夢を見た。

 全体的に鮮やかな黄色の小鳥が羽根をばたばたさせていた。
 俺は車の中にいる。
 他に数名誰かいた。家族だったと思う。
 黄色の羽根の中に白と赤とオレンジが混ざっていて美しかった。
 その鳥が車の周りを羽ばたいて飛び回っているので、車の中に招き入れたいと思った。
 左手で急いで助手席の扉を開ける。
 こっちに飛んでおいで、と俺は祈る。
 黄色の鳥が風を切るようにして飛び込んできた。
(来た!)
 胸を躍らせて扉を閉めた。

 その後。
 その鳥が人間の言葉を喋った…ような気がする。

 俺は夢を覚えていることが多いタイプだけど、今まで見た夢の中では不思議なほう。
 岳人とあれこれ密度の濃い話をした夜だったから、いろんな思い出や揺さぶられた感情が夢に溶け込んだのかもしれない。

―いや、なんで片想いだって決め付けてんだよ
―始まってもないのに失恋確定だなんて真晴らしくない
―相手の気持ちのスペクトラムを探ってみろ!

 岳人の普段通りのダメ出しが、感じないようにしていた失恋モードの傷付きに薬を塗ったと言えるような、塩をすり込んだとも言えるような。
 それでも咄嗟の判断で岳人に打ち明けたことが、かなり俺の心を軽くしたのも事実だった。
 その軽やかになった真晴の心的イメージが、小鳥の羽ばたきになった?
 まさかね。


「なんて喋ったんだ?その鳥」
 前を歩く城戸先輩が振り向いた。
「覚えてないんです。なんか独特な喋り方で自己紹介してきたんだったと思う」
「ジブリみたいに?」
「ん〜。なんて言ったんだったかなぁ。小鳥を手に入れたいっていう無邪気な自分と小鳥を閉じ込めてしまったっていう罪悪感を一瞬で感じて、ジ・エンド」
「加藤。深いな。なんか悩みでもあるの?」
 城戸先輩がそう言うと、俺の真横を歩いていた佐和がそっと横目で俺を見下ろした。
 高校の正門を抜けて駅に向かって10分ほど歩くと商店街のアーケードがある。
 そのアーケードの真ん中にある楽器店の2階にあるスタジオに向かって3人で歩いていた。
 俺は佐和が聴いている中で城戸先輩にどう説明するか、瞬時に気持ちを素直にまとめる。
「多かれ少なかれ人には悩みがありますよ」
「まぁそうだけどさ。あ、旨そう」
 振り向いていた城戸が真横の和菓子屋のショーケースに目を向けたタイミングで、佐和が発言した。
「新聞の夕刊に音楽閑話の連載をやってるんですけど」
「うん」
 佐和が何を言おうとしているか見えないまま、俺は右横の佐和を見上げた。
 城戸が和菓子を指差して「奢ってやるから選べ」と言ってくれたので、三人がショーケース前に並んで会話する。
「昨晩の連載で “ だいたい頼んでもないのに生まれて、必ず死ぬってことじたい罠みたいなもんじゃないか ” って書かれてて」
「さわ君。また生と死の話…?」
「城戸先輩。俺これがいいです。和菓子愛してるんで。
…で、俺ほんとそうだなって一人で頷いてたんですよね」
「頼んでもないのに生まれて死ぬのが罠だなんて俺、考えたこともなかった。新しい見方だなぁ。…城戸先輩。俺は洋菓子を愛してるけどコレ美味しそうですね。ご馳走になります」
「世の中罠だらけだから俺たちも罠の中でもがくしかない。だったら罠をすり抜けたり罠で遊んだりして俺らも楽しむか、みたいなことが書かれてて。ねぇ真晴先輩。綺麗な色の和菓子好き?」
「うん。始まりは暗いのに明るい展望。甘い和菓子と人生の罠。楽しまなきゃだね」
 城戸先輩が支払いをして和菓子を受け取りながら、俺と佐和をまじまじと見た。
「おまえら会話」
「はい」
「生まれて死ぬだの人生の罠だのの会話にフツーに和菓子の話を溶け込ませてやり取りできんだな。天才か」
「フツーですよ」
「違うだろ」
「城戸先輩こそゴーストノートとかダブルキックとかのテクニック軽々できんだから天才ですよ」
「バスドラム交互に高速で踏込む技術で、俺も人生の罠すり抜けられっかな」
 佐和はドラムスの3年生、城戸准とぽんぽんと軽やかに会話をする。
 相性が良いんだろう。
 俺は佐和を誘って良かったと思う。城戸先輩と俺だけの Citrus & Spice。

 岳人がドラムをしていたことで中学時代は二人だけでセッションすることが多かった流れのまま、俺は初めて軽音楽部に入った昨年にドラムスの城戸にバンドメンバーに入れてほしいと頼んだ。
 城戸先輩も佐和ほどではないが背が高く、真ん中にいる俺を挟んでV字になっている。俺は空を見上げるような角度で二人と会話することになる。 
 ブレザーを脱いでシャツ1枚になった季節。
 同じように背が高い城戸のガッチリした骨格と違って佐和は華奢な体格だけれど、まくりあげた袖の下の筋張った腕に男の色気が漂っている。

「真晴先輩の和菓子、ひとくち下さい」 

 楽器店に着いて階段を登っている時、横の佐和から爽やかに言われた。 
(ひとくち…嬉しい。でもって今日もカッコいい…)
 俺が佐和に見惚れながら「うん」と答えると、城戸先輩が真後ろから突っ込んできた。
「おい。嘉手苅。和菓子はひとくちで消えるんだぞ」
「俺の小さなひとかじりでは消えません」
「俺のはやらねぇぞ」
「はい。真晴先輩のだからほしいんです」
「かわいくねぇなぁ」

(こうやって俺だけを特別に扱ってくれてる感じもたまんないんだよなぁ。…だけど)

 特別扱いは恋愛としてではなく。

 そう思った瞬間に、俺の胸がまた痛んだ。
 それでも佐和が自分に好意を持ってくれているのは間違いないと思う。
 俺は気持ちを切り替えて、岳人に言われた言葉を反芻する。
 佐和の気持ちのスペクトラムを探れ?
 あくまでもバンド仲間として、俺に向けられたLikeという感情のスペクトラムは濃い感じかな。
 

 今日、三人で練習するのは3曲。
 七月に学祭があって軽音楽部の七つのバンドがステージに立つから、当日披露するのは一曲か二曲だ。
 今月末セッションで互いのバンドの成果を聴き合って、どのバンドが二曲出すか、どの曲を本番で選ぶかを全メンバーで絞っていく。
 真晴がキーボードかピアノを担当する Citrus & Spice がやる曲はバラードが多い。セッションの曲も候補は決まっていた。

 kobore  ヨルノカタスミ
 official髭男dism  pretender

 この二曲は冬の終わりから城戸先輩と二人で練習はしていて、今日は佐和から新たに一曲提案してもらう予定だった。三曲を皆に聴いてもらうために、この一ヶ月は集中して練習を重ねていく予定だ。


「さわ君お先にどうぞ」
 俺は城戸先輩から手渡たされた淡い月色の和菓子をそっと掴んで、佐和の前に持っていった。
「和菓子を愛してるんだよね。大きなひとくちで囓ってくれていいよ」
 手で受け取りやすいように和菓子の端っこを掴んでいる俺の右手を、佐和がじっと見た。
 ん?
「あ。懐紙とかに載せないと嫌だったりした?」
 俺が焦っていると、佐和が「違います」と言って俺の右手首を掴んだ。
「…え」
 佐和は俺の右手ごと自分の口元に運び、月色和菓子を小さく囓った。
 そして。
 俺の人差し指が噛まれた。優しく。
「わ!」
 わざわざ端っこを掴んでいる俺の指を狙ったとしか思えない。
 向き合っている佐和の背中側でドラムのセッティングをしている城戸先輩は何も気付いていないだろう。

(さわ君の唇に初めて触れた)

 俺が一瞬で体温を上げて佐和の目を見ると、佐和の目元が優しくなった。
 くるんと背を向けて「城戸先輩! kobore からお願いします」と言ってから俺にまた向き直る。
「お〜」
 城戸先輩がすぐにビートを打ち始めた。
「ヨルノカタスミ。いつも練習の時は真晴先輩が歌ってるんでしょ」
「…うん」
「今日は俺が歌うから昨晩口ずさんでたら」
「うん」
「この目はあなたを見ていたいし、この手はあなたと繋ぎたいってとこ。これもさっき伝えた夕刊の記事みたいに俺の気持ちとぴったりきたんです」
 佐和が口角を少し上げたままの優しい顔で言った言葉に俺は衝撃を受けた。

「……見ていたいあなたって…誰?」

 俺の問いが、意図せず震えた。
 佐和が優しく笑った。

「で、この口はあなたの指を噛みたい」
「…そんな歌詞はないよ」
「そう。さっき和菓子持ってる真晴先輩の指見て心の中で作っちゃった。一瞬で」
「…俺の片想いの相手。知ってたの?」
 スローなテンポのドラムの重低音がスタジオを柔らかく包み込んでいる。
 佐和が城戸先輩に音を出してもらうように頼んだことで、今この会話は二人だけのものだった。
 佐和はさっきから俺の問いには答えず、爽やかな表情で笑っているだけだ。
 手元のギターケースからエレキギターを出すために佐和がやっと俺の手首を解放した。
(…さわ君に何が起こったんだろう)
 俺は呆然としながら、三分の二残っていた和菓子を口に運んだ。月色の和菓子が佐和のひとかじりの余韻で俺をさらに甘く攻撃してくるようだった。

「夏休み。俺に付いてきて」
 佐和が俯いて独り言のように呟く。
 ギターのストラップをかけ、俺に背中を向けてドラムの横に歩いていく佐和に俺は慌てて目を向けた。
(俺に言ったんだよね?)
 ピアノとキーボード。一曲目はキーボードにしよう。
 一瞬で決めて、そのスピード感に勢いを借りて疑問をすぐに言葉にした。

「さわ君。夏休みどこに行くの」

 城戸先輩に聞かれてもいいや。
 俺はヒルノカタスミで、想う。


「波照間島ですよ。真晴先輩」

 佐和が振り向いて爽やかな笑顔のまま、言った。