二日目の午後も当初決めた計画通りに歩き、くたくたになりながらホテルに戻ってきた。夕方になると、多少の暑さも和らいだ気がする。
茉優がフロントでルームキーを受け取っている間、エントランスのソファで涼みながら待っていると、三善先生がホテルに戻ってきた班のチェックをしている先生の姿が目に入った。
バインダーに挟んでいる紙にチェックをし、まだ戻っていない生徒を確認している様子は、さながら教師そのものだ。
だが、私服姿と言うのは存外教師に見えないのかもしれない。
同じホテルの宿泊者で、若い女性たちがちらちらと三善先生を見て、何かを話していた。声をかけてみるかどうかなんて話も聞こえてきたが、その人たちに結菜は言いたくなった。
その人、性格が滅茶苦茶悪いのでお勧めできないです、と。
そう言って、夢見るお姉さんたちに真実を突きつけた方が良いか一瞬悩んだ。だけど、今は教師と生徒。それ以外の関係はない。軽くため息を吐いてから、結菜は宮道先生から渡されたパンフレットを開いた。
ぱらぱらとページをめくると、学部紹介以外に大学生活そのものがピックアップされていた。華やかな学生生活、というにふさわしい記事が続いている。
学生生活は何も勉強と修行だけじゃない。それがよく分かった。
何を学びたいか。決まっていない。
どんな学生生活を送りたいか。術者修行以外は考えてなかった。
今更ながら、大学生活とはこういうモノかというのを知った。パンフレットを読むのに夢中になり、少し前に屈んで読む。
ページを捲っていくと、白い紙が挟まっていた。そこには達筆な字で、夜の集合時間が書かれていた。字の形から宮道先生のモノだというのはすぐ分かった。
スマホで、今日の残りのスケジュールを確認すると、指定してきた時間は消灯時間を過ぎていた。
宮道先生に真意を確認しようとエントランスを見渡したが、まだ戻っていないのか姿が見当たらない。
「どうかしました?」
三善先生の声が聞こえて、慌てて振り向くと、不思議そうな顔をして結菜を見ていた。
完璧教師モードに入っている三善先生の顔を久しぶりに間近で見た。優しさを滲ませた口元。眼鏡越しに柔らかく細めている目。整った顔立ちも相まって、思わずじっと見てしまった。
「日下部さん?」
三善先生の戸惑った声にはっと我に返った。
「な、なんでしょうかっ」
やや上ずって返事をした結菜は気まずげに視線を逸らした。
「やけに真剣に冊子を読まれていたので、何か悩んでいるのかと思いまして」
「え、いや、これは」
「大学パンフレットでしたか。ですが、これは」
言葉を切った三善先生を見ると、穏やかだった表情が少し曇っていた。悔しさのようなものを滲ませていた。
「先生?」
「せっかくの修学旅行ですから、少し受験から離れても良いと思いますよ」
曇っていた顔をすぐに元に戻した三善先生は言った。辺りを少し伺うように目だけで確認をしてから、三善先生は顔を結菜の耳元に近づけた。
「遅れんじゃねーぞ」
軽いため息とともに聞こえてきた低い声。
「せ」
反射的に声をかけようとして、三善先生はバインダーで顔を隠しながら左手の人差し指を唇に当てた。やや鬱陶しいような顔であったが、夜に見ていた素の顔がそこにはあった。
「いいな?」
圧がかかった低い声に結菜は黙ったまま頷いた。結菜の返事に満足したのか、三善先生は何事もないようにホテルの入り口に向かって歩いて行った。
「結菜、お待たせっ……ってどうしたの? 熱中症?」
「べ、別に大丈夫っ」
「そ? 早く部屋に戻ろう。疲れたよ」
夕飯まで他の部屋に遊びに行くかどうかを茉優と話しながら、パンフレットをリュックにしまった。
「さっき、三善先生と何を話してたの?」
「大学の相談だよ」
「宮道先生に相談するんじゃなかったの?」
「エントランスにいなかったし、パンフレットを持ってたから声かけられただけだよ」
「それにしても修学旅行終わったら、本格的に受験一色だよ」
深紅色のふかふかな絨毯を歩きながら、結菜たちはエレベーターホールに向かった。他のクラスの人たちも同じタイミングで戻ってきたからか、エレベーター前には同じ学校の生徒ばかりが集まった。
エレベーターがなかなか降りてこない。階数表示を見るとかなり上の方で止まったままだ。階段で部屋に向かうには体力は残っていない。自然とダラダラとした話をする流れになった。
「そう言えば、共学だと修学旅行とか文化祭って彼氏彼女ができやすいんだって」
「やっぱり、イベントがそうさせるのかな?」
「残念なことに女子校じゃ起こりえない話だよね」
「そりゃ、女子校だし」
「でもさぁ、少しは恋とかしたかったというか」
なんとなくダラダラとした話をしていた時に、ふと気になって階数表示を見たが一向にエレベーターが降りてこない。上で混んでいるんだろうか。
「そういえばさ、もうすぐ夏じゃん?」
「そうだね?」
「夏と言えば、怪談だよね」
「……だね」
正直言えば、結菜は怪談が苦手だ。
妖が視える体質のせいか、怪談を話している時に大変グロテスクな妖を視てしまったことがあり、その上気絶したことがある。その時は兄の勇人がいてくれたから事なきことを得たが、いなかったらと考えると怖くなった。
もし、自分一人しかいなくて、しかも一人じゃ対処できない妖だったら。
そう考えるだけで怖くなり、いつの間にか怪談話を避けるようになった。
「あれ? 苦手だった?」
結菜の顔色が優れないことをすぐに察したのか、茉優は申し訳なさそうな顔をした。大丈夫、と答えながら早くエレベーターが来ないかと見たが、上で止まったままだ。
「おかしくない?」
さすがに奇妙に思ったのか茉優が目の前にあるボタンを連打した。少し間を開けるが、それでもエレベーターが降りてくる気配はない。
代わりにチカチカと照明が点いたり、消えたりし始めた。
少しずつ、少しずつ奇妙だと思う人が増えてきたからか、ざわめきが減ってきた。静まり返ると、誰も彼もが互いの顔を見た。
気づいたのだ。
この異様さを。
奇妙な状況を認知すると、結菜は急に体が重くなるような錯覚を覚えた。眩暈を起こしたかのように、くらくらする。頭を左手で押さえながら何とか立っていると、一人また一人と床に崩れ落ちていった。
「なに、これ、気持ち悪い」
隣にいた茉優も結菜に縋りつくようにして倒れた。茉優の体を支え切ることができずに、結菜は尻もちをついた。顔を上げると、エレベーターホールにいた全員が倒れていた。体が重いせいか、立ち上がることもままならない。
茉優がフロントでルームキーを受け取っている間、エントランスのソファで涼みながら待っていると、三善先生がホテルに戻ってきた班のチェックをしている先生の姿が目に入った。
バインダーに挟んでいる紙にチェックをし、まだ戻っていない生徒を確認している様子は、さながら教師そのものだ。
だが、私服姿と言うのは存外教師に見えないのかもしれない。
同じホテルの宿泊者で、若い女性たちがちらちらと三善先生を見て、何かを話していた。声をかけてみるかどうかなんて話も聞こえてきたが、その人たちに結菜は言いたくなった。
その人、性格が滅茶苦茶悪いのでお勧めできないです、と。
そう言って、夢見るお姉さんたちに真実を突きつけた方が良いか一瞬悩んだ。だけど、今は教師と生徒。それ以外の関係はない。軽くため息を吐いてから、結菜は宮道先生から渡されたパンフレットを開いた。
ぱらぱらとページをめくると、学部紹介以外に大学生活そのものがピックアップされていた。華やかな学生生活、というにふさわしい記事が続いている。
学生生活は何も勉強と修行だけじゃない。それがよく分かった。
何を学びたいか。決まっていない。
どんな学生生活を送りたいか。術者修行以外は考えてなかった。
今更ながら、大学生活とはこういうモノかというのを知った。パンフレットを読むのに夢中になり、少し前に屈んで読む。
ページを捲っていくと、白い紙が挟まっていた。そこには達筆な字で、夜の集合時間が書かれていた。字の形から宮道先生のモノだというのはすぐ分かった。
スマホで、今日の残りのスケジュールを確認すると、指定してきた時間は消灯時間を過ぎていた。
宮道先生に真意を確認しようとエントランスを見渡したが、まだ戻っていないのか姿が見当たらない。
「どうかしました?」
三善先生の声が聞こえて、慌てて振り向くと、不思議そうな顔をして結菜を見ていた。
完璧教師モードに入っている三善先生の顔を久しぶりに間近で見た。優しさを滲ませた口元。眼鏡越しに柔らかく細めている目。整った顔立ちも相まって、思わずじっと見てしまった。
「日下部さん?」
三善先生の戸惑った声にはっと我に返った。
「な、なんでしょうかっ」
やや上ずって返事をした結菜は気まずげに視線を逸らした。
「やけに真剣に冊子を読まれていたので、何か悩んでいるのかと思いまして」
「え、いや、これは」
「大学パンフレットでしたか。ですが、これは」
言葉を切った三善先生を見ると、穏やかだった表情が少し曇っていた。悔しさのようなものを滲ませていた。
「先生?」
「せっかくの修学旅行ですから、少し受験から離れても良いと思いますよ」
曇っていた顔をすぐに元に戻した三善先生は言った。辺りを少し伺うように目だけで確認をしてから、三善先生は顔を結菜の耳元に近づけた。
「遅れんじゃねーぞ」
軽いため息とともに聞こえてきた低い声。
「せ」
反射的に声をかけようとして、三善先生はバインダーで顔を隠しながら左手の人差し指を唇に当てた。やや鬱陶しいような顔であったが、夜に見ていた素の顔がそこにはあった。
「いいな?」
圧がかかった低い声に結菜は黙ったまま頷いた。結菜の返事に満足したのか、三善先生は何事もないようにホテルの入り口に向かって歩いて行った。
「結菜、お待たせっ……ってどうしたの? 熱中症?」
「べ、別に大丈夫っ」
「そ? 早く部屋に戻ろう。疲れたよ」
夕飯まで他の部屋に遊びに行くかどうかを茉優と話しながら、パンフレットをリュックにしまった。
「さっき、三善先生と何を話してたの?」
「大学の相談だよ」
「宮道先生に相談するんじゃなかったの?」
「エントランスにいなかったし、パンフレットを持ってたから声かけられただけだよ」
「それにしても修学旅行終わったら、本格的に受験一色だよ」
深紅色のふかふかな絨毯を歩きながら、結菜たちはエレベーターホールに向かった。他のクラスの人たちも同じタイミングで戻ってきたからか、エレベーター前には同じ学校の生徒ばかりが集まった。
エレベーターがなかなか降りてこない。階数表示を見るとかなり上の方で止まったままだ。階段で部屋に向かうには体力は残っていない。自然とダラダラとした話をする流れになった。
「そう言えば、共学だと修学旅行とか文化祭って彼氏彼女ができやすいんだって」
「やっぱり、イベントがそうさせるのかな?」
「残念なことに女子校じゃ起こりえない話だよね」
「そりゃ、女子校だし」
「でもさぁ、少しは恋とかしたかったというか」
なんとなくダラダラとした話をしていた時に、ふと気になって階数表示を見たが一向にエレベーターが降りてこない。上で混んでいるんだろうか。
「そういえばさ、もうすぐ夏じゃん?」
「そうだね?」
「夏と言えば、怪談だよね」
「……だね」
正直言えば、結菜は怪談が苦手だ。
妖が視える体質のせいか、怪談を話している時に大変グロテスクな妖を視てしまったことがあり、その上気絶したことがある。その時は兄の勇人がいてくれたから事なきことを得たが、いなかったらと考えると怖くなった。
もし、自分一人しかいなくて、しかも一人じゃ対処できない妖だったら。
そう考えるだけで怖くなり、いつの間にか怪談話を避けるようになった。
「あれ? 苦手だった?」
結菜の顔色が優れないことをすぐに察したのか、茉優は申し訳なさそうな顔をした。大丈夫、と答えながら早くエレベーターが来ないかと見たが、上で止まったままだ。
「おかしくない?」
さすがに奇妙に思ったのか茉優が目の前にあるボタンを連打した。少し間を開けるが、それでもエレベーターが降りてくる気配はない。
代わりにチカチカと照明が点いたり、消えたりし始めた。
少しずつ、少しずつ奇妙だと思う人が増えてきたからか、ざわめきが減ってきた。静まり返ると、誰も彼もが互いの顔を見た。
気づいたのだ。
この異様さを。
奇妙な状況を認知すると、結菜は急に体が重くなるような錯覚を覚えた。眩暈を起こしたかのように、くらくらする。頭を左手で押さえながら何とか立っていると、一人また一人と床に崩れ落ちていった。
「なに、これ、気持ち悪い」
隣にいた茉優も結菜に縋りつくようにして倒れた。茉優の体を支え切ることができずに、結菜は尻もちをついた。顔を上げると、エレベーターホールにいた全員が倒れていた。体が重いせいか、立ち上がることもままならない。



