城外の砂地に、杭の列がさらに伸びた。日が高くなると土がほどけ、夕刻にはまた締まる。その伸び縮みの癖を、測量の糸はよく覚える。糸は嘘をつかないが、人の指は急ぐと震える。震えは、数字より先に誤差を呼ぶ。
「杭はまっすぐじゃなくていい。まっすぐにしようとして、手が早口になる。遅い手で、曲がりを見ろ」
土方はそう言って、一本の杭の頭を斜めに、指の腹で撫で直した。撫でられた木は、薄く鳴る。鳴った音は、近くの石に浸みて消えた。
砲手の班では、角度の稽古が続く。角度は数であり、呼吸でもある。呼吸がそろえば、数は素直になる。
原田が照準のうしろに入って、息を吸う。「いま」
引き金が落ちる。乾いた空気を裂いて、耳より先に胸板で音を聴く。土嚢に投げ込んだ丸太が跳ね、砂が柔らかく崩れる。
「もう一度。呼吸を数えろ。数える呼吸は、怖れを薄める」
砲は人を驕らせる。驕りは角度を鈍らせる。鈍った角度は、味方を傷つける。夜学で聞いた言葉を、市助は心の奥の机にしまって、布を手で叩いた。叩き方にも角度がある。布の折り目は、風で開くとき、折り手の癖を思い出す。
宮古の失敗を、帳面に書かなかったわけではない。土方は、敗北の文章を最も短く書いた。短い敗北は、あとで読み返せる。長い敗北は、読めない。
「甲鉄、近寄らせず。白旗、重くなる。縄梯子、後半で絡む」
それだけ。余白が大きい。余白は、読む者の手順を呼ぶ。読む者まかせの余白は、怠けとは違う。怠けが呼ぶのは寝息で、余白が呼ぶのは準備だ。
市中では“順番の札”がもう何枚か増えた。港の飴屋の子が新しく彫ったのだ。表に「順番」、裏に「手順」と下手な字で彫られている。下手な字は、読むときに丁寧を呼ぶ。丁寧は、争いを遅らせる。遅れた争いは、たいてい忘れられる。
「札は貸し借りするな。借りた順番は、返すときに形が変わる」
土方がそう告げると、女たちは笑って頷いた。笑いの角度が柔らかい。柔らかい角度は、戸口を広く見せる。広い戸口には、声の出入りが増える。それが町を温める。
砲座の背後、細い溝が蛇のように伸びていく。雨水の道でもあり、伝令の道でもある。道は一本より細い道をいくつも、の方が強い。一本の太い道は、誇らしくて、弱い。
市助は溝の縁を踏まないように歩いて、ふと思う。宮古で見た海の色には縁取りがなかった。縁がないものは掴みにくい。だから陸では縁を作る。土嚢と杭と、約束で作る。
夕方、溝の端に小さな紙が落ちていた。白い。拾い上げると、手の汗で少し柔らかくなる。白は降参の白ではない。余白の白。
「誰のだ」
近くの古参が肩をすくめる。「白い紙は、空のものだ」
榎本が港から戻り、短い会議が開かれた。机の上に並ぶのは海図と測量の粗い図。粗い図は、粗いほど話が進む。細い図は、見入ってしまって話が遅れる。
「湾口、南北の発火点をずらす」榎本が指でなぞる。
「ずらす分だけ、陸は余白を増やす」土方が応じる。
荒井が石炭の山を顎で指した。「石炭は拗ねています。宮古の帰りに湿りました」
「拗ねるものには、先に謝れ。火をつけてから説得するな」
笑いが小さく起こり、すぐに消えた。消えた笑いは、会議に良く働く。会議は冷めてから決まる。
夜の訓練では、合図の“間”を稽古した。間は音楽だ。鳴らさない音の扱いが、鳴らす音を賢くする。
「三拍目で返す。四拍目のふりをして、三拍目に置く」
手旗が揺れ、ランプが応える。間違えて、笑う。笑ってから正しくなると、指は間違いをよく覚える。間違いは、次を正しくするための道具だ。
「宮古の甲板で、俺は笑えなかった」市助が小さく言う。
「笑う場ではない。笑えなかったのは正しい。正しい場所でだけ笑え。笑いも資源だ」
土方の言葉は短く、火に似ていた。短い火は、長く残る。
その晩遅く、風が南へゆっくり傾いた。五稜郭の角が風の縁でかすかに鳴る。角は、鳴るために尖っているのではない。鳴ってしまう形に、宿命のようなものがある。
土方は角に手を置き、手の骨で音を受け止めた。石は、受け止めた音を返すとき、少し優しくする。優しさは、戦の計算には入れない。だが、体の計算には入れていい。優しさは、体を折らない。
「角は風の学校だ」
傍らに来た永倉が、肩で笑った。「学校なら俺は落第だ。風は俺に問題を出さねえ」
「出してる。おまえが答えなかっただけだ」
「なんだその言い草は」
「問題に気づかないのが一番の不合格だ」
永倉は笑って、石の角を拳で軽く叩いた。石は怒らない。怒らないものは、殴る価値がない。殴れないものは、殴る必要がない。
翌朝、港の端で槍の柄が軽く鳴った。原田が子どもたちに槍の“置き方”を教えている。置き方は、振り方と同じくらい難しい。
「道の真ん中に置くな。端に置け。端は、動線の邪魔をしない」
子どもが真似をして、柄を端に立て掛ける。端が増えると、真ん中が通りやすくなる。通りやすい真ん中は、争いを呼ばない。
飴屋の子が笑いながら問う。「槍は歌うの?」
「歌わせるのは、角度だ」
子どもはわかったような顔をして、わからないように頷いた。わからなさは、学びの入口だ。入口を狭くしない。狭い入口は、誇りのためで、学びのためではない。
昼頃、遠見番が西の空を指差した。黒い点が二つ、潮の白に乗っている。近づいてはこない。
「見せに来る」榎本が言う。「影の長さを」
影を見せ合うのは、戦の挨拶だ。挨拶は、無駄ではない。挨拶の無駄を減らすと、戦が増える。
土方は砲座の影を一瞥し、港の影をもう一瞥した。影は、踏むと薄くなる。薄くなった影は、境目を見せない。境目を隠すのは、こちらの仕事だ。
「昼の稽古をやめるな。影が長いときほど、手順を短くする」
影は長く、言葉は短く。短さは、恐れの反対ではない。恐れの正しい形だ。
市中では、継ぎの糸が少し細くなった。春の糸は、冬よりもよく伸びる。伸びる糸は、引っ張りすぎると切れる。切れる音は小さいが、切れたあとの沈黙は長い。
女たちは糸を唾で湿らせ、指先でまとめる。唾の塩は、糸を覚えさせる。
「宮古はどうだったの」
問うて、すぐに首を振る。「いい。言わなくていい」
言わないことは、嘘ではない。言わないことは、治療だ。治療は、治る側の準備が整うまで待つ。待つ手の、温度の出し入れを、女たちはよく知っている。
子どもが、白い布切れを棒に結んではためかせた。白は、遊びで使うときがいちばん強い。遊びで強いものは、戦でも強い。
夕刻、砲座のうしろで、市助が小さな紙札を二枚、土に差した。どちらにも「間」と書かれている。
「なんだそれ」
「間の札です。ここからここまで、言葉を置かない」
土方は少しだけ笑った。「いい札だ。言葉は便利すぎる。便利すぎるものは、先に制限を覚えろ」
「市助」永倉が呼ぶ。「おまえは字が苦手だったはずだ」
「字は苦手ですが、間は好きです」
「玄妙だな」
「腹で読めば、わかります」
永倉は笑う。その笑いは、札の向こう側へ静かに行って、砲架の影に吸われた。影は、笑いを痛めない。
夜、霧が薄く降りた。霧は音を短くする。短い音は、間を太らせる。太い間は、合図の味方だ。
合図の稽古は、霧の夜がいちばん楽しい。楽しいと言えるのは、余裕があるからではない。怖さと仲良くなった夜の、特典のようなものだ。
「三拍目で、間を置け。間は空ではない。相手の鼓動が入ってくる器だ」
手旗が霧に溶け、ランプの丸が小さく滲む。滲んだ光は、距離を測るのに向いている。距離が見えると、手順は短くなる。
市助は旗を畳み、指先の霧の水を舐めた。水は味がない。味がないものは、安心を呼ぶ。安心が油断へ変わるまでの時間を、彼は測ろうとした。測った時間は、まだ言葉にならない。
そのころ、港の外れで小競り合いが起きた。労賃の計算で、指が早口になった。
土方が入って、指を止める。止めた指の、爪の内側に黒い煤が見える。
「爪の煤を落としてから、数えろ。煤は数を濁らせる」
水桶が運ばれ、指が濡れ、煤が薄い墨になって流れた。
「煤が墨になると、字が書ける」市助がぽつりと言い、笑いが起きて、すぐに消えた。
消えた笑いの跡へ、順番の札が二枚、重ねられた。重ねた札は、厚みの分だけ、約束の持ちがよくなる。
榎本は艦の整備を急ぎ、荒井は石炭の拗ねを宥め、土方は陸の線をもう一段細くした。細い線は切れやすいが、繋ぎやすい。繋ぐ手が増えるほど、線は意味を持つ。
「迎える線は、動く線だ。石の上に描いた地図は、石が動かない限り正しい。だが、人は動く。動く人の背中に描く地図を、今から練る」
土方の膝の上で地図が軽く鳴った。紙の芯が息をして、巻き癖がほどけた。
「背中の地図」永倉が繰り返す。「おまえ、詩人になったか」
「詩は手順に似ている。余計を削って、必要だけ残す」
「必要だけが残ると、寂しくはないか」
「寂しさは、必要の中に含めておけ」
寂しさを含んだ手順は、折れにくい。折れにくいものは、春の風に向いている。
夜半、土方は火床をひっくり返し、裏の赤を表に戻した。赤は生きている。生きている赤は、言葉を要らない。要らない赤のそばで、言葉は短くなる。
革袋から「順番」の札を取り出して、今度は地図のど真ん中に置いた。真ん中に置いた札は、すぐに退ける。退けた跡に、細い点が残る。その点が、背中の地図の起点だ。
「順番は、春に崩す」
宮古の白い旗を思い出す。重く、濡れて、板の上で灰色になった白。あの白は、負けの印ではなく、余白の素材だった。素材は、手順に仕立てられる。仕立ては、針の仕事で、呼吸の仕事で、祈りの仕事だ。
翌朝、霜が薄く降り、陽が速く昇った。星形の影が地面で短くなってゆく。短くなる影は、迷いを減らす。迷いが減ると、怒りも減る。怒りの減り方は、影の減り方に似ている。
「今日から歩哨は半拍早く回せ。交代の“間”を広げろ」
「はっ」
半拍早い交代は、遅い矢の調律だ。調律が合うと、兵の歩幅が揃う。歩幅が揃うと、独り言が減る。独り言が減ると、眠りに余白が生まれる。眠りは、見えない番兵だ。眠りを上手く使える軍は、朝に強い。
昼、港の外に再び影が現れた。遠い。こちらの動きを試す距離。
砲座では、角度が静かに測られ、数が短く口にされる。短く口にされた数は、風に散らない。
「撃つな。見るだけだ」
命令は短く、長く残る。見ている間に、土方は市中の方へ目を移した。女たちの針、子どもの薪、鍛冶の火花。音が規則正しい。規則正しさは、弱点にも強みにもなる。弱点にしない手順を、今のうちに決める。
「市助。飴屋と鍛冶屋の間に“間の札”を置け。昼の一刻は荷の出入りを止める。止めると、別の道が太る」
「はい」
札が置かれ、人の流れが少しだけ曲がった。曲がった流れの縁が、余白になる。余白は罠ではない。罠に見える余白は、たいてい罠の出来が悪い。
夕暮れ、永倉が粗末な帳面に短い句を書いた。
――白旗は 降参ならず 余白なり
「字が下手だな」原田が覗く。
「字の下手は腹で読め。腹で読めば、だいたいの句は良くなる」
土方が通りかかり、帳面の端を指で押さえた。「句は手順に効く」
「はは。詩人認定」
「詩は、余計を削る技だ。戦に要る」
言いながら、土方は句の上の白い余白をじっと見た。余白が広い。広い余白は、次の文字を呼ばない。呼ばない余白は、完成であり、休息だ。
夜更け、歌が、やっと生まれた。
低く始まり、誰の名も傷つけず、宮古の朝焼けの色を言わず、白旗の重さを言わず、ただ、港の影の角度を数える歌。
ひとつ、ふたつ、みっつ――。
数える歌は祈りに似ている。祈りは手続きを必要とする。手続きは、余白と間でできている。
火床の火が小さく応え、梁がその歌を覚えた。梁は古い。古いものは歌をよく覚える。覚えた歌は、朝の合図のとき、梁の影から静かに降りてくる。
明け方、遠くで短い汽笛が鳴った。呼気のように短く、答えを求めない音。
土方は立ち上がり、手袋をはめる。革は冷たいが、動けばすぐ馴染む。
砲座へ向かう途中、彼は一度だけ港を振り返った。継ぎの糸が、初夏の布のように細く延びていく気配がする。延びるものは、切れやすい。切らせないのが、こちらの仕事だ。
「来る」
誰にともなく言って、彼は星形の角に立った。角は、迎えるための形だ。迎え撃ったのちも、なお動くための形だ。
陸で割る線は、もう引いてある。引いた線は、足で確かめる。足で確かめた線は、手順になる。手順になった線は、祈りに似る。祈りに似た線は、折れにくい。
白い旗は、今や降参の印ではない。町と砲座と背中の地図のあいだに置く、余白のしるしだ。余白は、こちらが選ぶ。選んだ余白の広さで、勝ち負けの形が、少しだけ変わる。
五稜郭の角を風が撫でる。
港のロープは、朝の湿りで重くなり、兵の髭の霜はもう降りない。
歌は低く、短く続き、やがて止んだ。止むところで止まる歌は、長持ちする。
土方は振り向かない。背中の矢は、前に倒れる覚悟の分だけ、まだ伸びる。
――海で外すなら、陸で割れ。
言葉は梁に絡み、火の灰に落ち、地図の芯に吸い込まれ、町の約束の札に薄く移り、子どもの白い布に映って、朝の光で見えなくなる。見えなくなるものほど、よく働く。春はそういうものを好む。
春はもう、こちらの“間”を測っている。間を失わなければ、遅い矢は迷わない。迷わない矢は、要る時だけ、静かに刺さる。
遠見番が小さく手を上げた。
土方は頷き、短く息を吐いた。
準備は、もう“祈り”になっている。祈りは空白ではない。丁寧に並べ直した順番のことだ。
その順番を、今、動かす。
火床の灰は薄く、まだ温かい。灰の下の赤は、表に出るのを待っている。
土方は灰をひと匙だけ持ち上げて、そっと戻した。赤は息をした。
朝の音が、星形の角を滑り降りる。
迎える。迎え撃つ。なお、動く。
紙の上で、土の上で、人の背中の上で。
ここから先は、余白の仕事だ。余白に入ってくる相手の形を、静かに受け取り、静かに返す。
そして、歌はそのあとに続く。冷めてから、短く、長く残る調子で。
「杭はまっすぐじゃなくていい。まっすぐにしようとして、手が早口になる。遅い手で、曲がりを見ろ」
土方はそう言って、一本の杭の頭を斜めに、指の腹で撫で直した。撫でられた木は、薄く鳴る。鳴った音は、近くの石に浸みて消えた。
砲手の班では、角度の稽古が続く。角度は数であり、呼吸でもある。呼吸がそろえば、数は素直になる。
原田が照準のうしろに入って、息を吸う。「いま」
引き金が落ちる。乾いた空気を裂いて、耳より先に胸板で音を聴く。土嚢に投げ込んだ丸太が跳ね、砂が柔らかく崩れる。
「もう一度。呼吸を数えろ。数える呼吸は、怖れを薄める」
砲は人を驕らせる。驕りは角度を鈍らせる。鈍った角度は、味方を傷つける。夜学で聞いた言葉を、市助は心の奥の机にしまって、布を手で叩いた。叩き方にも角度がある。布の折り目は、風で開くとき、折り手の癖を思い出す。
宮古の失敗を、帳面に書かなかったわけではない。土方は、敗北の文章を最も短く書いた。短い敗北は、あとで読み返せる。長い敗北は、読めない。
「甲鉄、近寄らせず。白旗、重くなる。縄梯子、後半で絡む」
それだけ。余白が大きい。余白は、読む者の手順を呼ぶ。読む者まかせの余白は、怠けとは違う。怠けが呼ぶのは寝息で、余白が呼ぶのは準備だ。
市中では“順番の札”がもう何枚か増えた。港の飴屋の子が新しく彫ったのだ。表に「順番」、裏に「手順」と下手な字で彫られている。下手な字は、読むときに丁寧を呼ぶ。丁寧は、争いを遅らせる。遅れた争いは、たいてい忘れられる。
「札は貸し借りするな。借りた順番は、返すときに形が変わる」
土方がそう告げると、女たちは笑って頷いた。笑いの角度が柔らかい。柔らかい角度は、戸口を広く見せる。広い戸口には、声の出入りが増える。それが町を温める。
砲座の背後、細い溝が蛇のように伸びていく。雨水の道でもあり、伝令の道でもある。道は一本より細い道をいくつも、の方が強い。一本の太い道は、誇らしくて、弱い。
市助は溝の縁を踏まないように歩いて、ふと思う。宮古で見た海の色には縁取りがなかった。縁がないものは掴みにくい。だから陸では縁を作る。土嚢と杭と、約束で作る。
夕方、溝の端に小さな紙が落ちていた。白い。拾い上げると、手の汗で少し柔らかくなる。白は降参の白ではない。余白の白。
「誰のだ」
近くの古参が肩をすくめる。「白い紙は、空のものだ」
榎本が港から戻り、短い会議が開かれた。机の上に並ぶのは海図と測量の粗い図。粗い図は、粗いほど話が進む。細い図は、見入ってしまって話が遅れる。
「湾口、南北の発火点をずらす」榎本が指でなぞる。
「ずらす分だけ、陸は余白を増やす」土方が応じる。
荒井が石炭の山を顎で指した。「石炭は拗ねています。宮古の帰りに湿りました」
「拗ねるものには、先に謝れ。火をつけてから説得するな」
笑いが小さく起こり、すぐに消えた。消えた笑いは、会議に良く働く。会議は冷めてから決まる。
夜の訓練では、合図の“間”を稽古した。間は音楽だ。鳴らさない音の扱いが、鳴らす音を賢くする。
「三拍目で返す。四拍目のふりをして、三拍目に置く」
手旗が揺れ、ランプが応える。間違えて、笑う。笑ってから正しくなると、指は間違いをよく覚える。間違いは、次を正しくするための道具だ。
「宮古の甲板で、俺は笑えなかった」市助が小さく言う。
「笑う場ではない。笑えなかったのは正しい。正しい場所でだけ笑え。笑いも資源だ」
土方の言葉は短く、火に似ていた。短い火は、長く残る。
その晩遅く、風が南へゆっくり傾いた。五稜郭の角が風の縁でかすかに鳴る。角は、鳴るために尖っているのではない。鳴ってしまう形に、宿命のようなものがある。
土方は角に手を置き、手の骨で音を受け止めた。石は、受け止めた音を返すとき、少し優しくする。優しさは、戦の計算には入れない。だが、体の計算には入れていい。優しさは、体を折らない。
「角は風の学校だ」
傍らに来た永倉が、肩で笑った。「学校なら俺は落第だ。風は俺に問題を出さねえ」
「出してる。おまえが答えなかっただけだ」
「なんだその言い草は」
「問題に気づかないのが一番の不合格だ」
永倉は笑って、石の角を拳で軽く叩いた。石は怒らない。怒らないものは、殴る価値がない。殴れないものは、殴る必要がない。
翌朝、港の端で槍の柄が軽く鳴った。原田が子どもたちに槍の“置き方”を教えている。置き方は、振り方と同じくらい難しい。
「道の真ん中に置くな。端に置け。端は、動線の邪魔をしない」
子どもが真似をして、柄を端に立て掛ける。端が増えると、真ん中が通りやすくなる。通りやすい真ん中は、争いを呼ばない。
飴屋の子が笑いながら問う。「槍は歌うの?」
「歌わせるのは、角度だ」
子どもはわかったような顔をして、わからないように頷いた。わからなさは、学びの入口だ。入口を狭くしない。狭い入口は、誇りのためで、学びのためではない。
昼頃、遠見番が西の空を指差した。黒い点が二つ、潮の白に乗っている。近づいてはこない。
「見せに来る」榎本が言う。「影の長さを」
影を見せ合うのは、戦の挨拶だ。挨拶は、無駄ではない。挨拶の無駄を減らすと、戦が増える。
土方は砲座の影を一瞥し、港の影をもう一瞥した。影は、踏むと薄くなる。薄くなった影は、境目を見せない。境目を隠すのは、こちらの仕事だ。
「昼の稽古をやめるな。影が長いときほど、手順を短くする」
影は長く、言葉は短く。短さは、恐れの反対ではない。恐れの正しい形だ。
市中では、継ぎの糸が少し細くなった。春の糸は、冬よりもよく伸びる。伸びる糸は、引っ張りすぎると切れる。切れる音は小さいが、切れたあとの沈黙は長い。
女たちは糸を唾で湿らせ、指先でまとめる。唾の塩は、糸を覚えさせる。
「宮古はどうだったの」
問うて、すぐに首を振る。「いい。言わなくていい」
言わないことは、嘘ではない。言わないことは、治療だ。治療は、治る側の準備が整うまで待つ。待つ手の、温度の出し入れを、女たちはよく知っている。
子どもが、白い布切れを棒に結んではためかせた。白は、遊びで使うときがいちばん強い。遊びで強いものは、戦でも強い。
夕刻、砲座のうしろで、市助が小さな紙札を二枚、土に差した。どちらにも「間」と書かれている。
「なんだそれ」
「間の札です。ここからここまで、言葉を置かない」
土方は少しだけ笑った。「いい札だ。言葉は便利すぎる。便利すぎるものは、先に制限を覚えろ」
「市助」永倉が呼ぶ。「おまえは字が苦手だったはずだ」
「字は苦手ですが、間は好きです」
「玄妙だな」
「腹で読めば、わかります」
永倉は笑う。その笑いは、札の向こう側へ静かに行って、砲架の影に吸われた。影は、笑いを痛めない。
夜、霧が薄く降りた。霧は音を短くする。短い音は、間を太らせる。太い間は、合図の味方だ。
合図の稽古は、霧の夜がいちばん楽しい。楽しいと言えるのは、余裕があるからではない。怖さと仲良くなった夜の、特典のようなものだ。
「三拍目で、間を置け。間は空ではない。相手の鼓動が入ってくる器だ」
手旗が霧に溶け、ランプの丸が小さく滲む。滲んだ光は、距離を測るのに向いている。距離が見えると、手順は短くなる。
市助は旗を畳み、指先の霧の水を舐めた。水は味がない。味がないものは、安心を呼ぶ。安心が油断へ変わるまでの時間を、彼は測ろうとした。測った時間は、まだ言葉にならない。
そのころ、港の外れで小競り合いが起きた。労賃の計算で、指が早口になった。
土方が入って、指を止める。止めた指の、爪の内側に黒い煤が見える。
「爪の煤を落としてから、数えろ。煤は数を濁らせる」
水桶が運ばれ、指が濡れ、煤が薄い墨になって流れた。
「煤が墨になると、字が書ける」市助がぽつりと言い、笑いが起きて、すぐに消えた。
消えた笑いの跡へ、順番の札が二枚、重ねられた。重ねた札は、厚みの分だけ、約束の持ちがよくなる。
榎本は艦の整備を急ぎ、荒井は石炭の拗ねを宥め、土方は陸の線をもう一段細くした。細い線は切れやすいが、繋ぎやすい。繋ぐ手が増えるほど、線は意味を持つ。
「迎える線は、動く線だ。石の上に描いた地図は、石が動かない限り正しい。だが、人は動く。動く人の背中に描く地図を、今から練る」
土方の膝の上で地図が軽く鳴った。紙の芯が息をして、巻き癖がほどけた。
「背中の地図」永倉が繰り返す。「おまえ、詩人になったか」
「詩は手順に似ている。余計を削って、必要だけ残す」
「必要だけが残ると、寂しくはないか」
「寂しさは、必要の中に含めておけ」
寂しさを含んだ手順は、折れにくい。折れにくいものは、春の風に向いている。
夜半、土方は火床をひっくり返し、裏の赤を表に戻した。赤は生きている。生きている赤は、言葉を要らない。要らない赤のそばで、言葉は短くなる。
革袋から「順番」の札を取り出して、今度は地図のど真ん中に置いた。真ん中に置いた札は、すぐに退ける。退けた跡に、細い点が残る。その点が、背中の地図の起点だ。
「順番は、春に崩す」
宮古の白い旗を思い出す。重く、濡れて、板の上で灰色になった白。あの白は、負けの印ではなく、余白の素材だった。素材は、手順に仕立てられる。仕立ては、針の仕事で、呼吸の仕事で、祈りの仕事だ。
翌朝、霜が薄く降り、陽が速く昇った。星形の影が地面で短くなってゆく。短くなる影は、迷いを減らす。迷いが減ると、怒りも減る。怒りの減り方は、影の減り方に似ている。
「今日から歩哨は半拍早く回せ。交代の“間”を広げろ」
「はっ」
半拍早い交代は、遅い矢の調律だ。調律が合うと、兵の歩幅が揃う。歩幅が揃うと、独り言が減る。独り言が減ると、眠りに余白が生まれる。眠りは、見えない番兵だ。眠りを上手く使える軍は、朝に強い。
昼、港の外に再び影が現れた。遠い。こちらの動きを試す距離。
砲座では、角度が静かに測られ、数が短く口にされる。短く口にされた数は、風に散らない。
「撃つな。見るだけだ」
命令は短く、長く残る。見ている間に、土方は市中の方へ目を移した。女たちの針、子どもの薪、鍛冶の火花。音が規則正しい。規則正しさは、弱点にも強みにもなる。弱点にしない手順を、今のうちに決める。
「市助。飴屋と鍛冶屋の間に“間の札”を置け。昼の一刻は荷の出入りを止める。止めると、別の道が太る」
「はい」
札が置かれ、人の流れが少しだけ曲がった。曲がった流れの縁が、余白になる。余白は罠ではない。罠に見える余白は、たいてい罠の出来が悪い。
夕暮れ、永倉が粗末な帳面に短い句を書いた。
――白旗は 降参ならず 余白なり
「字が下手だな」原田が覗く。
「字の下手は腹で読め。腹で読めば、だいたいの句は良くなる」
土方が通りかかり、帳面の端を指で押さえた。「句は手順に効く」
「はは。詩人認定」
「詩は、余計を削る技だ。戦に要る」
言いながら、土方は句の上の白い余白をじっと見た。余白が広い。広い余白は、次の文字を呼ばない。呼ばない余白は、完成であり、休息だ。
夜更け、歌が、やっと生まれた。
低く始まり、誰の名も傷つけず、宮古の朝焼けの色を言わず、白旗の重さを言わず、ただ、港の影の角度を数える歌。
ひとつ、ふたつ、みっつ――。
数える歌は祈りに似ている。祈りは手続きを必要とする。手続きは、余白と間でできている。
火床の火が小さく応え、梁がその歌を覚えた。梁は古い。古いものは歌をよく覚える。覚えた歌は、朝の合図のとき、梁の影から静かに降りてくる。
明け方、遠くで短い汽笛が鳴った。呼気のように短く、答えを求めない音。
土方は立ち上がり、手袋をはめる。革は冷たいが、動けばすぐ馴染む。
砲座へ向かう途中、彼は一度だけ港を振り返った。継ぎの糸が、初夏の布のように細く延びていく気配がする。延びるものは、切れやすい。切らせないのが、こちらの仕事だ。
「来る」
誰にともなく言って、彼は星形の角に立った。角は、迎えるための形だ。迎え撃ったのちも、なお動くための形だ。
陸で割る線は、もう引いてある。引いた線は、足で確かめる。足で確かめた線は、手順になる。手順になった線は、祈りに似る。祈りに似た線は、折れにくい。
白い旗は、今や降参の印ではない。町と砲座と背中の地図のあいだに置く、余白のしるしだ。余白は、こちらが選ぶ。選んだ余白の広さで、勝ち負けの形が、少しだけ変わる。
五稜郭の角を風が撫でる。
港のロープは、朝の湿りで重くなり、兵の髭の霜はもう降りない。
歌は低く、短く続き、やがて止んだ。止むところで止まる歌は、長持ちする。
土方は振り向かない。背中の矢は、前に倒れる覚悟の分だけ、まだ伸びる。
――海で外すなら、陸で割れ。
言葉は梁に絡み、火の灰に落ち、地図の芯に吸い込まれ、町の約束の札に薄く移り、子どもの白い布に映って、朝の光で見えなくなる。見えなくなるものほど、よく働く。春はそういうものを好む。
春はもう、こちらの“間”を測っている。間を失わなければ、遅い矢は迷わない。迷わない矢は、要る時だけ、静かに刺さる。
遠見番が小さく手を上げた。
土方は頷き、短く息を吐いた。
準備は、もう“祈り”になっている。祈りは空白ではない。丁寧に並べ直した順番のことだ。
その順番を、今、動かす。
火床の灰は薄く、まだ温かい。灰の下の赤は、表に出るのを待っている。
土方は灰をひと匙だけ持ち上げて、そっと戻した。赤は息をした。
朝の音が、星形の角を滑り降りる。
迎える。迎え撃つ。なお、動く。
紙の上で、土の上で、人の背中の上で。
ここから先は、余白の仕事だ。余白に入ってくる相手の形を、静かに受け取り、静かに返す。
そして、歌はそのあとに続く。冷めてから、短く、長く残る調子で。



