三善先生のヒミツにご注意を【3】

「何を」

 言っているんですか、と続けたかったのに、言葉が喉の奥に引っ掛かった。首からぶら下げていたペンダントを開いて、懐かしそうな目でペンダントの中にある写真を大友は見ていた。

「あなた、まだ若いし、わかんないと思うけど」

 いったん言葉を切った大友はそっと写真を撫でた。

「最愛の人が死んだ時って、その現実を受け止めたくないのよ」

 何を言いたいんだろう、彼女は。
 でも、考えている暇はない。なんとか、この人を止めないともっと最悪なことが起きる。結菜は結界を張るべく、いつも通り手を形作った。震える右手を左手で支えるようにして、大友に指先を向ける。

「ふふっ、そっくりね、柊と」
「え?」
「狙いはきちんと定めてね。ちょっと間違えると、後ろに影響するかもしれないし。それに、私を倒せば全てを解決するから」

 大友の後ろには暗雲が立ち込めたままだ。その先の結界の外には、妖が今か今か待っているに違いない。
 でも、倒せば全てが解決するって、どういう意味かまではわからなかった。
 困惑している結菜を見て、とんっ、と自分の額を指しながら、大友は口元を綻ばせた。

「狙うなら、頭よ。ここがないと術者って術も発動することができないんだから」

 命の覚悟なら、とうの昔にしていると言わんばかりの振舞に結菜の体が震えだした。人の命を奪わないと、この状況を解決することができないなんて、思いたくない。

 きっと、何か方法があるはず。

「何を言っているんですか」

 結菜は精いっぱいの見栄を張って笑って見せた。口元がひきつっているのに違いない。でも、今だけは強く見せておきたい。

「だって、これ以上私を野放しにしておけば、間違いなく百鬼夜行は起きる。その時、京都にまともな戦闘員は柊と宮道とあなた。とてもじゃないけど、京都の一つくらいは無くなる。そのくらい、わかるんじゃない?」

 簡単な問題よ、と付け足されたような大友の言い方に、結菜はさっと自分の手をひっこめた。三善先生と清水寺近くで談笑していた時の顔がちらついて離れない。あの時、きっと三善先生も、いつもと違った、穏やかで楽しそうな顔をしていた。それをもう一度できる機会を奪いたくない。

「あら、意外と小心者さんなのかしら?」

 煽られる言い方に動揺しないわけではないが、結菜は自分がどうしたら良いのかわからないでいた。震える右手を隠すように左手で覆う。

 それでも、今自分にできることを。

 一度ぐっと唇をかみしめてから、結菜は震える口を開いた。

「……どうして、こんなことを」
「言ったでしょ。全ては最愛の人のため」
「でも、ここまでする必要があったんですか?」
「……少なくても、私にとってはする必要があったの。あの人がいなければ、私は死んでいるのも同然なの」
「そんなこと、ないですよ。こんなことしても、大友さんの大切な人は絶対に喜ばないですよ」
「安っぽいセリフね。何かの受け売り?」

 小馬鹿にしたような大友の言い方に、結菜は彼女に届く言葉がないことに今更ながら気づいた。出会って僅か数日、いや数時間もない程度の知り合いに止めることなどできないのだと。

「彼が喜ぶかどうかじゃないの、私が彼に逢いたいだけなのよ」
「でも、百鬼夜行でその人が生き返ることなんて」
「できるのよ。それが、彼との契約だから」
「契約……?」

 亡くなった人を生き返らせる方法は、科学が発展した今だって、ない。それができるとしたら、詐欺で騙されているか、あるいは悪魔のような契約を誰かとしたことになる。

 でも、それって、一体誰と。

「あれー? 聞いてないの?」
 間延びした声がした方を見ると、夜叉丸が棒付き飴を舐めながら、柱の影からひょこっと顔を出した。いたずらを聞いていた悪ガキの顔とよく似た表情で、目を細めて結菜を見てきた。

「……どうして」

 最悪な状況が、より最悪になった。
 大友一人でも止めることができるかどうかの瀬戸際なのに、ここに来て夜叉丸が現れては結菜にはどうしようもできない。

「そんなに驚くことなの? それとも、ボクのこと忘れてたとか?」
「夜叉丸、あなたに言われた通りにしたから、願いを叶えて」

 次々に驚かされるばかりだ。
 なんで夜叉丸が出てきたのかもわからないし。
 なんで夜叉丸と大友が知り合いなのかもわからない。
 数的には圧倒的に不利だ。なにより、結菜の実力じゃ、叶うはずもない。
 逃げなきゃ。
 だけど、逃げ場がない。

 結菜が逃げる道がないかを探そうとした時、後ろから誰かの足音が聞こえた。これ以上敵陣に何かが増えようものなら、それこそ逃げ道がなくなる。恐る恐る振り返ると、宮道先生が片頬をあげて微笑みながら、手を振っていた。二基目のエレベーターの扉が開いているところを見ると、三善先生に話を聞いて追いかけてきてくれたのかもしれない。

「あららー、お二人さん、仲良しやんなぁ」
「三善の腰巾着がいたのか」
「腰巾着とは失礼な言い方やな。それとも、その軽い頭じゃオレの名前を覚えられないとかなんか?」

 結菜をそっと自分の背中に隠すように宮道先生が立ってくれた。あちこち走り回ったのか、シャツが汗ばんで背中に張り付いていた。その広い背中を見て、結菜は少しだけ安堵した。

 ぱんぱんっと柏手を大きく打つような音が聞こえると、夜叉丸の生あくびが聞こえてきた。

「まぁいいか。大友七海さん、残念だけど、願いは叶えられないよ」
「なんでっ」

 悲鳴に近い声で鋭く大友は夜叉丸を問い質した。

「ボク、言ったでしょう。誰にも気づかれないようにって。最後の最後に、詰めが甘かったよねぇ」
「ここまでは誰にもっ」
「そーいうことだから、じゃーね」

 追いすがる大友を無視して、夜叉丸は棒付き飴を振りながら、踵を返すと一瞬で姿をくらました。
 夜叉丸に手を伸ばしていた大友を見て、宮道先生は彼女に声をかけた。

「……どういうことか、話してくれるんよな?」
「ごめんね、もう、私、だめだったみたい」

 いつの間にか握りしめていた巻物を大友は掲げて見せてきた。古びた巻物は遠目から見ても、所々虫に食われている。黒い紐できつく閉じられた巻物からは何とも言えない圧力がにじみ出てきている。

「これ、わかるでしょ?」

 宮道先生の背中から少しだけ顔を出した結菜は、大友を見た。彼女からは涙が溢れ出ていた。

「これ以上は庇うことができへんくなる、やめようや」

 優しい声をかける宮道先生の言葉に大友はそっと首を横に振った。

「もう一線を越えちゃったから、無理じゃない?」
「やめ」

 宮道先生が駆け出すのと、大友が巻物を閉じていた紐をほどこうとしたのは同時だった。結菜も止めようと自然と駆け出していた。あの巻物が広がれば、百鬼夜行をここに呼び寄せることになると頭で無理やり理解させられていた。

 彼女の手を止めようと手を伸ばすが、距離がありすぎる。
 間に合わないっ。