*
「お姉様!?」
六花がお披露目会の片付けをしていると、牡丹の激昂が聞こえてきた。弾かれるように振り返れば、鬼のような形相でこちらに向かってくる牡丹と目が合った。六花は背筋が粟立ち、思わず後ずさりした。
「いい加減にしなさいよ!」
牡丹は勢いそのままに、六花の頬を平手で引っぱたいた。ぱしんと乾いた音が響き、六花は痛みと衝撃で倒れ込む。
「も、申し訳ありません」
六花は声を震わせながら謝った。だが、牡丹が何にここまで怒っているのか、わからない。今日のお披露目会は大成功だったというのに。
「自分が無能だからって、夜叉に取り入るなんてどうかしてるわ!」
「なんの、ことですか……」
「とぼける気? あの夜叉はあたしの舞を見たのに、お姉様の舞が見たいだなんて言ったのよ!? ふざけるのも大概にしてちょうだい!」
「えっ」
六花は、大きく目を見開いた。六花の舞を美しいと言ってもらえただけでなく、あの立派なお披露目の舞のあとで、六花のことを思い出してくれたと。どうしよう、こんな状況なのに六花の舞に心を動かされた人がいるという事実を、嬉しく思ってしまう。
ふわりと浮き上がった心は、しかし、牡丹の金切り声で一瞬にして突き落とされる。
「使用人が一緒にいたところを見た、と言っているんだから! 嘘をつくつもり!? 適当なことを言って同情でも引いたの? それとも色目を使って誘いでもしたの?」
怒りと嘲りが混ざった声は、六花の心をひどく落ち込ませる。ただ、首を横に振った。
「そんなことはしていません。道案内をしただけで――」
「黙りなさい! あたしに口答えする気!?」
牡丹は癇癪を起したように怒りを爆発させて、六花の髪を鷲掴みにした。無理やり引っ張られて、髪を留めていた組紐はほどけ落ちる。
「痛っ」
「お姉様が悪いのよ」
牡丹は小刀を取り出した。ひゅっと喉を空気が通り抜ける。切られる、と思った次の瞬間、襲われたのは熱さだった。
「!」
六花の髪が、燃えていた。牡丹の火の神力を宿した小刀が、触れたものを炎に包んでいる。迫りくる炎に、六花は本能で声を上げた。
「いやーーーーー!!」
六花の悲鳴か、髪が燃える嫌な匂いか、どちらに興を削がれたのかわからないが、牡丹は手を離し、それに伴って火も消えた。六花は床に手をついて肩で息をしている。右側の髪が、毛先からみぞおちあたりまでが燃えてちりちりになっていた。
「何事なの!?」
ばたばたと両親が騒ぎを聞きつけてやってきた。牡丹は目に涙を浮かべて両親に抱きつく。
「お父様、お母様……!」
いまだ浅い呼吸を繰り返している六花は、その様子を見て恐ろしさを感じた。どうして、牡丹が泣くのか。命の危険を感じて泣き叫びたいのはこちらのほうなのに。
牡丹は、昴に言われたことが辛くて、六花も謝ろうとしなくて悲しくて、などと両親に訴えている。両親は、六花を見下ろして吐き捨てるように言った。
「花巫女を敬うこともできないのか。お前は出雲家にふさわしくない」
六花は床にへたり込んだまま、頭を床にこすりつけた。
「申し訳ありません。……どうかお願いします。家から出してください。女学校に通い、働き口を見つけさせてください。お願いします」
妹に殺されてしまうくらいなら、と六花は決死の覚悟で懇願した。何度も、お願いします、と震える声で言う。
「何を言うのこの子は。出雲家が娘を働かせたりしたら、周りからなんと言われるか。家が困窮していると言いふらすようなものよ。恥を知りなさい!」
「反省しろ。蔵に入れておけ」
母、そして父の無慈悲な言葉が六花に突き刺さる。父の指示で使用人たちが六花を立ちあがらせて、蔵へ運ぼうとする。
「嫌っ、やめてください! お願いします、お父様!」
「反抗するな、無能のくせに」
父は六花の顔を見ようとすらせずに、その場を去っていった。使用人たちは無遠慮に六花の腕を持ち、引きずるように蔵へ連れていこうとする。
牡丹がもう一度六花のほうを振り返って、嫌味ったらしく言ってきた。
「その髪、お姉様にお似合いだからそのままにしてなさいね」
六花はもはや抵抗する気力もなく、蔵に閉じ込められた。
夜になって、蔵の中は少し冷えてきた。明かり取りの窓から、かろうじて月の光が差し込んでいる。そのおかげで完全に真っ暗にはならないようだ。それでもやはり薄暗い蔵の中で、六花は体を丸めて心細さを抱え込んだ。
ふといつものくせで長い髪をまとめようとして、燃やされてちりちりになった髪に触れる。目の前に迫る炎を思い出して、身震いがした。花巫女の火は、人を苦しめるために使うものではないはずだ。せっかく火の神力があるのというのに、それをこんなことに……。
「どうして、わたしは白色なの……」
口に出さないようにしていた言葉が、零れ落ちる。白色の花でなければ、出雲家の者として赤色の花を出現させていたら、こんなことにはならなかった。舞の努力が足りなかったのか、ただの偶然なのか、ならばなぜ自分が。今更言っても仕方のないことが、つらつらと溢れてくる。
花巫女として、人々の役に立ちたかった。
「わたし、このまま出られないのかしら……」
もうそれでもいいかとも思えてきた。女学校に通って外の世界へ、という希望も砕かれ、家を出ることは許されず、牡丹の機嫌が悪ければその捌け口となる。この先ずっとこの生活が続くのなら、苦しいだけだ。
*
蔵から出されたのは翌朝のことだった。両親から指示された使用人たちが鍵を開けて六花を外に出した。両親は見に来ることすらしなかった。
六花は考えることにも疲れ、まずは冷え切った体を温めるために浴室へと向かった。
「あらあ、牡丹よく似合っているわよ」
母の上機嫌な声が聞こえてきた。続けて、軽やかな足取りで牡丹が廊下に駆け出してきた。
「え」
牡丹が身に纏っていたのは、海老茶色の袴に、矢絣の着物、そして髪には大きなリボンが結ばれている。女学生そのものの装いで満面の笑みを浮かべている。
「どう、して」
「あら、お姉様。出てきていたのね。女学生に興味なんてなかったけれど、けっこう可愛い恰好なのね。気に入ったわ」
母は六花の姿を見ると、不快なものを見るように目を細めた。そしてすぐに牡丹へと視線を戻した。
「花嫁修業にもなると聞くから、通わせるのもいいかもしれないとね」
「うーん、でも面倒だからいいわ。だって、誠二さんを婿に迎え入れるのでしょう? 嫁入り準備なんて必要ないもの」
「それもそうねえ」
牡丹は、急にどうでもよくなったようで、さっさと着物も袴も脱いで六花に投げ捨ててきた。
「それ、洗濯しておいてちょうだいね。……ああ、嫉妬して盗んだりしないでよ?」
牡丹はニヤリと底意地の悪い笑顔でそう言ってきた。
六花の中で、大切なものががらがらと崩れる音がした。そんな音は幻聴だとわかっている。もう限界だった。六花にとって、女学校は苦しい中でどうにかしがみついていた、淡い希望だったのだ。叶わないとわかってはいた。でも、それを牡丹は簡単に手に入れて、簡単に捨て去った。目の前で六花の希望はぐちゃぐちゃに踏みにじられた。
「うっ……ああ……」
六花の流した涙は、水を張ったたらいにぼとぼと落ちていく。洗濯をしている海老茶色の袴が、涙で歪んでよく見えない。希望なんてもう、どこにも存在しないのだ。
「お姉様!?」
六花がお披露目会の片付けをしていると、牡丹の激昂が聞こえてきた。弾かれるように振り返れば、鬼のような形相でこちらに向かってくる牡丹と目が合った。六花は背筋が粟立ち、思わず後ずさりした。
「いい加減にしなさいよ!」
牡丹は勢いそのままに、六花の頬を平手で引っぱたいた。ぱしんと乾いた音が響き、六花は痛みと衝撃で倒れ込む。
「も、申し訳ありません」
六花は声を震わせながら謝った。だが、牡丹が何にここまで怒っているのか、わからない。今日のお披露目会は大成功だったというのに。
「自分が無能だからって、夜叉に取り入るなんてどうかしてるわ!」
「なんの、ことですか……」
「とぼける気? あの夜叉はあたしの舞を見たのに、お姉様の舞が見たいだなんて言ったのよ!? ふざけるのも大概にしてちょうだい!」
「えっ」
六花は、大きく目を見開いた。六花の舞を美しいと言ってもらえただけでなく、あの立派なお披露目の舞のあとで、六花のことを思い出してくれたと。どうしよう、こんな状況なのに六花の舞に心を動かされた人がいるという事実を、嬉しく思ってしまう。
ふわりと浮き上がった心は、しかし、牡丹の金切り声で一瞬にして突き落とされる。
「使用人が一緒にいたところを見た、と言っているんだから! 嘘をつくつもり!? 適当なことを言って同情でも引いたの? それとも色目を使って誘いでもしたの?」
怒りと嘲りが混ざった声は、六花の心をひどく落ち込ませる。ただ、首を横に振った。
「そんなことはしていません。道案内をしただけで――」
「黙りなさい! あたしに口答えする気!?」
牡丹は癇癪を起したように怒りを爆発させて、六花の髪を鷲掴みにした。無理やり引っ張られて、髪を留めていた組紐はほどけ落ちる。
「痛っ」
「お姉様が悪いのよ」
牡丹は小刀を取り出した。ひゅっと喉を空気が通り抜ける。切られる、と思った次の瞬間、襲われたのは熱さだった。
「!」
六花の髪が、燃えていた。牡丹の火の神力を宿した小刀が、触れたものを炎に包んでいる。迫りくる炎に、六花は本能で声を上げた。
「いやーーーーー!!」
六花の悲鳴か、髪が燃える嫌な匂いか、どちらに興を削がれたのかわからないが、牡丹は手を離し、それに伴って火も消えた。六花は床に手をついて肩で息をしている。右側の髪が、毛先からみぞおちあたりまでが燃えてちりちりになっていた。
「何事なの!?」
ばたばたと両親が騒ぎを聞きつけてやってきた。牡丹は目に涙を浮かべて両親に抱きつく。
「お父様、お母様……!」
いまだ浅い呼吸を繰り返している六花は、その様子を見て恐ろしさを感じた。どうして、牡丹が泣くのか。命の危険を感じて泣き叫びたいのはこちらのほうなのに。
牡丹は、昴に言われたことが辛くて、六花も謝ろうとしなくて悲しくて、などと両親に訴えている。両親は、六花を見下ろして吐き捨てるように言った。
「花巫女を敬うこともできないのか。お前は出雲家にふさわしくない」
六花は床にへたり込んだまま、頭を床にこすりつけた。
「申し訳ありません。……どうかお願いします。家から出してください。女学校に通い、働き口を見つけさせてください。お願いします」
妹に殺されてしまうくらいなら、と六花は決死の覚悟で懇願した。何度も、お願いします、と震える声で言う。
「何を言うのこの子は。出雲家が娘を働かせたりしたら、周りからなんと言われるか。家が困窮していると言いふらすようなものよ。恥を知りなさい!」
「反省しろ。蔵に入れておけ」
母、そして父の無慈悲な言葉が六花に突き刺さる。父の指示で使用人たちが六花を立ちあがらせて、蔵へ運ぼうとする。
「嫌っ、やめてください! お願いします、お父様!」
「反抗するな、無能のくせに」
父は六花の顔を見ようとすらせずに、その場を去っていった。使用人たちは無遠慮に六花の腕を持ち、引きずるように蔵へ連れていこうとする。
牡丹がもう一度六花のほうを振り返って、嫌味ったらしく言ってきた。
「その髪、お姉様にお似合いだからそのままにしてなさいね」
六花はもはや抵抗する気力もなく、蔵に閉じ込められた。
夜になって、蔵の中は少し冷えてきた。明かり取りの窓から、かろうじて月の光が差し込んでいる。そのおかげで完全に真っ暗にはならないようだ。それでもやはり薄暗い蔵の中で、六花は体を丸めて心細さを抱え込んだ。
ふといつものくせで長い髪をまとめようとして、燃やされてちりちりになった髪に触れる。目の前に迫る炎を思い出して、身震いがした。花巫女の火は、人を苦しめるために使うものではないはずだ。せっかく火の神力があるのというのに、それをこんなことに……。
「どうして、わたしは白色なの……」
口に出さないようにしていた言葉が、零れ落ちる。白色の花でなければ、出雲家の者として赤色の花を出現させていたら、こんなことにはならなかった。舞の努力が足りなかったのか、ただの偶然なのか、ならばなぜ自分が。今更言っても仕方のないことが、つらつらと溢れてくる。
花巫女として、人々の役に立ちたかった。
「わたし、このまま出られないのかしら……」
もうそれでもいいかとも思えてきた。女学校に通って外の世界へ、という希望も砕かれ、家を出ることは許されず、牡丹の機嫌が悪ければその捌け口となる。この先ずっとこの生活が続くのなら、苦しいだけだ。
*
蔵から出されたのは翌朝のことだった。両親から指示された使用人たちが鍵を開けて六花を外に出した。両親は見に来ることすらしなかった。
六花は考えることにも疲れ、まずは冷え切った体を温めるために浴室へと向かった。
「あらあ、牡丹よく似合っているわよ」
母の上機嫌な声が聞こえてきた。続けて、軽やかな足取りで牡丹が廊下に駆け出してきた。
「え」
牡丹が身に纏っていたのは、海老茶色の袴に、矢絣の着物、そして髪には大きなリボンが結ばれている。女学生そのものの装いで満面の笑みを浮かべている。
「どう、して」
「あら、お姉様。出てきていたのね。女学生に興味なんてなかったけれど、けっこう可愛い恰好なのね。気に入ったわ」
母は六花の姿を見ると、不快なものを見るように目を細めた。そしてすぐに牡丹へと視線を戻した。
「花嫁修業にもなると聞くから、通わせるのもいいかもしれないとね」
「うーん、でも面倒だからいいわ。だって、誠二さんを婿に迎え入れるのでしょう? 嫁入り準備なんて必要ないもの」
「それもそうねえ」
牡丹は、急にどうでもよくなったようで、さっさと着物も袴も脱いで六花に投げ捨ててきた。
「それ、洗濯しておいてちょうだいね。……ああ、嫉妬して盗んだりしないでよ?」
牡丹はニヤリと底意地の悪い笑顔でそう言ってきた。
六花の中で、大切なものががらがらと崩れる音がした。そんな音は幻聴だとわかっている。もう限界だった。六花にとって、女学校は苦しい中でどうにかしがみついていた、淡い希望だったのだ。叶わないとわかってはいた。でも、それを牡丹は簡単に手に入れて、簡単に捨て去った。目の前で六花の希望はぐちゃぐちゃに踏みにじられた。
「うっ……ああ……」
六花の流した涙は、水を張ったたらいにぼとぼと落ちていく。洗濯をしている海老茶色の袴が、涙で歪んでよく見えない。希望なんてもう、どこにも存在しないのだ。
