朝が白かった。白く固く、触れれば粉のように崩れて指に残りそうな、乾いた白だった。駅へ向かう道の土は夜露を惜しむことなく手放し、足の裏を上がる粉っぽさは、家の中の畳にさえ移っていく。蝉は鳴いている。鳴いているのに、音だけが秋へ寄っている。祖父は道場の窓の黒紙の縁を「紙一枚」と呟きながら親指で押さえ、祖母は湯気を一度だけ回して火を絞った。湯気の白は細く、いつもより高い場所で消える。静は瓶を三つ、窓辺に寄せる。火の手前、無風、風。順番は昨夜と同じ。変えないことだけが守りになる朝がある。

 門を出る時、祖母は何も言わなかった。言わないことが、言葉より早く届く日がある。祖父は柱に掌を当て、梁の上の“出ない音”の層を眠らせるように目を閉じた。静の喉には、布切れが入っている。昨夜より硬い。布は裂ける種類の質感になっていて、裂けば血が出るだろうという確信だけが喉の奥を冷やしている。布はそこに置いていく。置いたまま駅へ行く。置いたまま、歩く。

 駅前の空は、もう旗で満ちていた。紙の小旗は乾燥して軽く、振る手の軽率さをうまく隠している。軽さは良いことのふりをする。ふりをしているあいだに列は整い、声は太くなり、拍手はばらけて、白い紙片が空気のなかで踊る。駅舎の軒は煤け、煙突からの煙はまだ灰色だ。列車はホームの端に顔を出し、窓は開け放たれ、同じ笑顔がいくつも繰り返される。繰り返される笑いは、写真に似ている。写真ほど固くないけれど、息の出入りが少ない笑いだ。

 矢野は帽子を浅くかぶり、口元に一本の線を引いて立っていた。線は言葉を拒む柵のようで、そこにぶら下がる言葉を何本も拒絶し続ける。拒絶は、優しさの形をしている。母は涙を見せないかわりに、指先を袖の内側へ深く入れ、爪の跡を自分の皮膚につけている。人は自分の中に痕をつけることで、外の痛みを遅らせることができる。父は酒の匂いを飴で消し、飴の甘さで言葉の角を丸めていた。飴の包み紙の薄い音が、万歳の隙間に紛れ込む。

 学校の友人たちは「ばんざい」を重ねる。声は太い。太いほど薄く、薄いほど遠くへ飛ぶ。飛んでいく声は、誰かの背を押す形で空へ伸び、戻ってこない。静は声を出さない。出さないことで、怪我をさせない。喉の奥に置いた布切れが、角のある言葉を包んでしまう。包まなければ裂ける。裂ければ、血が出る。血の匂いは、旗の紙には似合わない。似合わないものを人は避け、避けることで儀式を守る。

 「万——」

 誰かの声が始まる。静の耳は、それを波の音に変換してしまう癖を持っている。海に向かう堤防で何度も聴いた音の形へ、言葉が自動的に変わっていく。海の波は誰の名も呼ばない。呼ばないのに、誰の足にも触れる。触れる力が、今の自分にだけ優しくないことを静は知っている。だから、音を波へ変える。波は痛いとき、少しだけやわらぐ。

 矢野は列の前へ進み、列車のステップへ一歩、乗った。鉄の段は薄く冷え、靴底の音をかすかに吸い込む。矢野は帽子の庇に指を触れ、浅くかぶり直す。口元の線はそのままだ。視線は動かない。動かない視線は、遠くへ行って、誰かの肩の角度を正す。

 「歳——」

 駅全体の声が揃い、旗の布が一斉にそよぐ。そよぎは揃わない。揃わないそよぎが、むしろ現実に近い。揃ってしまうと、儀式は嘘になる。嘘が要る日もある。けれど、今は揃わないほうが呼吸できる。

 静は一歩下がって、ホームの縁に近い小さな柱の影へ体を寄せる。影は涼しい。涼しさは、喉の布切れに効く。布の角が一枚、少しだけ丸くなる。丸くなった角は、刺さらない。刺さらないで、留まる。留まっている間に、列車の窓がいくつも開き、笑顔が繰り返される。帽子、袖、白い歯の面。若い笑いは、どれも似ている。

 矢野はステップの上から、たった一秒だけ静を見る。視線は呼ばない。呼ばないのに重い。重さは、肩ではなく骨に来る。骨は長く持つ。長く持つものだけが、約束に耐える。静はその重さを受ける。それ以外にできることはない。受けた重さが、明日の朝に瓶の口で鳴らない音になるだろう。鳴らない音の層が、梁の上で薄く増える。薄いほど、長い。

 汽笛が鳴った。音は太く、空を引き裂く形で伸び、ホームの屋根の鉄骨を一瞬震わせる。震えた鉄は短く鳴ってやみ、煙が動き出す。旗がさらに揺れる。声は自然に大きくなる。大きい声は、角が丸くならない。丸くならない角は、誰かの肺へ刺さっていく。その誰かに、自分は含まれている。だから静は出さない。出さないで、波を聴く。海の波は、今日に限って駅のほうへ来てくれる。来てくれていることにして、静は立っている。

 列車が動いた。ゆっくりと、最初は自分の重さを確かめるように、次に軽く肩を揺らして、それから真っすぐに。鉄と鉄がこすれる音。車輪の接地が作る規則のようなもの。ホームの板は古く、どの板にも簡単な歴史が刻まれている。板は何も言わない。言わないことが、板の仕事だ。白い紙の旗が空を削り、旗の棒の先の小さなささくれが指の腹に刺さっても、誰も顔をゆがめない。ゆがめないことが、今日の礼だ。

 列車の最後尾が通り過ぎ、汽笛の余韻だけが残る。余韻は、駅舎の奥の暗がりに吸い込まれて見えなくなり、代わりに風が現れる。風は名乗らない。名乗らない風が、ホームの埃を薄く巻き上げ、紙の小旗を一つ、地面へ落とす。落ちた旗は、誰かの靴に踏まれ、白い繊維がほどける。ほどけた繊維は毛羽立ち、陽に透け、糸の一本一本が空気の中の小さな道のように見える。道は、見えるのに、どこへも続かない。

 静は拾わない。拾うと、名が生まれる。名が生まれると、確定が来る。確定は刃物だ。刃物は音を持たず、いつも先に体の中へ入ってしまう。拾わないまま、柱の影に残った自分の足跡を一つ、靴の先で消す。消えた跡は、あっけないくらい簡単に見えなくなる。

 駅前のざわめきは緩やかにほどけていく。飴の包み紙はもう鳴らず、旗の棒は脇に差され、袖の内側の爪の跡は見えないままだ。笑いは語尾をなくし、話し声はいつもより背中のほうへ向かっている。背中へ向かう声は、やさしい。やさしい声は、長く持つことができる。静はその長さに救われる。そのやさしさのなかで、息を長く吐く。吐いた息が、喉の布に当たって少し湿り、布の角がまた一枚、丸くなる。丸くなった角は刺さらない。刺さらないから、もう少し歩ける。

 帰り道、堤防の上で海を見た。波は変わらず、昨日と同じ拍で岸へ来て、同じ拍で戻っていく。同じなのに、違う。違うのに、同じ。見分けられない二つの感覚が、胸の内側でぶつからず、並んで沈む。誰もいない堤の上では、旗は一本もない。白い紙片の代わりに、海鳥の羽が一本落ちていた。拾わない。拾えば、名が生まれる。

 町を過ぎると、家々の窓の黒紙が「紙一枚」の幅で、均一に昼の光を拒んでいた。祖父が何度も押し直した糊のざらりを思い出す。指の腹に残ったあの感触は、窓の幅の記憶であり、家の呼吸の幅の記憶だ。幅はわずかで充分だ。わずかを守るのが礼だ。礼を崩さないかぎり、家は家でいられる。家が家でいられるかぎり、帰る場所の名前を呼ばずに済む。

 門を開けると、祖母は湯気を回さず、静かに布の角を直していた。いつもと同じ角度で、いつもと同じ力で。直しすぎない、直さなすぎない、その間の位置。そこに、今日の家の拍が置かれる。祖父は柱に掌を当て、目を閉じた。目を閉じることでしか見えないものがある。梁の上の“出ない音”の層は、一枚増えている。増えるたび、軽くなる。軽くなるほど、人の指が要る。

 「おかえり」

 祖母はその言葉だけを、湯気の代わりに置いた。静はうなずき、道場へ向かう。道場は、灯を半分だけ点けた。半分の明かりは、残りの半分を夜に預けている。夜は義理堅く、その預かりものをいつも静かに守る。床の木目は濃く、梁の節は黒い。砂袋は壁に沿って整列し、団扇の骨は布で巻かれ、縄の束は柱の根元で丸く眠っている。眠っているもののそばで、静は祖母の紺の布を広げた。今日に限り、その布は重く見える。布が重いのではない。布に乗せるものが、布の影を膨らませるのだ。

 面、小手、胴、垂。矢野の道具をひとつずつ、布の上に並べる。並べるたびに、道場の空気の密度がほんの少し変わる。空気の中に、見えない拍がいくつも立つ。面の内側の布は、古い塩で硬くなっている。その塩は地図だ。細い川のような皺があり、皺はある地点で突然途切れ、別の地点で始まっている。小手の手の内の皮は、使い込まれた楽器の指板に似て艶を持つ。指板は、誰がいつどの音を鳴らしたか、黙って全てを覚えている。胴は軽い。軽いのに、受け止めたものの痕が、薄く光る。垂の角は、触る指の力によって、毎回わずかに違う形へと戻る。戻るたびに、昨日が今日に混じる。

 面紐を結ぼうとして、静は結ばない。結び目は意地を持つ。いったん意地を持たせれば、もう戻らない。戻らない結び目は、確定だ。確定は、刃物だ。刃物は音を持たない。音を持たないものが、道場の床を通って足の裏に上がってくる。上がってきたものに、名前をつけない。つけないことで、居場所が残る。名前をつけないで居られる場所が、この布の上だ。

 静は瓶を取り出し、布の端に置いた。瓶は三つではない。今夜は一本。一本だけで足りる夜もある。瓶の口に、指の腹をそっと置く。置けば、昼間の駅の風の粉が、どこからか戻ってきて、指に低く触れる。触れた粉は重くない。重くないのに、いつまでも残る。残るものは、名を欲しがる。欲しがる前に、空の中へ入れる。空の中でなら、名は後回しにできる。

 静は小石をひとつ、瓶に入れた。音は鳴らない。鳴らない音が、礼のようにそこにいる。礼は、不在に向けてこそ形になる。不在のための礼は、家を荒らさない。不在は、礼の器の中で、静かに居る。居ることができるあいだは、呼ばなくていい。呼べるまで、呼ばない。

 面の頬の部分を親指で軽く押し、布の張りを確かめる。張りはまだ生きている。生きている張りは、時間が触れても、音を返す。遠い日の拍が、息の底でぼんやりと揺れる。小手の手の内に手のひらを差し入れ、皮の皺に触れる。皺は細い川だ。川は、指を濡らさずに流れる。胴の縁を撫でると、薄く鳴らない音が立つ。鳴らない音は梁へ行き、層を一枚、増やす。垂の角は、正しいところで止まる。止まる位置を体が覚えている。覚えていること自体が痛みで、痛みは瓶の口で丸くなる。

 祖父が戸口に立ち、言葉を置かずに礼をひとつ返した。祈りと命令の中間、昨夜と同じ角度。角度が同じであることが救いになる夜がある。祖母は湯気を回さず、布の角を一度だけ直す。直しすぎない。直さなすぎない。間の位置。それが、いまの家族の拍だ。

 夜は少しずつ濃くなり、半分の灯の外側に、梁の節がゆっくり溶けていく。道場の空気が吸っているものは、言葉よりすこし重い。重いのに、音はしない。音がしないことが、いちばん長く残る。静は瓶の前に座り、小石の沈黙を眺める。沈黙は小さく、強い。強さに名前は要らない。名前を与えると、強さは形に縛られる。形に縛られた強さは、折れやすい。

 静は面紐をそっと持ち上げて額に当てた。祈りではない。記録だ。額の皮膚に、塩の粗い粒が触れ、すぐに湿り、形をぼかす。ぼかされた粒は、体の中に入っていく。体の中で無音の層になる。層は薄い。薄いほど、長い。長い層の上で、眠りは浅く、静かに来る。

 眠りに落ちるまえ、静は胸の内側でひとつだけ言った。「拾わない」。駅で落ちた白い旗と、ほどけた繊維と、踏まれた紙の影と、波へ変わってしまった万歳の音と、矢野の一秒の視線と、その視線に含まれなかった呼び声と——それら全部を、拾わないでおく。拾えば、名が生まれる。名が生まれれば、確定が来る。確定は刃物だ。刃物は音を持たない。それを知っているから、拾わない。

 拾わない代わりに、置く。瓶の中へ、置いておく。置かれたものは、呼べるまで呼ばない。呼べる夜が来るまで、呼ばない。呼ばない夜が続いても、呼吸は続く。呼吸が続くあいだは、家は家でいられる。家が家でいられるあいだは、道場は道場でいられる。道場が道場でいられるあいだは、面は面のまま、小手は小手のまま、胴は胴のまま、垂は垂のまま——音を持たないで居る。

 窓の黒紙は「紙一枚」。祖父の親指のざらつきが記録した幅。祖母の湯気は一度だけ。瓶は一本、中に小石。小石は鳴らない。鳴らない音が、礼のようにそこにいる。礼は、明日の朝に備える拍の位置を、あらかじめ示しておくための器でもある。器があるうちは、火は延びない。延びないうちに夜は深く、深いほうへ静の呼吸が落ちていく。

 夢の手前で、ホームの柱の影が現れる。柱の影は涼しい。涼しさは、喉の布に効く。布の角が、さらに一枚、丸くなる。丸くなった角は刺さらない。刺さらない角を喉の奥に置いたまま、静は眠りへ落ちた。落ちる直前、梁の上で“出ない音”の層がまた一枚、増えた気配がした。気配だけが確かで、ほかはすべて、静かだった。

 翌朝、道場の灯を半分だけ点けて、静はまた面を布の上に置く。置かれたものは、置いた人の呼吸と同じ拍でそこにいる。矢野の呼吸は遠くにあるのに、ここにある。遠さと近さが、同じものの裏表になる瞬間を、静は初めて体で知る。体で知ったものは、言葉よりも長く持つ。長く持つものだけが、確定に耐える。

 駅の風は、もう吹いていない。吹いていないのに、瓶の口には、まだ粉のような白が、ほんの少し乗っている。それが何であるのか、静は知らない。知らないことは、救いだ。知らないまま、瓶は一本、布の端にいる。いること自体が意味になる夜を、静は初めて過ごしたのだと、ようやく気づく。

 外は猛暑で、家の中は紙一枚ぶん涼しい。蝉は鳴き続け、音だけが秋へ寄っていく。祖父は柱に掌を当て、祖母は布の角を直し、静は瓶の口に指の腹を置く。置いて、何もしない。何もしないのが、いちばん難しい。難しいことを、静かにやり遂げた日の夜は、鳴らない音がよく眠る。

 駅前でほどけた白い繊維は、誰かの靴に貼りついたまま別の町へ行くだろう。行って、そこでまた踏まれ、細く千切れ、風に乗って、どこかの黒紙の窓に貼りつくかもしれない。それでも、拾わない。拾わないことが、今は礼だ。礼は、不在に向けてこそ形になる。不在のかたちが今日もちゃんと立っていることに、静は感謝に似た感情を覚える。名前のない感情。名を与えないまま、胸の底に置いておく感情。

 昼前、祖父が言った。「窓は紙一枚、竹刀の先は一寸」。それだけで、家中の空気が整った気がした。竹刀はない。けれど、先はある。見えない先を、一寸、引く。引いた手前に、火は来ない。来させない。来させないために、見送りの朝、静は声を出さなかった。出さない声の重さを、瓶の中の小石が受けている。小さな石は鳴らない。鳴らないまま、礼のように居る。

 その居方を学んでしまったのだ、と静は思う。学んだという確かさは、喉の布をさらに柔らかくし、布の角を丸くし、角の丸さが呼吸を長くする。長い呼吸は、道場の梁の上に薄い層をもう一枚、増やす。増えた層は軽い。軽いほど、長い。長いほど、忘れにくい。

 見送りの日は終わった。終わったのに、駅の風だけが、いつまでも瓶の口に残っている。残っている間は、拾わない。拾わないで、置いておく。置いておくことで、呼べるまで呼ばないという家の礼が、今日もまた、静かに守られていく。
 そして静は、面の頬をもう一度だけ親指で押した。布は張りを返し、塩の古い粒が指先で溶ける。溶けるものは、強い。強いものに、名は要らない。名を与えないまま、静は面を布の上へ戻し、瓶の小さな沈黙を確かめてから、灯を半分、落とした。半分の闇が、今日の見送りのすべてを、ほどよい距離で包み込んだ。