高台寺に、八坂神社。他に観光の定番をいくつか回ったところで、その日は終わった。
夕食はホテルで食べると、明日の自由行動時の注意事項を聞き、解散となった。移動距離も長かったし、歩き回ったところもあり、同じ部屋の茉優は既に夢うつつだった。
だが、結菜は昼間見た三善先生の顔が忘れられず、部屋を出た。就寝時間まではまだ時間がある。何か飲み物でも自販機で売っていないだろうか。
一階までエレベーターで降りて、ウロウロしていると、ちょうど三善先生がホテルを出て行くところだった。あとを追いかけようとしたところで、後ろから誰かに声をかけられた。振り向くとそこにいたのは宮道先生だった。
「どこ行くん?」
「あ、いえ。三善先生が出て行ったので、気になって」
「念のための周辺警備って言ううてたで?」
「そうなんですか。でも」
京都に着いてからも妖は一つも視なかった。平和な街だと、さすが術者協会本部が置かれているところだと思っていた。
それでも、三善先生が周辺警備をする意味は?
結菜の疑問を察したのか、宮道先生は苦笑した。
「ちゃうちゃう。あれは寝る前の筋トレみたいなもんや」
「はい?」
「走ってこんと寝れん、とか言う奴らと同じやってだけや」
「宮道くん」
結菜と宮道先生の会話に割って入ってきたのは、涼やかな女性の声だった。声がした方を見ると、そこには昼間に三善先生と談笑していた女性だった。パンツルックに白色のサマーニットがよく似合うその人は、イタズラっぽく笑っていた。
「久しぶり。来ちゃった」
「……大友ちゃん」
「あら、そこにいるのは生徒さんだったかしら」
少しだけ気にしているような、それでいて完璧に隠そうとしている大人の女性は、緩めにかかったパーマを片手で耳にかけた。その仕草一つ取っても大人の色気が漂ってきた。
「……一応今は教師やしな」
「それなら生徒と二人はまずいんじゃない、センセ?」
「紛らわしい言い方すんなや。オレは夜に脱走しようとしていた生徒を捕まえてただけや」
「ウソつき。宮道くんは、本当に嘘が下手ね」
「オレは本当のことしか言わんのや」
「何それ、面白いんだけど。でもね、私にその子のことを隠しても無駄じゃない?」
和やかな会話の終わりは、鋭い指摘で締めくくられた。相手にもされていないはずの結菜を興味津々のようにじっと見てきた。その女性の視線はどこか狂気じみたものも隠れているように見えただけに、結菜は思わず少しだけ体を引いた。
「……結菜ちゃん、彼女はオレと三善と同僚だった大友七海や。本部の術者」
「初めまして、大友七海です。七海さん、でよろしく」
からかうような声で女性――大友は結菜に握手を求めてきた。
「は、初めまして、日下部結菜です。よろしくお願いします」
差し出された手は引かない。結菜は恐る恐る手を握ると、軽く握り返された。大人の女性らしい、甘い香水の香りがふんわりと鼻についた。金木犀だろうか。それとはまた違う何かだ。
「そういえば、三善とすれ違わんかったか?」
「柊? すれ違わなかったけど」
「そうか。あいつ、来ないな時まで周辺警備やって行って出て行ったんや。今は一応教師やから、教師らしい仕事をせんといかんのに」
「柊は、相変わらずストイックね」
柊、柊と大友は三善先生のことをそう繰り返し呼ぶ。親密度が高い人じゃないと呼ばないような言い方と声で。結菜の心の中のモヤモヤが蠢いた気がした。だが、それがなんでそうなったかは結菜にもはっきりとわからなかった。
「明日はどのあたりを回るの、宮道センセ」
「明日は各班自由行動なんや。オレらも適当に回りながらいるけど」
「柊は?」
「あいつも一緒に行動やで」
「仲良しだね」
「うるさいわ。仕事じゃ、仕事」
「そっちの、えっと、日下部さんはどこ行く予定なの?」
俯きながら二人の楽し気な会話を聞いていたが、急に話を振られ、結菜は慌てて顔を上げた。
「八坂庚申堂と安井金比羅宮、下鴨神社、北野天満宮の予定です」
「あら、縁結びに学業の神様。学生っぽくて良いね」
子ども扱いにしか聞こえない。むくれてしまう気持ちを必死に隠しながら、結菜は頷いた。
「術者協会本部には来ないの?」
「修学旅行中なので」
「えー、来てくれたら案内したのに」
なんて答えたら良いか結菜が悩んでいると、宮道先生が間に入ってくれた。
「術者ばかりなわけちゃうからな。仕方ないんや」
「そっか。術者は、柊と宮道くん、日下部さんの三人?」
あれ、術者って自己紹介したっけ。
結菜の疑問を見抜いているのか、大友は苦笑した。
「日下部って言う苗字と宮道くんといるんだもの。術者としか思えないからね。さて、私もぼちぼち帰ろうかな」
「送って行こか?」
「そういう優しさは生徒さんだけにしておいて。それに私は強いし?」
「せやったな」
苦笑いで返した宮道と結菜と別れた大友はホテルから出て行った。少しだけ彼女の姿が揺らめいた気がしたが、何度か瞬きをするとすぐにその違和感もなくなった。
「忙しないやっちゃ。何したかったんかな」
ガシガシと頭を掻いた宮道は呆れた声で言った。じっとホテルの扉を見ていると、三善先生が戻ってきた。昼間と変わらないスーツ姿は少しだけ汗ばんでいた。本当に走ってきたんじゃないだろうか。
「日下部さん、もうすぐ消灯のお時間ですが、どうしましたか?」
「の、飲み物を買おうとして」
「それなら、そこに自販機がありますから、買って、早めにお部屋に戻った方が良いですよ」
丸眼鏡越しに見ても、三善先生は学校での先生バージョンのままだった。修学旅行の間は先生と教師という立場以外は出さないつもりなのかもしれない。
どこか距離を感じる話し方に結菜の心の中のモヤモヤがまた少しだけ膨らんだ。大友とあんなに親し気に呼び合う仲を見たからかもしれない。
「……わかりました」
少しだけそっけない言い方になったが、先生たちに頭を下げて、結菜はその場を立ち去った。後ろで宮道先生が呼ぶ声がしたが、無視をした。このモヤモヤした気持ちをなんとか解消したい。コツコツと少し足音が大きく鳴った気がしたが、気にする余裕はない。
部屋に戻ると茉優がむくりと体を起こした。寝ていたようだったが、結菜が乱暴に扉を開けた音で起こしてしまったのかもしれない。
「ごめん、起こしちゃったね」
「……いいけど、どうしたの?」
目を擦りながら茉優が結菜を見た。結菜は咄嗟に誤魔化すように微笑んだ。
「何が?」
「んー、なんというか嫉妬に塗れた女の顔になってる」
「え?」
そんな顔していただろうか。両手で顔をぐしゃっと揉んでみた。
「それよりどこに行ってたの?」
「飲み物を買いに」
「買ってきてないじゃん」
自分の手を見てもペットボトルを持っていなかった。ぐちゃぐちゃした気持ちを抱えたままだったせいか、自販機に寄ることを頭から追い出してしまったのかもしれない。
「飲みたいものがなかっただけ」
「ふーん? 結菜がそんな顔することがあったから?」
「そんな顔って」
「結菜って、いつもニコニコしているじゃん。あんまり気持ちを前面に出したような顔ってしないから、新鮮だなって。これぞ、修学旅行効果ってやつ?」
「まさか」
ははっと乾いた笑いで、その場をごまかして、結菜は窓際のベッドにごろりと横になった。
「私、お風呂入ってきちゃうね」
茉優の気遣いにも似た言葉に甘えて、結菜は手を軽く振って応えるだけにした。その手のひらをじっと見ながら、大きなため息を漏らした。
見回りの時間に来たのは、宮道先生だったが、こちらもいつも通りの様子で確認を終えると、さっさと別の部屋に行ってしまった。
モヤモヤだけが残ったが、茉優と明日の班行動の話をしていると、それもすぐにどこかに消えていった。
夕食はホテルで食べると、明日の自由行動時の注意事項を聞き、解散となった。移動距離も長かったし、歩き回ったところもあり、同じ部屋の茉優は既に夢うつつだった。
だが、結菜は昼間見た三善先生の顔が忘れられず、部屋を出た。就寝時間まではまだ時間がある。何か飲み物でも自販機で売っていないだろうか。
一階までエレベーターで降りて、ウロウロしていると、ちょうど三善先生がホテルを出て行くところだった。あとを追いかけようとしたところで、後ろから誰かに声をかけられた。振り向くとそこにいたのは宮道先生だった。
「どこ行くん?」
「あ、いえ。三善先生が出て行ったので、気になって」
「念のための周辺警備って言ううてたで?」
「そうなんですか。でも」
京都に着いてからも妖は一つも視なかった。平和な街だと、さすが術者協会本部が置かれているところだと思っていた。
それでも、三善先生が周辺警備をする意味は?
結菜の疑問を察したのか、宮道先生は苦笑した。
「ちゃうちゃう。あれは寝る前の筋トレみたいなもんや」
「はい?」
「走ってこんと寝れん、とか言う奴らと同じやってだけや」
「宮道くん」
結菜と宮道先生の会話に割って入ってきたのは、涼やかな女性の声だった。声がした方を見ると、そこには昼間に三善先生と談笑していた女性だった。パンツルックに白色のサマーニットがよく似合うその人は、イタズラっぽく笑っていた。
「久しぶり。来ちゃった」
「……大友ちゃん」
「あら、そこにいるのは生徒さんだったかしら」
少しだけ気にしているような、それでいて完璧に隠そうとしている大人の女性は、緩めにかかったパーマを片手で耳にかけた。その仕草一つ取っても大人の色気が漂ってきた。
「……一応今は教師やしな」
「それなら生徒と二人はまずいんじゃない、センセ?」
「紛らわしい言い方すんなや。オレは夜に脱走しようとしていた生徒を捕まえてただけや」
「ウソつき。宮道くんは、本当に嘘が下手ね」
「オレは本当のことしか言わんのや」
「何それ、面白いんだけど。でもね、私にその子のことを隠しても無駄じゃない?」
和やかな会話の終わりは、鋭い指摘で締めくくられた。相手にもされていないはずの結菜を興味津々のようにじっと見てきた。その女性の視線はどこか狂気じみたものも隠れているように見えただけに、結菜は思わず少しだけ体を引いた。
「……結菜ちゃん、彼女はオレと三善と同僚だった大友七海や。本部の術者」
「初めまして、大友七海です。七海さん、でよろしく」
からかうような声で女性――大友は結菜に握手を求めてきた。
「は、初めまして、日下部結菜です。よろしくお願いします」
差し出された手は引かない。結菜は恐る恐る手を握ると、軽く握り返された。大人の女性らしい、甘い香水の香りがふんわりと鼻についた。金木犀だろうか。それとはまた違う何かだ。
「そういえば、三善とすれ違わんかったか?」
「柊? すれ違わなかったけど」
「そうか。あいつ、来ないな時まで周辺警備やって行って出て行ったんや。今は一応教師やから、教師らしい仕事をせんといかんのに」
「柊は、相変わらずストイックね」
柊、柊と大友は三善先生のことをそう繰り返し呼ぶ。親密度が高い人じゃないと呼ばないような言い方と声で。結菜の心の中のモヤモヤが蠢いた気がした。だが、それがなんでそうなったかは結菜にもはっきりとわからなかった。
「明日はどのあたりを回るの、宮道センセ」
「明日は各班自由行動なんや。オレらも適当に回りながらいるけど」
「柊は?」
「あいつも一緒に行動やで」
「仲良しだね」
「うるさいわ。仕事じゃ、仕事」
「そっちの、えっと、日下部さんはどこ行く予定なの?」
俯きながら二人の楽し気な会話を聞いていたが、急に話を振られ、結菜は慌てて顔を上げた。
「八坂庚申堂と安井金比羅宮、下鴨神社、北野天満宮の予定です」
「あら、縁結びに学業の神様。学生っぽくて良いね」
子ども扱いにしか聞こえない。むくれてしまう気持ちを必死に隠しながら、結菜は頷いた。
「術者協会本部には来ないの?」
「修学旅行中なので」
「えー、来てくれたら案内したのに」
なんて答えたら良いか結菜が悩んでいると、宮道先生が間に入ってくれた。
「術者ばかりなわけちゃうからな。仕方ないんや」
「そっか。術者は、柊と宮道くん、日下部さんの三人?」
あれ、術者って自己紹介したっけ。
結菜の疑問を見抜いているのか、大友は苦笑した。
「日下部って言う苗字と宮道くんといるんだもの。術者としか思えないからね。さて、私もぼちぼち帰ろうかな」
「送って行こか?」
「そういう優しさは生徒さんだけにしておいて。それに私は強いし?」
「せやったな」
苦笑いで返した宮道と結菜と別れた大友はホテルから出て行った。少しだけ彼女の姿が揺らめいた気がしたが、何度か瞬きをするとすぐにその違和感もなくなった。
「忙しないやっちゃ。何したかったんかな」
ガシガシと頭を掻いた宮道は呆れた声で言った。じっとホテルの扉を見ていると、三善先生が戻ってきた。昼間と変わらないスーツ姿は少しだけ汗ばんでいた。本当に走ってきたんじゃないだろうか。
「日下部さん、もうすぐ消灯のお時間ですが、どうしましたか?」
「の、飲み物を買おうとして」
「それなら、そこに自販機がありますから、買って、早めにお部屋に戻った方が良いですよ」
丸眼鏡越しに見ても、三善先生は学校での先生バージョンのままだった。修学旅行の間は先生と教師という立場以外は出さないつもりなのかもしれない。
どこか距離を感じる話し方に結菜の心の中のモヤモヤがまた少しだけ膨らんだ。大友とあんなに親し気に呼び合う仲を見たからかもしれない。
「……わかりました」
少しだけそっけない言い方になったが、先生たちに頭を下げて、結菜はその場を立ち去った。後ろで宮道先生が呼ぶ声がしたが、無視をした。このモヤモヤした気持ちをなんとか解消したい。コツコツと少し足音が大きく鳴った気がしたが、気にする余裕はない。
部屋に戻ると茉優がむくりと体を起こした。寝ていたようだったが、結菜が乱暴に扉を開けた音で起こしてしまったのかもしれない。
「ごめん、起こしちゃったね」
「……いいけど、どうしたの?」
目を擦りながら茉優が結菜を見た。結菜は咄嗟に誤魔化すように微笑んだ。
「何が?」
「んー、なんというか嫉妬に塗れた女の顔になってる」
「え?」
そんな顔していただろうか。両手で顔をぐしゃっと揉んでみた。
「それよりどこに行ってたの?」
「飲み物を買いに」
「買ってきてないじゃん」
自分の手を見てもペットボトルを持っていなかった。ぐちゃぐちゃした気持ちを抱えたままだったせいか、自販機に寄ることを頭から追い出してしまったのかもしれない。
「飲みたいものがなかっただけ」
「ふーん? 結菜がそんな顔することがあったから?」
「そんな顔って」
「結菜って、いつもニコニコしているじゃん。あんまり気持ちを前面に出したような顔ってしないから、新鮮だなって。これぞ、修学旅行効果ってやつ?」
「まさか」
ははっと乾いた笑いで、その場をごまかして、結菜は窓際のベッドにごろりと横になった。
「私、お風呂入ってきちゃうね」
茉優の気遣いにも似た言葉に甘えて、結菜は手を軽く振って応えるだけにした。その手のひらをじっと見ながら、大きなため息を漏らした。
見回りの時間に来たのは、宮道先生だったが、こちらもいつも通りの様子で確認を終えると、さっさと別の部屋に行ってしまった。
モヤモヤだけが残ったが、茉優と明日の班行動の話をしていると、それもすぐにどこかに消えていった。



