『拝啓、邪眼をもつあなたへ
 お元気にしていますか?
 こちらはスポロス先生を警備隊に引き渡し、事件の調査協力という名の事情聴取が終盤に差し掛かったところです。
 あなたのおかげで、あたしは退学者候補から免れることはできました』

 そこまで手紙で書いて、アピロはガラスペンを机に置いた。

 魔術の暴走。

 それは、幼少時代に甚大な魔力を持った幼児くらいしか発生しないとされている。それは魔術コントロールが上手くいかないからだ。

 アピロも同じだった。
 膨大すぎる魔力をコントロールするのが難しいと判断した、オミフリはアピロに枷をつけた。年齢と共に枷が外れていく仕組みだったようだが、ミゼンが無理やり解除したことによりアピロの中の魔力が暴走してしまったようだった。

 兎にも角にも他の教師や警備隊からの事情聴取、魔術省への報告書の提出、魔術コントロールの追加訓練が終わったころ、ようやく事件から解放されることとなった。

 ミゼンは邪眼による解析と術式コピーという高難度の魔術を行使したため(プラス、アピロの強制術式解除の影響のため)、この二カ月ずっと眠ったままの状態になってしまった。植物状態ではないが、いつ目を覚ますかもわからないと治療に当たっている医者は言っていた。本当は毎日お見舞いにも行きたかったが、集中治療中室にいるため見舞いに行くことも叶わなかった。もっとも報告や書類作成やらで行く暇がなかったというのが正しい。

 そんな理由で、日課になったミゼン宛の手紙をアピロは書いていたのだった。

 長い春休みも終わりが近づいているのに、結局長期休みらしいことは何もできていない。ふと左手の人差し指につけているヤドリギの姿が刻まれた指輪を見る。
 
 祖父から仕組まれた枷がなくなったものの、魔術コントロールがまだまだ上手くいかないのはかわらないため、教師たちから魔術制限するための指輪をつけるように促された。
 
 こんなことで制限できるのであれば、とアピロも同意し、身に着けることにした。このリングは、自分で完璧にコントロールできるようにならない限りは外れない仕組みになっているようなので、とりあえず一安心だ。
 
 コンコンコン。

「はあい」

 けだるげにノックした相手に返事する。先生かな。報告書の提出を督促にでもしにきたのかな。
 机に向かってミゼン宛の手紙の続きをどうかこうか悩んでいると、手元に影が落ちた。

「お帰りぃ」
「ただいま」

 二か月前に聞いていた声。間違えるはずがない。
 軽薄さを孕んだ、心地よいくらいのやや低めの声。
 慌てて体を振り向かせると、そこには片頬をあげて胡散臭そうに笑っているミゼンが立っていた。

「ミ、ミゼンッ」

 ガタッと椅子を倒しながら立って、アピロはミゼンを見た。

「久しぶり」
「い、いきて」
「当たり前じゃないか。僕だよ?」
「い、意味が分からない」
「まぁ、そうだよね。僕も意味が分からないよ」
「ち、ちがくて」
「なにが?」

 何を言ったら良いのか、わからない。
 ただ、ミゼンが無事で生きて帰ってきたのが奇跡みたいに思えた。

「だから、泣くんじゃない。子どもじゃないんだから」

 苦笑しながら指摘するミゼンの言葉で、アピロは頬を伝う涙を拭った。一回拭っても涙は止まることなく流れ続けた。次第に嗚咽も漏れてくる。

「どうして泣くかな。僕は無事だったし、君は退学候補から除外された。めでたしめでたし、でしょうが」
「簡単に言わないでよっ。あたしのせいでっ」
「あー、そういうこと。そこは悪かったって思うよ。僕の説明が足りなかった」

 素直に頭を下げたミゼンを見て、アピロは泣くのをどうにか堪える。ここまでしてもらっておいて、アピロが泣く必要はない。必死に泣くのを我慢しても、簡単に涙は止まってくれない。
 無理やり止めようとしていると、アピロの頭にミゼンの手が乗った。優しく撫でてもらっているうちに、涙は自然と止まっていく。

「でさ」

 ミゼンの声につられて、アピロが顔を上げたところで、ミゼンがにやりと意地悪そうに笑っていた。

「成功報酬を貰いに来たんだけど」
「え」
「まさか忘れた? 約束しただろ。成功報酬で良いって。君の枷を解除したんだし、成功したでしょ」
「で、でも、解除したせいで」
「解除しなかったら、君は今頃退学処分だったよね?」

 何も言い返せず、アピロはギュッと口を閉じる。
 確かに約束した。間違いはない。だけど、あんまりだ。
 なんて言い返そうか悩んでいると、ミゼンの意地悪な顔がふっと柔らかい笑顔に変わった。

「君の魔術について解析させてよ」

 思ってもいなかった言葉に、アピロは思わず目をぱちくりさせた。

「君の魔術は非常に興味深い。僕の邪眼で解析すれば、使い方や使い道が分かると思うんだけど、どうだろ?」

 ふざけた言い方だが、どこかまじめな感じがした。

「全て解析で来た暁には、成功報酬を払ってもらう感じで。ちなみに、前みたいになったら困るから、そうだな、ものすごーく時間をかけてってことで。僕はね、難しいものがあればあるほど分析したくなるんだよ」

 それは、アピロにとっても良いことで、ミゼンにとっても利があることで。
 アピロは、ただ頷いた。彼の提案を受け入れることにしたのだ。

「そうと決まったら、まずは防御術式からだな。訓練場の予約もしてあるし、基礎防御からもう一度始めようか」
「え、今から?」
「そうだよ。君の魔術はとても複雑なんだから」

 二か月前の鬼のような訓練がまた始まるのか、と思いつつも、アピロはこの掛け合いが嫌いじゃなかった。

「魔術は才能がほとんどかもしれないけど、努力次第じゃ才能を超えられる。それを証明してくれた君に僕は問っても興味があるんだ」

 軽口のようなのに、どこか真剣みを帯びたミゼンの言葉にアピロはミゼンの手を取った。
 学生寮の外はすっかり春を迎え、春の花々が咲き誇っていた。それらを見ることもなく、アピロもミゼンもたわいもない話をしながら、訓練場に向かって歩いた。
 途中戻ってきた学生たちが、興味津々の様子で二人を見たが、素知らぬ顔をした。そんな視線はもう慣れっこだ。

 今は、ただ。

 訓練場に踏み入れる前に、アピロはローブに袖を通す。たった二ヶ月といえども、このローブに手を通すのが随分久しく感じる。通すことさえも怖かったのかもしれない。
 身なりを整えて、ミゼンの前に立つと、いつもと変わらぬ軽薄な笑顔で椅子に座っていた。サングラスが取られて、澄み切った青い瞳がそこにあった。

「さあ、魔術の解析を始めようか」

 ミゼンと共に、アピロは自分の魔術に対して、解析を始めたのだった。