傷が治ったばかりだから、少しの間は安静に、という声も聞かず、昴をはじめ護り人たちは結界の外の物の怪退治に駆け出した。このまま放置して、街中に向かってしまうと被害は広がってしまう。だから、それを止めるのが護り人の仕事である。理解はしているけれど、あの空を覆いつくすほどの物の怪を見れば、心配になってしまう。

「わたくしたちも、やりますわよ」

 麗奈の声を合図に、六花を守るような立ち位置で四人が舞いはじめる。黄色の花、青い花、緑の花、美しく頼もしい花たちが、護り人の使う武器へと舞い降りていく。戦っているそばから、力を宿していっている。

「六花さんのおかげで、怪我なんて何ともないわ」
「護り人の人たちもきっと同じだよ」
「だから、ありがとう。心配しないで」

 花巫女の力を宿して武器を手にした護り人が躍動している。こちらでは刀で切り裂く、あちらでは弓矢で射抜く、斧を振るえば多くの物の怪が霧散していった。

「すまない! そっちに小さいのが!」
 護り人の間をすり抜けるようにして小さな、おそらく雀の物の怪が結界を越えて入ってきてしまった。麗奈たち、花巫女を狙って物の怪が迫ってくる。今、近くに護り人の姿がない。

「あぶな――」
 麗奈たちに届く前に、物の怪を霧散させたのは、鎖鎌だった。水を纏っていて流れるような動きだ。

「ふう、危なかったね」
「恭介様!」
「僕も、一応護り人の家系だからね。沙良、もう一度水の神力を頼める?」
「もちろんよ」

 沙良の青い花が、恭介の持つ鎖鎌に舞い降りる。水を膜のように鎖鎌に纏わせて、結界内に入ってくる小さな物の怪を、遠心力を使って一気に薙ぎ払う。

「本当に、変わっているわね、そんな武器が使いやすいなんて」
 沙良の呆れたような声にも、恭介は笑って返している。

「これ、水と相性がいいと思うけど?」
「はいはい、それはあなただけね」

 結界内の物の怪への対処も、恭介のおかげで問題なくできていた。恭介自身は、結界はまだ完璧ではなかったか、と少し落ち込んでいたけれど。
 外の物の怪も、見るからに数が減ってきた。このまま順調に進むと思った。

「ぐわあ!」
 急に一部の護り人が、結界の中まで吹き飛ばされてきた。

「どうしたんだ!」
「あれが、この群れのボス、です」

 指さした先にいたのは、神楽堂を軽く超える大きさの巨大な鳥の物の怪だった。かなり大きいが、その姿は(からす)に見える。出来損ないの部分は、前足が三つになっている。

「何ということじゃ……」
 壱与が、その物の怪を見上げて声を震わせた。その間にも護り人が弾き飛ばされている。

「壱与先生、あれは一体」
八咫烏(やたがらす)、じゃな」

 六花は息を飲んだ。八咫烏は、神の使いのことだ。物の怪が一体どうして

「一つ体の部位が多いこと、それは出来損ないの特徴であったはずじゃ。じゃが、何の因果か、そのせいで『三つ足の烏』、神使である八咫烏と同じ姿になって力を得てしまったのじゃろう。まずいのう……! 攻撃が効いておらぬ」

 自然の神の力を借りて戦う護り人と、疑似的でも神の使いの姿の八咫烏では、力は同等ということだろう。かなりまずい状況なのは、六花も理解できた。

 八咫烏は、ふいに飛び上がると結界の真上にやってきた。そして、三つの足で何度も結界を引っかくように攻撃をし、ついにパリンと薄いガラスが割れるような音がした。

「結界が……!」

 八咫烏は、結界を破って中に侵入してきた。一度の羽ばたきで目を開けていられないほどの強い風が吹き荒れた。結界内にいた人たちが一斉に逃げる体勢を取る。もっと奥へ、護り人は戻れ! と声が飛び交うが、風が強くてそれらの声もよく聞こえない。

「牡丹!」

 八咫烏のちょうど真下の位置で、牡丹が座り込んだままだった。叫んでも、首をこちらに動かすだけで立ち上がろうとしない。いや、腰が抜けて動けないのだとわかった。八咫烏が、動けない獲物に狙いを定めたのが見えた。護り人も駆けて戻ってきているが、外側にいる物の怪たちへの対処をしながらで、このままでは間に合わない。

「……全員、助ける」
 六花は、扇を構えた。体力は完全ではないものの、回復している。一節舞うくらいならできるはずだ。

「六花さん! だめだ!」

 昴がこちらへ駆け戻りながら叫んでいた。さっきまで前線にいたというのにさすがの速さだ。そして、六花が何をしようとしているかも、お見通しらしい。だが、迷いはない。目の前で間に合わなかった、なんて絶対にあってはならない。

 自然の神の力を借りる花巫女の力と八咫烏の得た力が同等だから、敵わないとしたら。花巫女の力を瞬時に上げることは難しい。ならば、どうするか。

「大丈夫、できる」

 六花は舞で、白い花を浮かび上がらせた。そして、牡丹の盾になるように制御してから、八咫烏の真ん中の足、一本に白い花を集中させる。六花の白い花は、物の怪を直接攻撃できる。あの巨大な物の怪すべてを霧散させるほどの力が残っていないのは、わかっている。だから足を減らして、八咫烏を、『ただの烏』にするのだ。

「まだっ、足りない」
 恭介に朝廷に知られないために、使わないようにと言われたけれど。破ってしまった。昴も心配してくれていたのに。でも、絶対にやめない。花巫女は、人々を守るためにいるのだから。たとえ守るのが、誰であっても。

「できた!」

 足が二本になり、八咫烏を模した形は崩れた。ほぼ同時に昴が追い付き、黄金に輝く刀を振るう。足を薙ぎ払い、羽ばたきをさせない羽への斬撃、そして胴体を貫く最後の一撃で、八咫烏、いや烏は霧散した。

「ありがとうございます、昴様」
「六花さん、君という人は……!」
 昴の声は怒っているけれど、褒めてもいるような、いろいろな感情が混ざったものだった。

 六花の、八咫烏の足を減らす作戦は昴が駆け付けてくれることが前提だった。説明している暇はなかったけれど、昴なら絶対に間に合わせてくれると信じた。

「言いたいことはあるが、残りを片付けてくるから待っていてくれ」
「はい」
 昴は、他の護り人を引き連れて、残っている物の怪たちの退治に向かっていった。

 護り人も、花巫女も、他の者たちも、全員もれなくぼろぼろではあるが、この場にいた全員が無事だった。
「本当に、良かった……」
 もう力が入らないと思うほどに、六花は神楽堂で脱力した。




 後片付けもそこそこに、牡丹が昴の指示によって再度拘束された。今度は、牡丹は抵抗しなかった。六花に向ける目だけは以前鋭いままだが。

「呼び笛を使ったことは重罪だ」
 連れていけ、と言いかけて、昴は一度言葉を止めた。そして六花に向き直って気遣う声音で言った。

「二度と会わないかもしれない。言いたいことがあれば、言うといい」
「……」
 六花は、ぐっと手を握りしめて牡丹と向き合った。この憎しみに満ちた目は恐ろしい。儀式のあと、出雲家にいた時間は辛かった。苦しかった。ずっと逃げ出したかった。許す気にはとてもなれない。今日の呼び笛だって、身勝手な理由でたくさんの人を危険に晒した。

「……牡丹のことを許すことはできない。でも、わたしは牡丹の舞が好きだったわ」

 それも、本心だった。恐ろしくて許せない相手だが、それでも牡丹の舞は綺麗だったのだ。これを口にすれば、牡丹は激昂するとわかっていた。でも、これが最後ならば。六花からの小さな反撃だ。

 牡丹は顔を真っ赤にして、自由になろうと暴れ出した。そして、絶叫に近い声を上げた。

「お姉様のそういうところが! 大嫌いよ! お姉様が劣っていて、あたしが優れている、それが正しかったのに! 壊しやがって!」
 引きずられるように、牡丹は会場から連れ出された。

 お披露目会は、とんでもない幕引きとなってしまった。だがまあ、全員無事で良かった。それに尽きる。