「というわけで、出雲家の長女、六花さんを宗像家に迎え入れたい」

 この日、唐突な宗像昴の訪問に戸惑っていたが、この発言で上を下への大騒ぎとなった。
 六花は、お茶の用意を申しつけられていたため、障子を挟んで聞いていた。驚きのあまり、湯呑を一つ落としてしまった。がしゃんと大きな音がして、中にいた両親と牡丹、昴がこちらに視線を向けた。

「も、申し訳ありません」
 六花は、慌てて湯呑を拾い上げる。縁の部分が少し欠けてしまっていた。六花の目の前に手が差し伸べられる。

「怪我はないか」
 昴がそう言って、六花をじっと見つめる。昴は顔の傷に加えて表情が乏しくて、愛想がいいとは言えないが、誠二の張りついた笑顔よりも、よっぽど安心感がある。

「ありがとう、ございます」
 何だか泣きそうになるのを、六花はぐっと堪えた。

 両親が戸惑った声で昴に声をかける。
「あの、宗像様、急なお話なので、お返事はまた後日に」
「いや、家から急かされているので、本日返答をもらいたい。無理強いはしない、別の婚約者候補を探すだけだ。しばらくの間、席を外そう」
 昴は、言葉通り部屋をあとにした。残された両親と牡丹はぽかんとしていたが、すぐに我に返って話し出した。

「宗像家がどうして急に。しかも無能な姉を指名でなんてな」
「そうよね、せっかくなら牡丹が嫁入りしたほうがいいんじゃないかしら」
「嫌よ! 絶対嫌!」
 母の言葉に、牡丹は激しく反対した。

「夜叉のもとに嫁ぐなんて、絶対に嫌よ。あたしは出雲家を背負う役目があるもの」
「そうね、牡丹、えらいわ」
 母は手のひら返しで牡丹を褒めそやした。父も何度か頷いてから喜びを滲ませた声で言った。

「婿で出雲家に入ってくるわけではないのだから、こちらに影響はほとんどないと言えるな。むしろ、宗像家と繋がりができれば、こちらにも大きな利がある」
「それに、世間体を保ったまま、あの子を追い出せるということでしょう。嫁入りなら何の問題もないわ」
「ええ、『誰も』損はしないと思いますわ。お父様、お母様」
 話し合いには、当然のように六花は参加させてもらえなかった。六花自身の声は届かないまま、決定が下された。


 昴を呼び、改めて六花を婚約者候補とする話を受ける、と返答がなされた。
「念のためですが、娘が無能であることはご存知で?」
「もちろん。その上で申し出ている」
「では、こちらは何も問題ございません。本当に不出来な娘ですが、よろしくお願いいたします」

 その後、六花には荷物をまとめる時間が与えられたが、そもそも自分の持ち物はほとんど残っていない。大切な物は、すべて牡丹に奪われたり壊されたりした。隠し持っていた扇でさえも、この間壊れてしまった。

「お待たせいたしました」
「では、行こうか」

 昴は当然のように六花の手を取って馬車までエスコートしてくれた。表情は動かないが、力を入れすぎないように気を遣ってくれていることが、手のひらから伝わってくる。
 馬車に揺られながら、六花は恐る恐る口を開いた。

「あの、なぜわたしを……。花巫女の神力がない無能です。宗像様のお役には立てません」
「それについては、家に着いたら話そう」
 昴がそう言って、馬車の中は再び沈黙が下りる。

 到着したのは、出雲家よりも二回りほど小さめの屋敷だった。立派なものには違いないが、あの宗像家の屋敷としては意外だった。
「手狭なのは、俺の私邸だからだ」
「私邸……」
 つまり、昴個人の住居ということだ。一人のための屋敷と考えると有り余る大きさだ。本邸はどれほどなのだろう。

「取って食いはしないから、入ってくれ」
 六花は大きさに驚いていて立ち止まっていたのだが、昴は別の解釈をしたらしい。六花は急いで昴のあとに続いた。

 広めの和室には、昴と六花の二人だけ。促されて六花は腰を下ろし、その正面に昴が座った。こうして面と向かうと座っていても体の大きさの差を感じる。

「君を迎えた理由についてだが」
「……はい」
 一体、何を言われるのか、六花は身を固くして昴の次の言葉を待った。

「君の舞に治癒の神力があるからだ」
「……治癒?」
「そうだ」
 六花は、昴の言ったことを理解しようとした。だが、できなかった。できるはずがない。

「そんな、あり得ません。わたしには何の力もありません」
「やってみたほうが早いか」
 そう呟くや否や、昴は棚から小刀を取り出し、何の躊躇いもなく腕を切りつけた。

「宗像様!?」
 六花は悲鳴を上げて昴に駆け寄る。深く切れてはいないようだが、血が流れ落ちている。六花は、自分の着物で止血をしようと、袖を持ち上げた。

「待て、このままでいい。簡単にで構わないから、舞を見せてくれないか」
「ですが、傷が……」
「このくらい、慣れている。舞ってくれ」

 六花は、押し切られる形でその場に立ち上がった。扇を持つように手を構えて、すっと足を踏み出した。奏でる音楽はなく、六花の衣擦れと足が畳を擦れる音だけが部屋に響く。白い花が浮かび上がり、六花の周りを囲む。

 ちらりと昴の様子を見れば、その白い花に向けて腕を差し出していた。一つの花が、昴の腕にふわりと降り立つ。すると、淡い光が広がって昴の腕の傷を包み込んだ。光が霧散するころには、腕の傷がすっかりとなくなっていた。

「嘘……!?」
 六花は思わず声を上げて、舞を止めた。ふっと白い花たちも消えていく。

「これを、わたしが……?」
 儀式で白い花が発現したときから、舞うことを禁止されていたから、人前で舞うことは一度もなかった。誰もいないところで、こっそりと舞うだけだった。気づきようがない。

「おお、本当に治った。すごいな、君の神力は」

 昴がそう言って感心していた。まるでたった今、治癒の神力に確信を得たような言い方だ。治癒の神力があるという確信があって、六花を迎え入れたのではないのか。これでは、順序が逆ではないか。

「宗像様は、治癒の神力をご存知だったわけではないのですか……?」
 昴は、決まりが悪そうに視線を横に流しつつ答えた。

「従兄からの情報と披露目の会のときの推測で、知ってはいた。だが、確信を得ていたわけではない」
「では、確かめるよりも前に、わたしを連れ出したと……」
「披露目会の際に怪我を治してもらった礼と、不用意な発言の詫びだ。あの家はあまり居心地がよくなさそうだった。余計な世話だったか」
「いえ!」

 六花は首を横に振った。昴のおかげで、こうして出雲家を出られたのだ。感謝こそすれ、余計な世話なわけがない。
 昴は、そっと六花の髪に手を伸ばし、組紐を解いた。結んでいた髪がさらりと流れ落ちる。ただし、左側だけ。右側は焼かれたままだった。ハッとしたが、隠す前に昴に髪を掬い取られた。

「これは……」
 痛々しい表情で、昴は六花の焼かれた髪を見つめる。自身で腕を切ったときには一切動かなかったというのに、今はまるで自分が傷つけられたかのような顔をしている。

「披露目会の日か? 焼かれたのは」
「どうしてそれを」
「やはり、誰かに焼かれたものか……」
 昴は悔しそうな声音でそう言った。焼かれた、と言わなくてもいいことを肯定してしまった。

「いえ、これは」
「申し訳ない」
「どうして宗像様が謝るのですか」
「俺の発言のせいだろう」
 昴は青筋が立つほどに自身の拳を握りしめていた。そして深々と頭を下げた。

「俺の不用意な発言で傷付けてしまい、本当に申し訳ない」
 確かに、昴の発言が原因と言える。だが、実際に燃やしたのは激昂した牡丹であって、昴ではない。それに。

「わたし、嬉しかったんです」
「それはどういう意味だ」
「立派な妹の舞台のあとなのに、わたしの舞を思い出してくれたことが、とても嬉しかったです。髪を燃やされたときは……怖かったですけど」
「……そうか」
 昴は黙りこくってしまった。六花は、居住まいを正して昴に向き直った。まだきちんと伝えていなかった。

「宗像様、ありがとうございます。ずっと家を出たいと思っていました。でも、できなかったんです。わたしには舞しかなくて、他に何もないので。人のために役に立てる力を持たなかったので」
「そんなことはない。治癒の神力で救われる者はたくさんいるはずだ。それに、君の舞は本当に素晴らしかった。怪我も、心も癒された」
「ありがとう、ございます」

 自分には舞によって、誰かのために役に立てる力がある。その事実は、六花にとってこれ以上ない救いだった。舞も、自分も認めてもらえたようで、自然と目頭が熱くなる。六花は感謝の気持ちを伝えたくて、涙が頬を伝いつつも、笑顔を昴に向けた。

「笑顔を見られて、良かった」

 昴の人差し指が、ガラス細工に触れるように六花の頬に触れて涙を掬い取った。わずかに口角が上がっていて、昴が微笑んでいるのがわかった。とても優しくて温かい笑顔だ。

「宗像様の笑顔も、素敵です」
「俺が? こんな傷がある顔など、恐ろしいだけだろう」
「人々のために戦った証です。格好いいです」

 昴が、幼い子どものようにきょとんとした顔をした。六花の言った意味がわからない、と言いたげだ。
 そのとき、勢いよく部屋の障子が開け放たれた。