「形は雲みたいにふんわりしたラウンド型で色がクリアな水色」
水無月。
俺の部屋には藤井風のアルバム“LOVE ALL SERVE ALL”が流されていた。
さきほどの俺が放った言葉に、中学時代の親友、片岡岳人が難しい顔をした。
「は?なんだそれ。よくわからん」
「そう?俺はさわ君が言ったイメージ、しっくりきたよ」
「ん〜。真晴。それ口説かれたんじゃねえの?」
「え?どういうこと?岳人、何言ってんの?」
違う高校に進学した岳人の顔を俺は凝視した。
( 口説かれるって何!? )
俺は思いも寄らない岳人の言葉に慌てた。
ガリ勉でもなく普通に遊びながら進学高に進んだ岳人のことを、俺はリスペクトしている。
いろんな雑学、教訓、流行から近所の噂話まで岳人からなんでも教えてもらっていた俺だったから。
さわ君に口説かれてみたい…っていう俺の妄想。
岳人にバレてないよね?
テスト勉強のため、互いに広げた教科書や参考書を挟んで額を寄せるようにして喋っていた岳人が少し苛々したような声を出した。
「だ〜か〜ら!」
岳人が俺の額の真ん中に右人差し指を突き付けた。
「おまえが可愛いのを初日で目聡く見抜いて口説いたんじゃねぇのって。名前が似てるとか、前に好きだった人に似てるとかさ。口説き文句の常套句じゃん?」
「え?そうなの?俺可愛いの?」
自分のおでこに突き付けられた岳人の指を掴んで押し返し、白色のテーブル越しに岳人にさらに顔を近付けて尋ねる。
「いや、そんなことより岳人はそうやって口説くの?」
「俺はそんなことしねぇわ」
岳人とは中学1年で同じクラスになってから音楽という共通の趣味を通じて仲良くなった。気楽に何でも話せるのが心地良くて、今でも頻繁に互いの家を行き来する仲だ。
それでも。
恋愛のハナシってあまりしたことなかったかも。
岳人が気の強い女子が好きだって話は聴いたことがあったし、先輩から交際を申込まれて迷っていた気持ちだって聞かせてもらったことがあった。岳人の恋愛を応援する気持ちもあるし、その時その時で親友の感情に触れる話をする時は俺なりに真剣になる。
岳人の恋愛感や恋バナを聴くことがあっても、俺から自分の話をすることがほとんどなかったんだとようやく改めて気が付いた。
俺が無意識に避けてたんだろうか。色恋についての話ってなんだか苦手意識があった気がする。
「さわ君は俺を口説いたりしてくれないと思う」
「は?何?その言い方」
「ほんとに名前のイメージが似てるって思って、変に思われないかなって考えながらも丁寧に説明してくれて」
「フツー変に思うんじゃね?」
「思わないよ。少なくとも俺は。だって誰だって他の人と違う感覚ってあるじゃん」
「たとえば?真晴は?」
岳人が食い下がってくるので俺は真剣に考えた。
「俺は…。そうだな。いつか大人になったらマルガリータを海辺で飲むんだって考えることで気持ちを整えてる自分はたぶん少し変わってると思う。でも、それでいいじゃんって思ってる。日本って若者の自殺率が多いし自己肯定感もすんごく低いけど、俺はマルガリータのおかげで大人になることが楽しみ。ね?この感覚は独特じゃない?」
「…う〜ん。なるほど。納得した」
岳人が腕組みをして大きく頷いたので、ホッとした。
「あ、この曲。俺も好きだわ。誰かを愛したり忘れたり、いろいろあるけどってとこ」
「だよね!俺も好き。この日さえも懐かしんで全て笑うだろう。愛すだろう…って歌詞。ほんと、いい」
「なぁ、おまえ。さっき言ったこと」
「何?」
「そいつが口説いたりしてくれないって言ったけど。真晴、その後輩に口説れたいってこと?」
「……」
これだから賢いヤツは油断ならない。
俺は少し頬を赤らめてしまったかもしれない。
「17歳の俺。新しいステージに旅立ちます!」
「おい。どこに行くんだよ」
藤井風の“ 旅路 ”にエンパワメントされて親友に婉曲に打ち明けたのに、岳人は容赦なかった。
俺はどんどん声が小さくなっていく。
「だから。俺自身も先は見えなくて羅針盤もなくて心もとない航海だけど。南十字星を頼りに船を漕ぎ出したんだ」
「おい。だから何の話してんだよ」
「こういう言い方じゃないとうまく話せないよ。岳人が俺を受け入れなくなったら、それこそ終わる」
「終わるって何?真晴、大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ!」
俺は急に感情的に声を荒げた。
岳人が大きく目を見開いた。
社交的なようでいて実は大人しく、普段は決して人の悪口も言わない、ネガティブな言葉を口にすることがない俺の叫び。
それに岳人が驚愕したことが直ぐに伝わってきて、俺はシュンとした気持ちになった。
「ごめん…。俺、センシティブになってる」
「俺こそ悪い。真晴。俺は真晴のことなんでも受け入れる自信あるって思ってんだけど。伝わってなかったらごめん」
岳人が初めて自分に謝ったと気付いて、俺は固まってしまった。
「岳人がごめんって言った…。俺、そんなに余裕ない?」
涙が自然に目元に溢れ、俺はそんな自分自身に戸惑う。
うっわ。
カッコ悪…。
「お〜い!俺が謝っただけで泣くなよバカヤロ」
岳人の普段以上に優しい声に、うっかり涙を一粒だけ頬に落としてしまった。
「…だめだなぁ。たぶん今、人生初の岐路って感じ」
「岐路って何だよ」
「あれだよ。僕の人生が二つに分かれてるってやつ」
「“ 愛を止めないで ”じゃん。小田和正キタ〜!おまえ、そんなこと言ってると生まれは昭和ですか?って言われるって」
「いや、だから。これが通じる岳人って存在が貴重なんだけど。…まぁいい」
ここまで一息で伝え、俺は勇気を振り絞って言った。
「俺は俺自身に素直に生きようと先月決心したんだ。俺、さわ君が好きみたい」
目線を落としていた俺が顔を上げてが岳人を見ると、岳人は口を開けたまま自分を見ていた。
「なぁ。おまえが同性好きなんだろううって俺は三年前から気付いてたんだけど」
「…え!ぇえ〜!?」
俺は岳人の言葉に度肝を抜かれた。
「なんで?俺だって最近自覚したのに」
「いやだって真晴。中1のときに森本に告白されて困ってたし。そのあとも2人くらい女子に迫られても応じなかったじゃん」
「……」
「森本みたいに美人なコを袖にする真晴はカッコよかったけど」
「…確かに。女子と付き合うとか考えたことない」
「あと」
「うん」
「美術の原Tのこと見てる真晴の目の中に星があった」
「ぇえ!?」
「だいたいの男子は音楽のオペりんを見て目を輝かせてたんだよ。あのオペりんの美貌を見ても真晴は平然としてたよな」
「…うん。坂本先生は綺麗な先生だとは思うけど心は動かされなかったな。あのオペラ声も実は苦手だったし…。逆に原先生は目元が涼やかでかっこいいなぁって見惚れることが何回もあったよ」
「あと」
「まだあるの?」
俺は心臓がギュッと縮まるような思いがした。
2人で向き合って座っていた白いローテーブルの前で立ち上がり、鳩尾に手を当てる。
岳人には「さわ君が好きみたい」と少しぼやかして言ったけれど、本当は推測なんかじゃなくて確実に「好き」なんだと俺はわかっている。
佐和に自分の性指向を伝えて嫌悪感は示されなかった替わりに、遠回しに恋愛するなら他の男でどうぞ的なニュアンスを含まれて佐和に励まされたんだってことも。
好きになった対象から相手にされない哀しみと開き直りと強がりをミックスさせた複雑な俺の感情に、きっと岳人は気付くんだろうな。
自分自身でさえ、まだ腑分けできてないってのに。
「続きを聴く前に母さんから紅茶のお代わりもらってこよっかな」
「いや何で挙動不審なんだよ」
「…だってさっきから岳人がいろいろ過去の話を持ち出してくるんだもの。心臓がヤバい」
「なんでだよ。真晴の可愛いさは俺が一番よく知ってる。最後に一言。女子だけじゃなくて男子にもおまえモテてたぜって言いたかっただけ」
「…ぇ、え〜っ!」
「俺この話をいつ真晴にできるんだろって思いながら今日のこの日を迎えた」
「俺!ハブアブレイク。ハブア…」
「キットカットな。はいはい。どんだけ動揺してんだよ」
俺は岳人の背中側にある部屋の扉に慌てて向かった。
視線の隅っこで岳人が俯いてテキストに目を走らせながら俺に手のひらをヒラヒラ振っているのが見えた。
小学6年からドラムのスティックを握っている、大きな手。
俺が混乱したり、緊張したり、エネルギーを大量に消耗して疲れたりしたときにキットカットを食べたがるというのを知ってるのは岳人だけだ。
いったい今日はどうしたって言うんだろう。交換する情報が濃すぎる。
ずっと気付かないフリをしてくれていた岳人。俺の準備が整うまで待っていてくれた時間。これも海を漂う手紙が誰かの手に渡るまでの時間みたいだ。
人生の海原。奥深い。
告白をしたことがないから失恋も経験がなかった俺だけど、今回は想いを伝える前から失恋が確定しているような状況なのに岳人に話してしまった。
片想いについて語るって…すっごくエネルギーが必要なんじゃ?
今日はキットカット1箱じゃ足りない。
いつもはパキンと割って岳人の口に半分押し込むけど。
今日は独り占めしなきゃ話せないよ。
(早く大人になってマルガリータを飲みたい…)
俺は階段を下りながら海辺のバーを夢想する。
オレンジ色の夕闇と潮騒の音。
美しい夕日を見ながらグラスを掲げている自分を妄想していると、やっと心が落ち着いてきた。
キッチンの冷蔵庫を開けて、アイスティーを取り出した。
二つのタンブラーにアイスティーを注ぎ入れる。
17歳の俺は大人しくレディーグレイを飲むしかない。
そして。
俺はキットカットも忘れずにトレイに載せた。



