〔社内限定/取扱注意〕
 編集検証映像:第二章
 配布範囲:制作部・広報・法務・情報システム(要NDA)
 ——この映像は教育目的の検証であり、商用利用を禁ずる。個人名は一部伏字・加工済み。

 00:00:00:00——黒。低い空調音。シャッターの上がる金属音が遠く。カメラは固定、机面に落ちる二つの手——白いキーボードに置かれた左手、黒いペンタブのペンを持つ右手。顔は画角外。マスクの耳ヒモだけが端にかかる。

 「三井です。編集担当。顔出しは……ちょっと」
 声は浅く、飲み込む癖がある。
 「普段はPremiere。Afterは少し。ファイル管理はMAM(メディア資産管理)とローカル。TRN_店舗_日付_カメラ、っていう命名ルールで、1080p/29.97DF。ドロップフレームです。EDLはCMX3600で書き出し。まず、その、おかしな参照について」

 00:00:21:14——画面録画に切り替わる。Premiereのタイムラインが広がり、青いバーとクリップが重なる。三井のマウスがサラサラと動き、波形の上を撫でる。V1(メイン)、V2(テロップ)、A1〜A6。画面右上のプロジェクトパネルにファイルが並ぶ。

 TRN_SHIBUYA_20240812_A
 TRN_SHIBUYA_20240812_B
 TRN_OMOTESANDO_20240729_A
 VO_MASTER_2024FALL.wav
 BGM_Smile_120bpm.wav

 「公開版のEDL、現場に配ったやつと照合したら、存在しないファイルを2フレームだけ参照してた。《SMILE_MASTER.mov》っていう名前。プロジェクト内にはないのに、タイムライン上にはいる。V2、テロップの下」

 00:00:41:03——タイムラインを2800%に拡大。V2に極細のバーが一瞬だけ見える。三井がズーム、ズーム。2フレーム。00:01:45:12〜00:01:45:13。再生ヘッドが吸い付くように止まる。

 「ここです。2フレーム。リン クメディアを開くと、2013年の撮影日。カメラ情報は不明。ビットレートだけ異常に高い。RAWっぽい。でも、こっち(メディアブラウザ)にも、ないんです。MAMにも。再リンクをかけると……」

 クリック音。Premiereのダイアログが震え、《メディアが見つかりません》。《置換》を押しても空フォルダしか出ない。《キャンセル》で戻ると、V2の小節は黒。ブラックビデオ。
 「黒味。でもレンダリングすると——」

 00:01:09:10——別のウインドウ。H.264の設定画面。《書き出し》クリック。ゲージが伸びる。しばし、無音。書き出し完了。mp4を再生。例の鏡面ショーケースが映るカット。速度を25%スローに。画面の端、反射の中に顎の線が遅れて浮かび、消える。
 「乗ってます。反射に、顎線が。V2は黒だったのに。V1の映像にもともと——って思うじゃないですか。でも元RAWを直接見るとない。この書き出しでだけ、顎が出る。2フレーム、ここ」

 スローのまま、一フレーム戻す。薄い顎。戻す。消える。進める。出る。
 「13°。笑顔の角度のスライドが出る前後。ここだけ」

 00:01:44:00——三井の手元。ノートにボールペンでメモ。《SMILE_MASTER.mov 00:01:45:12〜:13 2f》。字は細い。端に《O→0 l→|》と書き足される。
 「フォントの乱れも同じとこです。意味付けしたくはないけど、タイミングがいやに揃う」

 00:02:02:08——画面はPremiereのオーディオタブへ移る。波形がインクの山のように並び、三井がスペクトラム表示へ切り替える。青紫の帯の下、明るい点が規則的に並ぶ。
 「音も見ました。誕生日の合唱。ここに規則的なピーク。120。120。120。bpm。BGMが四で刻んでて、その手前に見えないクリック。0.3秒、遅れて歌が乗る」

 マーカーが置かれる。《M1》《M2》《M3》……等間隔。
 「メトロノーム、です。昔、笑顔保持の練習に使ったっていう話を、Slackのログで見ました。スクショ撮ってます」

 00:02:30:15——Slackのキャプチャが静止画として挿入される(発言者名は黒塗り)。
 > 制作_先輩:BPM120のクリック混ぜてたの覚えてる?笑
 > 教育チーム:あー、あの筋肉の維持に合わせるやつ。声出しと笑顔でテンポ合わないと顔が固まるって
 > 制作_先輩:山科さんのやつ基準。笑顔見本
 > 教育チーム:あれどこにあるんだっけ、MAMで見つからない

 「山科さん、っていう名前が旧版マニュアルにもある。PDF」

 00:02:44:22——PDFの紙面が映る。蛍光ペンのようなハイライトが引かれ、《笑顔見本:山科(2013)》の文字。サイドバーには《Appendix:角度と歯列の指標》。《参考動画リンク(社内ネットワーク)》はリンク切れ。
 「リンク切れ。2013。十年以上前。でも、“見本”がどこかに残ってて、テンプレに刺さってる。削除してもどこかで復活する感じ。それを**“幽霊”って言うのは簡単だけど、実務はもっと地味です。誰かがどこかでコピーしたプリセットをまたコピーして、名前が変わらないまま残る**。映像は習慣で動く」

 00:03:12:00——三井の指がテンキーを叩く。
 「タイムコードも変です。LTC(リニアタイムコード)で焼いた****WAVと、Premiereの表示****TCに、落差。29.97DFで、分の頭で二フレーム飛ばす仕様にしてるのに、LTCは30で来てるっぽい。合わせようとするとどっちかが少しずれる。“直る”んじゃなくて、“なおされる”。勝手に。Auto。Fix。その感じが怖い」

 00:03:35:18——インタビュアー(画角外)の声。
 「SMILE_MASTER.movは誰が入れたんでしょう」
 「わかりません。EDLにいる。書き出しには乗る。でも、プロジェクトにはない。MAMにも。Slackのログは古い。関係者に聞いたけど——」

 00:03:45:06——音声が加工され、別の声になる。匿名の元社員。画面はぼかしの入った喫煙所の遠景。
 「山科さんは、“笑顔の見本”で全店回った。声が通るし、口角の出方が綺麗だった。誰にでも真似できる**“規格”にする**、って。退職のとき、データは返したはず。でも、どこかでコピーが生きてるんでしょうね。教育って、同じものを何度も使うから。良いものほど」

 00:04:05:00——三井の手が止まる。ペン先が宙で揺れる。
 「事故とか、怪談とか、そういう話じゃない。私はそう思いたい。でも、見えない顎が2フレーム入る理屈を説明する言葉が、いまはない。山科さんの名前はマニュアルで生きてる。映像は人より長生きする。だからこそ、誰かが責任を持つって、思ってこの仕事してきた。なのに、責任の場所が消える。それがいちばん」

 00:04:26:11——黒。カチ、カチと薄いクリックが二度。スライド。《SmileScore-α2 導入資料(要パス)》。パワポの画面が開く。
 「倫理の話をすると、AIの笑顔採点が入ったのは去年です。角度、歯列、頬の隆起、目尻の折れ。0〜100でスコア。80未満は再提出。これは社外には出してない」

 スライドが進む。《学習データ》《評価GUI》《リアルタイム》——次のページで、黒塗りのスクリーンショット。画面右上に満点の円が光り、下で小さな顔が並ぶ。一つだけ、モザイクの解像がわずかに高い。

 「“未知の顔”が頻繁に満点を出す。名前はない。IDはハッシュ。ラベルに**“推奨サンプル”のバッジが付く**。だれが入れたか、いつから参照してるか、ログで遡れない。ログはあるのに、その顔だけ曖昧。“学習”の世界は、黒箱が多い。映像の人間は、中身をいじれない。外から見て、結果で判断するしか」

 00:05:02:20——インタビュアー。
 「“未知の顔”は山科さんですか」
 「違う。違うと思う。でも、“見本”の気配はある。ほら、ここ」

 キャプチャを拡大。輪郭が端正、口角がほんの二ミリ、目尻がやわらかい。マニュアルの線画に似た均整。
 「“理想”に似すぎている。理想が人の写真になったみたい。それに満点を出す****AIは、“正しい”。だからこそ、怖い。AIは悪くない。設計も手続も正しい。でも、“正しさ”が人を測るとき、測られる側の顔はどこに行くのか」

 00:05:28:05——三井の手のアップ。ノートに線が増える。《LTC 30fps/表示TC 29.97DF》《分頭:2f drop》《同期ズレ——補正ログ:Auto》《顎線:反射遅延》《EDL:SMILE_MASTER.mov》。
 「EDL、見ますか? CMX形式。古い方式だけど、まだ使う」

 画面にテキスト。
 ```
TITLE: TRN_MASTER_2024FALL
FCM: DROP FRAME

001 TRN_SHIBUYA_20240812_A V C 00:01:38:00 00:01:50:10 00:01:38:00 00:01:50:10
002 TRN_SHIBUYA_20240812_B V C 00:01:50:10 00:01:58:00 00:01:50:10 00:01:58:00
003 SMILE_MASTER V C 00:01:45:12 00:01:45:14 00:01:45:12 00:01:45:14
* FROM CLIP: (UNKNOWN)
* NOTE: BITRATE HIGH / DATE 2013/06/xx
```


 「ここ。003。二フレーム。“UNKNOWN”。EDL上は存在する。プロジェクトにはいない。書き出しには影を落とす」

 00:05:58:00——黒。法務の注意喚起が白字で走る。《旧版素材の混入は契約違反の恐れ。早急に排除・再検証》。広報のコメントもオーバーレイ。《“幽霊”表現は社外に出さないで》
 「幽霊じゃないんです。私は。ただ、映像が**“自分で直る”みたいな挙動を見たときに、責任の手触りが消える**。“なおされる”。そこに人がいない。こわいのはそこ」

 00:06:19:22——画面録画。三井が同じ箇所のモーションタブを開く。合成モードは通常。不透明度100%。エフェクトは何もなし。にもかかわらず、情報パネルの下端に一瞬、見慣れない表示が滲む。《BLEND: 加算(未適用)》の灰色文字。
 「これ。未適用。でも、一瞬だけ出る。UIの癖かもしれない。でも、気配に名前が付く」

 00:06:35:12——ヘッドホンをずらす音。三井の喉が鳴る。
 「夜にエクスポートすると、LUTの当たりがごくわずかに変わることがある。温度が半段、赤が濃くなる。朝に同じ設定で書き出すと戻る。それを**“緩やかな不具合”って呼ぶ。仕事は続く**。締切は来る。整える。直す。なおされる。どこまでが自分で、どこからがソフトか、わからない」

 00:06:56:00——インタビュアー。
 「あなたはいま、怖いですか」
 「はい」

 間。
 「でも、止められないです。公開はもうされた。差し替えは出した。“異常”って言葉は使えない。教育だから。“安心”のための映像だから。安心のために、私はきょうもタイムラインを整える。それがいちばん、怖い。正しさで塗ることが」

 00:07:14:18——画面は波形編集に戻る。スペクトラム表示でクリックを強調し、EQで削ってみせる。削るとBGMの表拍が浮き、拍手は遅くなる。戻すと早くなる。
 「ここ、削れば****消えます。でも、合唱のテンポがすこし崩れる。笑顔が苦しそうに見えるカットが増える。正しい音を足すと、正しい笑顔に聴こえる。なにを選ぶか。映像は足したり引いたりで**“正しく”なる。“正しい”はたいてい**、気持ちいい。気持ちいいは怖い」

 00:07:40:00——ノイズゲートの閾値を下げ、リップノイズを拾う。誰かの喉の湿り、口腔の開き。山科という名は呼ばれない。でも、見本の気配は音にも落ちる。

 00:07:55:22——キャプチャ:社内メール(法務→制作)。
 > 件名:旧版素材の混入に関する再発防止
 > 1)テンプレートの棚卸し
 > 2)命名規則の厳格化
 > 3)アクセス権限の見直し(外部委託含む)
 > 4)EDLの第三者チェック
 > 5)AI評価ロジックの透明化(ダッシュボード提供)

 「第三者チェックに、私が入る。でも、“未知の顔”はダッシュボードにも出ない。そこに**“正しさ”が立ってる**。満点の円が光る。現場はうれしい。KPIが上がる。それは良いこと。良いことは止められない」

 00:08:16:10——黒に白字。《——オフレコ》
 「山科さんのこと、すこしだけ噂がある。退職の理由は体調。笑顔が痛む、って。午後になると口角が上がらなくなる、そういう症状があったって。医者は顎関節だって言った。でも、本人は**“角度”って言い続けた。十三度。十三度を守れない日がある**、って」

 無音。
 「それが関係あるとは言えない。言えないけど、見本が人を越えて、規格になったとき、規格は人をなおす。なおされる。私は映像の人だから、“なおす”は好きだ。でも、“直す”と“治す”が混ざるのは、嫌だ」

 00:08:44:00——三井の指が止まる。AUTO SAVEの小窓が画面右上に出て、一拍だけ傾ぐ。UIがお辞儀したかのように。
 「見ました? いまの。偶然です。偶然だと思います。でも、見たと言えば、誰かは信じない」

 00:08:56:12——レンダリング。PCファンが重く回る。書き出し中のバーの下で、時間が進む。00:01:45:12に近づく。
 「ここで落ちることがある。夜は。落ちないで、お願い」
 クリックが一度、二度、三度。完了。

 00:09:10:00——書き出しmp4の再生。鏡面。顎。2フレーム。止め、戻し、進め。
 「ね。ここ。だれがここにいるのか。私は、しらない。でも、“規格”はここにいる。2013から、ずっと。“見本”はひとではなく、ここ(タイムライン)にいる」

 00:09:24:20——黒。白字の小さな文字が浮かぶ。《——補遺》
 補遺1:命名規則
 TRN_店舗名_YYYYMMDD_カメラ。SMILE_MASTER.movは規則外。“MASTER”はVO(ナレーション)かBGMに使う慣習。動画でMASTERは稀。
 補遺2:29.97DF
 分頭で二フレーム飛ばす仕様。LTC30fpsと表示29.97DFの混在はズレの温床。自動補正は**“正しい”が、編集者の感覚を徐々に慣らす**。
 補遺3:AI評価
 SmileScore-α2は推奨度を虹色の輪で出す。満点は白に収束。未知の顔は白が滲む。滲みはLUTの白飛びではない。

 00:09:58:00——インタビュー席に戻る。三井の手が重なり、指先が内向きに握られる。
 「編集の仕事は**“誰のため”か。私はずっと、“見る人”のためだと思ってきた。でも、“規格”のためになる瞬間がある**。規格は人を楽にする。楽は善。善は正しさ。正しさは視界を狭くする。そこに顎が、二フレーム、入ってくる。それがいまの私です」

 00:10:16:12——無音。黒。白字が滑り出す。
 《EDLと実ファイルの差異は修正中》
 《AI評価の学習データ監査は継続》
 《旧版テンプレの棚卸しは9月末〆》
 《本検証は第三者レビュー提出予定》
 ——右下にしずかに増える署名。
 《山科(2013 標準笑顔)》

 カチ、カチ、カチ。クリックが三度。LTCの針がわずかに前に走る。画面は黒のまま、数フレームだけ明るみが揺れ、消える。

 ——ここで映像は終わる。だが、話は続く。
 Slackに通知がひとつ。法務からの新規スレッド。《EDL:第三者チェックの観点》。メンションに三井の名前。ハッシュタグは**#smile_master**。タイトルの横に小さな紙吹雪の絵文字。祝祭の記号。幸福の記号。仕事の記号。
 彼は返事を打つ。
 「はい。本日中に再検証して共有します」

 送信の音が軽い。軽い音は遠くで拍手に重なり**、すこしだけ早い。
 第二章・了。