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六花は、一人で都の中心地にある街に来ていた。使用人たちに買い出しを押し付けられたのだ。反物を買うようにというメモも渡されたが、二人で来るべき量なのは、見て明らかだ。牡丹の新しい着物を仕立てるのと、使用人の着物の分も入っているのだろう。
「もし無理そうなら、二回に分けて行かないと……」
六花は、すれ違う人にぶつからないように肩を内に丸める。中心地はさすがに人が多い。
街は、洋風化が進んでいて、百貨店はその筆頭だろう。西洋の城のような外観に、中には大階段があって客を迎えるという。洋装の男女が連れ立って中に入っていく姿を、羨望の眼差しで見つめる人々。洋装は流行っているが、高価なもののため上流階級しか身に付けられない。ただ、着物であっても上質なものが高いのは同じことで、高価な洋装、着物、安価な着物、古着、いろいろな服装の人々が街には溢れている。
「あっ……」
六花の横を、三人の少女たちがすり抜けていった。彼女たちは、海老茶色の袴に矢絣の着物を身に纏い、髪に大きなリボンを付けていた。女学校に通う生徒たちだ。上品に笑い合いながら、カフェに入っていく後ろ姿が見えなくなるまで、六花はじっと見つめていた。
「ぼーっと突っ立ってると危ないぞ!」
「あっ、も、申し訳ありません」
急いだ様子の男性にそう声をかけられて、六花は咄嗟に頭を下げて道の端に避けた。
六花は、抱えた反物をぎゅっと抱えた。女学校に通い、外の世界に触れている彼女たちはとても眩しく見えた。六花だって、叶うことならば、女学校で学びたい。そして自分で働いて、一人で生きていきたい。六花の儚い望み。
「叶うはず、ないわよね」
学びたいという気持ちは嘘ではない。だが、あの家を出たいという望みのために、女学校を引き合いに出しているだけ、そう自分でも理解しているから、嫌になる。六花は、沈んだ気持ちを追い出すように、軽く頭を振った。
その時。
「キャ――――!」
鋭い悲鳴が人混みの中から上がった。何事だと野次馬のように人が集まったかと思うと、すぐに引き潮のようにサッと人が引いていった。騒ぎの中心には、黒いものが蠢いていた。それだけで、都の人々は理解する、それが何かを。
「物の怪だ……!」
「こんな街中に現れるなんて!」
「護り人はまだか!?」
都は、朝廷による結界で守られている。だが、この結界も完璧ではなく、半球状の網をひっくり返したような形状をしている。小さな隙間がどうしても生まれてしまい、時折物の怪が都へと侵入してしまう。郊外になるほど結界の目は粗くなり、大型の物の怪も入ってくるという。
「あれは、犬かしら」
六花は人混みの中から、じっと物の怪を観察する。物の怪が一目でわかるのは、その色ゆえだ。薄墨に濃い墨を落としたかのような、黒い斑模様の生物。物の怪は動物の形を模しているが、出来損ないと言われる。体の部位のどこかが、一つ多いもしくは一つ少ないのだ。目の前にいるのは、犬の姿をしているが、口が二つあって何とも不気味だ。
ガルル、と周囲を威嚇するように物の怪が唸る。物の怪が獲物を見定めるように動くたびに、人だかりが後ろに下がっていく。ピンと張った緊張感の中、一人の女性がその動きから外れてしまった人がいた。女性は腰が抜けてしまったようで、うずくまったままだ。
「危ないっ」
六花はそれに気づき、人混みをかき分けてその女性の元へ走り出す。物の怪も彼女に気がつき、向かって行くのが目の端で見えた。野生動物が、群れからはぐれた子どもを狙うように、狙いを定めたらしい。
「下がって!」
よく通る声がしたかと思えば、帯刀した男性が物の怪と女性の間に滑り込んだ。男性は、一歩踏み込んだと同時に刀を抜き、その黄金に輝く刀で物の怪を一刀両断した。物の怪は、黒い煙となって霧散した。
「怪我はありませんか?」
「はっ、はい……!」
女性は先ほどまでの恐怖は飛んでいったようで、頬を赤らめつつ上ずった声で答えていた。差し伸べられた手を取ってゆっくりと立ち上がっていた。怪我はしていないようで良かった。
六花は女性に伸ばしかけていた手を、そっと戻した。六花では女性を助けることはできなかった。あの時、手を引いて後ろに下がって、その後は? 結局物の怪を倒さなければ、助けることはできないのだ。
「さすがは護り人様だ」
「護り人の方々がいれば安心ね」
「本当に素敵な御方……なんて格好いいのかしら」
「あなた、あの方の手に触れたのでしょう。いいわねえ」
「強くて格好良くて、庶民にも優しい、惚れ惚れするぜ」
物の怪を避けていた人だかりは、護り人を囲む人だかりに変化した。感心する声、感謝する声、そこに黄色い歓声も混ざっている。
護り人は、都や人々を守るヒーローだ。その憧れゆえなのか、護り人は見目も重視される風潮がある。恰好がよく、美しく、人柄もよい。そういう偶像を押し付けられている。刀や弓矢を用いて戦いに赴く者に対して、歪な願望だと六花は思っている。
「……早く、買い出しを終えて帰らなくちゃ」
六花は、人だかりに背を向けて買い出しの続きに戻った。
