江戸の背を離れた朝は、潮の薄さがようやく袖から抜け、代わって土の匂いが鼻の骨に戻ってきた。二月前の板橋で落ちた名は、まだ胸の棒を冷やす。冷えを抱いたまま、土方歳三は歩度の拍を列に流し込む。拍は、飯の割、弾の割、馬の汗、そして人の息で出来ている。拍が揃えば、旗は布に出さずに立つ。布に出す旗は、今は要らない。
宇都宮は、北関東の扉である。扉は、蝶番で開く。蝶番は、見えないところで油を要る。城は石と土と木で出来ているが、支えるのは道であり、道を支えるのは小さな橋と、宿場の背戸の細い通りだ。土方は、まずそこへ紙を走らせた。紙には、割付と、禁制と、礼式が刻まれる。禁制は乱暴狼藉を防ぎ、礼式は刀を遅らせる。刀が遅ければ、紙が先に立つ。紙が先に立つうちは、戦はまだ人の形を保つ。
城下の空気は湿りを含んでいて、風は那須のほうから低く流れ、坂の上の社の鈴は昼にも薄く鳴った。新政府軍は、城内に銃と砲を揃え、城外の要は町年寄の名で縛る。縛り目は固いが、急ぎの結び目は緩む。緩みを探すのが、戦という仕事の最初だ。
「三方から、同時に押す」
土方は地図の上で、稲妻のように指を走らせる。東の田に散兵、西の土塁に攀じ、南の門を囮にする。囮は声が要る。声は、嘘の終わりまで保てばよい。斎藤一が無言で頷く。永倉新八は「突っ込めば早い」と肩を鳴らし、原田左之助は槍の柄巻きを締め直した。井上源三郎は結び目をひとつ増やし、島田魁は荷の角を斜めに寄せ、山崎烝は耳元で風の縁を撫でた。
奇襲は、短い詩のように始まり、短い詩のように決まった。南の門の喧嘩声が町全体の耳を掴む瞬間、東の田に伏せた影が一斉に立ち上がり、西の土塁にかかった綱がきしむ。梯子の足許で泥が跳ね、土塁の縁でひっかかる指の爪が割れ、割れた痛みより先に体が城の内へ滑り込んだ。銃声は間に合わない。間に合わないというのは、誰かが呼吸を敵の呼吸より少し早く置いたという意味だ。内外の拍が一瞬ずれて、城の鍵が「外側」に残った。そのまま内側から閂を抜く。門が、音を遅らせて開いた。
城は、一時、新政府軍の手から離れた。離れたのは城の形であり、城の意味ではない。意味は、兵站の側に残る。兵站は、文字で出来ている。文字は、飯と弾を運ぶ。運ぶためには、道が要る。道は、敵味方のものではなく、今日の雨と昨日の泥のものだ。土方は、勝ちの声を上げなかった。上げる声は、追撃を呼ぶ。彼は代わりに、紙を増やした。『御用留』『出入口之札』『昼夜交替』『禁煙火』『火薬取扱』。紙の枚数が勝ちの時間を伸ばす。
伸ばされた時間の端に、音の刃が入った。新政府軍の追撃は速かった。速いのは、道が乾いているからだ。城下の裏路地が風通しよく、火薬の匂いがまっすぐ通る。その速さを、砲声がさらに押す。早い音は、遅い形を壊す。遅い形――つまり、城――は、壊れやすい。壊れやすいものを抱えたまま、土方は退く順を定める。退く順は、出る順ではない。残す順である。
「止まり木、三つ」
社の石段、川の浅瀬、路地の曲がり角。止まり木は、人を止め、追う足を鈍らせ、呼吸を返す。永倉が殿の拍を引き受け、原田が槍で角に影を置き、斎藤が銃の点で間を切る。島田は荷を軽くし、井上は結び目を増やし、山崎は風の向きの変わり目を合図にする。土方は視線だけで列の歪みを拾い、半歩の崩れを小さく正す。列は伸びる。伸びる列は折れやすいが、しなる。しなるものは、風に強い。
*
宇都宮の奪取と離脱のあいだ、いくつもの小さな生が列の脇を通り過ぎた。豆腐屋の桶が一度だけ傾き、豆腐の白が地面の土色と喧嘩して、すぐに桶の中へ戻った。八百屋の女房が胡瓜の径を指で測り、指に土の色が残った。少年が縄を捻り、縄のねじれに笑いをからませ、笑いが空へほどけた。笑いは戦の音より遠くへ届く。届いた先で、旗の色がうっすら変わる。
「援けは出せぬ」
市の顔が言った。顔というのは名前の代わりに使うものだ。名前は旗につながるから、今は顔を先に出す。顔は疲れていた。疲れには二種類ある。働いた疲れと、見ている疲れ。見ている疲れは長く残る。長く残った疲れが、やがて未来の正しさになる。今は、誰もそれを正しさとは呼ばない。
宿場の世話役は、紙の裏で計算をした。計算は「風の向き」を含んでいる。「今、どちらへ吹いているか」「いつ、変わるか」。吹き方は、旗で測る。旗は布で出来ている。布は、手の暖かさで長持ちする。手が冷えれば、布は裂けやすい。土方は、布を出さぬ旗を胸に立てた。胸に立つ旗は、風に見えない。見えない旗に、世話役は目を細め、うなずきもせず、否も言わず、ただ道の砂利を半道ぶん掃いた。
*
夜の入口に、別れが置かれた。斎藤一が、選抜の一隊を率い、会津へ先行することが決まった。決まるというのは、紙の上で線が引かれ、声でその線がなぞられた、ということだ。
「任せる。戻る道は問わない」
土方は低く言い、言の後ろの余白を広く取った。余白の広さが、信の厚みになる。
「任」
斎藤の返答は、字そのものだった。字は、形を持っている。彼の「任」は、骨が太く、筆先は鋭く、墨は薄い。薄い墨ほど、長く残る。
火は小さかった。大きな火は、別れの詩を呼ぶ。詩は最後に置く。だから、火は小さい。小さい火の前で、斎藤は刀を膝に、土方は扇を膝に置いた。言葉は少なく、信は濃い。濃いものは、器を選ばない。彼らの器は、稽古で出来ている。稽古は、長い。
「会津は堅い」
斎藤が言う。
「堅い地は、折れかけの棒を受け止める」
土方が続ける。
「受け止められた棒が、次に何をするかだ」
「整える」
短い往返しが、二人の間で線になる。線は、別れるために引かれるのではない。後で、もう一度繋ぐために引かれる。繋ぎ目の位置を、今、言わない。言わないから、信が濃い。
斎藤の隊は、夜明け前に出た。出立の足音は、乾いた土でほどけ、畦の霜で固まり、杉木立で吸われ、やがて風の音と混じって、聞こえなくなった。聞こえなくなってから、土方は空を見上げた。雲は薄く、風は北へ向かう。別れの刃は、斬るためではなく、線を分けるためにある。刃で分けられた二つの線は、やがて同じ場所でまた並ぶ。そのとき、刃は鞘に入っている。入れるのは、誰かの手だ。今、その手は忙しい。
*
日光への退きは、匂いの中で行われた。杉の油、苔の湿り、山桜の終わりの残り香、遠い湯治場の硫黄の薄さ、馬の汗の塩。匂いは、歩度を狂わせる。狂わないのは、稽古で匂いを「音」に換える術を持つ者だけだ。土方は、匂いを紙に置き換えた。『間道図』『水場控』『止まり木記』。紙の裏には、風の矢印が何本も走る。
山道は狭い。狭い道は、列を伸ばす。伸びた列の前と後ろでは、別の戦が起きる。前は押し、後ろは受ける。押しと受けの拍を同じにするのが、指揮という仕事だ。土方は、視線で前と後ろの呼吸を往復させた。井上が結び目で呼吸を止め、島田が荷の角で呼吸を流し、山崎が耳で呼吸の速さを測る。永倉は殿で喉の奥の悪態を噛み、原田は先鋒で槍の柄に笑いを巻いた。
追撃の銃声が谷にこだまし、こだまの数で距離が測れる。三つ鳴けば近い。二つなら中。ひとつなら遠い。遠いと見て、近いことがある。近いと見せて、遠いことがある。見た目を当てにせぬために、止まり木を置く。止まり木は、地の記憶で出来ている。山村の社の石段は、人の膝の高さに都合よく合っていて、そこに短い座が置ける。座は陰。陰は、目を休める。目が休めば、耳が働く。耳が働けば、足が軽い。足が軽ければ、旗は内に立つ。
ある谷の小さな橋で、年老いた女が小鍋を抱えて立っていた。鍋の中は味噌汁で、葱が二本、浮いている。女は誰にも声をかけない。声をかければ、旗の色が問われる。問われれば、鍋の中身の正邪が決まる。女は鍋を、橋の欄干の外側に置いて、両手で手を合わせ、頭を下げた。頭の下げ方は、祈りの形ではなく、仕事の形だ。通り過ぎざま、原田が柄の先で鍋を手前へ寄せた。柄の先の鉄が欄干に触れて、短く澄んだ音が鳴る。その音が、列の胸の中で小さく広がり、広がったところで、誰かの腹に湯が落ちた。
「礼は、風で返す」
土方は言葉を投げず、足の拍だけを少し整えた。整えられた拍は、礼の形になる。形は、風で伝わる。女は顔を上げず、鍋の湯気だけが、橋の外へ細く流れていった。
*
日光の山は、静けさが底に重く溜まっている。東照宮の彫刻の金は、曇りに照らされて生々しく、鳴龍の天井は、声を求めずに声を返す。求める声は、いつも遅い。返る声は、いつも早い。早い声は、嘘を孕む。嘘もまた、戦の一部だ。
「ここで一度、線を引き直す」
土方は、石段の中ほどに座して紙を広げた。紙の上の線は、山道の曲がりと同じように緩やかで、しかし、止まるところはきっちり止まっている。止まる場所には印がある。印は、地形と、井戸と、人の気配の交点だ。
「殿は交互。先鋒は影。中は紙」
永倉が頷き、原田が笑い、井上が結び目を増やし、島田が荷の角を削り、山崎が耳で木々の間を渡る風の高さを測る。斎藤はいない。斎藤の不在は、座の中に空気のように存在した。不在は、居るより重い。不在の重さは、座の秩序を乱すか、整えるか、そのどちらかだ。今は、整えるほうに働いている。
その夜、火はまた小さかった。火が小さいほど、影が濃い。影が濃いほど、人は自分の形を見失いにくい。形を見失わなければ、退きは散らない。散らなければ、別れは刃にならず、線になる。線は、後でまた結べる。
*
宇都宮の奪取は「勝ち」ではなく、「間」だった。間は、次の形を呼ぶ。呼ばれた形が、日光の山道という退きだった。退きは、敗けではない。退きは、残しだ。残すものは、名ではない。名は、板橋の土の中に預けた。残すのは、拍であり、棒であり、紙であり、わずかな湯であり、橋の欄干の音であり、山の匂いであり、夜の小さな火である。
村々の視線は、さらに変わっている。援ける者は減り、見送る者は増え、視線はどこか遠い。遠さは、悪意ではない。遠さは、未来がもう形になっている時の目だ。時代は、すでに“結果”を知っているような顔をする。だが兵は結果を知らない。兵は、今日の飯と今の足で、明日の線を引こうとしている。線は、紙に描く前に、地面に踏む。踏み跡は、雨で消える。消えた跡の上に、次の足が重なる。重なれば、道になる。道になれば、旗が立つ。布に出さぬ旗が、胸に立つ。
日光・会津街道の節々で、永倉と原田は殿と先鋒を入れ替えながら、槍の影と声の棒で追撃の刃を鈍らせた。鈍った刃は、怒りを呼ぶ。怒りは、早い。早いものは、短い。短い怒りの間に、列は一町ぶん遠のく。一町は、命の単位には小さく、戦の単位には大きい。大きさは、紙で測る。
峠の手前で、雨が来た。山の雨は、前触れが短く、降り方が真面目だ。真面目な雨は、退きを助ける。足跡が消える。銃が湿る。火が遅れる。遅れは、紙の味方だ。土方は、雨の線の中で、短く息を吐き、口にした。
「詩は、後だ」
誰も笑わなかった。笑いは、詩の前に置くものだ。今は、後だ。
*
斎藤の小隊が会津に消えたあと、夜ごと、土方の耳は「ない音」を探した。ない音というのは、居るべき場所に居るはずの音が聞こえないことだ。聞こえない音は、胸で鳴る。胸で鳴る音は、指先を冷やす。冷えた指で紙を書くと、字は細くなる。細い字は、長く残る。
「戻る道は問わない」
自ら言った言葉が、紙の裏から沁み出すことがある。沁みは、詩になる。詩は最後に置く。沁みが字を曇らせる前に、紙を裏返す。裏返せば、紙は、また「仕事」になる。
会津は北にあり、北は固い。固い地は、折れかけの棒を受け止める。受け止められた棒が次に何をするかは、棒の中の芯の固さで決まる。芯は、人で出来ている。人は、疲れる。疲れた人は、詩を求める。求めを、土方は紙で受け止めた。
『会津筋割』『補給之路』『小荷物之制』『銃砲之扱』『夜警之心得』――詩はない。詩がない紙は、冷たい。冷たい紙は、長く持つ。
*
別れの刃は、斬るためではなく、線を分けるためにある。そう信じても、刃はやはり冷たい。冷たさは、夜の井戸の水に似て、腹の底へ真っすぐ落ちる。落ちた水は、腹の火を一度だけ弱くする。その弱り目に、昔の声が差し入れられる。山南の「道理の納得」、近藤の「誠の棒」、沖田の「半歩」。半歩は、いまも胸の内で残っている。残っているから、退きの拍が崩れない。崩れない拍の上に、刃ではなく線を置ける。
日光の山裾に出るころ、空の色がわずかに薄くなった。薄さは、夜の終いの合図だ。朝はいつでも、戦の前に来る。戦はいつでも、朝の後に来る。順番は、変えられない。変えられない順番の中で、人は場所を選べる。選べる場所があるうちは、まだ終いではない。
「北へ」
土方が言った。声は短く、棒に近い。棒は、旗を支える。旗は、胸にある。胸の旗は、布の旗より折れにくい。折れにくい旗の下で、列は歩く。歩く足は、昨日より少し遅い。遅いことを、恥じない。遅い歩みは、長く残る。長く残るものだけが、敗北ののちに道になる。
*
宇都宮・日光――ここで引かれた線は、ふたつだ。ひとつは、城を一時手離させ、山へ退く線。もうひとつは、斎藤が会津へ先行する線。二本の線は、どちらも薄い。薄い線は、長い。長い線は、後で繋ぎやすい。繋ぐのは、仕事だ。仕事には、人が要る。人は、減る。減るたびに、紙の字が細くなり、火が小さくなり、声が短くなり、刃が線に近づく。線を刃に戻さないこと。戻さないうちは、まだ歩ける。
村々の視線は、遠い。遠い目の中に、憎しみは薄く、諦めは濃い。諦めは、悪意ではない。諦めは、生活だ。生活は、旗より長い。旗がなければ、生活は散る。だから旗は要る。要るが、布は要らない。胸に旗を立てる。それで充分だ。
薄い雲が日を柔らかくし、日が杉の葉の先で細く震え、震えが列の肩に降りた。降りた光を、誰も拾わない。拾うと、詩になるからだ。詩は最後に置く。最後に置けるうちは、まだ終いではない。
北へ。
まだ燃える場所が、ある。
燃える場所は、敗けの炎ではなく、整えの火であるように――土方は紙を畳み、扇を閉じ、小さな火に息をひとつだけ送った。火は、わずかに高く、しかし、広がらずに燃えた。燃え方の作法を知る火は、長い道の友になる。
その火の明るさの中で、「別れの刃」は、確かに線へと変わっていた。
宇都宮は、北関東の扉である。扉は、蝶番で開く。蝶番は、見えないところで油を要る。城は石と土と木で出来ているが、支えるのは道であり、道を支えるのは小さな橋と、宿場の背戸の細い通りだ。土方は、まずそこへ紙を走らせた。紙には、割付と、禁制と、礼式が刻まれる。禁制は乱暴狼藉を防ぎ、礼式は刀を遅らせる。刀が遅ければ、紙が先に立つ。紙が先に立つうちは、戦はまだ人の形を保つ。
城下の空気は湿りを含んでいて、風は那須のほうから低く流れ、坂の上の社の鈴は昼にも薄く鳴った。新政府軍は、城内に銃と砲を揃え、城外の要は町年寄の名で縛る。縛り目は固いが、急ぎの結び目は緩む。緩みを探すのが、戦という仕事の最初だ。
「三方から、同時に押す」
土方は地図の上で、稲妻のように指を走らせる。東の田に散兵、西の土塁に攀じ、南の門を囮にする。囮は声が要る。声は、嘘の終わりまで保てばよい。斎藤一が無言で頷く。永倉新八は「突っ込めば早い」と肩を鳴らし、原田左之助は槍の柄巻きを締め直した。井上源三郎は結び目をひとつ増やし、島田魁は荷の角を斜めに寄せ、山崎烝は耳元で風の縁を撫でた。
奇襲は、短い詩のように始まり、短い詩のように決まった。南の門の喧嘩声が町全体の耳を掴む瞬間、東の田に伏せた影が一斉に立ち上がり、西の土塁にかかった綱がきしむ。梯子の足許で泥が跳ね、土塁の縁でひっかかる指の爪が割れ、割れた痛みより先に体が城の内へ滑り込んだ。銃声は間に合わない。間に合わないというのは、誰かが呼吸を敵の呼吸より少し早く置いたという意味だ。内外の拍が一瞬ずれて、城の鍵が「外側」に残った。そのまま内側から閂を抜く。門が、音を遅らせて開いた。
城は、一時、新政府軍の手から離れた。離れたのは城の形であり、城の意味ではない。意味は、兵站の側に残る。兵站は、文字で出来ている。文字は、飯と弾を運ぶ。運ぶためには、道が要る。道は、敵味方のものではなく、今日の雨と昨日の泥のものだ。土方は、勝ちの声を上げなかった。上げる声は、追撃を呼ぶ。彼は代わりに、紙を増やした。『御用留』『出入口之札』『昼夜交替』『禁煙火』『火薬取扱』。紙の枚数が勝ちの時間を伸ばす。
伸ばされた時間の端に、音の刃が入った。新政府軍の追撃は速かった。速いのは、道が乾いているからだ。城下の裏路地が風通しよく、火薬の匂いがまっすぐ通る。その速さを、砲声がさらに押す。早い音は、遅い形を壊す。遅い形――つまり、城――は、壊れやすい。壊れやすいものを抱えたまま、土方は退く順を定める。退く順は、出る順ではない。残す順である。
「止まり木、三つ」
社の石段、川の浅瀬、路地の曲がり角。止まり木は、人を止め、追う足を鈍らせ、呼吸を返す。永倉が殿の拍を引き受け、原田が槍で角に影を置き、斎藤が銃の点で間を切る。島田は荷を軽くし、井上は結び目を増やし、山崎は風の向きの変わり目を合図にする。土方は視線だけで列の歪みを拾い、半歩の崩れを小さく正す。列は伸びる。伸びる列は折れやすいが、しなる。しなるものは、風に強い。
*
宇都宮の奪取と離脱のあいだ、いくつもの小さな生が列の脇を通り過ぎた。豆腐屋の桶が一度だけ傾き、豆腐の白が地面の土色と喧嘩して、すぐに桶の中へ戻った。八百屋の女房が胡瓜の径を指で測り、指に土の色が残った。少年が縄を捻り、縄のねじれに笑いをからませ、笑いが空へほどけた。笑いは戦の音より遠くへ届く。届いた先で、旗の色がうっすら変わる。
「援けは出せぬ」
市の顔が言った。顔というのは名前の代わりに使うものだ。名前は旗につながるから、今は顔を先に出す。顔は疲れていた。疲れには二種類ある。働いた疲れと、見ている疲れ。見ている疲れは長く残る。長く残った疲れが、やがて未来の正しさになる。今は、誰もそれを正しさとは呼ばない。
宿場の世話役は、紙の裏で計算をした。計算は「風の向き」を含んでいる。「今、どちらへ吹いているか」「いつ、変わるか」。吹き方は、旗で測る。旗は布で出来ている。布は、手の暖かさで長持ちする。手が冷えれば、布は裂けやすい。土方は、布を出さぬ旗を胸に立てた。胸に立つ旗は、風に見えない。見えない旗に、世話役は目を細め、うなずきもせず、否も言わず、ただ道の砂利を半道ぶん掃いた。
*
夜の入口に、別れが置かれた。斎藤一が、選抜の一隊を率い、会津へ先行することが決まった。決まるというのは、紙の上で線が引かれ、声でその線がなぞられた、ということだ。
「任せる。戻る道は問わない」
土方は低く言い、言の後ろの余白を広く取った。余白の広さが、信の厚みになる。
「任」
斎藤の返答は、字そのものだった。字は、形を持っている。彼の「任」は、骨が太く、筆先は鋭く、墨は薄い。薄い墨ほど、長く残る。
火は小さかった。大きな火は、別れの詩を呼ぶ。詩は最後に置く。だから、火は小さい。小さい火の前で、斎藤は刀を膝に、土方は扇を膝に置いた。言葉は少なく、信は濃い。濃いものは、器を選ばない。彼らの器は、稽古で出来ている。稽古は、長い。
「会津は堅い」
斎藤が言う。
「堅い地は、折れかけの棒を受け止める」
土方が続ける。
「受け止められた棒が、次に何をするかだ」
「整える」
短い往返しが、二人の間で線になる。線は、別れるために引かれるのではない。後で、もう一度繋ぐために引かれる。繋ぎ目の位置を、今、言わない。言わないから、信が濃い。
斎藤の隊は、夜明け前に出た。出立の足音は、乾いた土でほどけ、畦の霜で固まり、杉木立で吸われ、やがて風の音と混じって、聞こえなくなった。聞こえなくなってから、土方は空を見上げた。雲は薄く、風は北へ向かう。別れの刃は、斬るためではなく、線を分けるためにある。刃で分けられた二つの線は、やがて同じ場所でまた並ぶ。そのとき、刃は鞘に入っている。入れるのは、誰かの手だ。今、その手は忙しい。
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日光への退きは、匂いの中で行われた。杉の油、苔の湿り、山桜の終わりの残り香、遠い湯治場の硫黄の薄さ、馬の汗の塩。匂いは、歩度を狂わせる。狂わないのは、稽古で匂いを「音」に換える術を持つ者だけだ。土方は、匂いを紙に置き換えた。『間道図』『水場控』『止まり木記』。紙の裏には、風の矢印が何本も走る。
山道は狭い。狭い道は、列を伸ばす。伸びた列の前と後ろでは、別の戦が起きる。前は押し、後ろは受ける。押しと受けの拍を同じにするのが、指揮という仕事だ。土方は、視線で前と後ろの呼吸を往復させた。井上が結び目で呼吸を止め、島田が荷の角で呼吸を流し、山崎が耳で呼吸の速さを測る。永倉は殿で喉の奥の悪態を噛み、原田は先鋒で槍の柄に笑いを巻いた。
追撃の銃声が谷にこだまし、こだまの数で距離が測れる。三つ鳴けば近い。二つなら中。ひとつなら遠い。遠いと見て、近いことがある。近いと見せて、遠いことがある。見た目を当てにせぬために、止まり木を置く。止まり木は、地の記憶で出来ている。山村の社の石段は、人の膝の高さに都合よく合っていて、そこに短い座が置ける。座は陰。陰は、目を休める。目が休めば、耳が働く。耳が働けば、足が軽い。足が軽ければ、旗は内に立つ。
ある谷の小さな橋で、年老いた女が小鍋を抱えて立っていた。鍋の中は味噌汁で、葱が二本、浮いている。女は誰にも声をかけない。声をかければ、旗の色が問われる。問われれば、鍋の中身の正邪が決まる。女は鍋を、橋の欄干の外側に置いて、両手で手を合わせ、頭を下げた。頭の下げ方は、祈りの形ではなく、仕事の形だ。通り過ぎざま、原田が柄の先で鍋を手前へ寄せた。柄の先の鉄が欄干に触れて、短く澄んだ音が鳴る。その音が、列の胸の中で小さく広がり、広がったところで、誰かの腹に湯が落ちた。
「礼は、風で返す」
土方は言葉を投げず、足の拍だけを少し整えた。整えられた拍は、礼の形になる。形は、風で伝わる。女は顔を上げず、鍋の湯気だけが、橋の外へ細く流れていった。
*
日光の山は、静けさが底に重く溜まっている。東照宮の彫刻の金は、曇りに照らされて生々しく、鳴龍の天井は、声を求めずに声を返す。求める声は、いつも遅い。返る声は、いつも早い。早い声は、嘘を孕む。嘘もまた、戦の一部だ。
「ここで一度、線を引き直す」
土方は、石段の中ほどに座して紙を広げた。紙の上の線は、山道の曲がりと同じように緩やかで、しかし、止まるところはきっちり止まっている。止まる場所には印がある。印は、地形と、井戸と、人の気配の交点だ。
「殿は交互。先鋒は影。中は紙」
永倉が頷き、原田が笑い、井上が結び目を増やし、島田が荷の角を削り、山崎が耳で木々の間を渡る風の高さを測る。斎藤はいない。斎藤の不在は、座の中に空気のように存在した。不在は、居るより重い。不在の重さは、座の秩序を乱すか、整えるか、そのどちらかだ。今は、整えるほうに働いている。
その夜、火はまた小さかった。火が小さいほど、影が濃い。影が濃いほど、人は自分の形を見失いにくい。形を見失わなければ、退きは散らない。散らなければ、別れは刃にならず、線になる。線は、後でまた結べる。
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宇都宮の奪取は「勝ち」ではなく、「間」だった。間は、次の形を呼ぶ。呼ばれた形が、日光の山道という退きだった。退きは、敗けではない。退きは、残しだ。残すものは、名ではない。名は、板橋の土の中に預けた。残すのは、拍であり、棒であり、紙であり、わずかな湯であり、橋の欄干の音であり、山の匂いであり、夜の小さな火である。
村々の視線は、さらに変わっている。援ける者は減り、見送る者は増え、視線はどこか遠い。遠さは、悪意ではない。遠さは、未来がもう形になっている時の目だ。時代は、すでに“結果”を知っているような顔をする。だが兵は結果を知らない。兵は、今日の飯と今の足で、明日の線を引こうとしている。線は、紙に描く前に、地面に踏む。踏み跡は、雨で消える。消えた跡の上に、次の足が重なる。重なれば、道になる。道になれば、旗が立つ。布に出さぬ旗が、胸に立つ。
日光・会津街道の節々で、永倉と原田は殿と先鋒を入れ替えながら、槍の影と声の棒で追撃の刃を鈍らせた。鈍った刃は、怒りを呼ぶ。怒りは、早い。早いものは、短い。短い怒りの間に、列は一町ぶん遠のく。一町は、命の単位には小さく、戦の単位には大きい。大きさは、紙で測る。
峠の手前で、雨が来た。山の雨は、前触れが短く、降り方が真面目だ。真面目な雨は、退きを助ける。足跡が消える。銃が湿る。火が遅れる。遅れは、紙の味方だ。土方は、雨の線の中で、短く息を吐き、口にした。
「詩は、後だ」
誰も笑わなかった。笑いは、詩の前に置くものだ。今は、後だ。
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斎藤の小隊が会津に消えたあと、夜ごと、土方の耳は「ない音」を探した。ない音というのは、居るべき場所に居るはずの音が聞こえないことだ。聞こえない音は、胸で鳴る。胸で鳴る音は、指先を冷やす。冷えた指で紙を書くと、字は細くなる。細い字は、長く残る。
「戻る道は問わない」
自ら言った言葉が、紙の裏から沁み出すことがある。沁みは、詩になる。詩は最後に置く。沁みが字を曇らせる前に、紙を裏返す。裏返せば、紙は、また「仕事」になる。
会津は北にあり、北は固い。固い地は、折れかけの棒を受け止める。受け止められた棒が次に何をするかは、棒の中の芯の固さで決まる。芯は、人で出来ている。人は、疲れる。疲れた人は、詩を求める。求めを、土方は紙で受け止めた。
『会津筋割』『補給之路』『小荷物之制』『銃砲之扱』『夜警之心得』――詩はない。詩がない紙は、冷たい。冷たい紙は、長く持つ。
*
別れの刃は、斬るためではなく、線を分けるためにある。そう信じても、刃はやはり冷たい。冷たさは、夜の井戸の水に似て、腹の底へ真っすぐ落ちる。落ちた水は、腹の火を一度だけ弱くする。その弱り目に、昔の声が差し入れられる。山南の「道理の納得」、近藤の「誠の棒」、沖田の「半歩」。半歩は、いまも胸の内で残っている。残っているから、退きの拍が崩れない。崩れない拍の上に、刃ではなく線を置ける。
日光の山裾に出るころ、空の色がわずかに薄くなった。薄さは、夜の終いの合図だ。朝はいつでも、戦の前に来る。戦はいつでも、朝の後に来る。順番は、変えられない。変えられない順番の中で、人は場所を選べる。選べる場所があるうちは、まだ終いではない。
「北へ」
土方が言った。声は短く、棒に近い。棒は、旗を支える。旗は、胸にある。胸の旗は、布の旗より折れにくい。折れにくい旗の下で、列は歩く。歩く足は、昨日より少し遅い。遅いことを、恥じない。遅い歩みは、長く残る。長く残るものだけが、敗北ののちに道になる。
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宇都宮・日光――ここで引かれた線は、ふたつだ。ひとつは、城を一時手離させ、山へ退く線。もうひとつは、斎藤が会津へ先行する線。二本の線は、どちらも薄い。薄い線は、長い。長い線は、後で繋ぎやすい。繋ぐのは、仕事だ。仕事には、人が要る。人は、減る。減るたびに、紙の字が細くなり、火が小さくなり、声が短くなり、刃が線に近づく。線を刃に戻さないこと。戻さないうちは、まだ歩ける。
村々の視線は、遠い。遠い目の中に、憎しみは薄く、諦めは濃い。諦めは、悪意ではない。諦めは、生活だ。生活は、旗より長い。旗がなければ、生活は散る。だから旗は要る。要るが、布は要らない。胸に旗を立てる。それで充分だ。
薄い雲が日を柔らかくし、日が杉の葉の先で細く震え、震えが列の肩に降りた。降りた光を、誰も拾わない。拾うと、詩になるからだ。詩は最後に置く。最後に置けるうちは、まだ終いではない。
北へ。
まだ燃える場所が、ある。
燃える場所は、敗けの炎ではなく、整えの火であるように――土方は紙を畳み、扇を閉じ、小さな火に息をひとつだけ送った。火は、わずかに高く、しかし、広がらずに燃えた。燃え方の作法を知る火は、長い道の友になる。
その火の明るさの中で、「別れの刃」は、確かに線へと変わっていた。



