花火さんの傷を手当てしてる時、手首に浮かぶ数字が目に入った。
「もう、あと少しだね」
「うん。怖い?」
「怖くないよ。雪君がいるもん」
死に方はもう決めてある。
ナイフで喉を切る。
色々考えたけど結局これが一番現実的だった。
夏の夜は短くて、もううっすらと日が昇り始めてる。
ジョギングをする人や犬の散歩をする人。
蝉の鳴き声、配達員のバイクの音。
さっきまでの非日常から、僕らはいつもの「普通」に少しずつ足を踏み入れた。
全く知らない地。
僕らの住んでいるところよりかなり田舎で空気が透明だ。
「お腹空いてきた」
花火さんがポツンと言ったので近くのファミレスを探した。
「歩いて30分かかるな……」
「いいよ。歩こう」
「でも……」
「いいじゃない、夏の早朝散歩。いかにも普通な特別って感じ」
それもそうか。
僕らはもう一度手を繋いでゆっくり歩いた。
暑くて、汗が止まらなくても関係ない。
ただ、普通の会話をしながら歩いた。
家族の事、中学生時代の思い出、やっていた習い事、テストの点数。
多分今の時間を生きている誰よりもくだらない時間を、特別な人と。
ファミレスではアホみたいにでかいパフェを注文し、バカみたいにでかいハンバーグを頬張った。
花火さんがウトウトしていたので、僕が起きてるから少し寝させてもらいなと、花火さんがテーブルに突っ伏す形で寝に入った。
安らかな寝顔に傷が浮かぶ。
左腕の時間は刻一刻と進み、僕らを置き去りにしていく。
なんだか、明日なんて当たり前のようにやってくる気がしてならない。
明日も花火さんと出かけて、遊んで、美味しいもの食べて、夏課題を終わらせて、そし
て新学期に入る。
大塚と3人で遊びに行くのもいいな。
あ、と思い出したようにスマホを見ると充電が無くなっていたので、モバイルバッテリーに刺した。
充電が溜まっていき、時間は減っていく。
▷俺は無事だぞ
そのメッセージに安堵の涙がでる。
ありがとう。大塚。
「ん……。今何時?」
寝ぼけ眼をこすりながら花火さんが起きたのは、ちょうどスマホの充電が100パーセントになった時だった。
「もうお昼過ぎだよ。そろそろ出ようか」
花火さんが寝てる間も店員さんに追い出されないようポテトとかアイスとかをコンスタントに頼んでたので会計額は凄いことになっていた。
そろそろ、時間だ。
「死に場所、探しに行こう」
「うん」
また2人で手を繋ぎ、あたりを散歩する。
僕らの墓場はあそこにしようと、目の前にある山に決めた。
夏の山は虫も多い。
蝉の鳴き声がやかましいけど、今の僕らにはなんとなくうるさい方が良かった。
山の頂上付近に差し掛かるころにはもう午後4時を過ぎていた。
[残り8ℏ]
「それじゃあ、カンパーイ」
朝方買ったお酒はもうぬるくて、
「最初で最後のお酒がこれか~」と2人で笑った。
2人ともあまり強くはないのか、顔はすぐに真っ赤になって、ちょっとしたことで爆笑するようになった。
笑って、笑って、笑って、あたりが少しずつ暗くなってきて。
僕の腕に、ぽたりと何かが落ちた。
「雪君……」
「どうした?」
「私、死にたくないよ……」
そう言って花火さんは無理やり口角を上げて、眉毛を下げる。
ハハ、とへたくそに笑う彼女を優しく包んだ。
「大丈夫。僕もいる」
「もっと雪君と沢山の事したかった」
「うん」
「色々な所に行って、色々な物食べて、大塚君と三人で旅行とか行ってもいいじゃん。まだ、やりたいこと沢山あるよ」
「二人で生まれ変わったらさ、全部やろう。大丈夫。必ず見つけるから」
僕の背中に回さられる手にぎゅっと力がこもる。
それに応えるように僕も力を込めた。
しばらくそのまま動かず、互いの鼓動を感じていた。
大丈夫。まだ生きてる。ここにいる。って。
あたりが真っ暗になって、少しだけ吹いた風でどちらからともなく花火の準備を始めた。
[残り4ℏ]
近くに木が無い空間を見つけた。
付属のろうそくを立て、火事にならないよう水の入ったペットボトルを開ける。
ライターで火をつけ、準備万端だ。
怖い、と言っていた大きな花火もやってみることにしたらしい。
「わっ見て~。凄くきれい」
シャーっと音を鳴らし、カラフルな火が舞い散る。
赤、緑、青、紫、黄色。
残像でハートを描いてみたり、星を描いてみたり。
真っ暗な闇の中にキャッキャと黄色い声と色とりどりの炎が上がる。
「すごい迫力!」
「ね! きれいだ」
強い光で目がチカチカする。
そのチカチカの先に花火さんとの思い出がダイジェストに流れた。
花火さんと話すきっかけをくれたのは大塚だ。
動機は今考えれば最悪だけど、今この瞬間があるのは、サッカー部の件があったから。
最初は変な人だと思ってた。
あの触れることのできないような雰囲気を一枚はぎとると、なんだか変わった人だなって。
つかみづらくて、なんとなく振り回される。
一緒の時を過ごすようになって、誰よりも素直で誰よりもまっすぐなんだと知った。
飄々としているのに、変な所で照れやすくて。変な所で照れやすくて。
そのギャップが意外だったっけ。
たった1週間ぽっちの付き合いなのに、何だか人生の半分以上を共に過ごしたような、それくらい僕の中で大切な存在になっていた。
花火さんに笑っててほしい。
花火さんに幸せになってほしい。
何気ない日常の中で「生きててよかった」って。
「こんな運命を背負ってしまったけど、それでも今日まで幸せだった」って。
そう思ってくれてたら嬉しいな。
花火は少しずつ減っていき、時間も残りわずかだ。
「お待ちかねの線香花火だよ」
あとは線香花火。
「こういうのってどっちが長く灯せるか勝負するんだよね」
「そうだね。よし、勝負だ」
2人でろうそくに身を寄せ、火に近づける。
「あっちょっと待って!」
火をつける直前で花火さんがポケットをごそごそとし、ネコのぬいぐるみを出した。
「この子達にも見守ってもらおう」
なんでも、サッカー部に襲われている時、これだけは絶対に守ると決めていたんだって。
「いいね、そうしよう」
おそろいのネコを地面に座らせ、今度こそ2人同時に火をつけて、ろうそくの火を消す。
小さく、でも強い火が僕らを灯した。
パチパチと音を立てて淡く儚く燃えるその姿はまるで花火さんだ。
ふと彼女の方を見る。
火を見つめる花火さんは、お酒のせいか薄く頬が染まり、少し虚ろ気味な瞳はまっすぐと線香花火を見つめていた。
「きれいだ」
思わず口に出るその言葉に、僕の方をパッと見て、
「うん、綺麗だね」
という花火さんが愛おしい。
昨日買った服はボロボロで、でも花火さんはそんなのもろともしないくらい輝いていた。
……え?
輝いている。
花火さんが。
「は、花火さん……」
声が震える。
覚悟してたじゃないか。
そうだ。楽しい時間には必ず終わりがある。
花火さんは、全身からうっすらと光を放っていた。
まだ、火の玉は落ちていない。
まだ、もう少しだけ待ってよ。
「そろそろ、おしまいだね」
震える手でポケットに入れていたナイフを取り出す。
「大丈夫。僕も行くから」
ナイフを首に当て、力を込めた。
ほんの一瞬。手元の火の球が落ちたのを確認した。
あ、落ちちゃった……。
同時に、身体に体重がのしかかる。
真っ暗なはずのここは、花火さんの光で淡く照らされている。
首に沿わせていたナイフが取り上げられていたことに気づいたのは、少したってからだった。
「な、なんで……?」
僕を押し倒す形でナイフを取り上げた花火さんはうっすらと微笑んでいた。
身体を起こして、向き合う。
「雪君、私と約束してほしいことがあるの」
「約束?」
「そう。時間がない。聞いてほしい」
[残り15M]
「雪君、君はいつか“死ななくてよかった”と思える日に出会える。だってこんなに人想いで、優しくて、私を全力で守ってくれて。そんな雪君がここで死んじゃうなんて、悲しい。きっと過去の君のように死にたくて仕方のない時だってやってくると思うよ。それでも私は、君に生きててほしい」
花火さんは僕の手を取った。
震える僕を宥める母親のように。
「私がしたくても出来なかったことを雪君が代りにしてほしいの。私の未来を君が築いてほしい」
涙があふれる。
でも、今は1秒でも長く花火さんから目を離したくない。
一緒に死ぬと決意したあの日から、この決断を後悔した日なんて1秒たりともなかった。
花火さんとなら、一緒に死んでもまたきっと出会えると信じていたから。
でも、そうか。
それが君の願いなんだね。
それなら、僕にできることは1つだけだ。
花火さんに握られていた手を離し、彼女にネコのぬいぐるみを握らせ、そして強く、強く抱きしめた。
「……うん、うん。約束する。花火さんが生きたかった残りの命、僕は全力で生き抜くよ。花火さんの分も生きて、生きて、生きて、花火さんに“このくそみたいな世の中でも、生きみたらそれなりによかったよ ”って伝えるから。必ずまた、伝えに行くから。それまで待っててよ」
花火さんの手にも力がこもる。
「ありがと。待ってるから。あんまり早く着たらだめだからね」
僕の腕の中にはまだ、花火さんがいる。
花火さんのぬくもりがまだある。
だから、最後に1つだけ。
「花火さん。好きだよ。僕に生きる意味を教えてくれて、ありがとう」
そして花火さんは強い光となって、弾け、僕の腕の中から姿を消した。
「私も大好き。ありがとう」
この言葉を残して。



