「こんなの嘘よ!」

 静寂を無粋に破ったのは、牡丹の声だった。今日も真っ赤な着物に身を包んだ彼女は、六花へ憎しみに満ちた視線を向けた。隣の誠二が、援護するように発言した。

「そうだよ、これはでっちあげだ。治癒の神力なんてでたらめに決まっている」

 さざ波のように、疑惑の声が広がっていく。六花は、その様子に足が竦んだ。また、あのときのような顔を向けられてしまうのか、こんな大勢から。
 いつの間にか隣にいた昴が、六花の肩にそっと手を置いて安心させるように囁いた。

「大丈夫だ」
 昴の目線を辿ると、恭介ともう一人男性がこちらにやってきた。

「治癒の神力は本物です!」
 その男性のよく通る声が、さざ波をぴたりと止めた。誠二が、信じられないものを見るように、目を見開いている。

「兄、上……!?」
 誠二の兄ということは、この男性が那智家の長男の祐一だ。無事に体調は回復したと恭介から聞いてはいたが、実際に元気な姿を見ることができてほっとした。
 観覧席からは、長く臥せっていた祐一が回復している、と驚きの声が聞こえてきた。

「彼女のおかげで、こうして私の病は完治しました。ですが、本当は病ではなく毒に侵されていたのです。……弟の手によって」

 祐一の言葉で、さあっと水が引くように、誠二の周りから人が離れていった。誠二は顔を引きつらせつつも、声を荒げることなく返した。

「この花巫女はうちの者と繋がって兄上に毒を盛り、それを止めて治してやったと恩を着せるつもりなのかな。最低な行為だ!」
「恩人を侮辱するのはやめろ、誠二。毒はお前の部屋から見つかっている」
 凛とした態度で祐一は弟の発言を打ち消す。そして、証拠の小瓶を取り出しながら続けた。

「普段から部屋には鍵がかかっていて、使用人も含め誰一人入れない状態のところから見つかった。言い逃れはできない」
「それは矛盾しているでしょう、兄上。部屋から見つけたということは、僕以外にも開けられる状況にあったということだ」

「鍵は開けていない」
「は?」
「鍵は開けず、ドアを蹴破った」

 話を聞いていた六花も、思わずえっと声を上げてしまった。治ったとはいえ、病み上がりの状態でなんと豪快なことを。昴も事の詳細は初めて聞いたようで、目を点にしたあと、面白がるように笑っていた。

「僕の部屋を勝手に壊すな!」
「私の家だ」

 ぴしゃりと祐一は言い放った。那智家は、跡取りである長兄に委ねられている。誠二は唇を噛みしめて祐一を睨みつけている。祐一はそれを真正面から受けて、それを告げた。

「お前を那智家から追放する」
「待っ」
「そして、この恩に報いるために那智家は宗像家の傘下に入ると宣言する」

 誠二はその場に崩れ落ちた。両家の当主になるどころか、那智家の立場すら失った。一番近くでそれを見ていた牡丹が、他の人たちと同じように誠二と距離を取った。

「誠二さんがそんな人だったなんて……。あたしはずっと騙されていたのね」
「牡丹さん!? そもそも毒のことは君が言い出したことじゃないか!」
「何のこと……? おかしなことを言って巻き込まないでちょうだい」

 牡丹は、完全に誠二のことを切り捨てた。自分も加担していたというのに、被害者の顔をしていることに、六花はいっそ感動すら覚える。

「お姉様、あたしは騙されていただけなの」
 六花に駆け寄ろうとする牡丹を、昴が手で柴崎へ指示を出して止めさせた。

「宗像様、どうしてあたしを捕まえるんですか。あたしは何も」
「先日、六花さんは女学校帰りに拉致監禁された。目撃者もいる。お前の仕業だな」

 昴の言葉の強さに、周囲がざわざわとどよめきが広がっていく。牡丹は一瞬、顔を顰めたものの、いつものように人懐っこい笑顔で言い返した。

「嫌ですわ、ただお姉様が実家に帰っただけでそんな風に言われては。お姉様の被害妄想を真に受けていてはいけません。治癒だとかいうのも、結局お姉様の妄想なんでしょう?」
「無理やり馬車に乗せて、蔵に閉じ込めることが、『実家に帰っただけ』か?」
 話を逸らそうとする牡丹の流れには一切乗らず、昴は牡丹をまっすぐに見据えた。

「さらに、六花さんが宗像家に来たときには、髪が火で焼かれて縮れていた。その火は、花巫女の神力によるものだった。出雲牡丹、お前の手によるものだ」

 昴の声はこれまでのすべてを責めるように、地を這うように低く、冷え切ったものだった。牡丹は怯えた表情を見せたが、すぐに目に涙を浮かべて訴えかけてきた。

「そんなの嘘です。あたしを疑うなんて、ひどいです……!」
「そうですよ。うちの娘は何もしていません」
「宗像家は何の証拠もなしに、娘を疑うというのですか」

 牡丹を庇うように前に立った両親がそう言った。すると、昴と恭介が目配せをした。その言葉を待っていた、というような。恭介がにこやかに牡丹の前に立ち、話す役を引き継いだ。

「証拠はあるんだよ、出雲の皆さん。書く字に一人一人の癖があるように、花巫女の神力にも癖がある。それを数値化できるものがあってね、個人が特定できるんだ。牡丹さんの神力と六花さんの髪を焼いたものとが一致した。立派な証拠だよ」
「何よ、それ」
「知らないのか。朝廷も認めた最新技術だよ? 別に秘密裏にしているものでもない。この中には知っている人も多いだろう」

 恭介の問いかけに、観覧席にいた人たちが頷いている。全員とはいかないものの、三分の二ほどだろうか。話についていけずに呆然としている人も多いので実際には知っている人はもう少し多いのだろう。

「そんなの知らないわよ! 皆さん、こんな得体の知れない男の言うことなんて、信じないで――」
「朝廷直轄の情報官の言うことが信用ならないと?」
「えっ……」
 ついに牡丹と両親が言葉を失った。

 恭介が情報官であることは、朝廷内部を除いては知っている人は少ないはずだ。六花も壱与を通じて知ったようなもので、あの会話がなければきっと知らないままだった。だが、知らないとはいえ、宗像家である恭介に対して、得体の知れない、は無知がすぎるというものだろう。
 恭介は、少し楽しそうに話を続ける。

「ちなみに、白い花が治癒の神力を持つ、というのは、ある資料に一行だけ記されている、忘れられた神力だね。皆さんが知らないのも無理はない。僕は手元に写しがあったからね」
「では、我々だって」
 父が絞り出すように抗議の声を上げたが、すぐに昴にかき消された。

「こいつが持つ写しの元は、出雲家の蔵に所蔵されているものだ」
「え……」
「出雲家は、過去から学ぶことをせず、最新の情報にも触れようとせず、貴重な治癒の神力を持つ花巫女を虐げ続けた。花巫女の家として、人々の安全を担う者として、怠慢に他ならない。……朝廷より、沙汰が下るだろう」

 まるで神託を告げるような昴の声が、響き渡った。長く、沈黙がその場を包んでいた。
 昴は再び指示を出し、呆然と立ち尽くしている両親を拘束した。

「あたしたちの計画を蔵で盗み聞きしたのね。卑しいお姉様。無能なお姉様は、無能のままでいなきゃいけないのに」
 牡丹はぶつぶつと虚ろな目で、呟いていた。両親と同じように牡丹のことも拘束しようと動いたのだが、柴崎の一瞬の隙をついて、その手を逃れて六花に向かって叫んだ。

「何もかも! お姉様のせいよ!」