朝餉の湯気が低く漂う時刻、政庁の机に並ぶ紙札の束は夜のうちに乾きを取り戻し、墨は寒さに負けぬ黒さを保っていた。土方は捺印の角を指でなぞり、印面の冷たさで眠気を剥ぎ取る。石垣の外では、弁天台場と五稜郭のあいだに張られた見えない網――旗と笛、手旗と銃声、灯火の遮蔽と船の舵角――が、朝の霜にきらりとも見せずに張力だけを増していく。網目の一つひとつが人間の肩と膝で出来ていることを、土方の身体は知っていた。

 港の封鎖は形としては簡単でも、匂いとして保つのが難しい。匂いとは、町の人間が「あちら側へ渡ると面倒が増える」と嗅ぎ取る空気だ。榎本の艦は湾口に斜めに身を横たえ、砲門を海にも陸にも半身だけ開く。船腹の陰で小舟が滑り、港役所の机には、入港税と荷の検査に関する細目が新たに加えられた。荷は荒らさぬ、代価は明らかに、夜間の出入りは灯を伏せて短く。紙にすれば薄い約束も、港の木戸と船腹の肋骨に触れると堅くなる。不思議なものだ、と土方は思う。約束は、人の手に触れた回数で硬度が増す。

 昼前、松前口から敵の斥候が十余、雪を巻き上げながら現れた。背の板に新しい塗り、袖章の白もまだ洗いざらしの匂いがする。五稜郭の北西稜角から出した前備の半隊が、弁天台場の射線と合う角を保ちながら斜面を下る。足音は雪の下で鈍り、銃声は三度。こちらの三度は合図で、向こうの三度は返礼だった。四度目を拒むのは、土方が港と町に浸透させた「三の決め」。三度でやめれば、血の匂いは港の飯に混ざらない。混ざらなければ、明日の列が乱れない。乱れない列が、軍を温める。軍に温度があるかぎり、五稜の星は石ではない。

 午後は内周の整備に移る。堀の氷を鏡に見立て、見張りの影の長さを測る。影が長い時間帯に人を多く置き、短いときは手旗の角度で補う。堀沿いの土手に刻む浅い溝は、夜襲の靴底を奪うためのものだ。深いと敵も味方も同じ足を取られる。浅い罠は、味方だけが位置を覚える。覚えるには、朝夕の歩度が要る。歩度とは、石と雪と肉の拍を合わせる儀式である。

 夕刻、政庁の戸口に舟大工が目を細めて立った。手に抱えたのは、四角い桁木の模型。

 「副長、台場の柵、楔の向きを少し変えませんかい。風の筋が違ってきやした」

 土方は模型の角を指で押し、木目の向きと釘の頭の咬みを確かめた。冬は、木が味方にも敵にもなる。木の機嫌を読むのは海の衆の仕事だ。海と陸の知恵を合わせることが、ここでは戦術であり、政である。

 「変えよう。楔は北東に寝かせる。代わりに桟の高さを半寸上げる。――人の肩で合わせろ」

 舟大工はうなずき、板の端で口を拭った。港の人間が戦の中心に入ってくるとき、五稜郭は石から体へと変わる。体になった城は、腹も背も持つ。背がある城は、押すよりも動かす城になる。

     *

 亀田山方面は、雪の裾野が広く、音が吸われる。敵が斜面の陰に集まり、こちらの哨戒線に触れては離れた。斎藤一がいない穴を、永倉の前備と土方の「待」で埋める。待は弱くない。待は、刃を遅らせて敵の足を老いさせる技だ。老いた足は上り坂に弱い。弱い足を、わざと浅い溝へ誘う。誘うといっても、言葉ではない。歩幅と影の角度と、笛の高さで道を示すのだ。

 雪の切れ間に敵の火がのぞいた。古い筒の口火。湿った火薬の匂い。遠いのに鼻にくるのは、風がこちらへ寝返ったからだ。土方は堀端の石に指を添え、寒さの痛みで合図の時機を読む。痛みが一段鋭くなる瞬間がある。そこが、こちらの動きが風の拍に合う点だ。

 「進め。半歩」

 半歩は、沖田の遺言のようなものだ。半歩を残しておけば、刃はまだ前に出られる。半歩を使い切れば、刃は後ろへ倒れる。前備は影の縁で一斉に身を翻し、弁天台場の短い砲声が斜めに雪を切った。砲の音は低く、陸の胸に優しく響く。優しい砲が、冬には強い。強い砲に、敵の列が一度だけたわみ、それで十分だった。こちらは追わない。詩になるからだ。詩は最後に置く。

 この夜、五稜郭の台所では干し鱈の白身が崩れ、芋の甘みが増していた。分配の札を持った女たちが列の長さを見て、鍋の湯の量を匙で調整する。匙は政であり、戦である。湯が濃ければ、翌朝の足が重くなる。薄ければ、声が荒れる。匙の角度ひとつで、列の拍が変わる。拍が変われば、戦機が変わる。土方は匙の音を耳で数えながら、紙の余白に小さく「匙」と書き加えた。冬の政の道具に、武器の名前は不要だ。

     *

 紙札の流通は港を生かし、町をつなぎ、同時に緊張を孕んだ。兌換の列の端で「紙切れだ」と笑う男もいた。笑いは凍って短く、短さが毒を減らす。列を長くしないために、土方は「渡す手」を増やす。渡す手とは、札を手渡す人間のことではない。紙札を動かす線だ。港の荷役、町の問屋、農の納屋。渡す手の数だけ、紙は硬くなる。硬くなった紙は、寒さに強い。

 印版の字画はさらに太らせ、裏面には五稜郭の稜角を二つに増やした。偽札の噂を先手で潰す。噂は戦より速い。速い噂には、短い事実で返す。短い事実とは、札の角で指を切った船頭の指先の血だ。血が一滴、納屋の板に落ちれば、その札は町の空気の一部になる。空気になった札は、武器より強い。

 政庁の机に、漁師の女が魚籠を置いた。子持ちの鱒が二尾。女は口を結び、目に氷のような光を宿して言った。

 「紙は嫌いだ。けれど、列が乱れないのは好きだよ」

 土方は笑わない。笑いは詩に近い。詩は最後だ。代わりに札の端に印を押し、「次の週の列の先頭」の木札を渡した。木札は冷たく、軽い。軽さは誇りに変わる。誇りは長持ちする。誇りがある列は、怒りを育てない。

     *

 敵の増援が、やがて海からも陸からも来る――それは全員が知っていた。知っている事実ほど、準備は静かになる。星形稜堡の強みは、死角の少なさと火線の重なりだが、冬においては「歩度の重なり」が勝敗を分ける。土方は五稜郭を中心に三層の縦深を描いた。外輪は斥候と攪乱、中輪は小銃と小砲の斜角射、内輪は土嚢と柵の遅滞線。各輪に「止まり木」をふたつずつ置き、合図の笛は高さを三段に固定。走る者の息と、撃つ者の肩と、運ぶ者の腰が、同じ拍で動くとき、城は生き物になる。

 弁天台場との連携は、港の封鎖の延長にある。砲は海を向くだけでなく、内陸の街道にも牙を向ける。牙はむやみに噛まない。噛む前に「見せる」。見せるとは、照準を合わせておいて、撃たないことだ。撃たないことで、相手の歩幅が詩になる。詩は、冬に弱い。弱った詩は、やがて散文になる。散文の敵は、こちらの紙に吸われる。紙に吸われた敵は、列に並ぶ。

 この連携の細目を詰めるために、榎本と土方は夜毎、短い会合を重ねた。卓上の灯は低い。海の言葉は角を持ち、陸の言葉は拍を持つ。角と拍をすり合わせるのは、技ではなく呼吸だ。呼吸が合えば、紙は薄くて強い布になる。布は、星の角で風を受ける。

 「共和国」という詩の形が榎本の口から漏れるたび、土方は詩の位置を確認した。詩を前に出す日が来る。来るが、今ではない。詩を掲げるには、紙が足らぬ。紙が足りぬと、詩は風に飛び、敵の旗の色になる。色は、こちらの胸を刺す。詩は最後。紙は今。今の紙の裏に、土方は小さく「詩」とだけ書いて、印で隠した。

     *

 松前口での小競り合いが続くあいだ、亀田山では敵の兵站を悩ませる策が受け取られた。「雪を味方にする」。単純な言葉だが、実行は骨が折れる。雪は道を隠し、足跡を残し、音を吸い、光を散らす。斥候は白い布で銃を巻き、背の板に黒い煤を薄く塗った。黒は雪の上で影の輪郭を曖昧にし、白は木立の隙間で光と混ざる。混ざる影は、狙いにくい。狙いにくい敵に、人は弾を惜しむ。惜しむ弾の数は、翌朝の紙の数字に現れる。数字が軽い日は、港の笑いが一つ増える。

 永倉は前備の足をさらに鍛えた。槍は低く、刀は遅く。遅い刀は、味方を減らさない。彼は若い兵に言う。「刺しにいくな、打ちにいけ」。打てば柄が折れにくい。刺せば刃が折れやすい。折れは、冬の敵だ。折れた刃は、捨てられた詩になる。詩は最後だ、と永倉は笑った。笑いは短く、深く、凍らなかった。

 政庁の机には、各所の「止まり木」から届いた短冊状の報告が積もる。短冊の端には、その場所の小さな絵。社の屋根、倒木、半壊の物見、凍った水場。絵は文字より速く伝わる。伝わる速さが人の膝に移り、膝の強さが堀の氷を長持ちさせる。長持ちした氷は、敵の足を遅らせる。遅れは勝ちの一種だ。勝ちは歌ではない。拍だ。

     *

 雪はやむ。やむとき、音が戻る。戻る音の中に、遠い砲声が紛れ込んだ。海の線の向こう、陸の線の手前。増援の影だ。榎本の艦は湾口で舵角をわずかに切り、弁天台場の砲門が半身だけ開く。土方は五稜郭の北稜に上がり、風を頬で読む。風は、まだこちら側だ。頬の皮膚がそう言う。頬の言うことは、目より正確だ。目は詩を欲しがるから。

 「各輪、拍を詰めよ」

 号令は短い。短さが、恐れを一歩遅らせる。外輪の斥候が雪の縁を舐め、中輪の銃隊が肩の高さを合わせ、内輪の土嚢が口をつぐむ。見張りの肩で刻む拍に、政庁の机の匙の音が重なり、港の桟橋のきしみがさらに重なる。重なる音は、軍の心臓の音になる。心臓が鳴れば、星は光る。光は見えない。見えない光ほど、戦の味方だ。

 増援は夜半に姿を隠し、朝の白のなかでふたたび輪郭を見せた。松前口へ、亀田山へ、二手。土方は紙の腹に小さく線を引き、弁天台場の射角を一度だけ変えた。角は詩だ。詩は最後だ。だが角度は今、武器になる。湾の袖に入った敵の舟へは撃たない。撃てば港が荒れる。港が荒れれば、列が乱れる。列が乱れれば、こちらの拍が死ぬ。死ぬ拍は、蘇らない。蘇らないものは、詩にもならない。

 亀田山の裾野で、前備が一度だけ押し返した。押すのではない、返すのだ。返すとは、相手の歩幅をこちらの拍に引き込むこと。引き込まれた歩幅は、峠の手前で息を切らす。息が切れれば、目が詩を欲しがる。詩を欲しがる目の前に、土嚢と柵が静かに立っている。静かな障害物は、詩に勝つ。

 松前口では、弁天台場の砲と五稜の銃眼が斜角に交わった。交わる瞬間に撃たないことが、海軍と陸の約束だ。撃てば詩で、撃たねば拍。拍が勝つ。勝ちは、石垣の上で跳ねない。跳ねない勝ちこそ、冬に似合う。

     *

 夜、星の角が霜で硬くなる。硬さは、柔らかさの裏返しだ。土方は天守台に上がり、港の灯を見下ろした。灯は低く、数は多い。多くても高くしない。高い灯は風に口を開け、敵に言葉を漏らす。低い灯は港の胸に光を集め、船腹の影に温い空気をつくる。温い空気があれば、紙は乾き、印は鮮明になり、札は硬くなる。硬い札は、朝の列を短くする。短い列は、兵の足を軽くする。軽い足は、刃を遅らせる。遅い刃は、味方を減らさない。

 背後で、永倉が咳払い一つ。
 「副長。明朝の歩度、雪の上で一度増やしたい」

 「増やせ。膝で合わせろ。足首で合わせるな」

 「了解」

 言葉は短い。短さが、互いの余白を保つ。余白があれば、失敗が死なない。死なぬ失敗は、翌日の工夫になる。工夫は、詩にしなくてよい。詩は最後だ。

     *

 箱館の外れで、紙札の噂に新たな色が混じった。「札の裏の星は、夜、光るらしい」。笑い話だ。だが笑いは凍らず、列の端で人を少しだけ温める。温まった体は怒りを忘れる。忘れた怒りのぶんだけ、明朝の足取りは静かになる。静かな足取りは、敵の耳に入らない。入らない音が、勝ちを運ぶ。

 政庁の片隅で、子どもが「誠」の字を練習していた。骨はあるが、まだ線が躍る。躍る線は春のものだ。春はまだ来ない。来ないが、紙の上で春を予習しておくのは悪くない。土方は墨の匂いを吸い込み、紙の端に「春」と小さく書いて、印で消した。消された春は、胸の裏で息をする。息をする春は、冬の拍と喧嘩をしない。

     *

 敵の増援は、三日目の朝、霜の薄皮を踏み破る音を連れてきた。松前の方から低い雲、亀田の方から白い息。土方は両手で天守の石を押さえ、冷たさで時刻を測る。頬の皮膚が告げる。「今だ」。

 「弁天、一手遅らせ」

 榎本の旗が半寸、風を切った。港は荒れない。荒れない港は、戦の器だ。器が割れねば、酒はこぼれない。こぼれない酒は、夜の歌を短くする。短い歌は、長く残る。残る歌は、士気ではない。拍だ。

 亀田山の裾で、前備が「返し」の半歩を使った。雪面に走る足は浅く、槍の穂先は低く、刀の抜き際は遅い。遅さが、敵の速さを空回りさせる。空回りした速さは、やがて重さに変わる。重い足は、溝を越えられない。越えられないものを、越えさせない。越えさせない者は、笑わない。笑えば詩だ。詩は最後だ。

 松前口では、弁天台場の砲が短く吠え、湾の袖に入った舟の舳先だけを割った。割れるべきは器の縁であって、中身ではない。中身を殺さず、縁だけを割る。それが海の作法だ。作法と戦法が一致するとき、軍はよく動く。動く軍の背中で、五稜郭の石が温かかった。石は温まる。温まる石は、夜の霜を遅らせる。遅れが、眠りをつくる。眠りが、明日の拍を整える。

     *

 増援の波を二度やり過ごした頃、港の子どもが雪で星を描いた。五つの角が不格好で、笑いが起き、笑いは凍らなかった。笑いは政ではない。だが政を支える。笑いがあれば、列の怒りは短くなる。短い怒りは、刀の柄に移らない。移らない刀は、最後まで鋭い。

 榎本は海の地図の端に、星を一つ描き足した。「灯」と書いた。灯は詩に近い。だが今は、仕事だ。仕事の灯を頼りに、蝦夷の各地から男たちが少しずつ集まる。彼らの靴は濡れており、目は乾いている。乾いた目は、紙を欲しがる。紙を渡す。渡すとき、名前を訊かない。訊けば詩になる。詩は最後だ。代わりに列の順番だけを示す。順番は人の名より強い。強い順番が、場の怒りを飲み込む。

 その夜、土方は袖章の「誠」を指で確かめ、糸の節の硬さを覚え直した。白は褪せ、線は細い。だが、消えない。消えないものは、詩に近い。近いが、まだ詩にしない。しないまま、旗の芯にしまう。芯は、星の角ごとに分かたれている。分かたれた芯が、五方向に拍を送る。拍が揃えば、号砲は短くて足りる。

     *

 奪還の号砲は、意図して長く鳴らさなかった。短い音は、遠くまで届く。遠くで、石狩の浜がその音を拾い、山背の風が音の薄皮を北へ滑らせる。津軽の向こうでも、誰かがその音の残り香を嗅ぎ、江戸のどこかの戸袋で、紙の端が小さく鳴った。鳴り方は誰にも似ていない。似ていない音が、本物だ。

 土方は号砲のあと、政庁の机に戻り、印を二つ押した。『紙札之増刷』『米之前借』。詩ではない。拍だ。拍が続けば、星は地上で光り続ける。光り続ける星は、敵の地図に影を落とす。影は恐れではない。計算だ。計算を敵に強いることが、冬の勝ちだ。

 夜半、五稜の石が薄く息を吐いた。堀の氷が鳴り、弁天の砲門が眠り、港の灯が頷いた。箱館の町は、短い笑いを胸にしまい、列を崩さない準備をして眠った。眠りの浅い者は、紙を枕にした。紙は冷たい。だが、その冷たさが、胸の熱を形にする。形になった熱が、明日の半歩を生む。

 星の角に、雪が新しく積もる。積もる雪は、刃の代わりに白い線を描く。その線は、港から町へ、町から農へ、農から兵へ、兵から星へ、また港へ。循環は鼓動だ。鼓動の真ん中に、短い言葉が一つある。「まだ、やれる」。言葉は詩でなく、仕事である。仕事の言葉は、紙に残り、木に染み、石に抱かれ、海に映る。映った言葉が薄く滲んで、夜の端に消えた。

 五稜の星は奪い返された。奪い返した星は、もはや戦利品ではない。仕事場であり、政の腹であり、拍の心臓である。心臓が動く限り、冬は長さを誇れない。長さは、拍で刻まれる。拍は、人の肩と膝と、紙と火で出来ている。紙は増え、火は低く、肩は揃い、膝は折れない。折れない膝が、雪の上で半歩を残し、半歩が明日を呼ぶ。

 明日、星の角はさらに硬く、温かくなるだろう。温かい石は、霜を遅らせる。遅れた霜のあいだに、列は進み、港は息をし、詩は最後の場所を自ら探す。最後の場所が見つかるまでは、号砲は短く、合図は低く、笑いは深く。――そして胸の旗は、誰にも見せず、しかし誰にも消せない白で、静かに、確かに、風を受け続ける。