***
「理紀!」
なだれるように、かつまるやごっちが保健室へ駆け込んできた。ざわつくベッドの周りから離れ、室内のちょうど真ん中あたりで立ち尽くしていた理紀は、かつまるの声を振り返ることができなかった。
「うそ。やっぱりすずじゃん、あの救急車」
救急車の音を聞いて、様子を見に来たらしい。かつまるとごっちが理紀を挟むように立ち、救急隊員が取り囲むベッドのほうに目を向ける。
保健室のベッドの上で、すずは意識を失っていた。
二階の渡り廊下で倒れてから、何度呼びかけても反応がない。かろうじて息はあって、心臓も、正常ではないものの止まることなく動き続けていた。それだけが救いで、唯一の希望だった。
「なにがあった」
ごっちが声を抑えて理紀に尋ねる。理紀はベッドを見つめたまま口を開いた。
「走ったんだ」
「なに?」
「俺が最初にここへ来た時、あいつ、いなかったんだよ。教室にもいなくて、慌てて探して」
「どこかで倒れてたのか」
理紀は静かに首を振る。
「図書室にいた。司書さんにブランケットを借りて、机に突っ伏して寝てた。なにやってんだ、って、俺、あいつを責めた。なんで保健室に行かなかったんだ、って。そしたら……」
すずを怒らせてしまった。
今になって気づく。ごっちに自分の心配はしなくていいと伝えてもらったすずの気持ちを、自分は全面的に無視していたのだと。すずの言葉を信じることができていれば、こんなことにはならなかったはずだ、と。
「俺のせいだ」
理紀は声を震わせた。
「昼練に行けばよかった。もっとちゃんと、すずのことを信じてやればよかったんだ。俺、なにもわかってない。俺が守らなくちゃいけなかったのは、すずのからだじゃなくて、心だったのに」
悔しい。理紀は右の手を強く握りしめる。
大事な時はいつもそうだ。気持ちが乱れて、正しい判断ができなくなる。今もそう。休む場所を図書室と決め、短時間でも眠ることができていたすずを無理に起こすべきじゃなかった。すずがそれでいいと言ったのだから、好きにさせてやるのが正解だった。
「そうだな」
隣から、ごっちの辛辣な意見が飛んできた。
「すべておまえのせいとは言わん。だが、大丈夫だったはずの涼仁が大丈夫じゃなくなった原因の一端がおまえにあることは間違いない」
「わかってる。俺が悪い」
自分をどこまでも責める理紀の隣で、ごっちはふわりと表情を和らげ、理紀の肩に手を置いた。
「それがわかっているなら、あとは涼仁の回復を待つだけだ」
「でも」
「『もし』なんて言うなよ」
同じ目線の高さで、ごっちとまっすぐに目が合った。
「大丈夫だ。あいつは絶対に目を覚ます」
ごっちは再び、すずの眠るベッドへと視線を戻す。
「今のあいつには、なにがなんでもおまえのもとへ帰ってこなくちゃならん理由があるんだからな」
「俺の?」
ごっちは深くうなずいた。
「昨日の晩、発作を起こしたと聞いた。いつもの流れなら、翌朝には病院で診てもらっていたはずだ。だが、今日のあいつは病院をスキップして学校へ来た。これまでのあいつはオレたちにできるだけ今のような弱々しい姿を見せないようにしてきたのに、今日は見るからにしんどそうにしていても『大丈夫』と言い張って学校へ残った。なぜだと思う?」
すぐには答えられなかった。なんで学校へ来たのだろうと思いはしたけれど、すずのお母さんが大丈夫だと判断したならいいのか、くらいにしか考えなかった。
ごっちの穏やかな視線が、再び理紀の双眸をとらえた。
「ケンカをしたんだってな、昨日」
紡がれたごっちの短い言葉は、理紀に大きな気づきを与えるには十分すぎる効果があった。
「おまえと話をしたかったんじゃないのか、涼仁は。部活が終わったあとで、とか、あるいはもっと早く、副作用の咳が治まったら、とか」
理紀の視線が、再びすずの眠るほうへと戻る。彼のからだはいよいよストレッチャーに乗せられ、救急車の中へと運び出されるところだった。
「すず」
保健室の大きな窓から運び出されていくすずの姿を、理紀は無意識のうちに追いかけた。保健室の先生に見守られながら、付き添いの教頭先生とともに救急車の中へと吸い込まれていく大切な幼馴染みに、今すぐ伝えたい言葉があった。
「すず!」
窓に手をかけて叫ぶ。返事はない。彼の姿すらもう見えない。
話がしたい。それは理紀も同じだった。
悪かったところがあれば言ってほしい。自分で気づけていることは謝って、直す努力をしたい。
どれもこれも、すずがいなくちゃ始まらない。
すずが隣にいてくれなくちゃ。
「橋本先生」
理紀は保健室の先生に声をかけ、「搬送先の病院はどこですか」と尋ねた。先生は「M大病院。穂南くんの主治医の先生が診てくださるって」と答えてくれた。
よかった。いつもの先生ならすずのことをよくわかってくれているはずだ。
大丈夫。すずはもう一度、目を覚ます。
理紀は仲間たちを振り返った。
ごっちも、かつまるも、他のみんなも、穏やかな笑みを浮かべていた。
「行けよ、理紀」
ごっちがチームを代表して口を開いた。
「おまえが連れて戻ってこい。涼仁を、オレたちのバスケ部へ」
ごっちの言葉と、みんなの力強い笑みが理紀の背中を押してくれた。理紀はうなずき、「あとは頼んだ」とごっちに言って保健室を出た。
廊下を行き、自身の教室へと戻る。帰り支度を済ませたら職員室へ寄り、担任に早退することを伝えた。
一人、学校を出る。すずの搬送先の病院までは電車で三十分弱。通学ルートからははずれるけれど、関係ない。
俺が着く頃には、目を覚ましていてほしい。
そう願いながら、理紀は学校の最寄り駅を目指して走った。
すずに伝えたいことがあるのは、理紀も同じだ。
「理紀!」
なだれるように、かつまるやごっちが保健室へ駆け込んできた。ざわつくベッドの周りから離れ、室内のちょうど真ん中あたりで立ち尽くしていた理紀は、かつまるの声を振り返ることができなかった。
「うそ。やっぱりすずじゃん、あの救急車」
救急車の音を聞いて、様子を見に来たらしい。かつまるとごっちが理紀を挟むように立ち、救急隊員が取り囲むベッドのほうに目を向ける。
保健室のベッドの上で、すずは意識を失っていた。
二階の渡り廊下で倒れてから、何度呼びかけても反応がない。かろうじて息はあって、心臓も、正常ではないものの止まることなく動き続けていた。それだけが救いで、唯一の希望だった。
「なにがあった」
ごっちが声を抑えて理紀に尋ねる。理紀はベッドを見つめたまま口を開いた。
「走ったんだ」
「なに?」
「俺が最初にここへ来た時、あいつ、いなかったんだよ。教室にもいなくて、慌てて探して」
「どこかで倒れてたのか」
理紀は静かに首を振る。
「図書室にいた。司書さんにブランケットを借りて、机に突っ伏して寝てた。なにやってんだ、って、俺、あいつを責めた。なんで保健室に行かなかったんだ、って。そしたら……」
すずを怒らせてしまった。
今になって気づく。ごっちに自分の心配はしなくていいと伝えてもらったすずの気持ちを、自分は全面的に無視していたのだと。すずの言葉を信じることができていれば、こんなことにはならなかったはずだ、と。
「俺のせいだ」
理紀は声を震わせた。
「昼練に行けばよかった。もっとちゃんと、すずのことを信じてやればよかったんだ。俺、なにもわかってない。俺が守らなくちゃいけなかったのは、すずのからだじゃなくて、心だったのに」
悔しい。理紀は右の手を強く握りしめる。
大事な時はいつもそうだ。気持ちが乱れて、正しい判断ができなくなる。今もそう。休む場所を図書室と決め、短時間でも眠ることができていたすずを無理に起こすべきじゃなかった。すずがそれでいいと言ったのだから、好きにさせてやるのが正解だった。
「そうだな」
隣から、ごっちの辛辣な意見が飛んできた。
「すべておまえのせいとは言わん。だが、大丈夫だったはずの涼仁が大丈夫じゃなくなった原因の一端がおまえにあることは間違いない」
「わかってる。俺が悪い」
自分をどこまでも責める理紀の隣で、ごっちはふわりと表情を和らげ、理紀の肩に手を置いた。
「それがわかっているなら、あとは涼仁の回復を待つだけだ」
「でも」
「『もし』なんて言うなよ」
同じ目線の高さで、ごっちとまっすぐに目が合った。
「大丈夫だ。あいつは絶対に目を覚ます」
ごっちは再び、すずの眠るベッドへと視線を戻す。
「今のあいつには、なにがなんでもおまえのもとへ帰ってこなくちゃならん理由があるんだからな」
「俺の?」
ごっちは深くうなずいた。
「昨日の晩、発作を起こしたと聞いた。いつもの流れなら、翌朝には病院で診てもらっていたはずだ。だが、今日のあいつは病院をスキップして学校へ来た。これまでのあいつはオレたちにできるだけ今のような弱々しい姿を見せないようにしてきたのに、今日は見るからにしんどそうにしていても『大丈夫』と言い張って学校へ残った。なぜだと思う?」
すぐには答えられなかった。なんで学校へ来たのだろうと思いはしたけれど、すずのお母さんが大丈夫だと判断したならいいのか、くらいにしか考えなかった。
ごっちの穏やかな視線が、再び理紀の双眸をとらえた。
「ケンカをしたんだってな、昨日」
紡がれたごっちの短い言葉は、理紀に大きな気づきを与えるには十分すぎる効果があった。
「おまえと話をしたかったんじゃないのか、涼仁は。部活が終わったあとで、とか、あるいはもっと早く、副作用の咳が治まったら、とか」
理紀の視線が、再びすずの眠るほうへと戻る。彼のからだはいよいよストレッチャーに乗せられ、救急車の中へと運び出されるところだった。
「すず」
保健室の大きな窓から運び出されていくすずの姿を、理紀は無意識のうちに追いかけた。保健室の先生に見守られながら、付き添いの教頭先生とともに救急車の中へと吸い込まれていく大切な幼馴染みに、今すぐ伝えたい言葉があった。
「すず!」
窓に手をかけて叫ぶ。返事はない。彼の姿すらもう見えない。
話がしたい。それは理紀も同じだった。
悪かったところがあれば言ってほしい。自分で気づけていることは謝って、直す努力をしたい。
どれもこれも、すずがいなくちゃ始まらない。
すずが隣にいてくれなくちゃ。
「橋本先生」
理紀は保健室の先生に声をかけ、「搬送先の病院はどこですか」と尋ねた。先生は「M大病院。穂南くんの主治医の先生が診てくださるって」と答えてくれた。
よかった。いつもの先生ならすずのことをよくわかってくれているはずだ。
大丈夫。すずはもう一度、目を覚ます。
理紀は仲間たちを振り返った。
ごっちも、かつまるも、他のみんなも、穏やかな笑みを浮かべていた。
「行けよ、理紀」
ごっちがチームを代表して口を開いた。
「おまえが連れて戻ってこい。涼仁を、オレたちのバスケ部へ」
ごっちの言葉と、みんなの力強い笑みが理紀の背中を押してくれた。理紀はうなずき、「あとは頼んだ」とごっちに言って保健室を出た。
廊下を行き、自身の教室へと戻る。帰り支度を済ませたら職員室へ寄り、担任に早退することを伝えた。
一人、学校を出る。すずの搬送先の病院までは電車で三十分弱。通学ルートからははずれるけれど、関係ない。
俺が着く頃には、目を覚ましていてほしい。
そう願いながら、理紀は学校の最寄り駅を目指して走った。
すずに伝えたいことがあるのは、理紀も同じだ。



