ヴェルト・マギーア ソフィアと魔道と剣戟の勝利者

次の瞬間、僕たちの足元は硬い岩肌へと変わっていた。

周囲には木々がまばらに生え、険しい山肌が広がっている。眼下には曲がりくねった街道が谷底へと続き、その先には屏風のように巨大な岩壁がそびえ立っていた。

まさに『嘆きの岩壁』という名にふさわしい、陰鬱な場所だった。

転移の衝撃が抜けきらないのか、セレスは僕のコートを掴んだまま、荒い息を繰り返していた。顔色は真っ青で、丸眼鏡の奥の瞳には、まだ恐怖の色が残っている。

「大丈夫か、セレス殿」

僕が声をかけると、彼は何度も頷いた。

「は、はい……。まさか、転移魔術をここまで使いこなす方がいるとは……驚きました」

僕の魔力によって保護されていたとはいえ、転移に慣れていない者にとっては、相当な負担だっただろう。

だが、彼の感嘆に付き合っている時間はない。

僕はセレスから視線を外し、周囲の警戒に意識を切り替えた。

空気は重く、辺りには不気味な静寂が満ちている。風の音も鳥の声も聞こえず、生命の気配さえ希薄だった。

偶然にしては、あまりにも静かすぎる。

僕は周囲に魔力探知の術式を展開した。

やがて、谷筋のあちこちに微弱な魔力の痕跡が残されていることが分かった。複数の魔力が交錯した形跡があり、何者かがここで魔術を行使した可能性が高い。

痕跡をたどると、その流れは谷の奥深く、嘆きの岩壁の方向へと続いていた。

(ここで何らかの戦闘があったのは間違いない。だが、これだけでは生徒たちが谷の奥へ連れ去られたとは断定できないな)

現場の痕跡だけで、そこまで結論を急ぐべきではない。

まずは、通信が途絶えた地点を確認する必要がある。

「セレス殿。君の教え子たちが最後に通信を試みた座標は、この岩壁の真下で間違いないか?」

セレスは震える手で地図を取り出し、険しい岩壁の一角を指し示した。

「は、はい……。この谷の最も深い場所です。ここで通信が途絶えました」

「分かった」

僕は指し示された場所を目に焼きつけ、谷の奥へと視線を向けた。

「ここからは慎重に進む。セレス殿、君には案内人として同行してもらう。教え子たちの足跡や、彼らに由来する魔力の残滓を見つけたら報告しろ。ただし、僕の指示があるまでは勝手に動くな」

そう告げると、僕はコートの裾を翻し、岩壁の陰を縫うように歩き始めた。

ところが、背後からついてくるセレスは、どうにも落ち着かない様子だった。

魔導士としての責任感に加え、目の前で見せられた転移魔術への驚きが、彼の探究心を刺激しているのだろう。

「あ、あの! この谷に残っている魔力の痕跡ですが、複数の魔術が行使された形跡があります! 一つは私の教え子たちに関係するものかもしれませんし、もう一つは、少なくとも私が知る系統とは異なるように思えます!」

「それに、先ほどの転移用魔導具ですが、大魔導院の最新研究でも、あれほど確実な座標転移は実用化できていないはずです。いったい、どのような原理で座標を安定させているのですか?」

「それと、岩壁の奥に犯人の拠点がある可能性は高いのでしょうか? もしそうなら、私たち二人だけで踏み込むのは危険では……?」

矢継ぎ早に質問を重ねるセレス。

彼にとって、僕の行動は未知の魔術の連続なのだろう。目の前の異常事態を分析しようとする姿勢そのものは、魔導士として理解できなくもない。

だが、今は研究発表の場でも、質疑応答の時間でもない。

必要なのは、静かな観察と迅速な行動だ。

僕は歩みを止めず、背後のセレスを一瞥した。

白銀の瞳に浮かぶのは、冷ややかな拒絶だけだった。

「セレス殿」

低く抑えた声に、彼はようやく口を閉じた。

「君は、僕が質問に答えるために君を連れてきたとでも思っているのか?」

「い、いえ……そういうわけでは……」

「君の役割は、必要な情報を提供すること。そして、僕の指示に従って背後をついてくることだ」

僕は足を止め、彼を正面から見据えた。

「君の質問も、分析も、必要ならこちらから求める。だが、今は違う。君の余計な発言は、僕の集中を妨げている」

セレスの表情から、わずかに血の気が引いていく。

「これ以上、僕の行動を妨げるようなら、君との契約は即時破棄する。その場合、君をここに置いていくことになるが……それでも構わないのか?」

冷淡な声で告げると、セレスはハッと息を呑んだ。

「……申し訳ありません! 以後、発言は控えます。痕跡の捜索に集中します!」

「そうしてくれ」

僕はそれだけ告げ、再び歩き出した。

セレスも今度こそ口を閉ざし、足元や岩肌に注意を向けながら、必死に痕跡を探し始める。

再び、谷には静寂が戻った。

しかし、その静けさが安全を意味するわけではない。

僕たちの進む先には、まだ正体の分からない何者かがいる。

そして、教え子たちの消息も掴めていない。

今はただ、一つずつ確かな情報を拾い上げていくしかなかった。