ここにきた 理由は聴かない
     心が騒ぎ出すまで待てばいい
     甘辛ミックスな君のStyle
     Needsは自分が大事にされる空間

     語りたいこと言葉にできない
     伝えたいのにココロ手渡せない
     だけど君ばかり追う この目は
     きっと無邪気に澄んでるんだろう

     花を渡そうか
     どんな花がいいかな
     星を見上げようか
     隣に君を誘って
     (うた)を歌おうか
     僕の想いをなぞる詩を

     どうすれば
     君に()れられるかな


 学祭で初めて歌った唄を、残暑の厳しい白露の日に口ずさみながら歩く。
 駅前から坂道を登って公園の横に出る。
 俺の家まであと15分くらいの場所。
 横には佐和がいた。背が高い佐和が陽射しを受けて、まるで木陰で歌ってるみたいだ。

「俺に()れたい?それとも()れられたいんですか?」
 佐和が体を傾けて色気のある低い声で囁いてきたので、俺は咄嗟に左手で佐和のおでこを押し返してあさっての方角を向いて応えた。
「今は結構です」
「今は…。うん」
 佐和に触れている左掌が優しく揺れ、相手が笑いを堪えている気配が伝わってきた。俺は熱くなった頬のまま佐和に向き直る。
 佐和が俺を見下ろして「ふふふ」と大きく笑った。
「あとでね」
「……うん」
 なんだ、この甘いやり取りは。
 俺は照れながら思ったけれど、こんな会話で心が満たされるのがアオハルってやつなのかもしれない。

 実は波照間島では南十字星を見ることは出来なかった。笑わないオジィの予想は的確で、昼間は快晴だった波照間島の波が夕方高くなってきた途端に雨が降り出した。
 あの夜。
 民宿の部屋の窓から雨降りの庭を見て2人して大いに落胆した後、「高波で船が出なかったら明日の晩もチャンスはある!」と2人同時に前向きになった。
 翌日の昼間はピーカン照りにも関わらず強風のために高速船は出ず、滞在を1日延ばした。
 夜にまた雨が降り出して2人して落胆して…のリピートだったけれど、「来年また来よう!」と同じタイミングで2人で笑顔になったっけ。
 それにしても。
 “ 触れる ” という言葉で喚起されるのは、波照間島の夜の静寂に纏われた甘い記憶だ。
 恋愛初心者の俺は、同じく初心者なのに落ち着いた物腰の佐和に翻弄された二日間だった。
 俺は恋愛モードになると途端にバグる。今も思考が正常に機能しなくなり、平安時代なみの古風な言い回しを使って考察してしまう。 
 えぇ…っと。
 交わったわけではないのに、同じ寝床に横たわって朝を迎えただけで特別な関係になっちゃうんだ。
 ん〜と。
 あのような行為のお作法が分からないんだけど。
 えっと。
 俺たちが契ろうとすれば、どっちが姫?
 どちらも殿?
 ググるのも恥ずかしいし、何でも教えてもらってた岳人にもさすがに聞けない。
 いにしえの人びとは愛を深めようとして、どうやって所作を学んでいったんだろう。
 触れるだけで。
 心臓が口から飛び出すんじゃないかってくらいドキドキする。
 触れられると。
 頭がおかしくなりそうなくらい満たされる。幸せになる。体が溶けるんじゃないかって思う。
 これで、さらに進んだら。
 どっちが姫かは先送りにするとして、交わるだなんて所作に至ったら、感極まって気絶するんじゃないか。
 っていうか、さっき俺。
 すっごく婉曲に表現しようとして、逆にどストレートに行為の本質を動詞で言葉にしちゃった…。
 今、耳元で心臓の音がまたうるさい…。
 どうしたら?

     星を見上げようか
     隣に君を誘って

 さっき歌っていた唄を、俺はリフレインして小さな声で口ずさんだ。心臓のビートに合わせて揺れるように歌っていることは俺だけの秘密。

「この曲どこが好き?」
 佐和がそっと尋ねてきたので、俺は顔を上げた。高まった鼓動を飼い慣らすように元気に応える。
「チルアウト系ラップが気になるの初めてだったんだ。歌詞が尖ってなくて柔らかいとこが好き」
「確かに優しいかも。顔出ししないんですよね à gauche(ア ゴーシュ) ってバンド。大学生なのかなぁ。まだ結成されたばかりみたい」

 喋りながら二人で歩いていたら「おい!」と声がしてベルのけたたましい音が割り込んできた。
 驚いた顔で俺が振り向くと、自転車に乗った岳人が公園を突っ切って飛び出してきたところだった。
「やっと会えたぞ。丸くて青くてなんとかっておまえ」
「それは俺の台詞ですよ。岳人さんでしょ。やっと会えた」
 何故か謎に好戦的な岳人にもびっくりしたけれど、平然と岳人に対峙している佐和に俺は驚く。
「やっとって何だよ。ってかデカいな。チクショウ」
「岳人さん。いつも話聴いてますから、真晴先輩の心の一部をあなたが占めているのは認めます。でもキットちゃんは俺のものです」
「は?」
 岳人が脱力した声を出し、自転車を押して近付きながら俺を見た。
「真晴。真夏にキットカット食べまくってたのか?」
「食べてないよ…溶けるじゃん」
 普段は賢い岳人の的が外れた問いに俺は力が抜けた。
「いやキットちゃんって何だよ。可愛い呼び方すんなよ」
 岳人が自転車を停めて佐和の前に出てきた。
「ただでさえおまえが買ったサングラス、俺と勉強中につけて喜んでる真晴だよ。これ以上やることなすこと可愛いくなったらどーすんだよ!」
 佐和を少しだけ下から睨みつけるように見上げ、岳人は右拳を佐和の胸元に押し付ける。
 岳人に「バラしちゃだめじゃん…」と小さな声で訴えたが、岳人は聞いてはいない。

 石垣島に戻ってから、佐和にサングラスを買ってもらった。
 俺がフェリーターミナルのキッチュな土産物屋さんで自分でサングラスを買おうとしていたら、佐和が急にプレゼントしたいと言い出したのだった。

―5月に海を漂う手紙の話をした時に17歳になったって言ってたでしょう。その御祝いに。

 実際、俺は4月生まれだった。サングラスを4ヶ月遅れの誕生日プレゼントとして贈ってもらったタイミングで、佐和の誕生日も教えてもらった。
 3月15日生まれ。
 4月15日生まれの俺とは2年近く歳が離れているんだと知った日だった。
 俺が選んだサングラスはシンプルな薄い黄色のグラス。かけると世界が黄昏色になる。
 佐和に買ってもらったということが嬉しくて、そんな話をしながら岳人と夏休み最後の日に過ごした時に確かに俺はサングラスをかけた。
 日が落ちた部屋の中で必要もないのにサングラスをかける男。
 なんだかイタい。
 浮かれすぎ…?
 あのとき岳人は何も言わずに見守ってくれていたけれど、俺が佐和との関係性を深められたという曖昧かつ抽象的な報告には「良かったじゃん」と心から喜んでくれたはずだ。
 なのに、何故こんなにも佐和に喰ってかかるんだろう?
 
「岳人さん。お願いがあります」 
「なんだよ。初対面でいきなり」

  “ いきなり ”喧嘩腰で佐和に声掛けてきたの、岳人じゃん…。
 そう思ったけれど、岳人が俺を大切にしているからこそ佐和がどんな男か気になっているんだろうとわかってはいた。

「真晴先輩と一緒にマルガリータを呑まないで下さい」
「おい。何の話だよ」
「初めて真晴先輩がマルガリータを呑む時に俺も一緒に呑みたいんです」
「いや、だから。いつの話してんだよ」
「真晴先輩が20歳になってから1年11ヶ月後の話」
「おまえも大概変わってんなぁ」
「岳人さん誕生日いつですか?」
「俺は秋生まれ」 
「他のお酒だったら真晴先輩と一緒に飲んでいいですから」        
「おまえ5年後の話サラッとしてるけど」
「はい」
「俺は真晴の親友として一生関わるから。大人になっても真晴の横にいる未来予想図は確定してる」
「はい」
「で。おまえはどうなの?」
「5年後のことは正直分かりません」
「お」
「死んでるかもしれないし」
「え?死…?」

 佐和の生と死についての哲学的考察を初めて聞いた岳人は驚いたようだった。佐和が何か大きな病気を抱えているのかと戸惑ったのかもしれない。
 佐和は真面目に“ 人はいつ死ぬか分からないからこそ自分に正直に自由に生きたらいい ”と考えていて、その思考にエンパワメントされている。
 そのおかげで俺との関係を進めてくれたのだから、佐和の哲学的思考を俺は好ましく思っている。
 ただ、普通に耳にすると突拍子もない発言に聞こえてしまうだろう。
 俺はそれが分かっているけど、佐和は分かっていない。
 佐和は少し独創的かもしれない。
 佐和と岳人のズレが傍から見ていて今日は可笑しい。俺は一人でこっそり笑う。
 そして、笑いながら確信する。
 俺はこんな佐和の真面目かつ独創的な一面を、深く深く愛する。
 ほんとに、心から、愛しい。

「生きてたらいいなって思います」
「生きろ」
「キットちゃんの横に俺が居たらいいなって思う」 
「真晴の横にいろ」
「岳人さんが横に居てもいいけど割り込んじゃう」
「割り込めよ」
「岳人さんが居てもキットちゃんばかり見てそう」
「見ろよ」
「たぶん手もつないじゃうかも」
「おまえ。尊敬するわ」
「俺の未来予想図はこんな感じです」
「おう」
「きっとキットちゃんの横にいる。5年後も」
             
 佐和の言葉を聴いて、「あ!」と俺は声を挙げてしまった。
 佐和自身も自分の言葉に驚き、岳人から視線を外して俺を見た。
 俺も佐和が同じことでびっくりしたと分かって思わず駆け寄ってしまう。

「真晴先輩…。珍しく俺“ きっと ”って言った気がする」
「うん。俺もそう思った」
「“ どうせ ”って言う時より未来が輝やいて見えた」
「うん。きっと叶うよね」
「あ。キットちゃん本領発揮だ」
「ほんとだ」
 目を細めて互いに微笑みあっていると岳人が「バカップル認定すっぞ!おまえら」と割り込んできた。
「おまえたち。なんか息合ってるよな」
「そう?」
「でもって似てる」
「どんなとこが?」
「健全で前向きでちょっとズレ気味なとこ」
 そう岳人が言いながら自転車のところまで戻り、自転車を押して俺の自宅の方角に向けて歩き出した。
 俺たちも岳人に続き、三人が横並びで歩く。
「真晴んちでアイスティー飲ませて。すぐ帰る」
 岳人と佐和はさっき顔を合わせたばかりなのに。
 不思議だ。
 まるで前から三人で過ごしていたかのような、この雰囲気。
 生と死の哲学的な話のおかげ?
 
「岳人さん。ひとつ相談があります」
「ひとつだけな」
「真晴先輩がこれ以上可愛くなったらどうすれば?」
「いや、だから!それな。おまえのせいだっつの!」
「可愛いのに真晴先輩のガードの堅さは可愛くない」
「真晴、ガードゆるゆるじゃねえの?」
「まさか。俺らがまだ清らかな関係なのは真晴先輩の…」
「ちょっと待って!」
 俺は今日いちばん大きな声で二人の会話を止める。
 何で俺がいるのに急にそっちの話をすんの?
 今日ほんとに初対面?
 で。
 俺、ガード堅かった?
 触わられると脳内ショート起こしてバグるから記憶がちょっと…。
 俺は心臓のビート音をまた耳元に感じながら、胸に溢れてくる波照間ブルーの喜びに包まれて一人で笑い出してしまった。
 涙を浮かべて笑い続ける俺を、二人が見ている。
 優しく。

 あ。
 さわ君にさっき言い忘れてたから、このあときちんと言わないと。


 キットちゃんって呼ばないで!って。