙が少し流れて。
だけどグッと前に出された手は動かない、1ミリも微動だにしない。
これ以上は、って止められた気がした。

「それは言うことでもないです」

これ以上は…、先へは行けなくて。にこっと笑って返された。

「これはあれです!言うことがないんですよ、特に!」

大きな声で話し出す、わざとらしく。

「まぁもう終わったことと言いますか、でもうちの学校って部活自由じゃないですか?望海先輩だってやってないですし…あ、望海先輩ってやりたい部活とかあったんですか?最初から図書委員やりたかったから部活やってないとかですか!?」

はぐらかすみたいにペラペラ喋って、逃げるみたいにパンパンとズボンをはたいて立ち上がった。平気な顔してもう何事もなかったみたいに。
笑うんだ、普通に。
大丈夫だって言うんだ、その顔で。
だけど俺にはそんなこと出来なくて、悔しさがこみ上げてくるから。

「俺にはなんでも聞くくせにお前は教えてくれないんだな」

もう見上げることさえ出来なくて、やっぱり聞かなきゃよかったと思った。