「ファイトー!」
「集中ーっ」
体育館の半分を使い、僕以外の男子バスケットボール部員たちが走り込みのトレーニングに取り組んでいた。
バスケはとにかく走るスポーツだ。足で負けると、どれだけシュートのうまい選手が揃っていても試合には勝てない。シュートの精度を求めるな、というわけではないけれど、まずもって優先すべきはフィジカルの強さ、特に相手に走り負けない体力を身につけることが僕らのチームの方針だった。
インターハイ予選という大きな節目を越え、新チームになった初日の練習が今日だった。最初に新キャプテンの理紀からちょっとした講話みたいなものがあって、その中でもまずはしっかり体力をつけることを最優先課題にすると理紀は話した。監督はバスケットボール経験者の体育教官だが、練習メニューの組み立てなど、チームの運営そのものは部員たちが自主的に行うことが伝統のチームだった。
「五本目ー!」
バスケットコートのエンドラインから対面のエンドラインまで、一往復を十秒で行って戻る練習をしているところである。僕は声でみんなを応援しながら、スタートの合図を出し、十秒という時間を計っている。
走れない僕がバスケ部のためにできることはこれくらいだ。「ファイトー!」と声を出したりして、僕なりに仲間たちの力になれればと思って仕事をしている。
「よぉし。すぐにフリースロー二本ずつ! 入った本数は各自覚えて、あとで報告な」
全員が十往復を走り終えると、キャプテンの理紀が次の練習の指示を出した。実際の試合を意識したシュート練習で、散々走ったあと、息の上がった状態でも確実に二本連続で入るフリースローが打てることを目指す。
向かい合った二つのゴールの前に選手たちが列を為し、フリースローラインから順番にシュートを打っていく。二本とも決める者、一本は決める者、どちらも外す者。まだまだ実力にばらつきがあって、これを全員が二本連続で決められるようになることを理紀はチームの目標の一つに掲げていた。
打ち終えた者から、コートのだいたい真ん中に立っている僕のもとへとシュート結果を報告に来る。僕は一人一人の結果をデータシートに記録していて、家に帰ったら部日誌に清書するところまでが僕に与えられた役割だ。日誌は毎日顧問の先生に提出していて、僕の記したデータは先生が試合に出るメンバーを決める際の参考にする。
理紀の理想は、誰が試合に出てもチーム力が落ちない実力を身につけること。レギュラーと、そうでない部員との練習を分けることはしない。顧問の先生も含め、チーム一丸となって上を目指す。それが理紀のチーム作りの土台になっている強い想いだった。
全員がフリースローを打ち終えると、理紀は小休憩を挟んだ。みんなが一斉にコートを出、それぞれドリンクやタオルに手を伸ばす。
みんなと入れ替わるように、僕はコートに入ってモップがけを始めた。練習中にしたたり落ちた汗を踏むとすべって怪我をする恐れがある。それを防ぐのも僕の仕事の一つだ。
しかし、
「穂南先輩!」
僕がモップをかけていると、決まって僕のところへ走ってくる後輩がいた。理紀と同じ、小学四年生からバスケを始めた一年生の田平航大は、一八六センチの高身長と、どの距離からでも打てるシュートの正確さから、入部早々レギュラー候補の一人として注目されている部員だった。ポジションは「どこでもやれます」というのが本人の弁で、実際、どこをやらせてもそつなくこなせる器用さを持った選手だ。ちなみに今の走り込みからのフリースロー練習も、彼は当然のように二本ともシュートを決めていた。
「代わります、モップ」
田平は僕の握っているモップの柄を強引に奪い取ろうとした。当たり前だが、僕は「いやいや」と握った柄を離そうとしない。
「いいよ。休憩中なんだから休んでな」
「オレ、休憩いらないんで」
「あ、そう。元気なのはわかったけど、これはおれの仕事だから」
こうしてしゃべっている間にも休憩時間は過ぎていく。僕は田平から完全にモップを奪い返せないまま清掃を再開した。
「ダメですって」
もちろん、田平も簡単には引き下がらない。僕と一緒にモップを握ったまま、結果として二人並んで一本のモップをかけるという状況になる。
「オレ、マジで無理なんスよ。先輩にこういうことやらせるの」
「言いたいことはわかるよ。そういう中学にいたんだもんな」
「そう。だから代わってください。これはオレたち後輩の仕事っす」
「知らん。ここはおまえのいた中学とは違うから」
「すーずー」
やいのやいのと田平と言い合いながら歩いていると、横から理紀の声がした。
田平と二人で足を止めて見た理紀の顔は、不自然なほどにこやかだった。
「悪いな、田平」
僕らのもとへと歩み寄った理紀は、僕の手を無理やりモップから引き剥がしながら田平に言った。
「助かるよ。ざっとでいいから、残り、頼めるか」
「はい、ありがとうございます!」
田平は嬉しそうに返事をし、軽く走りながら残り半分と少しのモップ掛けに勤しみ始めた。もちろん僕は承服しかね、「おい」と理紀に文句を言った。
「なんでだよ。モップがけくらいやらせてくれたって……」
僕が最後まで言い終える前に、理紀はぷいと僕に背を向けてコートを出て行ってしまった。「理紀!」と呼び止める僕の声は届かなくて、どんどん遠くなっていく背中に、どうやら僕はまた彼の気に障ることをやってしまったらしいと悟る。
息をつき、僕もゆっくりとした足取りでコートを出る。理紀がなにに対して腹を立てているのか知らないが、僕にやれることはモップがけの他にもある。
午後四時前から始まった練習は、午後六時半まで続く。
新チーム初日の滑り出しは悪くなかった。僕が一つ納得できないことを挙げるなら、部活が終わるまでずっと、理紀がなぜか僕に対し不機嫌なままだったことだ。
「集中ーっ」
体育館の半分を使い、僕以外の男子バスケットボール部員たちが走り込みのトレーニングに取り組んでいた。
バスケはとにかく走るスポーツだ。足で負けると、どれだけシュートのうまい選手が揃っていても試合には勝てない。シュートの精度を求めるな、というわけではないけれど、まずもって優先すべきはフィジカルの強さ、特に相手に走り負けない体力を身につけることが僕らのチームの方針だった。
インターハイ予選という大きな節目を越え、新チームになった初日の練習が今日だった。最初に新キャプテンの理紀からちょっとした講話みたいなものがあって、その中でもまずはしっかり体力をつけることを最優先課題にすると理紀は話した。監督はバスケットボール経験者の体育教官だが、練習メニューの組み立てなど、チームの運営そのものは部員たちが自主的に行うことが伝統のチームだった。
「五本目ー!」
バスケットコートのエンドラインから対面のエンドラインまで、一往復を十秒で行って戻る練習をしているところである。僕は声でみんなを応援しながら、スタートの合図を出し、十秒という時間を計っている。
走れない僕がバスケ部のためにできることはこれくらいだ。「ファイトー!」と声を出したりして、僕なりに仲間たちの力になれればと思って仕事をしている。
「よぉし。すぐにフリースロー二本ずつ! 入った本数は各自覚えて、あとで報告な」
全員が十往復を走り終えると、キャプテンの理紀が次の練習の指示を出した。実際の試合を意識したシュート練習で、散々走ったあと、息の上がった状態でも確実に二本連続で入るフリースローが打てることを目指す。
向かい合った二つのゴールの前に選手たちが列を為し、フリースローラインから順番にシュートを打っていく。二本とも決める者、一本は決める者、どちらも外す者。まだまだ実力にばらつきがあって、これを全員が二本連続で決められるようになることを理紀はチームの目標の一つに掲げていた。
打ち終えた者から、コートのだいたい真ん中に立っている僕のもとへとシュート結果を報告に来る。僕は一人一人の結果をデータシートに記録していて、家に帰ったら部日誌に清書するところまでが僕に与えられた役割だ。日誌は毎日顧問の先生に提出していて、僕の記したデータは先生が試合に出るメンバーを決める際の参考にする。
理紀の理想は、誰が試合に出てもチーム力が落ちない実力を身につけること。レギュラーと、そうでない部員との練習を分けることはしない。顧問の先生も含め、チーム一丸となって上を目指す。それが理紀のチーム作りの土台になっている強い想いだった。
全員がフリースローを打ち終えると、理紀は小休憩を挟んだ。みんなが一斉にコートを出、それぞれドリンクやタオルに手を伸ばす。
みんなと入れ替わるように、僕はコートに入ってモップがけを始めた。練習中にしたたり落ちた汗を踏むとすべって怪我をする恐れがある。それを防ぐのも僕の仕事の一つだ。
しかし、
「穂南先輩!」
僕がモップをかけていると、決まって僕のところへ走ってくる後輩がいた。理紀と同じ、小学四年生からバスケを始めた一年生の田平航大は、一八六センチの高身長と、どの距離からでも打てるシュートの正確さから、入部早々レギュラー候補の一人として注目されている部員だった。ポジションは「どこでもやれます」というのが本人の弁で、実際、どこをやらせてもそつなくこなせる器用さを持った選手だ。ちなみに今の走り込みからのフリースロー練習も、彼は当然のように二本ともシュートを決めていた。
「代わります、モップ」
田平は僕の握っているモップの柄を強引に奪い取ろうとした。当たり前だが、僕は「いやいや」と握った柄を離そうとしない。
「いいよ。休憩中なんだから休んでな」
「オレ、休憩いらないんで」
「あ、そう。元気なのはわかったけど、これはおれの仕事だから」
こうしてしゃべっている間にも休憩時間は過ぎていく。僕は田平から完全にモップを奪い返せないまま清掃を再開した。
「ダメですって」
もちろん、田平も簡単には引き下がらない。僕と一緒にモップを握ったまま、結果として二人並んで一本のモップをかけるという状況になる。
「オレ、マジで無理なんスよ。先輩にこういうことやらせるの」
「言いたいことはわかるよ。そういう中学にいたんだもんな」
「そう。だから代わってください。これはオレたち後輩の仕事っす」
「知らん。ここはおまえのいた中学とは違うから」
「すーずー」
やいのやいのと田平と言い合いながら歩いていると、横から理紀の声がした。
田平と二人で足を止めて見た理紀の顔は、不自然なほどにこやかだった。
「悪いな、田平」
僕らのもとへと歩み寄った理紀は、僕の手を無理やりモップから引き剥がしながら田平に言った。
「助かるよ。ざっとでいいから、残り、頼めるか」
「はい、ありがとうございます!」
田平は嬉しそうに返事をし、軽く走りながら残り半分と少しのモップ掛けに勤しみ始めた。もちろん僕は承服しかね、「おい」と理紀に文句を言った。
「なんでだよ。モップがけくらいやらせてくれたって……」
僕が最後まで言い終える前に、理紀はぷいと僕に背を向けてコートを出て行ってしまった。「理紀!」と呼び止める僕の声は届かなくて、どんどん遠くなっていく背中に、どうやら僕はまた彼の気に障ることをやってしまったらしいと悟る。
息をつき、僕もゆっくりとした足取りでコートを出る。理紀がなにに対して腹を立てているのか知らないが、僕にやれることはモップがけの他にもある。
午後四時前から始まった練習は、午後六時半まで続く。
新チーム初日の滑り出しは悪くなかった。僕が一つ納得できないことを挙げるなら、部活が終わるまでずっと、理紀がなぜか僕に対し不機嫌なままだったことだ。



