見送りの翌日は、朝から白かった。白さは柔らかくはならず、粉を吹いた石の表面みたいに乾いて、触れれば指の腹にざらりが移る種類の白だった。祖父は早く起き、道場の窓の黒紙を「紙一枚」と言って親指で押さえた。糊の目は昨夜より粗くなっており、親指の皮膚に小さな粒のような記憶を残す。祖母は竈の火を極端に小さくし、湯気を一度だけ回して、二度目はやらなかった。湯気は天井の手前でほどけ、家の梁に触れずに消える。鳴らない音だけが、梁の上に薄く積もっていく。

 路地では、郵便配達の自転車のベルが乾いていた。音は短く、立ち上がりが早くて、すぐ柱の影に隠れる。鈴の一本鳴りではない。そのかわりに、金属が日に灼けた匂いが空気に混じり、土の粉と一緒になって肺の奥にさらさらと落ちた。門の戸の金具は朝から熱を持ち、触ると皮の薄いところに夏の形が押しつく。祖父は柱に掌を当て、祖母は布の角を直し、静は瓶を三つ、窓辺に寄せた。火の手前、無風、風。順番は変えない。変えないことで守られるものがある。守られるものがあるうちは、名を呼ばずに済む。

 ベルが二度、短く鳴って、途切れ、そのあとで一拍の空白が落ちた。空白が落ちると、家の中の影がすこしだけ濃くなる。祖母は前掛けの裾を指で押さえ、祖父は窓の黒紙の縁をもう一度、親指で押さえた。押しすぎない。押し足りないとも言えない、間の力加減で。静は玄関へ出て、門を開ける。

 郵便の男は、白い封筒の角を丁寧に揃えた指で持っていた。角は丸い。紙はざらりとして、昨日の紙と同じ手触りだ。違うのは、掌の汗の温度だけ。昨日の駅の白い粉がまだ指のすき間に残っているせいか、触れただけで紙が体温を吸い上げていく。赤い押印は、光らない赤。光らない赤は、目の裏に刺さる。見慣れていないはずなのに、見慣れたみたいな場所に刺さって、動かない。

 祖母は封を切らなかった。祖父は見なかった。静が受け取る。紙が、体の中のどのへんに重さを置けと言っているのかが分かる。胸のまんなかではない。もうすこし下、鳩尾の少し左だ。そこへ置けば、立っていられる。置き場所を間違えれば、膝が抜ける。置く所作は、竹刀の先を一寸引くのと似ている。引いた一寸の手前で息を止める。怪我をさせない距離を守る。紙の手前で、礼をする。

 家の内側は静かだった。靴の音をやめれば、音は梁の上の“出ない層”だけになる。祖母は竈のほうを向いたまま、湯を足す。湯気は一度だけ回る。二度目は、回らない。回してしまえば、今日は何かが崩れる。崩れる前に、やめる拍を置く。祖母の背中が、そう言っていた。

 静は、紙を持ったまま道場へ向かった。戸を開ける音が、いつもより軽い。軽いことが、怖い。軽い音は、簡単に遠くまで飛んでしまう。飛んでいった音は、どこかで名になって戻ってくる。戻ってこないように、静は戸を半ばで止め、足の裏で敷居を確かめた。敷板の木目が、足の肉に正しい位置を教える。正しい位置で止める。止めてから、入る。

 布を広げる。祖母の紺は、今日に限って水の底の色に見えた。布の上に、面、小手、胴、垂をひとつずつ置いていく。置くたびに、道場の空気に微かな起伏が生まれる。起伏は、遠い日の拍の形をしている。面の内側の布には、塩が層になって眠っている。誰かの汗、矢野の汗、昔の稽古の汗。それらが同じ塩の結晶になり、灯にあたって同じ白さで光る。小手の手の内は、楽器の指板のように艶があり、触れると指の腹にわずかな油が移る。胴の縁は、受け止めてきた打ちをほとんど覚えておらず、ただ軽く、静かにいる。垂の角は、指の力で形を取り戻す。取り戻し方を体が覚えている。

 礼をする。いつもより深く。深い礼は、床の冷たさを額へ運ぶ。額の骨が床板を押し返し、床板が、押し返してくる骨の形を少しだけ受け入れる。そこにいるのは、誰でもない。誰もいないことに向けて礼をする。礼は、不在に向けてこそ形になる。形を持った不在は、家を壊さない。

 静は面紐に指をかけ、固く結んだ。結ぶとき、指が震える。震えは止めない。止めれば、別の場所で大きくなる。震えの分だけ、結び目は生き物になる。生き物になった結びは、固いのに、どこかで呼吸をしている。その呼吸のぶんだけ、折れにくい。結び終えて、すぐにほどく。ほどいた紐を掌に包み、額に当てる。祈りではない。記録だ。皮の匂い、塩のざらり、汗の古層。額の骨はそれらを受け取り、何も言わずに内側へ運ぶ。

 瓶を取り出し、ラベルに鉛筆で小さく記す。《矢野の紐( )》。括弧は空にしておく。空だから、風が通る。名を先に置けば、風は躊躇して、瓶の口で止まってしまう。止まった風は、瓶を割る。割らないためには、括弧を空けておくほかない。空の括弧の中へ、風は勝手に入って、勝手に出ていく。

 面を布へ戻し、静は道場を出た。戸は半分だけ閉める。半分の闇が、中のものを守る。守られるものがあるうちは、外の光は紙一枚で充分だ。家へ戻ると、祖母は竈の前で湯を静かに足し、静を見ないまま声を置いた。
 「開けなさい」

 静はうなずいた。うなずきに音はない。音がないのに、家の中へ届く。静は座敷に座り、白い封筒の角を整っていない手付きで一度撫で、赤い押印の平たさを爪の背で確かめ、封を切った。紙は中からさらに白い紙を取り出す準備をしており、その軽さが喉の奥を乾かす。乾いたところへ、文字が入る。入った文字は、音まで運ばない。音のない文字は、骨のほうへ沈む。

 祖父は見ない。祖母も見ない。静が見る。見ることは、拾うことだ。拾ったものは、責任になる。責任を持つ指は、ざらりを受け止める用意がある。用意を終えた指は、瓶の口を探す。探して、置く。置く場所があれば、文字は刃にならない。刃にならない文字は、家を傷つけない。

 「行っておいで」

 祖母は湯気を回さずに言った。湯気は一度きり。二度目はない。「行く」の反対語は「戻る」ではない、と祖母は知っている。言葉の反対語は、いつも別の言葉だ。戻ると書けば、出ていった時刻が固定される。固定は、刃物だ。刃物は音を持たない。祖母はその無音の刃から家を遠ざけるために、語を抑えた。

 静はうなずいた。うなずきは短い。短いぶん、長く残る。祖父は窓の黒紙の縁に親指を置き、「紙一枚」と言ってから、柱に掌を当てた。その掌は、鳴らない音を聴くことに長けている。聴きながら、押し付けすぎない力で、家の拍を整える。家の拍が整えば、人の拍も整う。拍が整っていれば、火は延びない。延びないうちに、支度をする。

 静はひとり、庭で靴を履き、外へ出た。路地の白さは、昨日よりさらに乾いている。乾いた白を踏むと、靴の縁に粉がたまる。その粉を落とす仕草だけで、時間が一歩分、進む。隣の家の窓の黒紙は、紙一枚。郵便の男はもう通り過ぎており、ベルの乾きだけが、白い朝のどこかに薄く残っている。

 堤防の上を歩く。風は名乗らない。名乗らない風が、昨日の旗の繊維の残骸を転がしていく。駅のホームの端には、まだ白い糸くずがいくつか落ちている。空気に引っかかり、靴の裏に貼りつき、またすぐ剝がれる。剝がれるときの音は、耳に入らない。入らない音だけが、胸のなかの瓶の口で鳴る。鳴らない音が鳴っている。矛盾の形が、体の中でやっと一致する。

 駅へは行かない。行けば、昨日の朝と同じ風が待っている。待っている風は、名を呼ばない。呼ばない風のなかで、名前のない影が行き交う。静は道を変え、線路沿いの小さな社へ寄る。賽銭箱の上に、薄い蜘蛛の糸が一本渡っている。触れない。触れれば、名が生まれる。名が生まれれば、確定が来る。確定は刃物だ。刃物は音を持たない。

 家に戻った静は、祖母の前で赤紙を畳の上に置いた。置くと、畳がそれを受け入れる。受け入れながら、畳は何も言わない。祖母は湯を足す。「行っておいで」ともう一度だけ言い、湯気を一度だけ回した。二度目はない。湯気の白が、戸口へ向かう静の背中に薄く触れ、そのまま消えた。

 出征の日は、静かに来た。早く、同時に遅く。時間が足を持ち、家の縁を一寸だけ出るたびに、体が軽くなったり重くなったりした。軽くなると、怖い。怖くなると、瓶の口を探す。瓶の口は、家に置いていく。置いていくために、静は自分の足音を意識して軽くした。軽い足音は、家の床板に深い跡を残さない。跡が浅ければ、帰ってきたとき、その上にまた足を置ける。置く練習だけを、今はする。

 道場に戻って、最後の礼をする。礼の角度はいつもより深い。額の骨が床を押し、床が額を押し返す。押し合いが短く終わる。終わる位置を、体が先に知っている。知っているのは、訓練のせいか、恐れのせいか。どちらでもいい。終わりの拍を先に置けるうちは、延焼しない。

 面、小手、胴、垂。矢野の道具に指を置いていく。面の頬の布は、静の指の温度ですぐに柔らかくなる。小手の手の内の皮は、親指の腹に古い油を少し移し、指に小さな楽器のような気配を残す。胴は軽く、垂の角は今日も正しい場所で止まる。止まるものがあるうちは、出発はまだ準備の顔をしている。

 静は、面紐をもう一度、結んだ。結んで、指で引く。ほどく。結ぶ。ほどく。短い音楽が、道場に鳴らずに流れる。流れた音は梁へ行って、層を一枚増やす。祖父が戸口の影で目を閉じた。目を閉じることでしか見えないものが、この家にはある。

 瓶のラベルの《矢野の紐( )》の括弧は、そのままだ。鉛筆の芯の粉が、括弧の内側で薄く光る。光るものには名がつきやすい。つきやすいところを空けておくのが、今夜までの家の礼だ。空けておけば、風は通る。風が通れば、匂いは瓶の口に薄く残る。残った匂いは、音を持たないまま、長くいる。

 祖父が言った。「窓は紙一枚、竹の先は一寸」
 祖母は布の角を直し、一度だけ湯気を回した。
 静は道場を出る。戸を半分だけ閉める。半分の闇が、半分の光を支える。支えられた光の中で、道場の床の木目は今日いちばん濃く見えた。

 駅への道は、昨日と同じだった。違うのは、静の足の内側の重さだけ。重さは、鳩尾の左から少しずつ足の甲へ降りていき、甲の薄い骨の上で正座する。正座した重さは、驚くほど行儀がいい。騒がない。騒がれない。静かに、そこに居る。

 ホームは旗の色を失い、紙の繊維の残骸だけが風に転がっていた。昨日の声の残り滓はなく、駅員の短い声と、鉄の匂いだけが新しくなる。列車は、昨日ほどの笑いを持たない。代わりに、口元に力のない線が一本ずつ増えた。静は列車の窓を見なかった。見れば、名が生まれる。名が生まれれば、確定が来る。

 乗り込む前に、ホームの端で一歩だけ立ち止まる。立ち止まったところの板には、古い釘の赤錆が薄く残り、木目が汗のように濡れている。濡れているように見えるだけで、乾いている。乾きのほうが先に来る。乾きの上に湿りが置かれるのだ、と静は知る。置き方次第で、湿りは刃にも、膜にもなる。膜にするほうを選ぶ。

 列車のステップに足を置く。鉄の冷たさが靴底を通って、ふくらはぎに薄く上がり、腰のほうへ抜ける。静は振り返らない。振り返れば、名前に捕まる。捕まれば、歩幅が変わる。歩幅が変われば、拍がずれる。拍がずれれば、火が寄ってくる。火は、寄せない。

 座席に腰を下ろすと、窓の外で紙の小旗が一本だけ、不自然な角度を保っていた。棒の先のささくれが、誰の指の腹にも刺さらないままで、陽に透ける。昨日、誰かの靴に踏まれた白い繊維が、ホームの端から端へ転がり、最後にはレールの影で止まった。風がそれを、また転がす。転がされるもののひとつとして、自分も今ここにいる。転がされることを、礼として引き受ける。引き受ける姿勢に、名前はいらない。礼だけがあれば、充分だ。

 汽笛の音は、昨日より低かった。低い音は、空を裂かない。そのかわり、体の中心に鈍く届く。鈍さは長く残る。長く残る音の上に、静は呼ばない名を一つずつ置いた。置いて、蓋をしない。蓋をしないで、窓の外の白を見た。白は硬く、粉っぽく、駅舎の影に沿ってゆっくり崩れていく。崩れる白は、音を持たない。音のない崩れだけが、長い。

 発車。薄い揺れが続き、町の屋根の黒紙が一枚ずつ後ろへ滑っていく。どの窓も、紙一枚。紙の向こうに家族がいて、湯気が一度だけ回り、祖父が柱に掌を当て、瓶が窓辺で口を半指ぶん傾けている。どの家にも、鳴らない音の層がある。層は薄く、増えるたびに軽くなり、軽くなるほど、人の指が要る。静は自分の指の腹に、そのざらりを確かに感じた。

 列車の連結部の骨みたいな音が規則を作り、その上で心臓が拍を拾う。拾いながら、静は矢野の道具の並びを思い出す。面、小手、胴、垂。面紐は結んで、ほどいた。ほどいた紐を額に当てた。祈りではない。記録だ。瓶のラベルの括弧は空だ。空の括弧は、風を通す。風は匂いを運び、匂いは音にならないまま、体のどこかで長く居る。居るものに、名は要らない。名を与えないまま、居続けるものだけが、帰り道を覚えている。

 向かいの座席で、同じ年頃の少年が帽子を膝に置いている。膝に置く所作が下手で、帽子は何度も少しずつずれて、最後には少年の足と足の間に、きちんと落ち着いた。落ち着いた瞬間、彼ははじめて息を吐いた。吐いた息は、静の喉の布にも触れた。布の角が、その触れ方のぶんだけ、また一枚、丸くなる。丸くなった角は、刺さらない。刺さらない声だけが、今は必要だ。

 窓の外で、堤防の海が一瞬だけ見えた。波が岸を叩き、すぐ引く。叩く音を、静はまた波の音に変換した。変換する癖が、今は救いだ。波は誰の名も呼ばない。呼ばないのに、毎回、岸へ来る。来て、戻る。戻ることの反対語は、行く、ではない。行くの反対語は、ここに居る。居ることの反対は、名を呼ぶことだ。名を呼べば、場所が変わる。変わった場所に、拍は合わない。合わない拍は、火を呼ぶ。

 列車が速度を上げ、町が小さくなり、紙の一枚一枚がただの白い矩形に変わっていく。矩形になる前に、静は目を閉じた。目を閉じて、竹刀の先を、一寸、引いた。見えない先を引く所作は、剣がなくてもできる。引いた一寸の手前に、火は来ない。来させない。その一寸の距離が、今の自分に残された唯一の技だ。

 ふと、祖母の布の角が目の前に現れた気がした。角は直されすぎず、直されなさすぎず、間の位置にある。間こそが、家の礼だ。礼は、時間の中でやめる位置を常に示してくれる。示してもらえるうちは、延焼しない。延焼しないうちに、静は眠りの手前まで行き、意識の端で瓶の口に小さな石の音——鳴らない音——を置いた。

 列車が次の駅に着くと、ホームの白は、ここでも粉っぽかった。紙の繊維の残骸が一つ、列車の風で軽く跳ねた。跳ねた繊維を、静は見送る。自分もまた、転がされるものの一つであることを、礼として受け入れる。受け入れる姿勢には名が要らない。名を与えずに、体だけが、拍に乗る。

 車内の天井の扇風機が、鳴らない音で回っている。回るための拍は、どこにも書かれていない。書かれていない拍だけが、長く持つ。長く持つ拍に、自分の呼吸を薄く合わせる。合わせすぎない。合わせすぎると零れる。半拍ずらして、置く。置いた呼吸の上で、静は再び目を閉じた。

 道場の梁の上の層が、遠く離れた今も薄く増えるのが分かる。祖父の親指のざらり、祖母の湯気の一度、瓶の口の半指の傾き、面紐の塩の白、垂の角の止まり、胴の軽さ、小手の艶、畳の冷たさ。全部が、鳴らない。鳴らないもののほうが、言葉よりはるかに長く持つ。長く持つものだけが、帰る場所の道順を覚えている。

 「行っておいで」

 祖母の声が、はるかなところから届く。届いた声には角がない。角がない声だけが、長旅の始まりに耐える。静は、その声の手前で、呼びたい名をひとつ、瓶の中へ隠した。隠した名は、ラベルの括弧のなかで風と一緒にいる。風は名を軽くする。軽くなれば、人の指で支えられる。支えられるものは、家に戻る。

 列車がまた動く。ホームが離れ、白い粉が遠ざかり、道の上で転がる繊維が見えなくなる。見えなくなっても、そこにある。あるものを、呼ばない。呼べるまで、呼ばない。呼ばないまま、静は額の内側に矢野の紐の塩をひと粒、そっと置いた。祈りではない。記録だ。記録は、帰り道の地図になる。地図はまだ白い。白いまま、風が通る。風が通るあいだに、静は自分の呼吸の角を丸くし続けた。

 夕方が近づくにつれ、空の白は薄い黄に移り、影は長くなる。影が長くなったぶんだけ、名の重さは軽く見える。軽く見えるだけだ。指で持てる重さに変えるのは、帰り道での仕事だ。帰り道があることを、誰も保証しない。保証がないぶん、括弧は空でいられる。空の括弧に、風がもう一度、入っていく。

 静は窓の外の色を見ないで、瓶の口の形を胸の中で作ってみた。口は丸く、縁は薄く、半指だけ傾けたまま、どこへもこぼれないでいる。こぼれないでいるものを見るのは、気が安らぐ。安らぐ気持ちに名前は要らない。名を与えないまま、静は列車の揺れの拍に、ほんの少しだけ膝を緩めた。

 そのとき、遠い町の駅のホームに、白い繊維がまたひとつ落ちたような気がした。見えもしないのに、音もないのに、確かに落ちた気がした。落ちたものは、拾わない。拾うと、名が生まれる。名が生まれれば、確定が来る。確定は——刃だ。刃は、音を持たない。音を持たないものに、礼で対抗する。礼は、角度ではない。距離だ。距離を一寸、引く。引いた手前に、火は来ない。来させない。
 それが今日の、もう一通の赤紙に対する、家のやり方だった。
 静は、誰の名も呼ばないまま、列車の中で目を閉じ、瓶のラベルの括弧の空に、風の細い道が伸びていくのを、長く、静かに、聴いていた。