「あのー、あと少しで閉館なんですけどぉ」

 気弱な声で話しかけてきたのは図書館棟のスタッフだった。困った顔でアピロ達を見ている。

「すみません、すみません、すぐ出ますっ」

 何度か頭を下げると、スタッフは念押しをしてその場を去ってくれた。時計を見ればあと五分。これ以上ここにいることはもう難しい。ミゼンにも声をかけようとしたところで、手にしていた本をじっと読んでいた。

「あったの?」

 アピロの問いにミゼンは不敵に笑って答える。

「すぐに試すぞ」

 貸出許可手続きを不満を漏らすスタッフを気にすることなくミゼンは図書館棟を出た。何故かアピロがスタッフに謝り倒してからミゼンの後を追った。すぐ近くのベンチにため息を吐いてから、アピロはミゼンの隣に座った。ページをめくっていたミゼンの手が止まり、開いていたページをじっと読み込んでいる。

「五、六年前くらいにこの地域で観測された流星群。百年に一度くらいある流星群だった。その流星群の名前は」

 ちらりとミゼンはアピロを見てから、そっとアピロの頭に手を置いた。何をするか訊こうとする前にミゼンは口を開く。

「タウロス」

 その言葉を聞いた瞬間、頭の中でカチッと鍵が開くような音がした。
 開かれた記憶の箱から次々に祖父と魔法の記憶が溢れ出て来る。見てきた景色、人の会話、そして使った魔術。どれも鮮明に、はっきりと思い出してきた。
 
 ――想像以上の魔力ね
 ――これほどになると危険だ。この子のためにも今は忘れていた方が良い
 ――次期大魔法使いに慣れる器だぞ、父さん
 ――そんなもの後でどうにでもなる。今は、あくまでもアピロの体を優先させないと
 
 思い出される記憶の波にのまれそうになる。頭が割れそうなくらいの頭痛がする。頭を抱えてアピロは目を瞑る。今は頭痛がおさまるのを待つ。
 
 記憶の中の映像が進み、心配そうな母の声が過去の記憶の奥から聴こえてきた。
 
 ――大丈夫なの、こんなことをして
 ――大丈夫だ。何があっても私の責任にしなさい。恨まれるのは、私だけで十分だ
 
 はっきり思い出した。
 祖父は、アピロのために恨まれ役を買って出たのだ。
 
 ――時間と共に魔力が体に馴染んでくる。無理に鍵を開けることが無ければ。
 ――アピロに何も伝えないのか、父さん
 ――伝えるが、二人きりの時だけだ。だから、今は
 
 そっと祖父の手が頭に乗り、撫でられた。その瞬間、それまでの記憶がブツンと音を立てて消えた。
 荒れ狂った呼吸をなんとか整え、アピロは涙目を拭った。

「……大丈夫か?」

 顔を上げると、心配そうな顔をしたミゼンが立っている。拭っていた手に力を入れる。こうすればこれ以上人前で涙を流すことは無い。アピロは震える唇をゆっくりと開く。

「……あたしのためだったんだね」

 ミゼンの顔を見ずに、ギュッと握った手をゆっくりと開く。力をこめすぎていたためか、爪が手のひらに食い込んでいた。跡がくっきりと残ってしまっている。
 それにしても、体中が熱い。何かが駆け巡っているみたいだ。

 あたしはコレが何かを知っている。
 怖い。でも、試したい。
 アピロは小さな声で展開と唱える。

 パキパキッと音を立てて、目の前に現れたのは透明度が高いガラスの防御壁だった。何もイメージする必要がないくらいの完璧な仕上がり。鉄の壁とは異なるが、教科書で描かれていた見本はこのようなガラスの防御壁。一度たりともできなかった教科書通りのそれがアピロは何故か当たり前にできる自信があることを自分の中で確信した。

「ははっ。さすが」

 サングラスを外したミゼンは、新しいおもちゃでも与えられた子どもと同じ表情をして、アピロが作り出した防御壁をまじまじと見ている。

「これから、無理な術式展開は避けて『プロトス』だけを磨いていくか」
「どうして?」

 ここまでできるなら、攻撃術式も練習すれば間違いなく試験に合格できるくらいの質にはなる。その自信が今のアピロにはある。眉を寄せてミゼンを見た。ミゼンは『プロトス』からアピロに視線を移していた。
 変わらず興味深々とした目だ。だがミゼンの眼の奥は温度が急激に下がっていた。

「まだ体の中で魔力が暴走している。外に展開する魔術も暴走されたら、こっちもたまったもんじゃない。だから、安全性が担保されるまで解析は続ける。その間は『プロトス』の訓練と武術訓練だ」
「え?」

 アピロが武術が得意なのも知っていたようだ。にやりと笑ってミゼンはサングラスを元ある位置に戻す。

「武術が得意なんだろ。僕相手じゃ役不足かもしれないけど、攻撃術式がなくても試験にパスできるくらいはできるだろ」

 ミゼンの言っていることもわかる。アピロは『プロトス』を消して、ミゼンと共に『プロトス』の展開と武術の練習に明け方まで続けた。