ヴェルト・マギーア ソフィアと魔道と剣戟の勝利者

僕は岩壁の陰を縫うように静かに足を進めながら、表向きはセレスの捜索に頼っているふりを続けていた。

先ほどの警告が効いているのか、セレスは地面や周囲の岩肌に目を凝らし、真剣な面持ちで痕跡を拾い上げている。

その隙を見計らい、僕は彼に気づかれないよう、両目を一瞬だけ金色に輝かせた。

セレスに教え子たちの微細な魔力の残滓を探させずとも、僕自身の広範囲魔力探知を使えば、追跡など容易い。

だが、僕にはそこまでする義理はない。彼が自力で情報を集めてくれるのなら、それだけ僕の負担を減らせる。

もっとも、探知を始めた僕は、どうしても無視できない痕跡を見つけてしまった。

(これは……)

セレスの教え子たちが残した、かすかな魔力の残滓。それとは別に、明確な黒い魔力の痕跡が、谷の奥深くへと続いていた。

この力を見間違えるはずがない。

三百年前、僕が目にした『黒焔の太陽』。そこから感じ取った魔力に酷似している。

つまり、七つの悪魔たちに連なる魔力の残滓だ。

(なぜ、こんな場所に悪魔たちの魔力が残っている? まさか、今回の事件に関わっているのか……?)

そこで僕は、兄上の言っていた『気がかりなこと』の意味に思い至った。

(なるほど……兄上は、ヴァリス・エテルニタスから悪魔の魔力を感じ取っていたのか)

悪魔たちの魔力の波動を感じ取る能力は、僕よりも兄上の方が鋭い。

現に僕自身、ここへ来るまで、その残滓を明確に捉えられていなかった。

だが、事前に教えてくれていれば、悪魔たちが関与している可能性を念頭に置いて行動できたというのに。

「ちっ……」

思わず舌打ちが漏れた。

僕は探知を終え、瞳の色を冷たい白銀へと戻した。もし、この先に悪魔の一人がいるのだとしたら、どうするべきか。

殺すか。それとも生け捕りにし、ほかの悪魔たちの居場所と目的を聞き出すか。

情報収集と障害の排除。任務を遂行するうえで、最も効率的な選択は――

結論はすぐに出た。

悪魔を生かしておく理由はない。情報を得る必要が生じた場合は、その場で判断すればいい。少なくとも、相手の存在を確認する前から、生け捕りに固執する必要はなかった。

僕は何事もなかったかのように、セレスへ声をかけた。

「セレス殿。捜索の進捗はどうだ。何か不自然なものは見つかったか?」

セレスは僕の視線にわずかに気圧されながらも、必死に岩肌を指し示した。

「は、はい! 教え子たちのものと思われる魔力の残滓が、この岩のくぼみで一度、強く集中しています。ここで何者かに抵抗しようとした可能性があります。それから、この先に、馬車が無理に方向転換したような大きな轍の跡が残っています!」

セレスの報告は、僕が探知によって把握した状況とも符合していた。

少なくとも、ここで何らかの異変が起きたのは間違いない。馬車の轍が残っている以上、教え子たちが馬車で移動させられた可能性も高い。

「轍は、どこへ向かっている?」

「この先です。岩壁の最も奥まった場所に、普段は岩肌に隠されている小さな洞窟の入り口があります。轍は、そこへ続いています!」

セレスは緊張で声を震わせながらも、魔導士としての観察力を発揮していた。

(洞窟か。隠れ場所としては悪くない。そして、黒い魔力の残滓も、あの方向へ続いている)

二つの痕跡が同じ場所へと向かっている。

偶然である可能性は否定できない。だが、現時点では、洞窟の奥に今回の事件と悪魔たちを結びつける何かがあると考えるのが妥当だろう。

僕は洞窟の入り口がある方向を見据えた。

魔力の痕跡は明確だが、入り口付近には罠や防御術式が施されている可能性がある。無策で踏み込むのは得策ではない。

「セレス殿。君はここで待機しろ」

「な、なぜですか? 僕も教え子たちを助けに――」

「君の役割は案内人だ。戦闘員ではない」

僕は彼の言葉を遮った。

「君の実力では、この先の戦闘で足手まといになる可能性が高い。仮に君が不用意に敵に捕らえられれば、僕の行動にも支障が出る」

彼を心配しているわけではない。少なくとも、僕が口にした理由はそれではなかった。

僕にとって重要なのは、任務を妨げる要因を可能な限り排除することだ。

セレスは僕の冷淡な言葉に、何も返せずにいた。

「僕が洞窟から君の教え子たちを助け出す」

僕は彼を見据え、そう断言した。

「君はここで周囲を警戒し、新たな魔力の残滓を見つけたら記録しておけ。僕が戻るまで、勝手に動くな」

「……分かりました」

セレスは悔しさを滲ませながらも、かろうじて頷いた。僕は彼の返答を確認してから、さらに言葉を続けた。

「それと、一つ覚えておけ。僕が設置した転移陣には、絶対に手を出すな」

「転移陣、ですか?」

「ああ。あの陣は一定時間だけ維持される。だが、君が勝手に起動したり、術式に干渉したりすれば、転移そのものが不安定になるおそれがある」

僕はセレスの目をまっすぐに見据えた。

「もし危険を感じても、転移陣を使って逃げようなどと考えるな。君がすべきことは、僕の帰還を待つことだ」

「しかし、もしあなたが戻らなかったら……?」

「その場合は、先ほど言ったとおりだ。三十分経っても僕が戻らなければ、最悪の事態と判断し、全力でスターシスへ戻れ。外部に連絡して救援を要請するんだ」

セレスは不安げに洞窟の方を見やったが、やがて小さく頷いた。

「……分かりました。転移陣には触れず、ここで待機します」

「よろしい」

僕はそれ以上の説明を切り上げ、腰に収めていた銀の剣を抜いた。

そして、岩壁の陰を利用しながら、洞窟の入り口へと音もなく近づいていく。

入り口はセレスの言ったとおり、周囲の岩肌に溶け込むように隠されていた。

単なる自然の地形ではない。強力な目くらましの魔法によって、洞窟の存在そのものが覆い隠されているのだ。

僕は足を止めず、銀の手袋を嵌めた手を岩肌へとかざした。

指先から探知と解析の魔力を放ち、岩肌に張りついた術式の構造を読み取っていく。

術式は古く、構造にも粗が目立った。周囲の岩肌に洞窟を擬態させることだけを目的とした、単純な隠蔽術式らしい。

解析を終えた僕は、術式の要となる部分へ干渉した。

キン、と微かな音が岩の内部に響く。

次の瞬間、目くらましの魔法が機能を失い、岩壁に擬態していた空間が露わになった。

そこには、直径二メートルほどの暗い洞窟の入り口が口を開けていた。

奥から漂ってくるのは、微かな腐敗臭。そして、あの黒い魔力の波動。

やはり、何かがいる。

僕は無効化した術式の残滓を確認すると、セレスを振り返ることなく、低い声で最後の指示を出した。

「セレス殿。念を押しておく。僕が戻るまで、転移陣には絶対に触れるな。三十分だ。それを過ぎたら、迷わずスターシスへ戻って救援を呼べ」

「あ、あの――!」

セレスが何かを言いかけたが、僕は聞く耳を持たなかった。銀の剣を握り直し、洞窟の奥へと視線を向ける。

そして、迷うことなく暗闇の中へと踏み込んだ。