キーンと耳鳴りのような音が響き渡った。牡丹が手のひらに収まるほどの笛を吹いていた。六花にはそれが何かわからない。頭に響く嫌な音にそこにいる皆、耳を塞いでいた。

「くそっ、あの子が持っていたのか」

 戸惑っている中、恭介が唇を噛みしめていた。あれが何か知っているようなので、聞こうとした。だが、それを遮る耳が割れそうな音が周囲を覆いつくした。

 ――ぐおおおあああああ

 鳴き声なのか、叫び声なのか、わからない声がしたと思ったら、空から黒いものが降ってきた。あれは、大量の、鳥の姿の、物の怪だ。

「きゃ――――!」

 誰の悲鳴がきっかけだったかなんて、わからない。突如として現れた物の怪に、人々は大混乱となった。逃げようとする間もなく、物の怪が庭に激突してきた。鷹や鷲、隼、烏や雀もいる。出来損ないの部分は、くちばしが二つあったり、目玉が一つだったり、羽が多かったり、その異形さが恐ろしい。岩や石を足に掴んで飛んでくる物の怪もいた。まるで砲弾だ。

「六花さんっ!」
 昴に呼ばれて、気が付くとその背中に庇われていた。昴は金の神力を宿した刀を構えるものの、物の怪の数が多すぎる。しかも六花を庇った状態のせいで、上手く振るえていなかった。

 恐ろしく長く思えた、ほんの一瞬の鳥の落下が収まった。

「昴様!」
 うめき声がかすかに聞こえ、昴の体を確認してみると、足に鳥のかぎ爪でひっかかれたような傷があった。六花を庇って負ったものだ。六花自身は、頬を砂が掠めただけのわずかな切り傷程度だった。

「俺は、大丈夫だ。それよりも」

 昴に促されて庭を見回すと、言葉を失う光景が広がっていた。鳥の姿の物の怪に襲われ、切り傷を負った人、砲弾に当たって血を流す人、くちばしで突かれて痛々しい腕を庇う人、怪我をしていない人を探すほうが難しいくらいだった。

「なん、で……」

 神楽堂の近くで、牡丹がガタガタと体を震わせているのを見つけた。恭介が牡丹の腕をひねり上げて、手にしていた笛を地面に落とさせた。

「何ということをしてくれたんだ!」
「だって、き、聞いてないわ! こんなことになるなんて! ただ、邪魔者を消せるって言われて、渡されて、それで」
「どこで! 誰に!」
「舞踏会で、役人の方に」

 恭介の迫力と腕の傷みからか、泣きじゃくっている牡丹を恭介は無表情で解放した。牡丹はその場にへたり込んで、子どものように泣き崩れている。

「恭介、どういうことだ」
 昴が足の痛みを堪えた様子でそう聞いていた。

「呼び笛で物の怪を呼び寄せたんだ。あの子一人でできる所業ではない。朝廷の反意者に諮られたよ」
「そんなことが……!」
「舞踏会であの子と接触して呼び笛を渡していたんだ。僕が探りを入れたときにはもう渡した後だった、一歩遅かった。くそっ」

 恭介は舞台の裏に置いていた自分の荷物の中から、立方体の箱のようなものを取り出した。そしてそれを空高く放り投げた。一瞬眩しく光ったかと思うと、神楽堂を中心に庭に半球状の薄い膜が張られた状態になった。

「恭介様、これは」
「科学の力を使った、隙間のない完全な結界だよ。まだ試験段階でこの庭くらいの範囲で精いっぱいだけどね」

 確かに、膜を隔てた向こう側ではこちらへ侵入できなくて何度もぶつかっている物の怪が見えた。だが、結界の内側に入ってしまった物の怪もいる。

「護り人の諸君! 第一に結界内への全員を避難を完了、結界内に残る物の怪の退治だ! 結界外は、その後に対処する!」

 空気がびりびりと震えるほどの声で、昴は今ここにいる護り人への指示を出した。それに応えて、護り人たちが動き出す。だが、怪我をしている者がほとんどだ。怪我人も、むやみに動かしては危険な場合もある。

「待ってください。わたしが舞います」

 六花は立ち上がる。扇を持つ手は震える。量はもちろんのこと、遠くへも届けなくてはならない。できるだろうか。苦しむ声があちこちから聞こえてくる。戦いの場に立つのは初めてだ。こんなにたくさんの物の怪を見るのも初めてだ。一瞬にして、さっきまでの光景が崩れ去った。なんて、恐ろしい。

「六花さん、無理はしなくても――」
「やりなさい」
 凛とした声がした。腕に石を受けたのだろう、左腕をだらりとさせたままの壱与の声だ。

「できるできない、ではないのじゃ。人々を守るためならば、花巫女は必ずやるのじゃ」
「――はい」

 背筋がピンと伸びた。六花は花巫女だ。その家に生まれて、力を持っているから……ただそれだけではない。六花自身がそうなりたいと思ったから、ここにいる。

 扇を天に掲げる。演奏者のいる位置には砲弾が当たっていて、とてもじゃないが、演奏できない。音なしで、舞わなければならない。六花の舞に、すべてがかかっている。深呼吸をして自分自身を落ち着かせようと試みる。
 龍笛の音が、細く聞こえてきた。太ももに裂傷がある演奏者が、音を奏でていた。

「花巫女様のお力を、お貸しください」
 そう言うと、痛みを堪えながらも音を奏で続けてくれている。

「結界内の物の怪、退治完了! 舞の時間は確保できます!」
 護り人の声が響いた。動ける護り人が奮闘してくれたのだ。

 六花は、決して一人ではない。

「ありがとう、ございます……!」

 ここにいる全員、絶対に助けてみせる。六花のこの力はそのためにあるのだから。扇を広げて、空へ地へすべてを包み込むように、舞を舞う。龍笛の音を聴き、遥か遠くまで届くその音のように、流れるように足を動かし続ける。白い花が六花の想いに応えるように、現れた。今まで舞ってきた中で、一番の花の量だ。その範囲も一番広く、怪我人へ的確に降り注ぐように制御し、長時間維持し続ける。

「絶対、助ける」

 全員の怪我が治るまで、六花は舞い続ける。息が切れようと、手が上がらなくなろうと、足が重くなろうと。

「六花さん、もう大丈夫だ」
 昴に腕を掴まれて、舞を止めた。見れば、一番ひどい傷を負っていた男性が起き上がれるようになっていた。

「良かっ、た……」
 六花は、その場にへたり込んだ。昴を見上げると、足の傷も綺麗に治っていた。本当に、良かった。