秋のはじまりは、風の匂いが急に薄くなる日から始まる。夏が置き忘れていった果物の甘さが、台所の隅で急に姿を消し、かわりに、誰かが新しい紙を机に広げたときの乾いた匂いがする。六つとひとつ指を折り間違えるほどの年頃の沖田静は、その匂いの変わり目を、朝の廊下で裸足に当たる板の冷たさと同時に、鼻の奥で受け取った。

 初等科の教室は、寺子屋よりも少し広く、声が上に逃げる。黒板の上には新しい標語が貼られ、白い紙の上で筆の勢いが角を立てていた。先生は同じ背広でも、夏よりも襟が固い。固い襟は声を少し硬くする。
 「今日は新しい友だちが来ます」
 先生の言葉が終わる前に、廊下のほうから布靴の底が床を撫でる音が一度だけした。扉が開き、細い影が差し、影より少し遅れて、一人の少年が入ってきた。

 矢野蓮、と先生が言うまでもなく、静はその少年のなかに、道場の空気を見た。背筋は無理をして伸ばしているのではなく、骨がそこに棲んでいるかのように自然に立っている。礼をした——深すぎず、浅すぎず、その角度は角度の学びではなく、距離の見切りだった。教室の空気が、その礼の降りてくる速度に合わせて、少し沈んだ。
 「どこから来た?」
 前の席の山本が、椅子の脚で床を鳴らしながら訊く。山本の声は大きい。大きい声は、ときどき自分の居場所を探して揺れる。
 「川の上のほうから」
 蓮は短く答えた。名前を言ったあとに続く言葉を、彼は持ってこなかった。余白が広い。余白は無礼ではない。教室の壁に貼られた標語の白地と違って、書くために空いているのではなく、呼吸できるように空いている余白だった。
 片桐が椅子を少し引いて、机と机のあいだに隙間を作り、それを指さして笑った。笑いは、笑っていないものの輪郭を濃くすることがある。静は蓮を見た。蓮は、片桐の笑いの形に自分の身体を合わせなかった。合わせない礼が、そこにはあった。

 席が決まり、先生が読み上げを始める。文字の直列が声になる。静は蓮の呼吸の入り方を、音の合間で拾った。吸いきらない。吐ききらない。余白を残して、音の背後の空気を乱さない呼吸。寺子屋で香が持っていた匂い袋の口の結び目を、一度だけ解いてまた結び直す時の、あの指の丁寧さに似ている。
 山本が隣の菅原の背中を肘でつつき、小さな笑いが机の下で転がる。先生の声は硬いまま、上に逃げる。蓮は、上に逃げる声を追いかけない。追いかけないで、声が落ちてくるのを待つ。待つ姿勢は、誰にも見えないのに、美しい。

 昼休み、運動場の隅で、黙って縄跳びをしている女子を輪に入れるようにと先生に言われ、山本は「じゃあ矢野」と振った。蓮は縄の回る拍を一度数えた。それから、跳ばずに縄を持ち、回し手の子の手首の高さを、指先でほんの少しだけ下げた。「ここ」と、ひとことだけ。回る縄の音が、風鈴の短い音に似た。
 「跳べる?」
 蓮が問うと、その子は顔を上げてうなずいた。跳ぶ前から、縄のほうが人に合わせていた。縄は人に合わせると長生きする。祖父が言っていた言葉に似ていた。静は遠くからその拍を数え、おなかの内側で自分の息の拍と合わせてみた。すこし合った。すぐにずれた。合い続けることより、ずれ続けないことのほうが、おもしろい。

 放課後、蓮は誰とも帰らない。校門の脇で掲示板をちらりと見る者もいるなか、蓮は掲示板を見なかった。見ないという選択が、礼のように見えた。掲示板には新しい標語と小旗とが増えていた。紙の上で名が並ぶと、名は紙のほうの色になってしまう。静はその壁の前に立つと、紙の匂いが鼻のなかの柔らかいところに刺さるのを感じた。
 蓮はまっすぐ坂を下り、静はその背を追う。道場までの石段は、今日も石と石のあいだで薄く湿っている。湿った場所の風は、よくわかる。足裏で風の輪郭を踏んでしまわないよう、踵を沈めすぎないで上げる。祖父に教わった通りに。

 道場に着くと、戸口の影が、午前よりも長かった。祖父はいつもの場所に座り、目を細めていた。蓮は、祖父の前で、一度だけ頭を下げた。深くも浅くもない。そこにある空気の厚みを測り、それに合わせて降ろした礼だった。
 「矢野です」
 それだけ言って、あとは何も言わない。祖父はうなずき、窓の桟にかけていた布を親指で少し上げた。風の通り道が一寸、変わる。
 蓮は面も胴もつけず、竹刀の鞘革に指をかけると、静かに素振りを始めた。一本、二本——木が少し鳴る。十数本、二十数本。音は同じようでいて、少しずつ違う。振りの途中で、彼は誰にも見せるための形を探していなかった。ただ、空気の皺を伸ばしている。皺は手触りに似ている。ひとつの皺を伸ばすと、別の場所に、より小さい皺が生まれる。その小さい皺まで指が届くのを待つ——そういう振り方だ。
 静は床の端に座って、それを見ていた。目で見ているつもりでも、いつの間にか、耳で見ていた。三十本目くらいから、耳のなかで拍が立ち上がる。数えるための拍ではなく、呼吸のほうから立ち上がる拍。静の息が、蓮の息の縁に触れる。触れても、押し込まない。触れるだけ。祖父が窓の開け幅をまた一寸、変えた。風が入る角度が変わると、拍の立ち方も変わる。

 三百本を、蓮は三百本のふりをしないで終えた。数えることは、やめようと思えば、最初からやめられる。数えないで三百に触れるのは難しい。難しいことを、彼は難しい顔でやらない。
 「面」
 祖父の声は低く、短く、床と同じ硬さで道場の中央に置かれた。静は面紐を結んでもらい、蓮は面をつけないまま立った。竹刀の先が、お互いの眉間の少し手前に浮く。それぞれの長さは、それぞれの風で測る。静は昨日までの自分より一寸、竹先を引く。蓮は半足、前へ。

 初太刀。合わせない。手の内を見せない。打ち切らない。打ち切ると、切ってしまう。切らないための太刀は、降りない。降りようとする意志だけが天井を撫で、梁に当たってかすかに戻ってくる。音がしない音が、耳の奥をひと撫でする。
 二太刀目。蓮がわずかに間を詰める。半足。ほんの半足。半足だけ詰められるのは、息を使いすぎない人間だ。静は退かない。退かないけれど、前にも出ない。風の内側に居続ける。竹刀の先端と先端が触れた——触れた瞬間、音は出なかった。出ない音が、梁に吸われ、梁が道場の古い記憶の中へそれを沈める。
 三太刀目。蓮の眼差しに「負けない」が灯る。静の眼差しに「折れない」が灯る。負けないものは、よく折れる。折れないものは、すぐに負ける。どちらも危うく、どちらも美しい。二人は、その危うさに似合う長さで竹刀を持っていた。祖父は黙って見ていた。
 「引き分け」
 祖父の声が、風鈴の緒に小さく触れたように響いた。誰かが外で立てた足音が、その言葉のあとに遅れて道場に入ってきた。足音はすぐに消えた。
 「ええ拍やな」
 戸口のほうで、魚屋の久兵衛が小さく囁いた。紙芝居の政吉が頷く。「風が切れてない」。生活の言葉は、剣より先に、剣の正しさを知っている。

 稽古が終わると、祖父は二人に水を飲ませた。水は冷たかった。冷たい水は、喉の内側に刃物の背中を一度だけ当てて通り過ぎる。祖父は蓮に「また来い」と言い、蓮は「はい」と言った。それだけで足りた。
 道場を出ると、夕方の空は、朝よりも紙に近い色をしていた。校門脇の掲示に貼られた新しい紙も、同じ紙の匂いをしている。先生同士が低い声で「配給」「志願」「組合」と言った。静はその言葉の輪郭だけを、風の中に立たせておいた。輪郭が先に立ち、意味があとから追いつく——祖父が言った「名は、あとから追いつく」を思い出す。

 坂を少し下りたところの公園で、ベンチの下に空き瓶が転がっていた。透明で、口が少し欠けている。ラベルは半分だけ残り、縁に糊がざらざらと指に引っかかった。静はそれを拾い上げ、残っていたラベルを、びり、と最後まで剥がした。糊のざらつきは、夕暮れの湿り気をよく掴む。掴んだ湿り気は、指の腹に残り、瓶の口の薄い欠け目へそれを引き渡す。傷のある口は、風を少し優しくする。
 「それ、どうするの」
 蓮が訊いた。竹刀袋を肩に掛け直す動きが、いちどだけわずかに遅れた。
「風を入れる」
 静は答え、瓶の口に自分の息を少しだけ触れさせた。すぐに離す。入れすぎると、風は風でなくなる。
 「名は?」
 蓮は笑わずに訊く。笑わないことが、少しだけ笑っているように見える顔の骨格だった。
 静は首を振った。「呼ばない」
 名を呼ばない。呼ばないことは、空白を確保することだ。呼ぶ前に、そこに立っているものに、先に立ってもらう。そのほうが、呼び間違いが少ない。静は瓶の側面に残った糊のざらつきを指で撫でた。ざらつきは名前の代わりに、今夜の湿った空気を持っていく。
 「明日も行く」
 蓮はそれだけ言い、振り返らなかった。振り返らない背中は、背中の中に自分の顔を持っている。顔のない背中が多いなかで、顔を持つ背中は、少しだけ重い。

 道の途中、校門の掲示が風にわずかに鳴った。「見なくてええ」と誰かが言い、「見とくべきや」と別の誰かが言った。矛盾する言葉は、よく並ぶ。並ぶと、どちらも少しだけ正しくなる。静は立ち止まらず、瓶を胸に抱いた。瓶は軽いはずなのに、空を入れるつもりの容れ物は、いつもすこし重い。

 家に戻ると、祖母が桶の湯に手を差し入れ、湯気を静の手前でいつものように二度、回してから差し出した。湯気は、茶碗の湯気と同じように、息のための道を作る。湯気が通ったあとの空気は、少し柔らかい。
 「お辞儀」
 祖母は言い、静は息に礼をした。礼の角度ではなく、礼の距離を。祖母は机の布の角を指先で直した。布は、角が少し丸くなっている。角を戻すのではなく、丸くなった角を、丸いままに綺麗にする。それが祖母の直し方だった。ほつれは、ほどける前に撫でると、ほどけなくなる。祖母の指は、ほどける前の手前で、いつも止まる。
 「香ちゃんから手紙」
 祖母は封筒を差し出した。紙の中から、菊の香りがほのかに抜けた。匂い袋を預けていった香は、まだ戻っていない。手紙には「字の教室がふえました」のほか、短い言葉で「今は菊」とだけ書かれていた。紙に残る香りは、名乗らない。名乗らないけれど、季節のほうから名が寄ってくる。
 祖父は新聞を持っていた。見出しの角度をすこし変え、静の視界に紙面が入らないように置き直した。それは、見るべき時まで見せない礼だった。静は瓶を手に持ったまま、祖父の横に座った。瓶の中はまだ空だ。空なのに、なにかが入っている気がして、瓶の口を一度だけ、指でなぞった。

 夜になって、家の外の通りの風が、改札みたいに音を立てた。入っていく風と、出ていく風が、薄い紙で人を選ぶみたいに順番を作る。風が紙になり、人が風になる。静は窓をほんのわずかに開け、瓶を窓辺に立てた。瓶は記録するだけのものから、出入りに立ち会うものへと役割を変える。誰が来て、誰が出ていったのか。風は名乗らないけれど、出入りの拍だけは、瓶のガラスが覚える。
 祖母は静の後ろで、布団の角をもう一度直し、桶の湯に布を浸して絞った。絞る音が、部屋の隅まで届く。届いて、薄く消える。消えたところへ、窓から風が入ってくる。空いた場所に、風が入るのは自然だ。人が入るのも自然だ。名が入ってしまうと、空いた場所は一度なくなる。静は、まだ名を呼ばないと決めていた。

 瓶の口に耳を寄せる。耳の奥で、昼の道場の無音が、もう一度、梁の上で小さく鳴る。鳴らない音の鳴りかたは、鳴る音よりも長く残る。蓮の半足、祖父の一言、久兵衛の小さな感嘆。紙芝居の政吉の「あの拍」。一日の音が、瓶の内側でゆっくり位置を変え、もっとも静かなところに落ち着く。音は静かな場所を好む。静かな場所は、名乗らない。名乗らない場所に、名を置くと、名が傷つく。だから置かない。まだ置かない。

 外で、巡査の田畑が見回りの足音を響かせた。足音は規則正しく、しかし、道の角で少し乱れる。乱れた拍は、規則の在りかを教える。角で乱れ、角を過ぎると戻る。人は、乱れ方で、中身がわかる。祖母は台所で鍋の蓋を少しずらし、湯気を逃がした。逃げた湯気が天井に消える前に、静は瓶の口をそっとその湯気の通り道に置いた。湯気は瓶の内側にうっすら曇りを作り、曇りは指紋をひとつだけ残した。指紋は名の代わりに残る。名を残さずに、誰かがここを通ったと知るための、穏やかな刻印だ。

 枕元で、静は小さな声で自分の名を呼ばなかった。呼ぶ代わりに、心の内側で鈴が鳴った。鈴は、呼ばれたい名を知っている。知っているけれど、呼ばせない。呼ばせないことを、礼だと鈴も知っている。道場の拍と風鈴の拍と、瓶のなかの出入りの拍とが、離れたり近づいたりしながら、夜を作った。夜は、拍の重なりでできている。

 翌朝、空は少し低く、雲が屋根の瓦の端を撫でる。学校の門のところに、昨日より新しい紙が増えた。新しい紙は新しい匂いを持っている。蓮はやはり、そこを見なかった。見ないことは、逃げることではない。見ないことで、見えるものがある。静は蓮の背中のまっすぐな線を見た。背中の中に顔を持っている背中は、今日も振り返らないで前に進む。振り返らないは、忘れるではない。忘れないための、振り返らない。
 教室で先生は教科書を開き、「声を合わせて」と言った。合わせることを教える声には、無意識のうちに折れやすいところがある。合わせようとするほど、どこかが余る。余ったところで、明日が怪我をする。静は声を出さず、口の形だけで、拍を数えた。蓮は隣で、呼吸のほうを合わせもせず、合わせすぎもしない場所に置いた。置くというのは、強い。

 その日の放課後も、蓮は道場に来た。祖父は窓の開け幅を昨日より半分だけ狭くし、風の通りをひと呼吸分だけ重たくした。重たい風のなかで振る素振りは、軽い風のなかよりも音が柔らかくなる。柔らかい音のほうが、無音に近い。近いところに寄ることが、少しだけ怖い。怖さは、拍の数え方を丁寧にする。丁寧に数えると、数えるのをやめる時がわかる。やめられる時がわかると、はじめられる時もわかる。
 「面」
 祖父の声ひとつで、今日の稽古の中心が決まる。初太刀は昨日と同じようで、昨日とは違う。昨日よりも、出ない音が長く梁に残った。梁は古い音と新しい音を、同じ高さで平らに並べる。その平らさが、静の胸の奥に整然とした痛みを作る。痛みは、名を欲しがる。名前をつけると、痛みは少しだけ小さくなる。けれど、今はつけない。つけないで持つ。持つために、瓶がある。

 帰り道、夕焼けに近い空の下で、静は公園のベンチの下に昨日とは別の瓶を見つけた。昨日のよりも口が広く、ラベルは最初からない。匂いはしない。空の匂いが、かすかにした。空にも匂いがある、と静は初めて思った。蓮はそれを見て「二つも?」と問う。静はうなずいた。
 「こっちは風。こっちは無風」
 「無風?」
 「風が来ないときを入れる」
 蓮はわずかに首を傾げ、それから真面目にうなずいた。「むずかしい」
 「むずかしいから、入る」
 そう言いながら、静は瓶の口を夕焼けの下に置き、空気の薄さが変わる瞬間だけ、口を閉じた。閉じるのも礼だ。開けっぱなしにしないで、開けたり閉めたりする。出入りの拍を、瓶で教わる。瓶は先生でもある。

 家に戻ると、祖母はまた湯を足してくれ、布の角を直した。今日の角は、昨日よりも丸い。その丸さを直す指が、いつもより一度多く布を撫でた。撫でる回数で、祖母の心の拍がわかる。拍は、いつもは見えないのに、今夜は見えた。見えると、胸のなかの鈴が少し泣きたがる。泣かない。泣かない代わりに、瓶を窓辺にきちんと立てる。改札の場所に、立会人を二人にする。風の入口と、無風の入口。どちらも入口であることは、変わらない。

 布団に入る前、静は瓶のガラスごしに外を見た。外では誰かが走り抜け、すこしして、遠くのほうで太鼓の音が一度だけした。誰かの稽古か、誰かの知らせか。どちらでもいい。音は鳴るために鳴り、鳴らないために鳴らない。蓮の半足が、音のない音を教えてくれたことを、静はもう忘れない。忘れないものは、名を呼ばなくても消えない。呼ばれないことで、かえってそこに在り続けるものがある。
 窓の外の風が、改札を通るひとたちの靴音のような拍で過ぎた。瓶の口で、わずかに鳴った。鳴らない音で鳴った。静は目を閉じ、耳の奥で「矢野」という名が、まだ呼ばれないまま、明日の空白のために小さく折りたたまれているのを感じた。名は、呼ぶ前に整えると、呼んだ時に怪我をさせない。礼は、呼ぶ前に始まる。

 こうして二日が私のなかで一つになり、道場の梁の上に、出ない音の薄い層が一枚、増えた。瓶の中には、まだ誰の名も入っていない。入れないでいることで、守られている関係がある。名が交換されないまま、芯だけが道の上に立ち続ける。明日、呼ぶかもしれない。明日も呼ばないかもしれない。呼ばない自由と、呼べる自由。その両方を持ったまま眠るのが、今夜の私の仕事だった。
 風は、今日も名乗らない。
 名乗らない風の通り道を、私は瓶と息で守り、矢野という名が、まだ呼ばれないまま、私の距離の中に静かに立っているのを、ただ、見ていた。