江戸は、昼のほうが息を潜める。
 夜は人を隠し、昼は人を試す。
 流山で散り散りになってからの数日、原田左之助はその試しに、真正面から噛みつくことにした。まっすぐ、というのは、腹の形だ。背中で覚えるものではない。腹で笑って、腹で怒って、腹で決める。槍は、腹の続きにある。

 上野。寛永寺の黒門口。
 門の木の匂いは古く、しかし焦げると新しくなる。新しい焦げの匂いが縁側の障子を薄茶に変え、彰義隊の旗が黒い昼に白の縁取りを作る。太鼓はあるのに、太鼓より先に砲が鳴る。新政府軍の砲が土塁を崩し、板が裂け、砂が宙を漂い、砂は光って落ちる。光る砂は綺麗だ。綺麗なものは、戦場には似合わない。

 原田は槍を肩に、歯を見せて笑った。
 「槍は、まっすぐだ」
 まっすぐであることは、美徳であり、戦場では危うさでもある。だが彼は一直線に生きてきた。今さら曲げられない。曲げてまで生き残るなら、曲げないで一度死ね。死んでも、戻れるようにしろ。そういう勝手な理屈が、彼の腹の中で、いつも火の色をしていた。

 黒門の内と外の境目で、風の向きが何度も変わる。向きが変わるたび、砂が目に入る。目の端は最初に濡れ、最初に乾く。端を守れば、真ん中が働く。原田は額の汗を手の甲で払い、低く構え、突き、薙ぎ、引く。泥と血の舞いの中で、槍の柄が敵の銃床を打ち払い、穂先が胸に沈む。近代の銃列が押し寄せ、近代の砲が城下を震わせても、槍の間合いは残酷に正確だ。近づいた者から倒れる。それが槍の礼儀だ。

 だが、数は壁になる。
 壁には戸がある。戸の位置を知っている者は、壁にも勝てる。
 原田は仲間の背を守り、退き路を作り、振り返らない。退く者がいるから、前へ出る者が倒れずに済む。戦の倫理は単純だが、実行は難しい。彼は難しい方を選ぶ。難しい方は、短くて、長い。短さは刃の働き、長さは背中の持久だ。どちらも腹で支える。

 新政府の旗が風の上で一度ほどけ、すぐに結び直された。結び目は厳密だ。厳密な結び目ほど、戦に強い。
 門の陰から、銃声が重なって戻ってくる。戻る音は、臓腑に近い。
 原田は踏み込み、武家の庭に似合わない罵声を、わざと大きく吐いた。罵声は、仲間の恐れを一瞬だけ他所へ押しやる。押しやられた間に、足が動く。動いた足は、命令を追い越す。追い越した分だけ、生き延びる。
 「前見とけ!」
 短い命令。短いものほど、骨に近い。

 銃弾が腹を撃ち、血が熱く流れた。熱い血は、最初だけ痛い。そのうち、体の中の古い火の温度と混ざり合って、痛みの輪郭がぼやける。ぼやけたほうが動ける。
 原田は一歩だけよろめき、槍で地面を突いて体を支えた。槍は杖には向かない。向かないことを知りながら、杖にする。支えるためではない。まっすぐの感触を、手のひらに維持するためだ。
 「左之助!」
 誰かが叫ぶ。
 彼は振り返らず、笑って言った。
 「先に行け」
 声はかすれて、しかし届いた。届く声は、喉ではなく腹で出す。腹は撃たれても、まだ喋れる。

 門の上に、午の太陽が貼りついた。黒門の昼は長かった。太陽は動かず、影だけが伸びる。彼の影も伸び、門の足元に溶けた。影は教える。踏んではいけない場所と、踏むべき場所。
 近くの長屋の戸が半分だけ開いて、子が泣き止まず、女が泣かさず、老人が札を握る。札の字は下手だ。下手な字は、読む人に丁寧を頼む。頼まれた丁寧は、たいてい応じる。黒門の外の暮らしは、黒門の中の戦を、動線で支えていた。

 原田は前を向き続ける。前があるからだ。
 前に倒れる覚悟の分だけ、背中の矢は伸びる。伸びた矢の影は、退く者の背中に道を描く。
 「斜めだ、斜めに退け!」
 真っすぐな男が、斜めを命じる時がある。真っすぐのために、斜めが要る。
 斜めの退きは、敵の照準の“手順”を狂わせる。手順は、心が弱っている時ほど頼りになる。頼りにする相手の手順を壊せ。壊している間に、味方の手順を整えろ。整った手順は、怒りより長持ちする。

 近代の砲の腹が、低く鳴った。
 鳴る前に、原田は息を吐く。吐く息で、腹の痛みを先に押し出す。押し出した痛みは、足元の砂と混ざって、匂いを変える。匂いが変わると、目が正しくなる。目が正しくなれば、槍は勝手に働く。
 薙ぎ、突き、引く。
 しかし、数は壁になる。壁の先で、影が増える。影は歩いてくる。影が歩くとき、人は息を忘れる。
 息を思い出せ。
 腹を呼べ。
 腹が呼ばれれば、槍は答える。

 もう一発。腹の熱に、別の熱が重なった。
 膝が少し折れ、土が近づく。土は冷たい。冷たさの中に、温い日々の騒ぎが映る。試衛館の柱、握り飯の塩、池田屋の階段、油小路の泥。
 その全部を抱えたまま、彼はまだ動く。抱えたまま動く動物は強い。捨てて動く動物は速いが、すぐ止まる。彼は止まらない。止まらないために、捨てない。

 「左之助、腹が」
 誰かの手が彼の帯に来る。
 「離せ」
 「離したら」
 「離せ。おまえの手は、あっちに要る」
 短い会話。短さが命を分ける。
 彼は槍の石突で土を突いて、影の角度を測る。角度は暮らしの中で人を救う。戦でも、角度は暮らしだ。
 「行け」
 もう一度、腹で出す声。
 背中の足音が、斜めに遠ざかる。遠ざかる音が正しい。

 黒門の昼は、長い。
 太陽が門の木目に吸い込まれ、戻ってこない。戻らない明るさの中で、人は陰影を発見する。陰影の発見は、構えの発見だ。
 原田は最後まで前を向き、槍の穂先を落とさなかった。落とさないというのは、振ることだけを言わない。置くべきところへ正しく置くことだ。置き方を間違えない。間違えない置き方は、短い。

 ――ここから先のことは、人によって違う。
 黒門跡の石碑の前で、誰かが説明する声を、現代の風がどこかへ持っていく。
 「原田は、ここで死んだ」と言う本がある。
 「いや、生き延びて北へ向かった」と言う書き付けもある。
 真実は一枚ではない。紙が重なるように、人の証言も重なり、薄いところだけが長く残る。濃いところは、すぐ焦げる。
 この物語では、彼は死なない。なぜなら、星の下で槍を壁に立て掛けた男の姿を、わたしたちはもう見てしまっているから。見てしまったものをなかったことにはできない。物語は、目に責任を持つ。

 だから、黒門の昼ののち――
 原田は、倒れた。倒れたが、死なない。死なないからこそ、倒れ方が難しい。
 門の陰から走ってきた町医者の若い男が、彼の腹帯を締め直した。帯の端は最初に濡れ、最初に乾く。端をきつくすれば、真ん中は働く。
 「動くな」
 「動く」
 「動けば死ぬ」
「動かなくても、死ぬことはある」
 言い負けた町医者は、彼の胸に手を置き、鼓動の拍を数えた。
 ――ひとつ、ふたつ、みっつ。
 数える歌は祈りに似ている。祈りは空白ではない。丁寧に並べ直した順番のことだ。

 夜の手前に、彼は運ばれた。
 浅草裏の狭い長屋。床板は薄く、薄いものほど長持ちする。
 薬の匂い、焦がし味噌の匂い、川の湿りの匂い。匂いは怒りを遅らせる。遅れた怒りは、たいてい消える。
 「水を」
 「少しずつ」
 妻の手のひらが、湯呑みの端を拭う。端は最初に濡れ、最初に乾く。妻の声音は低く、低い声が命を呼び戻すことがある。
 「槍は」
 彼が言う。
 「ここ」
 妻は壁の影を示した。槍はまっすぐ立っている。まっすぐ立っているものを見ると、腹が痛くても背が伸びる。

 傷は深く、しかし、意地の深さはもっと深い。意地は血より濃いが、焦げない。
 「北へ行く」
 「行けるの」
「行く。行かないと、ここにいる子どもが、俺の“まっすぐ”を悪いほうへ習う」
 「悪いほう?」
 「曲げないことと、折れないことは違う。俺は、それをまだ教えていない」
 妻は黙り、湯の蓋を押さえた。蓋は鳴らない。鳴らさない音は、よく響く。

 数日後、夜明け前の路地に、三つの影。
 原田、町医者、そして、口数の少ない荷車の男。荷車の上に粗末な布団、布団の下に板、板の下に紙。紙の上には、印。印は角を好み、角に押された丸は、息の時間を静かに収める。
 「この道は、どこへ」
 「北」
 「どこの北」
 「北は、北だ」
 短いやりとり。短いほど、遠くへ届く。

 上野の石碑の前で現代人が首を傾げるように、当時の江戸でも、彼の消息は分かれ道を作った。
 「黒門で死んだ」と言って泣いた者。
 「浅草で息を吹き返した」と囁いた者。
 「会津で見た」と眉をひそめた者。
 真実は、紙ではなく、背中の中に置かれる。置かれた真実は、歩く。歩いている間に、読む人が現れ、現れないかもしれない。読まれなくても、梁が読む。梁は古い。古いものは、命令の音程をよく覚える。

 北への道の途中、黒門の昼は彼の中で何度も巻き戻り、何度も止まった。止まるたび、別の箇所で再生される。
 ――土の冷たさ。
 ――砂の光。
 ――旗の白。
 白は降参の白ではない。帰り道の白。動線の白。約束の白。
 「重い?」
 道すがら、棒の先に白い布を結んだ子に問うと、子は胸を張って答えた。
 「重い。でも、重いとき、風が見える」
 原田は笑い、痛みで顔をしかめ、それでも笑った。
 「見えた風は、どっちへ吹いてる」
 「どっちでもない。ここ」
 子は自分の胸を指した。
 「なら、負けない」
 短い会話。短いものほど、長く残る。

 北の町で、原田は槍を壁に立て掛けた。まっすぐ。
 「俺は明日、泥の中を歩く。泥は敵も呑む。ならば泥を友にせよ」
 会津で彼はそう言い、泥の中で槍を利かせ、斜めの退きを何度も作り、撃たれ、倒れ、起き上がった。黒門の昼が、彼の膝の裏でまだ温度を持っていた。温度は、構えに残る。
 「怒るな。怒りは視界を狭める」
 斎藤が低く言えば、原田は笑って「怒ってる顔のまま、怒ってない。そういうのが強い」と返す。
 永倉が「半分守る」と言えば、原田は「半分守るための“全力”なら、できる」と応じた。
 彼らは生きて、黒門の昼をそれぞれの稽古台に乗せ直した。稽古台は古いが、汗は新しい。

 やがて、星の下での季節が終わり、白旗の朝が来た。
 五稜郭の角で、白が風に揺れる。
 原田は槍を壁に立て掛け、動かずに立ち尽くした。動かないのは、負けのポーズではない。置くべき時に正しく置く、ということだ。
 「置き方を間違えるな」
 榎本の声が、紙ではなく石の角で響いた。
 置き方を間違えない、というのは一生の稽古だ。原田が黒門の昼で学んだのは、それだった。

 降伏手続の紙に印が押され、印の朱が乾き、武器の列が二列に並び、槍の布が端から濡れて、端から乾いた。
 「槍はどうする」
 誰かが問う。
 「道具だ。道具は道具のように置け」
 原田は笑い、穂先を布で包み、石突きを拭い、壁へまっすぐ立てた。
 「まっすぐなまま置く。曲げて置くと、次に誰かが取り上げた時、勝手に曲がる」
 曲がった槍は、暮らしを傷つける。暮らしを傷つける槍は、槍ではない。

 五稜郭の白旗の朝のあと、彼は町に紛れた。紛れるとは、消えることではない。影を長くすることだ。影は踏むべき場所と踏んではいけない場所を教える。
 浅い夜、湯屋の裏で、彼は若い衆と拳より軽い小競り合いを見分け、構えだけでおさめた。
 「抜くな。構えろ。四拍目のふりで、三拍目に置け」
 若い衆は意味がわからない顔で笑い、笑った顔で肩を下ろした。下りた肩の角度が、喧嘩の刃先を鈍らせる。
 「俺は、黒門の昼から、何も変わってないか」
 彼は独り言を言い、すぐに打ち消す。
 「変わった。抜かない時、笑うようになった」
 笑うことは、怒りを遅らせる。遅れた怒りは、たいてい消える。

 年が巡り、どこかの町角に白い野菊が咲いた。誰が植えたのか、誰も覚えていない。覚えていないことが、町の優しさであり、名の安息だ。
 黒門跡に立つ者がいる。車の音が行き交い、空は明るく、門の痕跡は石碑だけになった。そこに立った者は、通り過ぎる風に耳を澄ます。かすかな踏み鳴らしの音がする気がする。気のせいだ。だが、気のせいこそが記憶を保つ。
 「原田左之助」
 名は派手で、話はいくらでも盛れる。けれど、真実は一つの姿勢に尽きる。退く者の背を守り、自分は退かない。槍をまっすぐに、目をまっすぐに、言葉を短く。黒門の昼、その短さが、彼の生涯の長さになった。短くて、長い。人は時に、そういう時間を生きる。

 黒門の昼の最中、彼が一瞬だけ見たものがある。
 それは、門の外で白を結んだ子の棒。
 白は降参の白ではない。帰り道の白。
 子は棒を一度、二度と振り、通りの端に細い道を作った。
 「重い?」
 誰かが問うと、子は言った。
 「重い。でも、重いとき、風が見える」
 黒門の昼の原田は、その言葉を知らない。だが、腹のどこかで、既にそれを知っていた。
 風が見える時、人は構えを知る。構えは、抜く前に結果を半分決める。
 黒門で彼が示したのは、抜かないための構えと、退く者の背をまっすぐ守る、という稽古だった。

 最期の瞬間、彼は何を思ったか。
 この物語では、まだその瞬間は来ない。
 来ないかわりに、彼は何度でも黒門の昼に戻り、何度でもそこから出る。戻るのは、命令ではなく準備だ。
 戻れるようにしろ。
 それは彼が槍で教えたこと、暮らしで覚えたこと、そして、名の影が長くなるたびに、町の梁が思い出すこと。

 ――ひとつ、ふたつ、みっつ。
 数える歌は祈りに似ている。祈りは空白ではない。丁寧に並べ直した順番のことだ。
 原田左之助の黒門の昼は、順番の歌の中で今も続く。
 前を向く。
 退く者の道を開ける。
 置くべき時に、正しく置く。
 怒るな。
 構えろ。
 戻れるようにしろ。
 それだけで、槍はまっすぐでいられる。
 それだけで、短いものが、長く残る。