きっと君は来ないって、昔の大人は歌っていたけれど。
俺はきっと君は来るって思ってる。
大切な人が来るって思ったほうが実現するじゃんって考えるタイプ。
祈るような気持ちって言うの?
特別な神さまを信じていたり、祈りについて語れるほど自分を深めてるワケではなくて、ただひたすら明るく陽のあたる側面を見て生きていたい。
君がきっと来るって思いたい。
でもまぁ。問題なのは。
その特別な「君」って存在が、まだ俺にはいないってことなんだけど。
「先輩。名前が俺とおんなじですね」
高校の一学年下の後輩の入学式があった翌日。
軽音楽部の部室で新入生から三年生までの全員が自己紹介を済ませた後だった。
俺がキーボード練習をしようと席から立った時、前の席に座っていた新入部生がクルンと大きく振り向いて人懐こく声を掛けてきた。
彫りの深い二重瞼の男子がにっこり笑っている。
あ、いいな。
爽やかじゃん。
一年前、同じ中学で仲の良かった親友と学校が離れた俺は、「新しい友だちができたらいいな。きっと大丈夫!」と自分にエールを送りながら一人で口角を上げていた春だったけれど、その時の自分に重なる。
過去の自分に爽やかだったなんて評価をつけたらナルシストだと後ろ指をさされちゃうかもしれない。
でも全くそういうことではなく。
どちらかと言えば、「八方美人止めろよ」と注意されるタイプだった。
さらには、その中学時代の親友から「一人で笑ってたらドン引きされるから!クール顔で過ごす練習しとけ」としつこく言われていた。
でも!
気がついたら自然に笑顔になってるんだから仕方ないじゃん。
別に誰かれ愛想を振りまいてるつもりはない。クールな顔をして、たまにしか笑わない男ってカッコいいなって俺だって思う。ヘラヘラしてるつもりはないのに、常に笑顔だよな、悩みなさそうだね、と言われがちな俺。
黒くないよな、爽やかだよねって言われ、その言葉を真っ直ぐ受け取れない。
そんな自分はなんてカッコ悪いんだろう。
カッコ悪いと自己否定する自分がイケてないことは分かっていたからこそ、持ち前の前向きさだけは唯一の武器に出来る!としがみつくような気持ちでいた。
これを手放さないようにして、さらにこれに磨きをかけないと生き延びる道はない。
入学したての去年、そんなふうに思ってたっけ。
10代って結構、いや、マジ生き抜くの、大変。
「え?俺の加藤真晴って名前と同じ?…って。君の名前なんだった?」
そう俺が悪びれることなく尋ねると、爽やか男子が眉をギュッとひそめて口を尖らせる。
そうすると大人びた顔が急に子どもっぽく見えて不思議な魅力が倍増した。
「どうせ俺の名前なんてカフェで流れてる音楽みたいなもんですよ」
そう言って今度は大きく笑って言い放つ。
「流れて消える。おしまい」
相手がマジシャンのように、パンッ!と手を叩いて両手を広げ、大袈裟に“ 何もありません ”ジェスチャーをしたので俺もつられて大笑いした。
「ふはは。ごめん!でも流れて消えちゃう名前って、きっと素敵な名前なんだろうね。記憶に残らないくらい爽やかな風みたいなさ」
俺の言葉に、爽やかDKがびっくりしたように目を見開いた。
おぉ。表情が豊か。健やかだなぁ。
俺は小さな声で懇願する。
「もういっかい名前聞かせて」
俺の言葉で新入生は目をゆっくりまばたきさせた。
10人居たら9人は確実にイケメンだと言うだろう。整った容姿の後輩に、俺はそっと顔を近付ける。
(…かっこよすぎる。どこか分けてくれないかな)
俺は相手の柔らかそうな長い睫毛をじっと見て、賢そうな額にゆっくりと視線を移した。
そしてふと我に返る。
こんなふうに後輩の顔をガン見してる自分、かなりキモいんじゃ…。
慌てて座ったまま俺はバッと身体を引いた。
「先輩は前向きが過ぎてますね。素敵だなんてワード、生で初めて聞きましたよ。どうせ社交辞令なんだろうけど」
後輩君は俺の挙動不審な態度は何も気にならなかったらしい。
言葉にトゲがある割には明るい表情。そして後輩は俺のお願いにきちんと応じて名前を名乗った。
「かてかりさわ、です」
素直でよろしい。
そう思った3秒後、俺は右に30度首を傾げてしまった。
「かてかり?さわ?漢字が全く浮かばないよ…」
俺の首の傾きに合わせるように、相手は左に首を傾けて斜めで目を合わせたまま大きく溜息をつく。
「でしょうね。だいたい自己紹介の時は一回じゃ伝わらないんです」
そう言った相手は大きく伸びをして椅子から立ち上がった。
相手がデカくて、わ!…と見上げた俺は、部室の空気の揺れで生じた風が喉元に当たる。
「大きいなぁ。さわ君だっけ。驚いたら君の珍しい苗字がまた埋もれちゃった…」
正直に「ごめん」と手を合わせて謝ると、相手がにんまりと笑う。
「いいです。じゃあ、さわって呼んでください」
「え…さわ君。爽やかって字でさわ?」
「違います!」
きっぱりと否定して笑った相手が部室前にあるホワイトボードをちらりと見て俺に手招きした。
二人でボードに向かって歩き出すと俺と相手の身長差が浮き彫りになる。
(おっきいコだなぁ…)
そう感嘆しながら、右前を歩く後輩を下から上まで凝視していたら振り向かれてバッチリと目が合った。
俺はサバを読んで四捨五入しまくって「自称170㌢」って周りには言っている。つまり165㌢ってこと。自称って言葉を省かないあたりが、俺の小心さを物語っている。
俺が見上げている目線の角度からして、このコ180㌢台真ん中いってるんじゃない?
うらやま。
「今デカいヤツだなって思って見上げてました?」
「うん。分かった?」
「先輩、顔にいろいろ出る」
「そう?」
「いいじゃないですか。素直で」
「ポーカーフェイスの練習しなきゃ」
「しなくていいですよ」
「親友からダメ出しされてるんだ」
「何て言われてるんですか?」
「笑わずにクール顔でいろ」
「さっき大笑いしてましたよね」
さわという名前の後輩が 口元に手を当てた。笑いを堪えるような表情で切れ長の目を細める。
「無理じゃないですか?」
「初対面でもそう思う?」
「真晴先輩って呼んでいいですか?名前おんなじ人初めてで嬉しいから。仲間意識」
「あ、それ。だから何で同じなの?さわとまはろは違うじゃん」
「今から説明しますよ」
にこにこ笑った爽やか後輩はホワイトボードの前に立ち、黒ペンを持って自分の名前を書き始めた。
俺も二重瞼だけれど、さわは切れ長二重だ。
表情が大人っぽくて、俺はまたまた羨ましくなる。
いまだに中学生に間違えられちゃうからなぁ、俺。
でもじいちゃんが昭和生まれにしては高身長!
きっと隔世遺伝で俺も大きくなる!
俺が一人で笑顔になっていると「真晴先輩。なんで拳にぎってんの」と言ってさわも笑った。
さわがホワイトボードを指差したので、俺はホワイトボードに書かれた綺麗な字を見た。
嘉手苅 佐和
かてかり さわ
↕ ≒
加藤 真晴
かとう まはろ
何この書き方。
数学の方程式なの?ニアリーイコールって、何?
名前ぜんぜん違うのに何がニアリー?
「嘉手苅ってこんなふうに書くんだ」
「そう。で、俺。名前の音を聴いたらイメージが溢れるんです」
「え?イメージ?」
「はい。音を聴くと脳内で色や形に勝手になっちゃう」
「色や形に?」
「そう。こんな話するとツレは気味悪がるけど」
「俺の名前がさわ君と同じイメージってこと?」
「そう!」
佐和がうっれしそうに俺を見下ろして笑った。
「イメージだから言葉にしにくいんですけど。俺の “かてかり” って名前はスクエアな形でオレンジ色」
「うん」
「で、“さわ”がラウンドな形でクリアなブルー」
「すごい。四角なオレンジ。丸色のブルーね」
「そう。で、真晴先輩の苗字がスクエアな形をしていて色がオレンジ。質感は俺より硬め」
「そうなんだ!」
「“かてかり”と“かとう”は質感は違っても形も色も同じ」
「うん。“まはろ”は?」
「“まはろ”って音を聴くと形は雲みたいにふんわりしたラウンド型で色がクリアな水色が浮かぶ」
「ぉお〜。ブルーと水色が似てる」
「そ!でもってクリアってのがなかなかないから」
「なんか奥深いね。さわ君アーティスティックだ」
「芸術肌ってこと?俺、褒めてもらったんですか」
「もちろん」
俺は佐和が繰り出す言葉に、先ほどから度肝を抜かれていた。
名前をこんな風にイメージで語る男。
なんだか不思議なコだ。
「真晴先輩が真後ろの席で自己紹介したとき俺びっくりしたんですよ。脳内で音のイメージが重なって」
「うわぁ面白すぎる」
「こんなこと言われたら、ドン引きしません?普通」
「しないよ」
「うん。真晴先輩が心から面白がってくれてることが伝わってくるから俺、安心した」
「あはは。安心して。さわ君、楽器は何をやりたいの?」
この後輩がにわかに可愛く思え、俺は温かい気持ちで軽音楽部の先輩ヅラってのを初めて楽しむことにした。
四月の軽音楽部の部室は生徒で溢れている。
普段はバンドメンバーごとにスタジオや誰かの家や空き教室に別れて練習している部員が、今日だけは勢揃いしている。
新入部員との顔合わせのために、受験を理由に休みがちな三年生も全員来ているから。
新たにバンドを編成したり、初心者の1年生がいれば誰が指導するかを決めたりする賑やかな1日だった。
「俺はギター全般です」
「ギター弾けるんだ」
「アコースティックギターが一番好きです。エレキとベースも練習してる」
「ボーカルはどう?」
「歌ったことはないです。中学に軽音楽部なかったから家やスタジオでツレと練習してたくらい」
「俺のバンド。ボーカルがいないんだ。ギター弾きながら歌ってみない?」
「真晴先輩のバンドに入れてくれるんですか」
そう言われて俺は笑ってしまった。
メンバーは二人だけ。
キーボードの俺とドラムの城戸先輩だけだと言ったら呆れられるかな。
ライブのとき、いつもボーカルとエレキギターのメンバーは他のバンドから助っ人で来てもらっている。
「きっとドラムの城戸先輩のこと気に入ると思う。サバサバしてて面白いんだ。紹介するよ」
部室の隅に置かれたドラムとパーカッション前で固まっている一群に目をやって城戸先輩を探していると、佐和が左横からそっと囁いた。
「…マハロ」
「…ん?呼んだ?」
俺は佐和の低い色気のある声に驚いて鼓動を早めた。
(…同性相手にドキッて何だよ)
胸を押さえて自分自身に突っ込みを入れる。
「ありがとうございますって言いたかった」
「あぁ、Mahalo」
「真晴先輩。名前、ありがとうって意味?」
「そう。知ってたんだハワイ語」
Mahalo nui loa
マハロ ヌイ ロア
「両親が出逢ったのがハワイなんだって。マウイ島の西の端のカハナにいつか真晴を連れていくって何度も言われてるけど俺は行ったことない。行きたいんだけど」
そう俺が言うと、佐和が真面目な顔になった。
「行ったことはないけど、行きたい?」
「うん。南の島に心を飛ばしてる。いつ行けるかなぁって」
「真晴先輩。俺たち、なんだか重なってる」
「重なってる?」
俺の言葉で佐和がまたイメージの世界にぶっ飛んで行ってしまったのだろうか…と、俺は首を傾げて佐和を見上げた。
「俺も心を南の島に飛ばしてるんですよ」
「え?さわ君も?」
佐和の言葉を聞いて俺はわくわくした。心が浮き立って佐和の左腕を掴んでしまう。
今日出逢ったばかりのデカい後輩。
変わってて面白い。
見た目は超爽やかイケメン、内面不思議ワールド。
面白すぎる。
「南の島ってどこ」
「波照間島です」
「はてるまじま?」
「知らない?日本最南端の島ですよ」
「一番南にあるんだ」
「そう。俺のばあちゃんが住んでる」
「え?さわ君それじゃ行かないと!」
「行けるものなら既に行ってます」
「なんか事情があるんだね」
「はい。でも」
佐和が左腕にある俺の右手に目をやった。
やば。
「ごめん」と俺はパッと手を離す。
―真晴。おまえパーソナルスペース狭いぞ。気をつけろ!
そう何度も言ってきた岳人の声が、鮮やかに脳内で再生された。
「南の島に心を飛ばしてるとこも同じ、名前のイメージも同じ先輩に出逢えたから、勇気出せるかも」
「…勇気?なんかよくわかんないけど俺も力になるよ」
「真晴先輩。ほんと?」
「うん。きっと大丈夫」
「きっと?」
「うん。きっと」
俺は笑顔で佐和に言う。
心からきっとうまくいくって思う。この自信はどこから来るんだろう。
きっと、それが俺の性分ってやつなんだろうけど。



