しかし、僕はすぐにその考えを打ち消した。
(疲労は判断力を鈍らせる最大の敵だ。長距離転移に続く長時間の魔力行使、さらに予想外のトラブルへの対処……。現在の魔力残量と体力を考慮すれば、無理に情報収集を行っても、非効率な結果に終わる可能性が高い)
僕の行動原理は、常に合理的かつ効率的であること。兄の嫌がらせによって時間を浪費した今こそ、確実な休息を最優先すべきだった。
僕は、喧騒が収まりつつある夜の街を進み、静かな路地の奥へと足を向けた。
やがて、目立たない路地裏に『黒猫のランプ亭』という看板を掲げた宿を見つけた。外観は質素だが、落ち着いた佇まいをしている。
僕は扉を開け、受付の主人に一泊したい旨を簡潔に伝えた。
僕の洗練された装束と冷ややかな視線に、主人は一瞬戸惑った様子を見せた。しかし、差し出した十分な額の金貨を目にすると、余計な質問をすることなく鍵を渡してきた。
「二階の一番奥の部屋です。静かですよ、旅のお方」
僕は軽く頷き、階段を上った。
部屋に入ると、まず周囲の安全を確認した。
窓には簡易的な防音と認識阻害の術式を施し、部屋の四隅には微弱な警戒用の魔力を配置する。これで、低位の襲撃や盗聴をある程度は防げるだろう。
僕は白銀の装束を脱ぎ、ベッドに横たわった。左手の薬指にはめた兄の指輪が、微かに冷たさを伝えてくる。
(三日後、馬車で出発。それまでの二日間で、この街から得られる情報を最大限に集め、同時に十分な休息を取る)
そう方針を定めると、僕は静かに瞳を閉じた。
翌朝。
夜の喧騒が嘘のように静まり返った宿で、僕は目を覚ました。
目覚まし代わりの魔導具を使う必要はなかった。体内時計が、夜明けの時刻を正確に告げていたからだ。
短い休息ではあったものの、深く良質な睡眠のおかげで、蓄積していた疲労はほぼ解消され、乱れていた魔力も十分に整っていた。
僕はベッドから起き上がると、まず部屋に施した警戒術式を解除し、身支度を整えた。白と銀を基調とした装束に袖を通し、腰に剣を帯びる。最後に、左手の指輪の状態を確かめた。
(よし。出発まで約二日。この猶予を最大限に利用する)
部屋を出る前に、僕は一枚の無地の布を肩に羽織った。
この布には光学魔術が施されており、僕の目立つ装束の色彩と光沢を抑え、この地方の旅人に近い地味な装いに見せることができる。
昨夜の酔っぱらいたちとの一件で、不用意に目立つことの非効率性を改めて認識したばかりだからな。
階段を下りると、宿の主人がカウンターで新聞を読んでいた。
「おはようございます、旅のお方。昨夜はよくお休みいただけましたでしょうか」
「ええ。大変静かで、助かりました」
主人が用意してくれた簡素な朝食を取りながら、僕は食堂に集まった人々の会話へと意識を向けた。
耳に入ってくるのは、作物の出来や家畜の病気、近隣の街の市況といった、ありふれた世間話ばかりだった。
しかし、その中に微かな違和感を覚える話題が混じっていることに、僕の聴覚が気づいた。
「最近、王都から来た商人の姿を見なくなったな」
「ヴァリス・エテルニタスへ向かう連中は、誰も無事にたどり着けないらしいぞ」
やはり、昨夜の令嬢たちの話は単なる噂ではなさそうだ。
この街――スターシスは、ヴァリス・エテルニタスへ向かう人々が通過する場所の一つだ。もし、この周辺で行方不明事件が起きているのなら、犯人たちが標的を見定めるための拠点、あるいは通過地点になっている可能性もある。
食事を終えた僕は、情報収集を次の段階へ進めることにした。
この街で最も情報が集まる場所――それは、旅人や商人が立ち寄る酒場か、あるいは馬車組合だろう。
僕は主人に礼を告げ、外套を深く被って宿を出た。
冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、僕は静かに歩き出す。
王都行きの馬車が出発するまで、残された時間は約二日。
それまでに、行方不明事件の糸口を掴む。
僕はその目的を胸に、街の奥へと足を進めた。
(疲労は判断力を鈍らせる最大の敵だ。長距離転移に続く長時間の魔力行使、さらに予想外のトラブルへの対処……。現在の魔力残量と体力を考慮すれば、無理に情報収集を行っても、非効率な結果に終わる可能性が高い)
僕の行動原理は、常に合理的かつ効率的であること。兄の嫌がらせによって時間を浪費した今こそ、確実な休息を最優先すべきだった。
僕は、喧騒が収まりつつある夜の街を進み、静かな路地の奥へと足を向けた。
やがて、目立たない路地裏に『黒猫のランプ亭』という看板を掲げた宿を見つけた。外観は質素だが、落ち着いた佇まいをしている。
僕は扉を開け、受付の主人に一泊したい旨を簡潔に伝えた。
僕の洗練された装束と冷ややかな視線に、主人は一瞬戸惑った様子を見せた。しかし、差し出した十分な額の金貨を目にすると、余計な質問をすることなく鍵を渡してきた。
「二階の一番奥の部屋です。静かですよ、旅のお方」
僕は軽く頷き、階段を上った。
部屋に入ると、まず周囲の安全を確認した。
窓には簡易的な防音と認識阻害の術式を施し、部屋の四隅には微弱な警戒用の魔力を配置する。これで、低位の襲撃や盗聴をある程度は防げるだろう。
僕は白銀の装束を脱ぎ、ベッドに横たわった。左手の薬指にはめた兄の指輪が、微かに冷たさを伝えてくる。
(三日後、馬車で出発。それまでの二日間で、この街から得られる情報を最大限に集め、同時に十分な休息を取る)
そう方針を定めると、僕は静かに瞳を閉じた。
翌朝。
夜の喧騒が嘘のように静まり返った宿で、僕は目を覚ました。
目覚まし代わりの魔導具を使う必要はなかった。体内時計が、夜明けの時刻を正確に告げていたからだ。
短い休息ではあったものの、深く良質な睡眠のおかげで、蓄積していた疲労はほぼ解消され、乱れていた魔力も十分に整っていた。
僕はベッドから起き上がると、まず部屋に施した警戒術式を解除し、身支度を整えた。白と銀を基調とした装束に袖を通し、腰に剣を帯びる。最後に、左手の指輪の状態を確かめた。
(よし。出発まで約二日。この猶予を最大限に利用する)
部屋を出る前に、僕は一枚の無地の布を肩に羽織った。
この布には光学魔術が施されており、僕の目立つ装束の色彩と光沢を抑え、この地方の旅人に近い地味な装いに見せることができる。
昨夜の酔っぱらいたちとの一件で、不用意に目立つことの非効率性を改めて認識したばかりだからな。
階段を下りると、宿の主人がカウンターで新聞を読んでいた。
「おはようございます、旅のお方。昨夜はよくお休みいただけましたでしょうか」
「ええ。大変静かで、助かりました」
主人が用意してくれた簡素な朝食を取りながら、僕は食堂に集まった人々の会話へと意識を向けた。
耳に入ってくるのは、作物の出来や家畜の病気、近隣の街の市況といった、ありふれた世間話ばかりだった。
しかし、その中に微かな違和感を覚える話題が混じっていることに、僕の聴覚が気づいた。
「最近、王都から来た商人の姿を見なくなったな」
「ヴァリス・エテルニタスへ向かう連中は、誰も無事にたどり着けないらしいぞ」
やはり、昨夜の令嬢たちの話は単なる噂ではなさそうだ。
この街――スターシスは、ヴァリス・エテルニタスへ向かう人々が通過する場所の一つだ。もし、この周辺で行方不明事件が起きているのなら、犯人たちが標的を見定めるための拠点、あるいは通過地点になっている可能性もある。
食事を終えた僕は、情報収集を次の段階へ進めることにした。
この街で最も情報が集まる場所――それは、旅人や商人が立ち寄る酒場か、あるいは馬車組合だろう。
僕は主人に礼を告げ、外套を深く被って宿を出た。
冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、僕は静かに歩き出す。
王都行きの馬車が出発するまで、残された時間は約二日。
それまでに、行方不明事件の糸口を掴む。
僕はその目的を胸に、街の奥へと足を進めた。



