2度目の学祭のステージで、俺がピアノを弾きながら歌った七月。
俺が皆の前で歌おうと思うだなんて、自分自身驚きだった。
それでも。
佐和が選んだ曲を初めて聴いて、歌いたいと思ってしまったんだから仕方ない。
佐和と沖縄に向かって飛行機に乗っている今も、頭の中でメロディーがリフレインしている。
新しい俺と手つかずの夏。
好きだと相手に言ってないのに知られている恋心と、好きだと言うことなく恋人のように接してくる後輩。
曖昧ではっきりしないのに、なぜか不思議にこのままでいたいという気持ち。
未熟でいい。未熟が、いい。
17才って青いってほんとだ。
「真晴先輩。さっきの揺れ平気だった?」
「うん大丈夫。皆が怖がるような揺れは平気。逆に静かに揺れ続ける乗り物がダメってだけだから」
佐和が左隣の俺に囁くように尋ねてくるから、(その囁きで酔っちゃうよ…)と心の中だけで突っ込みを入れる。
「遊園地の揺れ続ける乗り物もダメって言ってましたね」
「うん。ぐるぐる廻る珈琲カップ的なやつ。ジェットコースターは好きだけど単純に廻る乗り物のあとはグロッキーになる」
「石垣島から波照間島の1時間の高速船。真晴先輩大丈夫かなぁ」
「きっと大丈夫。歌って気分を紛らわせておくよ」
俺が口角を上げて佐和に明るく応じると、佐和は俺の目を覗き込んで真面目な顔になった。
「な、何?」
俺はどぎまぎしてしまう。
「キットちゃん」
佐和が優しい声で呟いたので、俺は首を傾げてしまった。
「ん?…さわ君、さっき何て言った?」
「キットちゃんって呼びました。あなたのこと」
「え?キットちゃんって何」
「春にあなたに初めて会ったとき、真晴先輩が“きっと”ってワードを俺に4回言ったんですよ」
「そうだった?」
「そう。俺、正直面食らいました」
「何が?」
「真晴先輩はポジティブすぎる」
「ポジティブすぎる?」
「うん。何でそんなに明るくいられるんだって」
「…過ぎたるは及ばざるが如し」
「俺そんなつもりで言ってないけど驚いたのはホント」
「俺も正直、さわ君の言い方に驚いたけどな」
「え?俺の言い方?」
「うん。だって。“どーせ”ってネガティブな言い方を初対面でしてきたの、さわ君だけだもん」
「そんなこと言いました、俺?」
「言った言った。たぶん2回くらいネガティブワード出てきたから正直びびったかな。後向きに思えて、でも結局さわ君って前向きだから救われてるよ。俺は」
「ウケる」
そう言って、佐和が真晴の右耳に口元を近付けた。
「俺たち。やっぱり似てますよね」
そう言われて、嫌な気持ちはしない。
好きな相手と共通点があることは正直嬉しい。真反対のようでいて、重なっているってところ。
でも!
だから!!
耳元で囁かないでほしい。
「キットちゃんって呼ばないで」
もともと俺は基本は前向き思考なんだとは思うけど、生き抜くためにそれを強化しようとした結果というのもあるから。
ポジティブすぎるという佐和の言葉に、俺のそんな必死さやジタバタぶりが晒されたように感じた。
まるで丸裸にされたような恥ずかしさ。全くクールじゃない。
いや、クールじゃないのはとっくにバレてるんだけど。
それでも好きな男にはカッコつけたいじゃん。
なのに、キットちゃんって何だよ!
「ぇえ?真晴先輩に初めて怒られた?俺」
「怒ってないよ。さわ君には名前で呼ばれたい」
「呼んでますよ。普段は真晴先輩って」
「うん。マハロって呼ばれるのがいいんだ。加藤って周りから呼ばれてる中で、名前で呼んでくれるのが嬉しい」
「たまにキットちゃんって呼んでいい?」
「だめ」
「だめなんだ」
「さわ君が俺のことキットちゃんって呼んだら…」
「呼んだら…何?」
佐和が意地悪そうな、悪役に似合うニヒルな笑みで尋ねてくる。
俺はあまり見ない佐和のワルぶった顔に胸が騒いだ。その気持ちを押し隠すために睨むようにして返答した。
「ドーセくんって呼ぶよ。さわ君のこと」
俺の上目遣いの視線を七㌢ほどの近距離で受けた佐和は「ふふふ」と目を細めて笑った。
「真晴先輩。睨んだってダメ。何したって可愛い」
「ぇえ…?」
可愛いという言葉を17歳の男児たるものが受けていいのか。俺は煩悶する。
この言葉。
2回目に言われたよね?
喜んでいる俺。大丈夫?
俺は自分の鼓動が高鳴っていることで自分が大丈夫ではないことを自覚した。眉間を狭めて物思いしている自分の右横で「…ふふふ」とまだ笑い続けている佐和。
(…俺の気持ちも知らないで!)
そう拗ねるように心の中だけで佐和に甘えた瞬間、気付くこともある。
俺の恋心を知っているからこそ、俺に対して恋愛感情はなくても恋人気分を少し味わせてくれるためにこんなふうに声掛けしてくれるのかもしれない。
佐和はとても優しい男だから。
俺は二ヶ月前にスタジオで佐和から指を噛まれたことを急に思い出して頬が熱くなった。そんな顔を隠すように佐和から視線を外し、左側の小窓から眼下を見下ろす。
「あ」
今日だけ滞在する石垣島が俺の目に飛び込んできた。美しい海と南の島々。佐和と二人旅ができるなんて春の時点では思いもよらなかった。
神さまがくれたご褒美みたいだ。
何に対してのご褒美なのかは分からないけど。
「石垣島が見えた」
「ほんとだ」
「はるばる南まで来たね」
「石垣島はハワイのホノルルとほぼ同緯度に位置してるって。真晴先輩の行きたい場所と気候的には近いのかも」
「そうなんだ?知らなかったなぁ」
佐和は波照間島に行きたい理由をきちんと話すと言ってくれていたけれど、まだ何も聴かされていなかった。
(…明日の朝までには教えてくれるのかな)
理由が分からなくても、まぁいいんだけど。
今は、一緒にいられることが幸せすぎる。
「石垣島も初めてだ」
「真晴先輩。サングラスしたほうがいいですよ」
「持ってない。したことないよ」
「どこかで買いましょう」
そう言って、佐和が胸のポケットからサングラスを出した。透明感のあるブルーレンズ。
自分の目元に持っていこうとしていた佐和が、ふと動きを止めて俺を見下ろした。
「新しいの買うまで」
そう言って俺の目にサングラスをかけてくれた。
「わぁ…色付きの世界」
「眩しくないでしょ?」
「ほんとだ。ありがと」
空港からタクシーに乗ってHostel Sunterrace Ishigakiに向かった。
佐和が予約してくれたのは6人部屋のドミトリーだ。朝一番の船で波照間島に向かえるよう、港から歩いていけるホステル。男女別ドミトリーに、Wi-Fi、2 段ベッド、プライバシーを守るカーテンがあってバスルームは共用。
「八重山の離島にアクセスするフェリーターミナルまで徒歩8分だって」
「そう。しかも住宅街の中だから静かですよ」
同じ部屋に泊まる大学生やバックパッカー風の3人に挨拶して、荷物を部屋に置いてから公設市場に向かう。
「共用キッチンがあるから俺が作ります。晩御飯」
「えっ!?…さわ君料理できるの?だから市場に行くの?」
「簡単なやつ。明日は民宿だから料理できないし。ご飯作って一緒に食べるって家族みたいでいいでしょ」
「…いい。すっごくいい」
青空の下を歩きながら、二人で歩く。
佐和のサングラスをつけた俺は、佐和よりも青い世界に浸っている。
「母親は波照間島生まれで育ちが石垣島なんですけど」
「…うん」
前置きも何もなく、佐和が家族のことについて話しはじめたので俺の胸が鈴のように小さく揺れた。
「大人になって神奈川に来てからも沖縄料理をよく作ってたみたいで」
「へぇ」
「俺も食べていた記憶は残ってる」
「記憶?」
「今いる母は2番目の母で。中学生の時から」
「……」
俺が少し固い表情になったのを見て、佐和は俺を安心させるように顔を覗き込んできてにっこりと笑った。
俺が無言で頷くと、佐和も大きく頷いてから視線を前に向けた。
真夏の石垣島は観光客が多い。
たくさんの人が真夏の陽射しに焼かれながら歩いている中を、二人は泳ぐように足を進める。
「波照間島生まれの母親は小学1年生の時に出ていって。今はどこにいるか知らない。波照間島に戻ってるとも思えないし。父親が言うには、母親が離婚を望んで他人になったけど、その途端に戸籍とか住民票とか見れなくなったって。何もわからなくてごめんって父親が俺に謝るんです」
「…そうだったんだ」
「あの人。精神のバランス崩してる人だったと思う。思い返してみれば」
「…そう」
「父親は母親を守ろうと必死で医療に繋げようとしてたみたいですけど。でも父親も小さな俺を育てるのも大変で。母親を追いかけるのに疲れたんじゃないかな」
「そっか」
「今の母はすっごく優しい」
「良かった」
「なおかつユーモラスで健康」
「…いい人だ」
「そう。だから波照間島に行きたいって打ち明けるのに時間がかかっちゃった」
「優しいお母さんが…気にする?心配する?」
「笑顔で言っておいでって言われたけど。なんか遠慮っていうのか何なのか」
「言葉にできない、よね」
風が強く吹き、道端に掲げてある広告旗が音を立てて翻った。
俺の黒髪を風が掻き乱していく。
自分の最後の言葉で連想された曲が、その風と共に俺を包みこんだ。
la la la la la la…と俺は小さな声で歌った。
「それ。知ってる。何て曲ですか」
「 “言葉にできない” 」
「コマーシャルで聴いたことある」
「あなたに会えて、ほんとに良かった」
「え?」
「嬉しくて、嬉しくて言葉にできない」
「そういう歌詞あるんですか?」
「あります」
「即興で作ってくれたんじゃないんですか」
「違います」
俺は照れてふざけるように答えた。
佐和がまた俯いて「ふふふ」と笑い続けている。
ようやく聴けた佐和の過去の15年ぶんを、俺は優しく体に取り込みながら歩いた。
青い世界の端っこを。
バラ肉は薄切りで100g
玉ねぎ1/4個
にんじん1/4本
にらか葱1/4束
そうめん3束
サラダ油大さじ1
醤油大さじ3
ごま油小さじ1
俺は佐和のスマホ画面のメモを見る。
「調味料も買ったほうがいいよね?」
「小さなのを買って次の人に使ってもらいましょう」
「このチャンプルをさわ君に作ってもらってる間、俺も何か作ってみる」
「真晴先輩、普段キッチンに立つんですか」
「料理は学校の実習だけ。だからトライだ」
「わ〜。トライしてる真晴先輩見るのもトライヤル料理を食べるのも貴重すぎる」
「ハードルあげないで!」
肩を寄せるように公設市場の八百屋で野菜を選んでいたら、横のコンビニに若者たちが群を作って入っていった。
「石垣のやりらふぃ、カッコいいですね」
「え。さっきのお兄さんたち?」
「何で普通に歩いてても揺れてるんだろ。音源が脳内再生されてるのかな」
「何で見ただけでダンサーってわかるの?」
「大きなスニーカーとかやりらふぃースタイルとか。あの人たちもダンスできなかったら退学って世界を生きてきたのかな」
「ってさわ君。こんな会話してたら神奈川から来たのバレるじゃん」
「うちの高校は踊れなくても入学できるけど。真晴先輩。やりらふぃー踊れる?」
「踊れない」
「キットちゃん。踊れないの?」
波照間島から1時間のこの南の島で、なんでこんな会話してるんだろうと俺は可笑しくなってしまう。
真面目な話の後のどーでもいい話。
センシティブな話の後に交わされるジョーク。
俺にサングラスを貸してくれている佐和の瞳は、いたずら好きの少年のように澄んでいた。
「ドーセ君はどうなんだ!」
キットちゃんってよくも呼んだな。
ドーセ君って呼んでやったぞ。
「…まさか踊れる?」
「踊らないけどサビだけは歌える」
「えっ?ノルウェー語わかるの?」
「Meland x Haukenのリズムはたまらなく好き」
Jeg vil at vi
Bare skal oppleve no' nytt
佐和が玉ねぎと人参と葱を入れた袋を手にしたまま小さな声で口ずさみはじめた。
おぉ。野菜片手にイケボで歌う高校生。
顔が良いと何してもサマになるな。
俺も笑いながらハミングでかぶせて歌う。
そのタイミングでコンビニから出てきた5人の男が佐和たちを見た。
(あ。この人たち動き止まった)
そう俺が思った瞬間、5人が揃って踊り出したので目を見開いてしまう。
(石垣島のやりらふぃー!クールだ)
俺はサングラスを外して男たちのダンスを見た。笑顔で佐和を見上げると互いに一瞬目が合う。佐和は爽やかに笑いながら声のトーンを上げて歌った。
佐和の透明感のある声と5人のビート。
横に揺れながらクールにキメ顔を見せてくれる男たち。
佐和がサビを歌い終えると30秒ほどダンスしていたイケメンたちがぴたりと動きを停め、何事もなかったかのように日常の姿勢に戻る。手を振ってくれたので俺たちがお辞儀をすると、背中を向けて賑やかに去っていった。
「いい声だね」
「あれ歌われると体動くよな」
「だな」
南の島では、大人も予想以上に、自由だ。



