蝦夷で星が畳まれた頃、多摩の畑では麦が風に揺れていた。
 うねの間に水が走り、泥の匂いがする。畦の草はほどよく伸び、朝露が袖に触れるたび、袖が冷たさを覚えて離さない。人はここで芽を見、葉を数え、雨を祈る。祈りは空白ではない。丁寧に並べ直した順番のことだ。名もまた、ここへ戻る。

 近藤勇――百姓の子であり、道場の主であり、新選組の局長であり、敗軍の将であった男の名は、村の口々で慎重に発音された。声の高さが半音下がり、語尾が短く落ちる。名が弔いになる時の、村の声だ。
 名は、朝の霧のように畑のうねの上で薄く伸び、日が昇ると土にしみた。しみたものは、根の髭に触れる。根は言葉を食わず、水を飲むが、しみ込んだ名に触れると、少しだけ背を伸ばす。

 村外れの社に、小さな石が置かれた。
 誰かが薄墨で“誠”と書いた小札を括る。雨に濡れて字が流れ、木の繊維が少し膨らむ。膨らんだ木の繊維は、読む人に丁寧を頼む。頼まれた丁寧は、たいてい応じる。子どもは意味を知らずに手を合わせ、大人は意味を知って目を伏せる。風が札を軽く揺らし、札の糸がきしみ、きしむ音は鐘を鳴らさない寺の鐘に似て、鳴らないまま、よく響いた。

 夏の盆には、年寄りが小さな声で昔語りを始める。
 「若いころの勇さんはな、まっすぐで、時々まっすぐすぎて、困った」
 笑いが漏れて、すぐに消える。消えた笑いは、会議を進める。会議というのは、ここでは畑の番割のことだ。どの畝を誰がいつ見るか、どの溝を誰がさらうか。
 「まっすぐすぎるのは、刀には良くても、溝には良くない」
 そう言って、年寄りは鍬の角度を直す。角度は暮らしの中で人を救う。角度で助かった茶碗があったように、角度で守られる畝がある。

 江戸から持ち帰られた断片――道場の欄間に残る刀傷、試衛館の柱に刻まれた背丈の印、稽古の合間に食った握り飯の塩の記憶。記憶は形がないが、形のあるものを媒介にして立ち上がる。名は語っている間だけ強く、語りが終わると土に沈む。沈んだ名は、作物の根をくすぐり、根が少し笑う。笑いは短く、しかし長く残る。

 村の女たちは暮らしを続ける。井戸端で夜具を洗いながら、時おり遠くを見る。
 「あの人は、最後にどんな顔をしたろう」
 答えは来ない。だが答えの来ない問いは、人を柔らかくする。柔らかくなった心で、次の年の苗を植える。柔らかい土ほど、根は入りやすい。
 「布団は端から絞れ」
 端は最初に濡れ、最初に乾く。端を整えれば、真ん中は働く。戦でも暮らしでも、間違えない手順は短い。短いものほど、長く残る。

 ある夕暮れ、畦道で少年が竹の棒を振っていた。
 祖父が笑って言う。「棒ばかり振っとらんで、草を抜け」
 少年は頷いて草を抜き、また棒を振る。棒の先に名はない。ただ身体が覚えようとしている“間合い”だけがある。間合いは剣のものだけではない。人の付き合い、言葉の距離、嘘と真の差し引き――すべてに間合いはある。村はその間合いを世代に渡していく。
 祖父は少年の肘を指でつつく。「四拍目のふりで、三拍目に置け」
 「三拍目?」
 「鳴らさない一拍が、鳴る一拍を賢くすんだ」
 少年は意味がわからない顔で頷き、棒の先を少し低くした。低い角度の棒は、草を倒さず、風だけを撫でていく。風は、撫でられても怒らない。

 秋、祭りが戻り、山車の鈴が鳴った。太鼓の拍は変わらない。変わらない拍の上に、新しい歌が乗る。歌には「誠」という言葉は出てこない。ただ、人の名前を一つ、二つ、呼ぶ。呼んで、手を離す。呼ばれた名は帰郷し、土に混ざり、やがて畑の隅に白い野菊が咲く。誰が植えたのか、誰も覚えていない。覚えていないことが、村の優しさだった。

 試衛館の跡とおぼしき場所には、今は養蚕の小屋が建った。
 梁は若く、しかし風の鳴り方は古い。若い梁は、古い言葉を柔らかく受け取る。
 女たちは繭を指で転がし、湯の温度に言葉を合わせる。「拗ねています」
 「拗ねるものには、先に謝れ」
 誰かの古い台詞が、笑いとともに湯気に溶ける。繭は黙って糸になる。糸は白い。白は降参の白ではない。暮らしの白。
 糸車の回転は、太鼓の拍と同じく変わらない。変わらないものの上に、変わるものを重ねると、ほどけにくい。

 新政府の役人が村に来た。
 礼だけだ、と彼らは言う。礼のための礼は薄いが、薄さにも価値はある。薄いものは棚の隙間に入る。隙間に入った礼は埃をかぶり、そのうち歴史という名をもらう。
 役人は新しい学校の話をした。読み書き算盤。旗は別の色に、だが子の目の高さは同じに。
 「読み書きは下手でいい」年寄りが言う。「下手な字は、読む人に丁寧を頼む。頼まれた丁寧は、たいてい応じる」
 役人は笑わずに頷いた。紙は怒りを吸わず、手順を吸う。村は紙に印をつけ、印の朱を乾かした。朱は淡い。淡い赤は、長く残る。

 江戸からの旅人が、ぼろの包みを抱えて帰ってきた。新しい世の証文を、身の上話の合間に差し出す。包みの中から出てきたのは、道場の古い竹刀の切れ端、欄間に落ちていた木片、柱に刻まれた背の印の写し。それから、墨の薄い紙に書かれた二行の言葉。
 ――戻れるようにしろ。
 ――撃てる限り撃て。撃てなくなったら退け。死ぬな、生きろ。
 読み上げた女が目を伏せ、紙を折る。折り目は丁寧で、端が揃っている。端は最初に濡れ、最初に乾く。端を揃える手つきが、暮らしの背筋を正した。

 村の男たちは畦を直し、溝を切り直す。
 「半分守る」と誰かが言い出した。
 「両方を半分守る。それが答えだ」
 戦の最中には難しい言葉も、畦と溝の前では案外やさしい。田の水と畑の水、山の道と川の道。どちらも半分ずつ、順番に通す。順番の札は寺の柱にかけられた。表に「順番」、裏に「手順」。字は下手だ。下手な字は、読むときに丁寧を呼ぶ。札の糸が風に鳴り、鳴らない鐘がよく響く。

 ある日、雨が長く降った。麦の穂が重く、稲の苗は倒れかけ、畑の土は足を取った。
「泥は敵も呑む。ならば泥を友にせよ」
 誰の言葉ともなく、その場に居合わせた全員の口から同時に落ちた。
 泥は公平だが、手順にだけ不公平だ。扱いを覚えた者をひいきする。男たちはすり足で進み、女たちは裾をからげ、子どもは棒の先の白を高く掲げ、動線を支えた。白は降参の白ではない。帰り道の白。雨の下でも、帰り道を作る。

 雨が上がった翌朝は、やけに静かだった。
 畔の上に、白い野菊がひとつ、二つ。誰が植えたのか、誰も覚えていない。覚えていないことが、村の優しさだ。
 野菊の白は、紙の白とは違う。紙の白は印を待ち、野菊の白は風を待つ。風が来ると、白は端から揺れ、揺れた端は最初に濡れ、最初に乾いた日のことを思い出す。
 市助のように旗を振る人間は、ここにはもういない。けれど、棒の白を掲げる子はいる。
 「重い?」
 「重い。でも、重いとき、風が見える」
 子がそう言うと、祖母が頷き、指の皺に白い布の手触りを入れた。入った手触りは、急に泣きたくなった時、涙を遅らせる。

 村の女たちが井戸端で話す。「江戸が東京と名を変えたそうな」
 「名は短く、影は長い」
 「影は踏む場所を教える」
 名は戻り、影は伸びる。伸びた影の上を、子が走る。子の足音は軽く、軽い足音の下で、土は黙って重みを受け止める。受け止めるというのは、返すための準備でもある。土は返す。種に、芽に、名に。

 道場の跡にやってきた写真師が、黒い布をかぶって箱に目をつけ、村人の横顔を一枚ずつ閉じ込めた。
 「この箱は、時間を浅くする」
 写真師はそう言って笑った。浅くなった時間は、皿にのる。皿にのった顔は、あとから見る人の丁寧に頼って、やっと意味を持つ。
 箱から出てきた銀の板には、賑やかなはずの祭りが、やけに静かに定着していた。静かさは、終わり方の礼儀だ。終わり方が正しいと、始まり方が静かになる。

 秋祭りの日、太鼓が鳴り、獅子が舞い、若い衆が担ぐ山車の角が、古い角と同じ角度で曲がった。
 「角度が同じだと、身体が思い出す」
 祖父が言い、少年が棒を少し低く構える。
 「四拍目のふりで三拍目に置け」
 「うん」
 少年の「うん」は、土に吸い込まれて、根の髭をくすぐる。くすぐられた根が、笑う。笑いは短く、長く残る。
 歌がひとつ、生まれた。誰の名も傷つけず、色を言わず、ただ畝の順番を数え、山車の角を数え、白の回数を数え、札の裏の字を数え、鍋の塩のひとつまみを数える歌。
 ――ひとつ、ふたつ、みっつ。
 数える歌は祈りに似ている。祈りは空白ではない。丁寧に並べ直した順番のことだ。

 冬が来た。
 畑の土は固く、霜の朝は息が白い。白は降参の白ではない。季節の白。
 寺の境内では、字の下手な者が黒板に向かい、先生が手を組んで頷く。
 「字は下手でいい」
 「はい」
 下手な字は、読むときに丁寧を頼む。頼まれた丁寧は、たいてい応じる。紙の端に押された印の朱は淡く、淡い赤は長く残る。
 先生は旅人で、名を名乗らなかった。名を出すと怒りが寄る。寄った怒りは若い字を潰す。
 裏庭の梅が音もなく芽吹く。音のない芽吹きほど、正しい。

 その冬のある晩、囲炉裏端で年寄りが話を切り出した。
「勇さんの墓には、行かんでいい」
 みな黙る。
 「行きたければ、ここで行け」
 年寄りは掌で畳を軽く押した。押したところが少しだけ温かく感じられる。
 「名は土へ帰る。土は、お前らの足の下にある」
 誰かがすすり泣き、誰かが笑い、誰かが火箸で炭を裏返した。裏の赤は表へ戻る時を待っている。赤は戦だけの色ではない。暮らしの火の赤でもある。

 年が改まり、村の入口に新しい道標が立った。墨の字はまだぎこちない。
 「道は道であり続ける」
 誰かが書き、全員が黙って頷いた。道が道であり続ける限り、旗は落ちない。たとえ白であっても。たとえば白であるからこそ。
 旅人は道を辿り、名は道を辿り、話が道を辿る。辿って戻る先に、土がある。土は名を食べないが、名を温める。温められた名は、茎の節のところで小さく鳴る。鳴り方は、人にしか聞こえない。

 春、雪解け水が用水を走った。
 用水の角に石が積まれ、その上に小さな札が結ばれた。
 表に「順番」。裏に「手順」。字は相変わらず下手だ。
 「この村の“誠”は、もう紙から消えた」
 若い者が笑って言う。
 「紙からは、な」
 年寄りが応じる。「背中には残る」
 背中の矢は、前に倒れる覚悟の分だけ伸びる。倒れるところを選べないこともある。だが、矢の影は道になる。矢の影を踏んで、子どもが学校へ行く。

 ある朝、旅の軍人が村を通った。新しい世の帽子、新しい隊列、新しい号令。
 井戸端の女が小さく会釈し、男たちは鍬を止めず、子どもは棒の白を一度だけ振った。
 軍人は足を止め、白を見て、笑わずに帽子に触れた。白は降参の白ではない。動線の白。道を通す白。
 行列が去ると、村は音のない拍手をした。鳴らさない音が、鳴る音を賢くする。

 村の端で、老人がふと言った。
 「勇という名は、ここに帰ってきた」
 誰も返事をしない。返事の代わりに、誰かが鍋の蓋を押さえ、誰かが札を柱にかけ、誰かが白を畳み、誰かが草を抜く。
 名の帰郷は、祭りではなく、手順で行われる。
 畑の土はそれをよく知っていて、春の芽の数を少しだけ多めに用意した。多めに出る芽は、全部は育たない。育たないことが、村の現実であり、優しさでもある。

 夕暮れ、少年が再び棒を振った。
 祖父は黙って見ていたが、最後にひとことだけ添えた。
「戻れるようにしろ」
 少年は頷き、棒を肩に担いで畦を渡った。戻り道は命令では作れない。準備で作る。準備は、暮らしの中では、明日の味噌の塩梅、桶の水の位置、草履の向きのことを言う。
 家に戻ると、納屋の梁が低く鳴った。梁は古い。古いものは、命令の音程をよく覚える。覚えた音程は、別の口から出ても同じ高さになる。

 夏が来て、また麦が揺れた。
 畝の端に、去年よりも多い白い野菊。
 誰が植えたのか、やはり誰も覚えていない。
 覚えていないことが、村の優しさであり、名の安息だった。
 名は、呼ばれると強く、呼ばれないと土に沈む。沈んだ名は、根の髭をくすぐり、根の髭が笑うと、地上の人間もつられて笑う。笑いは短い。短いものほど、長く残る。

 盆の夜、社の小札は新しく結び直された。
 薄墨の“誠”の字は、去年よりさらに薄い。薄いものほど、長く残ることがある。濃いものは、すぐ焦げる。
 子どもは意味を知らずに手を合わせ、大人は意味を知って目を伏せる。
 遠くの空で、雷が鳴りそうで鳴らない。鳴らさない雷は、よく響く。
 誰かが小さく歌いだした。
 ――ひとつ、ふたつ、みっつ。
 歌は祈りで、祈りは順番で、順番は暮らしだ。暮らしは、明日からまた始まる。
 敗者は、いつも翌朝から働く。
 働く手の上で、名は安らぎ、土に混ざり、白い野菊になって揺れ続ける。
 誰が植えたのか、誰も覚えていない。
 覚えていないことが、ここでの“誠”の畳み方であり、名の帰郷の作法だった。

 夜風が畑を渡り、畝の端を撫でる。端は最初に濡れ、最初に乾き、最初に風を覚える。
 風が去ったあと、土は何も言わない。
 何も言わない土の上で、人はまた種をつまみ、間をとり、指で小さな穴を開ける。
 穴は深くない。浅い穴は、長持ちする。
 土に置かれたものは、呼ばれないとき、いちばんよく育つ。
 名もまた、そうやって根を張り、いつかの秋の、誰も覚えていない野菊になる。
 それでよかった。
 それが、ここでの終わり方であり、始まり方だった。