次の日の放課後。定例の生徒会の集まりが終わり、ゆるやかな談笑に移行したタイミングだった。長机を前に、ばらけた書類を整えていたおれは、肘のあたりをつつかれた。

「どうした、佐波」

 尋ねれば、隣に座る佐波がしっ、と人差し指を立てた。
 おれたち以外の役員は最近発売されたゲームの話で盛り上がっているようで、こちらを気にする様子がない。
 佐波は周囲に注意を払いながら、下を向いてごそごそと制服のポケットから紙のようなものを取り出した。

――ん? なんだ?

「先輩、例のブツです」

 他の役員に見えないようにわざわざ机の下から差し出される白い紙片。
 少し遅れて、ああ、昨日の「いちごつみ」の話か、と思い出す。先攻になった佐波が、短歌を作ってきたのだ。

「普通に渡せないのかよ。やたらあやしげじゃないか」

 笑いながら受け取るために手を出した。
 佐波が紙片を上からのせる。そのときに指と指が触れ合う。

――……あ。

 接触したのは一瞬だ。だが指先の神経が過敏になって、触られたという感覚が通り過ぎてくれない。
 今まで似たようなことがあってもなんとも思っていなかった気がするのに、妙だった。
 おれの戸惑いを、佐波はしるよしもない。「いいでしょ、別に」と嘯きながらわかりやすく拗ねてみせる。

「……俺にとってはラブレターみたいなもんですよ」
 
 音が周囲から遠ざかった気がした。
 おれたちの会話はゲームの攻略を夢中で語る他の役員たちには届かなかったはずだ。それでも。

――危ういな。

 そう思いつつもわざと明るい口調をつくった。

「恥ずかしいこというなあ。ま、あとで見るわ」
「返しを待ってますよ」
「ちゃんとやるって」

 佐波の念押しに軽く受け合い、自分の上着のポケットに紙片を滑らせる。

――一度「やる」と言ってしまったからな。

 さすがに約束を反故にするのははばかられた。佐波に申し訳なさすぎる。
 そう考えながら、短歌の紙片を持ち帰り、深夜の自室で、ゆっくり開く。

甘いやつ選んで摘もう山盛りの【いちご】を渡したくて先輩

 知らぬ間に、ため息が出ていた。

「あいつ、短歌はほんとストレートだよなぁ……」

 好きです、とまっすぐ告白してきた佐波の良さがそのまま出ている。
 頭の中では、カゴに山盛りのいちごをのせて、差し出してくる佐波の姿が思い浮かぶ。
 せっせとおれのために甘いいちごを選んで摘んだ佐波は、おれが喜ぶとおもって満面の笑みになっているのだろう。

――最初に教えた時よりずっと良くなってる。

 いつの間にこんなにうまくなっていたのか。後輩の成長速度に驚く。はじめて短歌を布教した時は怪訝そうな顔をしていたのに。
 そう思えば、おれの表情筋は勝手に緩んでいってしまう。

「いちごつみ……いちご、か」

 気づけば、次に返す短歌をどうしようか、無心で考えていたのだった。

一粒の【苺】にもこころ 噛んでなお肌に移らぬ赤さ ごめんな

「ほら、佐波。例の「いちごつみ」の返し、持ってきたぞ」

 翌日の朝に、校門前でたまたま出くわした佐波へお返しのメモを渡した。
 二つ折りにした程度なので、佐波は受け取ってすぐに中身を見た。途端、不満顔をあらわにした。
 おれでもわかる。これは望んでいなかった短歌なのだろう。
 佐波の差し出してきたたくさんのいちごに対し、「一粒の苺」を食べたとしても苺のつやつやした赤色ーー恋心が自分に移ることがないと返す。すべては「ごめんな」が告げているとおりだ。

「なんでですか、先輩。短歌でも俺を振るんですか」
「悪いな。そこはきっちりしておかないと」
「せっかく先輩のすきな苺をテーマにひねりだしたのに」

 佐波がそう食い下がってきたので、やや驚く。

「よくおれの好きなものを覚えていたな」

 いちごはおれの好物だが、佐波にはっきりと言った記憶がない。

「だって好きなひとのことは知りたいじゃないですか。だれかにぽろっとこぼした言葉でも覚えていますよ」

 おれは一般論として佐波の発言を受け取った。

「……たしかに、そうだな。それにしても、おれの知らないうちにすごく短歌がうまくなってないか? 正直、驚いた」
「! ほんとうですか!」

 これには佐波の顔も眩しいぐらいに輝く。

「あぁ。だっておれが短歌のこと教えてから四ヶ月ぐらいしか経ってないのに、ことばが自然に流れる短歌がつくれるようになってる」
「そうですか……そっか」

 佐波は目を細めて喜んだ。また調子に乗って、早口で続ける。

「先輩にほめてもらえたので、また次もがんばってつくってきます。待っててください。あと付き合ってほしいです」

 後半の言葉を聞き逃さないおれではなかった。

「佐波の短歌を読むのはいいが、付き合うのはあきらめてくれ」
「じゃあ俺を恋愛的に好きになってください」
「なんで「じゃあ」で接続されるのかがわからんぞ」

 ここまで言えば普通もうちょっと引き下がりそうなのに、佐波はまだ、諦めていない。
 ひゅっと秋風がひときわ大きく吹いて、佐波の短髪を撫でていく。
 佐波はぽつりと、言う。

「……先輩は一学年上じゃないですか。高校は三年間です。同級生とちがって、先輩と過ごせるのが一年短い。同じクラスになることも絶対ないですし。俺にもチャンスがあってもいいと思いません?」

 少しのさみしさを滲ませた声に、はっとさせられるも。つとめておれは平静に返した。

「男同士は一般的じゃないだろ」
「一般的かどうかで、先輩の答えは変わるんですか?」

 おれは真剣に考えた後、否定する。

「……いや、そう聞かれれば答えに困るが。たとえ佐波が女子でも答えは、変わらないよ。そうだな、好いてくれるのはうれしいけどな」

 これを聞いた佐波の顔がひきつっていたように見えたのは気のせいだろうか。

「先輩はそういうひとですよね。……また、作戦を考えて出直して参ります」
「あぁ」

 一礼した佐波が小走りで玄関を通り過ぎる。おれは息を吐く。……緊張していたらしい。
 おれは、佐波の背中へ心の中で呟く。

――知らないだろうが、おまえに好かれていることは心地いいんだよ。先輩と過ごせるのも一年短い、なんてのもぐっときた。でも……おまえが真剣だからこそ軽々しく扱っちゃだめなんだよ。

 この思いは佐波に伝わるだろうか。