目を覚ますと、宿泊しているベッドの上で横になっていた。重い頭に思わず眉間に皺を寄せながら、起き上がると、隣では茉優が規則正しく寝息を立てていた。結菜はなんで自分が私服のままベッドで寝ていたかもわからず、ベッドから降りた。カーテンの向こうが眩しい。どのくらい寝ていたのか、ソファの前にあるテーブルに置きっぱなしになっていたスマホを手に取って、時間を確認した。朝食の時間まで、身支度をのんびりしている暇はないような時間だった。

 カーテンの隙間から入り込む日射しに誘われ、ゆっくりとカーテンを開けると、外は雲一つない快晴だった。なんだか、妙にほっとして結菜は体を伸ばした。

「茉優、そろそろ朝ご飯に行くよ」

 寝ている茉優をゆすり起こすと、抵抗するかのように茉優は布団にもぐった。肩を竦めてから、結菜は自分の汗臭さに気づいた。べたついた感じからすると、昨日はよほど疲れていたからか、そのまま眠ってしまったのかもしれない。
 着替えを抱えて、風呂場に入った。寝癖が気になったので、いつも通りに鏡を見ると、何故か鏡に映った自分が涙をこぼしていた。

「どうして」

 溢れ出て来る涙と嗚咽を堪えるように、結菜は鏡の前で座り込んだ。どのくらい鳴いていたのかわからないが、少しだけ落ち着くと、鋭い頭痛が頭の中を走った。片手で頭を抑えながら、シャワーを済ませて、着替える。風呂場を出てくるころにはその頭痛も気にならなくなったので、寝不足と泣いたせいだと、自分の中で結論付けた。

「結菜、起きてたの?」

 茉優も着替え終わったようで、朝食券をテレビ台のところで探していた。

「うん。なんか、汗かいてて」
「部屋暑かった?」
「どうだろ? でも、シャワー浴びてさっぱりしちゃった」

 朝食券を見つけた茉優が結菜を不思議そうに見た。

「何かついてる?」
「なんか、泣いてた?」
「え?」
「目、赤いよ」
「嘘っ」
「ホント。大丈夫? 今日最終日だけど」

 茉優に指摘されて、結菜は慌てて目を擦った。目が赤くなるほど泣いたのは、いつぶりだったのかわからないが、ひどく恥ずかしい。

「だ、大丈夫、大丈夫。ほら、朝ご飯、行こうよ」
「無理しないでよね」
「わかってるって」

 貴重品を持って、部屋を出るとちょうど三善先生と宮道先生が並んでエレベーターホールに向かうところに遭遇した。

「おはようさん」

 眠気を噛み殺しながら、挨拶をしてくる宮道先生の姿は新鮮に映った。
 何故だか心の奥をギュッと握りしめられたように、宮道先生に何とも言えない恐怖が湧き上がってきた。いつもの先生と変わりがないのに、どうして。

「結菜ちゃん、どないしたん?」

 無意識に一歩後ろに下がった結菜を見て、宮道先生が首を傾げた。

「え? いえ、大丈夫です」
「なんや、昨日夜更かしでもしたん? 修学旅行で楽しいのわかるけど、睡眠は大事やで」
「そ、そうですね」

 じっと見てくる宮道先生の目が怖くて、結菜は目を反らした。

「ま、最終日やし、あんまり無理せんと」
「は、はい。わかりました」

 まだ見られている気がする。今、目を合わせたら、何かを失くしそうで怖い。結菜が顔を上げることができずにいると、三善先生が宮道先生を呼んだ。

「朝食会場はいつもと変わらないんですよね、宮道先生?」
「せやで。それにしても、朝からお腹空いたわ」

 妙な圧がなくなり、結菜はちらりと三善先生を見る。
 三善先生も疲れているようで、目の下にうっすらとクマができていた。眠そうな横顔は珍しい。教師というのは、修学旅行でさえも忙しいのかもしれない。

「どうしましたか、日下部さん?」
「え?」

 まずい。顔を見すぎたのかもしれない。珍しいもの見たさに凝視していたのがバレたのか。

「お疲れのようですが、大丈夫ですか?」

 気遣ってくれる声は優しく、落ち着きのあるモノだった。

「ちょっと、まだ眠くて」
「移動中のバスの中で少し休まれてはいかがでしょうか?」
「そうします」
「それと、朝ご飯はしっかり食べておいた方が良いですね」
「せや、今日は大学巡りやなぁ。しっかり、見学しいや」

 結菜と三善先生の話に割り込むように、宮道先生が言葉を挟んできた。振り返るとニコニコした表情で楽しげに言った。さっきの妙な圧は何だったのか。気のせいかもしれない。いつもと同じ人当たりが良さそうな宮道先生の顔を見て、結菜はほっと胸を撫でおろした。

「宮道先生が案内してくれるんですか」

 やや食い気味に茉優が宮道先生と会話をし始めたので、手持無沙汰になった結菜は三善先生をちらっと見る。結菜の視線が気になったのか、三善先生も結菜を見るが、その顔が少しだけ険しいものになった。

「三善先生?」
「日下部さん、あの」
「ほらほら、お二人さん、エレベーターきはってるで」

 宮道先生の招き声に遮られ、三善先生は軽くため息を吐いた。他の宿泊客とも一緒に乗ったせいか、狭い。押しつぶされないように、注意をしているとふと誰かが結菜の耳元で名前を呼んだ。

「柊をお願いね」

 その声の主は、最近会ったはずなのに、誰なのかわからなかった。寝不足のせいで、幻聴を聞いたのかもしれない。
 レストランがあるフロアに辿り着くと、結菜は茉優と共にエレベーターを降りた。もう一度名前を呼ばれたような気がして振り返ったが、そこには誰もいなかった。

「結菜、行くよ?」
「今行く」

 茉優のところに慌てて駆け寄り、結菜は朝食会場に向かった。

「そういえば、結菜は進路決めた?」
「え?」
「だって、この後大学見学じゃん。観光が楽しすぎて、目的忘れそうだから」
「んー、そうだなぁ」

 ビュッフェ形式のモーニングに目新しさを感じながら、パンやベーコンなどを皿に盛り付けた。

「なんだか、かっこいい大人の女の人になりたいって、思った」
「キャリアウーマン的な?」
「とは違うんだけど。なんとなく、憧れのような感じかな」
「ええやん、ええやん。将来の話」
「宮道先生?」

 先生の手元のお皿にはおかずが山盛りに盛られていた。朝からよく食べる人だなと思いながら、後ろでよそっている三善先生のお皿も同じだった。

「みんなには、この後の大学見学で、どんな学部に行きたいかも考えて欲しいんや」
「学部って言っても、やりたいことなかなか見つかんないですし」

 茉優があからさまに愚痴っぽく言うと、宮道先生はクスッと笑った。

「そやねぇ。それこそ、日下部さんが言うたような憧れに近づけられそうなところでも、ええと思うで」
「憧れ……?」

 結菜はちらりと三善先生を見た。
 確かに、素は強面そのものだし、近寄ろうとも思わない。
 だけど、術者として稽古をつけてくれている時や、先生と術者との二足の草鞋生活にも手を抜いていないような様子を見ていると、無茶だし、大変だと思うけど、心のどこかで少しだけ憧れている気持ちもあるのは間違いなかった。

「憧れか。なんだろう。結菜は、何かある?」
「え?」

 はっと我に返って、結菜は慌てて茉優を見た。訝し気に結菜をじっと見ていた茉優が口を開く。

「何、その顔。恋する乙女みたいな顔して」
「そんな顔、してないって」
「オレも見てたで。誰を思ってるんか、めっちゃ気になるやん」
「宮道先生、そこはクラスメイトである私が聞き出しておくので」
「任せたで、茉優ちゃん」

 どうやら、修学旅行の最終日だというのに、目的である大学見学のことをそっちのけで、違う話になるのかもしれない。
 結菜はそんなことを覚悟しながら、茉優たちと共に修学旅行最終日を楽しもうと考えていた。