10月の告白から2ヶ月が経ち、気づけばもう冬だった。
受験勉強が本格化している。高3の俺は毎日、塾と学校の往復の日々。勉強に集中するために、凛とはあまり会えずにいる。
そして、連絡は、チャットアプリでの挨拶程度になっていた。
凛『おはようございます』
俺『おはよう』
凛『頑張ってください』
俺『ありがとう。凛も練習頑張れ』
凛『はい!今日も大好きです』
短いやり取りだけど、それだけで、俺は嬉しかった。
毎日、凛と繋がってるんだ。そう感じられたから。
——12月には、あらかじめ、凛と相談していたデートの計画がある。
「クリスマスイブだけは、会おう」
その約束が、俺の心の支えだった。勉強の合間に、クリスマスのプランを考えては、チャットで送る。凛も、考えてるプランをチャットで送ってくれる。その計画があることが、幸せで、俺たちの唯一の楽しみになっていた。
◇
12月24日。クリスマスイブ。
駅前に着いたのは、11時50分。約束の時間より早めだ。
この日が、本当に楽しみで仕方がなかった。受験勉強で全然遊べなくて、今日が付き合ってから、初めてのデートになった。
ここは人通りが多い。祝日だからか、昼間なのに、クリスマスデートのカップルで溢れている。
「ひな」
聞き慣れた声に、反射的に振り返る。
凛の爽やかな笑顔が眩しい……。
ネイビーのロングチェスターコートにデニム。グレーのマフラーが冬の風に揺れている。いつもの制服やジャージ姿とは違う。大人っぽくてカッコよくて……。背が高いから、モデルみたいだし。
「凛」
本当に久しぶりだ。凛は少し息を切らしていた。
「走ってきたのか?」
「うん、早く会いたくて」
ニコニコした凛は、俺の全身を見ている。
なんか恥ずかしい……凛と比べると、年上なのに子供っぽいから。
「ひなの私服可愛い」
「え?」
俺は今日、ベージュのダッフルコートにデニムを合わせた。シンプルだけど、デート用に少し気を遣ったつもり。
「すごく可愛い。初めて私服みたから、なんかドキドキする」
それは、こっちのセリフだ。顔が火照る。
「……可愛いって言うな」
「でも、本当に可愛いよ? ずっと会えなかったから、今日すっごく楽しみにしてた」
その笑顔を見て、きゅんとしてしまう。
「そっか……なんか照れる」
「ヘヘッ、それじゃ、行きましょうか」
「クリスマスマーケット、行くんだよな?」
「そうです。行き方調べたんで、案内しますね」
俺たちは、凛が提案してくれた、隣街のクリスマスマーケットに向かった。
駅からシャトルバスに乗り、10分程ですぐ入り口に到着。マーケットはヨーロッパのクリスマスみたいな温かい雰囲気。
中に入ると、賑やかで沢山の人で溢れていた。
このマーケットは、本場ドイツのクリスマスマーケットをイメージしたらしい。
赤と緑のデコレーション。クリスマスソング。焼き栗の香り。
ドイツ料理っぽい屋台がたくさん並ぶ。見ているだけで楽しい気分になってくる。
「ひな、何か食べよう」
凛がそう言って、俺の腕を掴んだ。俺たちは、屋台を物色する。
ドイツソーセージのホットドック。ローストチキン。チュロス。
色々食べたり飲んだりして楽しむ。
凛が「これ美味しいよ」と食べさせてくれたり、「凛も食べろ」と勧めたりする、この何気ない会話が、すごく幸せに感じた。俺のわがままで、しばらく会えなかったから……。
屋台やイベントを楽しんでいたら、気づけば数時間が過ぎていた。空が茜色に染まり始めている。
マーケットのイルミネーションが、本格的に輝き始めて、巨大なツリーもライトアップされ始めた。近くでみると大迫力。日本じゃないみたいな景色が広がっていた。
「綺麗だね」
凛がそう呟く。
「本当だな」
俺も頷く。でも、俺の視線は凛の方に向いていた。
光に照らされた横顔が、妙に大人びて綺麗で見とれてしまう。
その時、ポケットの中でスマホが震えた。
嫌な予感がしながらも、画面を開く。
——模試の結果。第一志望、C判定——。
ほんの数秒で、身体が冷え切った。
笑顔も、イルミネーションの輝きも、全部遠くへぼやけていくようだった。
今回の模試は手ごたえがあったのに……。
「ひな? どうしたの?」
「あ、うん……これ」
俺は、スマホの画面を見せた。
凛は無言で見つめて、それから心配そうに、俺の様子を伺う。
「……やっぱり、ダメなのかな」
思わず零れた言葉は、冷たい空気に溶けていく。
「このままじゃ、落ちるかもしれない」
せっかくのデートなのに、気分が沈み、楽しかった時間が、一気に色褪せていく。
「ごめん、せっかくのデートなのに」
俺がそう言うと、凛が静かに首を振った。
「謝らないで……ちょっと、待っててくれる?」
「え?」
「すぐ戻るから」
そう言うなり、凛はマーケットの中に駆けていった。
人混みの中に消える背中を、呆然と見送る。
ベンチに座って、スマホを再び見つめる。C判定か……。
努力しても報われないのかもしれない。
そう思った瞬間、涙が滲みそうになった。
でも、凛の前では泣きたくなくて堪える。
数分後、息を弾ませた凛が戻ってきた。
両手に、紙コップを2つ持って。
「ひな、これ」
差し出されたカップから、白い湯気が立ち上がる。
この甘い香りは……。
「……ホットチョコレート?」
「うん」
凛が照れたように微笑む。
「これのために、このクリスマスマーケットを選んだんだ。
口コミで、このホットチョコレートがすごく美味しいって見て。
ひなはチョコ好きでしょ?」
その言葉に、喉の奥が熱くなった。
本当になんで俺の好きな物知ってんだろ……。
「……ありがとう」
俺はホットチョコレートを受け取り、ちょっと泣きそうになりながら一口飲む。
「ん? これは美味い。甘すぎず、濃厚で……チョコ好きには堪らないやつ!」
少しビターで、絶妙な味——冷え切っていた心の奥が溶けていく。
「ほんと美味いよな……」
素直にそう言うと、凛が嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見ていると、不思議と呼吸がしやすくなった。
「ひな」
「ん?」
「俺、受験のこととか、詳しくは、まだわかんないです」
凛が、真っすぐ俺を見て言う。
「でも、ひなが頑張ってるのは知ってるから。
毎日、夜遅くまで勉強して、努力しているのも。
だから、ひなは大丈夫だって思うよ?」
その言葉が、静かに染みわたってくる。
言葉の温度が、ホットチョコレートよりも温かかった。
「……凛」
「それにね」
凛がニコッと笑う。
「C判定って、まだチャンスあるってことでしょ?
D判定とかE判定じゃないからね」
その言葉に、肩の力が少し抜ける。
「そうだな。まだ、諦めるには早いよな」
「うん」
凛の笑顔に引き戻されるように、心が軽くなった。
「ひななら、絶対大丈夫!」
俺はホットチョコレートをもう一口飲んだ。
口の中で広がる甘さが、勇気に変わっていく。
「……よし、これ飲んで頑張るか」
「うん!」
凛が、俺の頭をポンポンと撫でた。どっちが年上か分からなくなって、笑いそうになる。
でも、なんだか恋人同士みたいだ……。
凛の励ましが、受験のプレッシャーを、少しだけ忘れさせてくれた。
ホットチョコレートを飲みながら、二人で巨大ツリーを眺めていると、イルミネーションが、本格的に点灯し始める。ランダムに色が変わり、見ているだけで楽しくなれる気がした。
「ひな、寒くない?」
凛が、心配そうに俺に尋ねる。
「ん? まあ、寒いな」
確かに、夜になると気温が下がり、12月の夜風は冷たい。
「そっか」
凛は俺に身を寄せ、手をそっと握ると、自分のコートのポケットに自分の手と一緒に入れた。
「え……」
戸惑う俺を、凛は笑って見ている。ポケットの中で、凛が俺の手を握り返す。
指と指が絡み、恋人繋ぎに。
「暖かい?」
凛がそう聞いてくる。少し耳が赤くなってるかも。ちょっと可愛い。
「うん」
恋人らしいことをしたのが久しぶりで、俺も顔が火照ってしまった。
ポケットの中の、凛の手は温かくて、人から見えない繋がりが、幸せを倍に感じさせる。
「ずっと、こうしていたいな」
俺がそう呟くと、凛が笑ってくれた。ピンクに染まった頬が愛らしい。
「ずっと、だね」
「うん」
ポケットの中で手を繋いだまま、イルミネーションを眺め続ける。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、辺りはすっかり真っ暗になっていた。
凛が立ち上がり俺に言う。
「そろそろ帰ろっか」
「あっ、うん」
「ひな、明日も勉強でしょ」
「うん……」
まだ帰りたくない気持ちもあったけど、凛が俺を心配して早めに帰らせてくれる。まだ17歳なのに大人みたいだ。本当に年下じゃないみたい。
俺たちは、駅に向かって歩き始めた。相変わらず、ポケットの中で手を繋いだままで。
帰りはシャトルバスに乗らず、大きな公園を歩いて帰ることにした。約20分位のウォーキングコース。大きな公園には、可愛らしい小さなオブジェが点在し、ライトアップされている。
暫く歩くと、人通りが少なく、暗めの通りがあった。街灯の光も、あまり届かない場所。そこに差し掛かったとき。
俺はふと思った——キスとか、しないのかな……?
実は、イルミネーションを見てる時も、歩いてる時も、何度も頭をよぎっていた。でも凛は、何もする素振りも見せない。
意外と奥手なのかもしれない、と思ったり、男同士で付き合っても、友達同士みたいな感じなのか?とかも考えたり……ちょっとモヤモヤしていた。
恋人らしいことを、クリスマスなのに、本当に何もしないで帰るのかな?
そう思った瞬間——。
凛が、俺にキスをしてきた。
突然、唇が重なる。
「ん……」
小さな声が、漏れてしまう。凛の唇は、柔らかくて、優しい感触。
「……凛」
凛が唇を離す。しかし、俺は、そのまま凛にキスを返した。もっとしていたくて……。
その瞬間——凛の空気が変わった。瞳に熱が宿った気がする。
凛が、俺をしっかりと抱きしめてきた。
「ん……」
凛が、俺の唇を再び奪う。さっきまでの優しいキスではなく——深く、情熱的に。
唇が自然に開き、舌が触れ合い、二人の息が一つに混ざりあう。
「ん……ひな……」
凛が、キスの途中で俺の名前を呼ぶ。
「……凛」
俺も、凛の名前を呼ぶ。
その瞬間——凛が、さらにキスを深める。凛の手が、俺の首に回り、その手に、強く引き寄せられる。俺も凛の背中に手を回し、ぎゅっとしがみ付く。
時間の感覚が、溶けていく。
やがて——凛が、俺から唇を離すと、お互いに息を切らしていた。
「ひな」
凛が俺を見つめる瞳は、いつになく真剣だった。
「俺のもの、ですからね」
「分かってるから」
長いキスが幸せだったけど、なんかおかしくなってしまって、二人とも噴き出してしまう。
「今日、何にもしないで帰るんだって思ってた」
「そんなわけないでしょ。好きな人とデートしてるのに」
「まあ、そうだよな。安心した」
「なんですか、それ」
二人で笑いながら手を繋ぎ、駅までの道を、ゆっくり歩いていく。
雪が、ほんの少しだけ降り始めていた。
「ひな」
「ん?」
「今日、すごく楽しかった」
凛がそう言って、少し照れたように笑う。
「俺も」
「ひなと一緒だと、なんかわかんないけど……すっごく幸せ」
その言葉が、心に染みわたる。
「俺もだよ。来年も、また来ような」
そう言うと、凛が嬉しそうに答える。
「もちろんです。……ひな」
いつの間にか「ひな」と呼び捨てされることに慣れていた。
でも、その呼び方を聞くたびに、嬉しくて自然と笑みがこぼれる。
——凛が俺を「ひな」と呼ぶ理由。
それは、もっと俺に近づきたかったから。
「日向先輩」じゃ遠すぎて、「ひな先輩」でもまだ遠くて。
だから、「ひな」と呼んで——俺を、自分のものにしたかったから。
後輩のくせに、生意気だ。
でも——そんなところが、凛らしくて可愛い。
「“先輩”じゃなくていいのか?」
凛は少しだけ頬を染めて言う。
「ひな先輩は、俺の憧れだったけど、
今は、俺の”ひな”だから」
喉の奥が、じんわりと熱くなった。
——凛の世界は、俺の名前で満ちている。
——そして、俺の世界も、凛の名前で満ちている。
「行こう、凛」
「うん、ひな」
俺たちは、手を離さないまま歩いていく。
冬の風が頬を撫でても、もう冷たくなかった。
目の前に広がる世界は幻想的だ。
ふと顔を上げると、街のイルミネーションが、雪に滲んで見えた。
白い粒が静かに落ちてきて重なる瞬間。
それは、俺たちの”はじまり”を祝福しているようだった。
二人並んで歩くこの道が、ずっと続きますように。
来年も、再来年も——その先も。
Fin.



