***
ある日、牡丹の舞を披露する場を設けるという話が持ち上がった。本格的に花巫女としての務めを果たすための準備というところだろう。護り人の家々への売り込みも兼ねている。両親の指示のもとで、元々ある神楽堂の傷みを修復するだけでなく、新たな装飾したり、観覧席を整備したりと、準備に力が入っている。
六花はというと、日々の雑用にお披露目会の準備に、使用人以上に忙しく動き回っていた。牡丹のほうも舞の稽古に追われて、直接何かを言われる、されることは少なくなり、ある意味平穏な日々が続く。
「そんな日々も今日までだけれど」
今日は、お披露目会の当日だ。昼前にはすでに訪問客が出雲家の玄関を通りはじめている。受付をする係は、使用人たちの中で争奪戦だった。護り人がたくさん訪問するため、より近くで見たいから、だそうだ。受付を勝ち取った二人の様子をちらりと窺う。
「護り人の方々がたくさんいらっしゃるなんて、楽しみ」
「誠二様のように、素敵な方ばかりなのでしょう?」
「そうねえ、あ、でもあの方もいらっしゃるそうで。宗像家のご長男」
「ああ、知ってる。『夜叉』でしょう。残虐で暴力的な悪鬼の異名をお持ちだなんて、恐ろしいわ」
六花は嫌な気分になり、その場を離れた。
宗像家は、護り人筆頭の家系だ。本来なら護り人として、最も羨望を集める存在だが、その長男は顔が恐ろしいという理由で敬遠されていると噂で聞いた。
「人々のために戦ってくれているのに」
誰に向けるでもない抗議が、思わず口から零れた。それは、六花自身が務めを果たせないゆえの羨望が含まれている。六花は気がつかないふりをして、仕事に戻った。
「誠二様、来てくださったのですね」
「お忙しい中、ありがとうございます」
受付の二人が、一際弾んだ声で出迎えていた。誠二の兄、つまりは那智家の長男の祐一は、病気がちで甲斐甲斐しく誠二が世話をしていると聞いた。最近また大きく体調を崩したことから、今日は、那智家は欠席するかもしれないと言われていたのだ。
「牡丹さんの晴れ舞台だからね。――六花さん、こんにちは」
「ようこそ、おいでくださいました」
少し離れたところにいたというのに、わざわざ六花に声をかけてきた。挨拶を返して立ち去ろうとするが、腕を強く掴まれた。
「い、たいです」
「僕の席はどこだ」
「席って……」
「舞を見る席だよ。今日は宗像の長男も来るらしいけど、僕が一等の席だろうね?」
六花の腕を掴む手にさらに力が入る。悲鳴を上げそうになるが、何とか堪えた。
「もちろん、両親はそのように」
「そう。ならいいんだ」
ようやく六花の腕を解放し、にこやかに母屋へ向かっていった。
神楽堂では、リハーサルが行われていた。六花は裏庭でその音をこっそりと聴いていた。最終準備で忙しい中、裏庭まで来る人はいない。
「今なら、きっと大丈夫ね」
六花は、聴こえてくる音に合わせて、舞いはじめる。扇は壊されてしまったから、手に持つ形だけ作って、腕を空へと掲げる。下ろしてきて、円を描き、自身もくるりと一回転する。足運びを丁寧にすれば、神楽堂でなくても美しく舞うことができる。白い花も浮かんできて、六花は静かに微笑む。音がある状態で舞えるのは久しぶりのことで、嬉しくなる。
浮かれていたのだろう。六花は、自分以外の足音に気がつくのが遅くなってしまった。
「あっ……!」
訪問客に見られてしまった。焦って舞を止めるが、もう遅い。見られてしまった。紺色の着物にさらに濃い色の羽織を合わせたシンプルな装いの男性が立っていた。刀を持っていることから、護り人だとわかった。目を引くのが、その背の高さだ。並び立つと六花がほぼ上を見上げなければ話せないくらいに、すらりと存在感がある。
「すまない。会場はどこだろうか」
低く響く声で彼はそう尋ねた。どうやら迷ってしまったらしい。六花の舞には触れないでくれるようなので、このまま場所だけ伝えてこの場を去ろう。そう思ったが、彼の足元を見やると、包帯が巻かれていた。六花に道を聞こうと近付いてくるときにも歩きづらそうだった。
六花は、一つ深呼吸をして気持ちを凛と整えた。
「こちらです。お支えします」
「君のような小さな女性に支えられるわけがない」
「肩に手を添えていただけたら。動く杖があるだけで多少楽になると思います」
彼は少し迷うそぶりを見せたが、そのほうが早いと判断したのか、六花の肩に手を添えた。ゆっくりと神楽堂の方向へ歩く。足の負傷もそうだが、それ以外にも多数の怪我を負っている。そして、古傷ではあるが、顔に横一文字で刻まれた傷が一番目立つ。
「……恐ろしくはないのか」
「こんなに背が高い方には初めてお会いしたので、驚いてはおります」
「そうではなく、この顔が」
「護り人の方々は、都のために戦っていらっしゃいます。その傷を恐ろしいなどとは思いません」
彼はわずかに目を見開いただけで、何も答えなかった。さっきは見ないふりをした、守る力を持つ者への羨望を口にしてしまった。ただのやっかみ、僻みでしかない。失礼なことを言ってしまったかもしれないが、絶妙な沈黙の中でいきなり謝るのも憚られた。
「牡丹の……いえ、花巫女様の舞をご覧になれば、心が安らぐかもしれません。火の花の舞は綺麗ですから」
「さっきの君の舞も美しかった」
「そ、れは」
振る話題を間違えた。六花の舞の話になってしまった。内密に、と言わなければならないのに、純粋に舞を褒められたことが嬉しくて、言葉が出てこなかった。
「宗像様! こちらです」
受付係の使用人が、彼の姿を見つけると連れていってしまった。顔の傷を見てもしかして、と思ったがあの人が宗像家の長男、宗像昴だったのだ。昴は、首だけ後ろを振り返り、助かった、と六花に言い残して去っていった。
「確かに、素敵な護り人ね」
ある日、牡丹の舞を披露する場を設けるという話が持ち上がった。本格的に花巫女としての務めを果たすための準備というところだろう。護り人の家々への売り込みも兼ねている。両親の指示のもとで、元々ある神楽堂の傷みを修復するだけでなく、新たな装飾したり、観覧席を整備したりと、準備に力が入っている。
六花はというと、日々の雑用にお披露目会の準備に、使用人以上に忙しく動き回っていた。牡丹のほうも舞の稽古に追われて、直接何かを言われる、されることは少なくなり、ある意味平穏な日々が続く。
「そんな日々も今日までだけれど」
今日は、お披露目会の当日だ。昼前にはすでに訪問客が出雲家の玄関を通りはじめている。受付をする係は、使用人たちの中で争奪戦だった。護り人がたくさん訪問するため、より近くで見たいから、だそうだ。受付を勝ち取った二人の様子をちらりと窺う。
「護り人の方々がたくさんいらっしゃるなんて、楽しみ」
「誠二様のように、素敵な方ばかりなのでしょう?」
「そうねえ、あ、でもあの方もいらっしゃるそうで。宗像家のご長男」
「ああ、知ってる。『夜叉』でしょう。残虐で暴力的な悪鬼の異名をお持ちだなんて、恐ろしいわ」
六花は嫌な気分になり、その場を離れた。
宗像家は、護り人筆頭の家系だ。本来なら護り人として、最も羨望を集める存在だが、その長男は顔が恐ろしいという理由で敬遠されていると噂で聞いた。
「人々のために戦ってくれているのに」
誰に向けるでもない抗議が、思わず口から零れた。それは、六花自身が務めを果たせないゆえの羨望が含まれている。六花は気がつかないふりをして、仕事に戻った。
「誠二様、来てくださったのですね」
「お忙しい中、ありがとうございます」
受付の二人が、一際弾んだ声で出迎えていた。誠二の兄、つまりは那智家の長男の祐一は、病気がちで甲斐甲斐しく誠二が世話をしていると聞いた。最近また大きく体調を崩したことから、今日は、那智家は欠席するかもしれないと言われていたのだ。
「牡丹さんの晴れ舞台だからね。――六花さん、こんにちは」
「ようこそ、おいでくださいました」
少し離れたところにいたというのに、わざわざ六花に声をかけてきた。挨拶を返して立ち去ろうとするが、腕を強く掴まれた。
「い、たいです」
「僕の席はどこだ」
「席って……」
「舞を見る席だよ。今日は宗像の長男も来るらしいけど、僕が一等の席だろうね?」
六花の腕を掴む手にさらに力が入る。悲鳴を上げそうになるが、何とか堪えた。
「もちろん、両親はそのように」
「そう。ならいいんだ」
ようやく六花の腕を解放し、にこやかに母屋へ向かっていった。
神楽堂では、リハーサルが行われていた。六花は裏庭でその音をこっそりと聴いていた。最終準備で忙しい中、裏庭まで来る人はいない。
「今なら、きっと大丈夫ね」
六花は、聴こえてくる音に合わせて、舞いはじめる。扇は壊されてしまったから、手に持つ形だけ作って、腕を空へと掲げる。下ろしてきて、円を描き、自身もくるりと一回転する。足運びを丁寧にすれば、神楽堂でなくても美しく舞うことができる。白い花も浮かんできて、六花は静かに微笑む。音がある状態で舞えるのは久しぶりのことで、嬉しくなる。
浮かれていたのだろう。六花は、自分以外の足音に気がつくのが遅くなってしまった。
「あっ……!」
訪問客に見られてしまった。焦って舞を止めるが、もう遅い。見られてしまった。紺色の着物にさらに濃い色の羽織を合わせたシンプルな装いの男性が立っていた。刀を持っていることから、護り人だとわかった。目を引くのが、その背の高さだ。並び立つと六花がほぼ上を見上げなければ話せないくらいに、すらりと存在感がある。
「すまない。会場はどこだろうか」
低く響く声で彼はそう尋ねた。どうやら迷ってしまったらしい。六花の舞には触れないでくれるようなので、このまま場所だけ伝えてこの場を去ろう。そう思ったが、彼の足元を見やると、包帯が巻かれていた。六花に道を聞こうと近付いてくるときにも歩きづらそうだった。
六花は、一つ深呼吸をして気持ちを凛と整えた。
「こちらです。お支えします」
「君のような小さな女性に支えられるわけがない」
「肩に手を添えていただけたら。動く杖があるだけで多少楽になると思います」
彼は少し迷うそぶりを見せたが、そのほうが早いと判断したのか、六花の肩に手を添えた。ゆっくりと神楽堂の方向へ歩く。足の負傷もそうだが、それ以外にも多数の怪我を負っている。そして、古傷ではあるが、顔に横一文字で刻まれた傷が一番目立つ。
「……恐ろしくはないのか」
「こんなに背が高い方には初めてお会いしたので、驚いてはおります」
「そうではなく、この顔が」
「護り人の方々は、都のために戦っていらっしゃいます。その傷を恐ろしいなどとは思いません」
彼はわずかに目を見開いただけで、何も答えなかった。さっきは見ないふりをした、守る力を持つ者への羨望を口にしてしまった。ただのやっかみ、僻みでしかない。失礼なことを言ってしまったかもしれないが、絶妙な沈黙の中でいきなり謝るのも憚られた。
「牡丹の……いえ、花巫女様の舞をご覧になれば、心が安らぐかもしれません。火の花の舞は綺麗ですから」
「さっきの君の舞も美しかった」
「そ、れは」
振る話題を間違えた。六花の舞の話になってしまった。内密に、と言わなければならないのに、純粋に舞を褒められたことが嬉しくて、言葉が出てこなかった。
「宗像様! こちらです」
受付係の使用人が、彼の姿を見つけると連れていってしまった。顔の傷を見てもしかして、と思ったがあの人が宗像家の長男、宗像昴だったのだ。昴は、首だけ後ろを振り返り、助かった、と六花に言い残して去っていった。
「確かに、素敵な護り人ね」
