「来たよー、昴」
 洋装姿の男性が入ってきた。昴に対してかなり親しげだ。六花は昴とその男性を交互に見つめる。

「早かったな」
 昴はそう声をかけると、六花に向き直って続けた。

「こいつは俺の従兄の恭介だ。さっき言った、治癒の神力のことを俺に教えたやつだ。紹介しておこうと思ってな」
「はじめまして、僕は宗像恭介。治癒の神力の花巫女様に会えるなんて、光栄だよ」

 恭介は、にこにこと人懐っこい笑顔で話しかけてくる。一瞬、誠二と似ているかもと思ったが、底冷えするような嫌な雰囲気は感じない。

「出雲六花です。こちらこそ、お会いできて光栄です」
 お互いに挨拶を終えると、昴は一つ頷いて恭介に言う。

「髪を整えてやってほしいが、女性の髪を扱う店がわからない。頼めるか」
「わかった。というか、お前は知っていても辿り着けないだろう」
「うるさい」

 六花は頭の上で交わされる二人の会話を聞いていた。理容室はそんなに複雑な場所にあるのか。六花は少し不安になった。顔に出ていたらしく、恭介が笑って弁解してきた。

「ああ、変なところにあるってことじゃないよ。昴が方向音痴なだけ」
「宗像様が?」
 こんなに格好いい人が方向音痴とは。そういえば、出雲家でも迷っていたことを思い出した。昴が戸惑った声を上げる。

「ええっと」
「は、はい、申し訳ありません」
「いや、そうではなくて、俺もこいつも『宗像』だからその呼び方を変えてもらえると、助かる」

 言われてみればそうだ。つい、そのまま呼んでしまっていた。別の呼び方、となると下の名前しかない。少し緊張するが、六花は昴を見上げて呼びかける。

「わかりました、昴様」
 昴は一瞬固まったあと、また小さく微笑んでくれた。

「俺も、六花さんと呼んでも構わないか」
「もちろんです」
 恭介が、にんまりとした顔で二人のやり取りを眺めていることに気がつき、昴は眉間に皺を寄せていた。

「さて、理容室へ行く前に一つ聞いておくけど、これは誰にやられたもの?」
 恭介の目の奥がすっと冷たくなった。六花は、話してもいいのか迷って、昴を見上げた。

「こいつに話すのは問題ない。君の味方だ」
「妹の、牡丹です」
「あのお披露目会で舞っていた子か。あ、髪はあとで少し調べさせてね。証拠になるかもしれないから。……昴、連れ出せて満足かもしれないけど、女の子の髪を焼くようなやつ、放置はできないね」
「それは同感だ」

 二人は頷き合って、お互いの考えを共有しているようだった。だが、六花は告発のようなことは望んでいない。

「待ってください。わたしは、家を出られただけで充分です。これ以上は何も」
「いや、俺と六花さんの婚姻で出雲と宗像に繋がりができると、おそらくこちらにも干渉してくるだろう」
「宗像家にとって、それは避けたいところなんだよ。それに、他を虐げる花巫女とは組みたくないからね」

 昴と恭介は、あくまで宗像家のためだと言った。もちろんそれが主な理由であることはわかっている。でも、それによって六花を守ることにも繋がるのだ。

「宗像家の婚約者候補を傷つけた、ってだけでもいいけど、ちょっと弱いなあ。何かスキャンダルとかない?」
 恭介にそう問われるが、六花は首を横に振る。

「わたしは家のことには関わらせてもらえなかったので」
「そっか。そのあたりは僕が調べてみるよ。得意分野だしね」
 恭介は軽くそう言ってのけた。この話は一旦終わりということらしい。

 昴は、改まって六花の名前を呼ぶ。
「六花さん」
「はい」
「婚約者候補として迎える、と出雲家では言ったが選択肢のなかった六花さんには強制に違いない。だから、この婚約を取引と考えてくれないだろうか」
「取引、ですか」
 六花は昴の言葉をそのまま聞き返した。

「護り人という立場上、怪我が多いので治癒の神力を持つ花巫女がいてくれると助かる。宗像家にいてもらう代わりに、六花さんの望みを叶える。そういう取引だ」

 横で聞いていた恭介が苦い笑いをしながら、真面目というか律儀というか……と呟いていた。昴は目線だけ向けてそれ以上言うなと黙らせていた。
 六花は、昴が六花のためにそういう条件を出してくれたと理解している。宗像家ならば、六花が何と言おうと、問答無用で婚約を進めることだってできるのだから。無愛想な表情の昴から、まっすぐな誠意が伝わってくる。

「わたしは、家を出られただけで充分です」
 六花は微笑みながらそう伝える。先ほど伝えた感謝は心からのものだ。

「それは、礼と詫びだと言っただろう。君自身が欲しいもの、したいこと、何でもいい。何かないか」
 六花自身の欲しいもの、したいこと。脳裏に矢絣の着物が思い浮かぶ。

 ――女学校へ行きたい。

 でも、女学校へ行きたいと思ったのはそもそも家を出たかったからだ。出られたのだから、もう行く必要はない。そう思うが、街で見た少女たちへの、学ぶことへの憧れは六花の中から消えていない。

「あの……」
「ああ、なんだ」
「女学校へ行って、みたいです」

 六花は、おずおずとそう自分の望みを口にした。言ったと同時に、両親や牡丹に非難されたことを思い出して、きゅっと心臓が締め付けられる感覚になる。

「わかった、手配しよう」
「えっ」
 昴は即答した。六花のほうが驚いてしまって、慌てて言う。

「あの、本当によろしいのですか」
「ああ。恭介、手続きにはどれくらいかかる?」
「一日あれば問題ないね」

 当然のように恭介がそう言って笑う。今度は昴も満足そうに頷いていた。言いだしておいて、六花のほうが状況についていけていない。

「えっと、わたし……」
「花巫女の少女が通う、一般には開かれない女学校も存在する。普通の花嫁修業と言われるところより、そこのほうが六花さんには合うと思う。そこでどうだろうか?」
「そうだね、花巫女の舞のことも学べると聞いたから、僕もちょうどいいと思うよ」
「お前には聞いてない」
 昴と恭介の軽口を聞きながら、六花は感動を覚えていた。

 そのような女学校があるなんて、知らなかった。今まで、あの家の中で六花の世界は閉じられていたと感じる。差し伸べられたこの手を取ってもいいのだろうか。舞のことを専門的に学ぶことができれば、誰かの役に立てるようになれるだろうか。

 六花は、ぐっと両手を握りしめて答えた。

「ぜひ、よろしくお願いいたします」